2. 懐かしきかな──我が故郷
そこは大通りに面したファストフード店の店内。
一日の学業を全うした学生が疲れを癒すために、学校帰りの夕方から夜にかけての時間に利用している。
イタリア風の料理を提供するこの店は安心手頃な価格で有名であり、学生でも気軽に訪れることのできる店だ。
そこに、現在四人で料理に舌鼓を打つ男子学生がいた。
だが、どうやらその中の一人は目の前のドリアに集中出来ていないようだ。
年齢の程は十八程度であり、ブレザーに合わせた制服一式を身にまとっている彼の視線は、斜め前のテーブルに座っている団体に釘付けにされていた。
「……? 何かあったのか?」
「い、いいや。何も…………」
「そうか? 上の空っぽかったが?」
「本当に何でもない。心配かけたなら、悪かったな」
彼の視線の先には、恐らく(偏見で物を判断するのは悪手である上に、推測するものが女性の年齢ともなると細心の注意を払わなければならない)二十代前半の美女が数人何らかの話で盛り上がっていた。
美女と一口にいっても序列があるのだろうが、その場に集まっている一団は、それはそれはトップクラスの美しさを兼ね備えていた。
それこそ、パリコレのランウェイを歩いたとしても間違いなどない程には洗礼された美しさである。
「何だ? 一目惚れでもしたか?」
「……! そういうんじゃない…………ただ」
「ただ、何だ? 学校のマドンナすら君のお眼鏡にはかなわなかったんだ。あの美女集団にはいるのか、気になっただけさ。皆も気になるよな?」
一人の友人が囃し立てると、それに続いて残りの二人もからかうように問う。
だが、どれも悪意に満ちたものではない。
ただ単に興味本位で聞いているだけであって、もし、彼が「やめてくれ」と本気で迫るなら、すぐさまやめてくれる。
本当に自分なんかには勿体ない程に素晴らしい友人だ、と心の底から思う彼だからこそ、渋々ながらでも声に出してしまう。
「ただ…………姉に似ている人がいるんだ」
「………………そうか。それは……なんだ。悪いことをしたな」
「……! いいや、違うっ! 失踪してから半日に一回は姉の面影を探してしまうから、これは…………クセみたいなもので……!」
「そっちのほうが怖ぇえよ! なに、お前そこまで進んでいるとは…………!」
姉に似ている人──その者は“蒼”を基調にしたコーデに身を包み、テーラードジャケットを羽織っている、クールの一言が似合う流麗な女性が、あまりにも似すぎていたのだ。
彼の姉が四年前に失踪してから、順当に歳を重ねていたら、きっとあの女性のように美しくなっている、と想像してしまう。
姉が失踪してから形容しがたい喪失感に襲われた彼からしてみると、その面影がある女性をすれ違うだけで涙が溢れてしまう。
そして、現在、一瞬本当に姉その人ではないか、と錯覚してしまう女性が、手を伸ばせば届く距離にいるのだ。
注文したドリアが進まなくなるのも仕方のないことだ。
「はあ…………まったく。俺たち以外の前ではその変態的発作だすなよ」
「ほら、お前の分のドリアは食ってやったんだから。早く行こうぜ、そろそろ上映時間十分前だ」
「お、おう…………いや、待て。言いたいことが幾つかあったぞ! 誰だ僕のドリアを食べたのは! それと、十五分前には会場入りだ! 急ぐぞ!」
「変態云々には突っ込まないのな…………流石は華彩だ。あの自分の道に真っ直ぐには尊敬するよ」
いつもの通り他人の空似である、と断じた彼──華彩と呼ばれた青年は、去り際に再度姉に酷似した女性を見つめるも、彼女が振り向くことはなかった。
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時刻は午後六時に差し掛かっている、何をしようにも微妙な時間。
そんな時間に美女集団がイタリア風のファストフード店に集まっていた。
