65. 「おはよう」から次の「おはよう」まで
〈聖ドラグシャフ世界線〉は三つの思想が根幹となり持続している。
それぞれの“神”を信仰する征統教。
属性毎に分かれている“龍”に従うヴァルディード善龍信仰。
そして、個人で命題を定めて到達を目指す我心論。
とは言うものの、〈聖ドラグシャフ世界線〉内で大多数の指示を受けているのはヴァルディード善龍信仰だ。
故に、彼らの中で主神龍となるものは絶大な支持を得ていることになる。
その主神龍とは、“真天聖龍”セント=ヴァル=リウム。
かつて“暗黒魔龍”ギア・ゼーヴァを撃退した史上最強の龍。
だが、それはあくまで教典の中の話でしかなく、一部の者にしか真名は語り継がれていない。
そのため、ヴァルディード善龍信仰者は皆、“真天聖龍”とだけ呼んでいる。
故に、伝説上の存在として語り継がれ、ヴァルディード善龍信仰者にとって心の拠り所であり続けた。
だが、もし“真天聖龍”が存在するならば、その力はきっと絶大なものになるだろう。
そう、例えば世界線一つなど容易に破壊可能であるほどには。
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ここは〈聖ドラグシャフ世界線〉王都、その一室。
控え室であるその部屋には複雑な理由や思惑の末に、真犯人の陰謀を看破し、勝利のために動き出そうとしている者たちがいた。
「さあ、ラモスキューとかいうゴミを掃除しに行こう!」
「お待ちください! 千花様! 怒られてしまいます! 時雨様に怒られます!」
「そうですよ! 主様! 冷静になって考えてください!」
黒緋色のドレスを身にまとった絶世の美女である『魔王』千花は縋り付くように足元にまとわりつく二人の美女を引っ張りながら進んでいた。
一人は紺色のメイド服を着込んだメイドのソフィア。
そして、もう一人は薄水色のワンピースに、水色のニットコートを羽織ったミリソラシア。
千花の特攻行動を是が非でも止める意志を見せつける二人に、ナーラやシャーシスは少し引き気味だ。
「…………鬼人は特攻しようとは思わないのか?」
「目の前であれを見せつけられて、尚進もうと思うか?」
「うっ……! まあ…………確かに」
剣聖の辛辣過ぎる一言に変態が一人、ビクンッ! と震えたような気がしたが、きっと気のせいだろう。
今も尚、恥を捨てて外聞を守るために行動している彼女の事を、変態だとか呼んではならない。
「だが、攻勢に出るしか手のない状況は確かだ。早々に決断せねば巻き返せんぞ」
その一言に千花を留めていた二人は動きを止めて、諦めたかのようにへたり込む。
「そうだよ、二人とも。別に戦争するわけじゃないんだよ。きっと、この世界線を独裁してる秘訣をネタにして揺すれば勝てるって!」
「言い方が正に『魔王』の所業ですね…………」
「まったくよ。板に付いてきたわね」
力説するかのようにガッツポーズで説得する千花は、傍から見れば可愛らしいのだが、内容はあまりにも可愛くない。
「じゃあ、早くいこ……!?」
「──ッ!? 何だと…………!?」
──一拍
説得していた千花、そして、椅子から立ち上がり動こうとしていた剣聖。
コアド魔王国内でも一位と二位の実力を持つ二人が、全ての行動を止めて静止した。
その変化に驚愕よりも恐れが勝っていた一同は、何故二人が止まったか、その理由を知ることとなる。
ブワァァァアアアアアアアアアッ! と過去に相対したことのない“圧”が吹き荒れたのだ。
さしものコアド魔王国の面々が身動き一つ取れない、という事実がどれほどの相手であるかが伺える。
「…………ッ! 来る! 【愛は女神の根源】!」
「チィッ! 【生成・盾】!」
“未来を視る眼”のよる“未来視”、そして、【鬼神眼】による危機感知。
その二つの力により視た景色──眩い光が〈聖ドラグシャフ世界線〉全体を包み込み、それを中心にドーム状に膨張するように広がっていく。
千花と剣聖の二人はそれぞれの力を行使しして、皆の被害を最小限に抑えるために全力を尽くす。
──────聖なる使者よ、我が友よ
「……!? 頭に…………!」
神々しく光る『女神』の守護を模した“愛”の結界と、赤雷の迸る数本の刀が開花するように作られた盾。
二つの防備の中、ソフィアだけが頭に響く聲に気付いていた。
それはまるで悠久の刻を経て友に再開した如く、郷愁の色に満ちていた。
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──世界が崩れかけていた。
感想は一言で締めくくられた。
何故なら、その通りだからだ。
まあ、詳しく言うのならば王都全域の建物が半壊し、人々が逃げ惑っている、という方がよい。
西洋風建築で所狭しと並んでいた住宅や商業施設、そのどれもが痛々しいまでに壊れていた。
辺り一面で悲痛な叫びが聞こえる中、地獄絵図でも尚、そこで輝く存在に目を奪われる。
──それは正しく“龍”であった。
全長約二百メートルと推定される“龍”は虚ろな双眸で睥睨していた。
身体全てを純白に輝く鱗で覆われ、広げられた二翼は羽ばたかずとも存在感があった。
今まで、数多くの怪物と相対してきた千花ただでさえ、息を潜め、気取られないようにするしか、道はなかった。
『魔眼王』バラゼン・ディアス、霜の巨人族、そして、『国堕し』と『煌天』。
そのどれもが尋常ではない“圧”を放っていたが、感じられたのは“恐怖”、そして、“叛逆”。
しかし、目の前の“龍”からは、それすらも感じ得ない純正の“畏怖”。
全ての“龍”の模範たり得るそれは脈絡なく、その力を行使する。
「我、“真天聖龍”也」
声ではなかった。
空気そのものを声とする如き児戯でそれは意思疎通を図る。
いいや、それにとっては疎通などする必要もなく、万物が従うのだが。
「我の救済より八百の刻が過ぎた」
“神聖天龍”の瞳は相も変わらず何も映さず、ただ虚無だけが広がっていた。
だが、それでもなお、それからは形容し難い“圧”が放たれており、正に頂点に立つに相応しい様相である。
「世に跋扈せし羽虫よ、選定の刻だ」
その言葉を最後に“神聖天龍”は周囲から魔力を練り集め、自身の翼に蓄積する。
「……!? マズい! それはダメだよ!」
“未来”を視た千花があまりに現実離れした光景に、咄嗟の判断が滞ってしまう。
しかし、それでも千花の魂に眠る『女神』フレイヤは違った。
「«手を動かすでありんすよ! 今から降り注ぐ無差別殲滅攻撃は一つでも防いだ者に集中砲火される仕組みでありんす!»」
「(分かってるッ! 抵抗する人は誰であっても潰すって思いを感じるよね! 急に出てきてなんなの、アイツ!)」
フレイヤの掛け声で正気には戻ったが、それでも戸惑わずに術式を組めるか、と問われるならば別の話だ。
“真天聖龍”からは生的な動きなどなく、まるで大量殺人兵器としてプログラム通りに動いているとしか思えない。
その在り方に、千花は恐怖よりも“怒り”が先に出てきてしまう。
正に、どこぞの『魔王』の成れ果てのようで、神経を逆撫でするのだ。
「«……ッ! 全ては防ぎきれんでありんす!»」
「ならッ! 千時先輩! 二極化お願い!」
「…………心得た」
千花の術式が猛スピードで構築されている状況下で、声をかけられた剣聖は迷いなく行動