「ん~~、ここもおいしいけど~~、やっぱり私はフィーレルンツィルの海洋料理が好きかな~~」
「千百合、貴女はローマの海鮮料理と日本のファストフードを比べろと言うの?」
「いい勝負はできるんじゃない? ここのいいところは安価で、直ぐに提供できるところだし」
「つまり、それぞれの利点があるということですね。主様っ!」
「なあ、ミア…………それは極論じゃないか?」
「キャンベラ様、千花様が火の燃え上がる前に消化したのです。ここは大目にみてください」
「何言ってんだ? ここの料理もいいぜ?」
七人の美女は各々違った印象を与えるコーデに身を包んでいた。
深緋色のドレスは現代日本ではあまりにも目立ちすぎる、と却下された千花は、同じく深緋色のロングスカートに、白色ブラウス、茜色のボアコートを羽織るスタイルに決めた。
そんな彼女の隣には、ブルーデニムにネイビーティーシャツ、テーラードジャケットといった“蒼”を基調とした〈聖ドラグシャフ世界線〉から微塵も変わっていないコーデの時雨が座っていた。
「でも~~、千花ちゃんも時雨ちゃんも久し振り過ぎるんじゃな~~い?」
「本当に長い旅でしたものね…………」
〈聖ドラグシャフ世界線〉ではコアド魔王国随一の露出度と破壊力を保有していた千百合の服装は、日本では一発でお巡りさん行きだ。
故に、ウエストや胸のあたりで丈が終わる漆黒のクロップドトップスに、美脚が強調されるピタリとしたソリッドパンツのみ。
露出度はとても控えめになったが、それでも破壊力は大して変わらない。
それにひきかえ、ミリソラシアは模範的に清楚系女性の王道を行くコーデにしている。
薄水色のワンピースに、水色のニットカーディガンを羽織ったコーデは〈聖ドラグシャフ世界線〉から変わってはいないが、透き通るような水色の長髪には桜をかたどった髪飾りがその色を発していた。
「まあ…………色々あったが、今はこれからを考えよう」
「そうですね……正直に言ってしまえば、〈アザークラウン世界線〉に関しては伝聞による情報しかありませんでしたから…………」
「マジで〈聖ドラグシャフ世界線〉とは違い過ぎてパニックだぜ…………」
黒のスーツに、スカートスーツ、黒のタイツ、という日本のOLを思わせる大人のコーデのキャンベラ。
そして、誰の説得にも応じずにメイド服を貫いたソフィアは、周囲の目線には屈する素振りもなく座っている。
だが、コアド魔王国の催し物ではナーラと共にミニスカサンタという聖装に身を包んでいたりもする。
そんなソフィアに賛同するイルアは〈聖ドラグシャフ世界線〉にいた頃と少し変えて、黒のショートパンツに、白のノースリーブシャツ、緋色のサスペンダー、そして、幅の広い漆黒のムートジャケットを羽織っている。
多様な“色”を発する彼女たちは、現在、ある問題に頭を悩ませていた。
「まさか、〈聖ドラグシャフ世界線〉との時間軸がズレてるなんて…………」
そう、〈聖ドラグシャフ世界線〉と〈アザークラウン世界線〉との間では時間軸での一貫性が生じていた。
〈アザークラウン世界線〉での一週間は〈聖ドラグシャフ世界線〉においての一日程度のズレであったのだが…………。
「ギールさんが言うには“真天聖龍”の顕現によっての魔力圧が“中心核”が狂ってしまったらしいわ」
「そもそも、“真天聖龍”の魂に“中心核”が同化しちまってたんだろ? “真天聖龍”の基礎能力向上と、“真天聖龍”撃破勢力に対する抑止力ってやつだ」
「…………イルアちゃ~~ん、理論的に考えられるようになったわね~~」
「あ? 今まではそうじゃねえってか?」
「ああ、そうだな。かつては感情的になりすぎるのが欠点だったが…………」
少し話題が逸れるが、イルアは空中庭園に来てからというもの、アンフェアたちから貪欲に能力を吸収したのだ。
だが、能力向上に努めたのは、イルアだけでなく千花たちも同じだ。
というより、〈聖ドラグシャフ世界線〉では鍛練によってコアド魔王国の防衛力及び、兵力向上に繋がった故に、彼女たちは常軌を逸した鍛錬量をこなしていた。
だからなのか、もはや習慣となってしまった鍛錬量には、あの那由他ですら血の気が引くほど。
閑話休題。
「えっと…………確か、“真天聖龍”が顕現してから、〈聖ドラグシャフ世界線〉と〈アザークラウン世界線〉の時間軸には差異はなくなったんだっけ?」
「いいえ、数時間の差異は残ってしまいました。ですので…………」
「約四年よ。私たちが〈聖ドラグシャフ世界線〉に旅立ってから、〈アザークラウン世界線〉では四年が過ぎている」
────四年
キャンベラの〈聖ドラグシャフ世界線〉からの移籍を直談判しに行った刻から、四年の月日が経ってしまったのだ。
本来ならば“真天聖龍”の顕現してからの三年に、それまでの数ヶ月が加えられるだけであったが、数時間の差異が積み重なったために四年という月日が流れてしまった。
「それで? 今日はなんでここに来たんだ? オレは大将の故郷に来れて嬉しいんだけどよ」
「それは…………私の家族に……最後の言葉を伝えたいからよ」
「……ッ! それって~~、時雨ちゃんは~~ずっと守護者として生きていくってこと~~?」
「ええ、そうなるわね」
昨夜、千花の部屋へと訪れて語った真意。
それこそ、時雨がこの先二度と家族とは会わないという報告、そして残りの人生を人類の護り手の守護者の一人として生きていくという覚悟。
「千花はそれでいいのか? 時雨が家族と離れ離れになっても」
「そうですよっ! 二度と会わないって決めなくても、機会を見つけて少しでも…………!」
「う~ん…………私がとやかく言うわけにもいかないしね。それに……」
「それに、もう…………私たちは元の生活には戻れないわ」
少し視線を下に降ろし、痛々しい笑みを浮かべる時雨の言葉の意味に、気づいてしまった皆はそれ以上何も言えなかった。
時雨の言葉通り、もう戻れないのだ。
何時、何処で、何が起こるか、どの瞬間に命の危険を伴う“何か”が襲ってくるか。
常に“何か”に警戒している千花たちには、現代日本の生活は無理難題に等しい。
考えても見てほしい、「遠方からの襲撃の可能性があるから結界を貼っておこう」などと平和そのものである日本で少しでも考えるだろうか。
「空間を捩じ切って奇襲してくるかもしれないから、空間に迎撃魔法を刻印しておこう」や「今すれ違った三人組が怪しいから間合いに入ったら抜刀するか」、「この部屋では広範囲系統の魔法は効果が半減してしまうから、自動追跡に切り替えておこう」など、思考の隅にもあがらない。
例え、現代社会に慣れたしても、何らかの違和感は拭えない。
そう、千花が空中庭園の自室で感じてしまった違和感は、決して払拭できるものではない。
「ええ、もう二度と…………私たちは“平和”では生きられない。“脅かされるかもしれない平和”の中で警戒しながらの生活しか────送れないのよ」
言葉を詰まらせながらも、時雨は最後まで言い切った。
彼女の言葉に同意するように千花たちは沈黙をもってしか、返答の形をとれない。
今も尚、「この料理には毒物が混入しているのではないか」、「この瞬間にも時空を超えて『影の存在』が攻勢に出るのではないか」と会話の他にも思考を巡らせている彼女たちにとって“平和”など最も遠い世界なのだ。
“平和”のために戦ったはずなのに、“平和”からかけ離れた生活を送らざる得ない。
「だから…………面と向かって話すことにしたの。もう……戻ることはないって」
彼女の瞳には、もはや誰の言葉も届かないであろう覚悟が刻まれていた。
その姿はまるで、コアド魔王国で特設会議室で見せた本気の瞳。
時雨は選んでしまったのだ。
“平和”な世界で生きるよりも、“平和”を崩壊させんとする存在から、“平和”を護る役割を担うことを。




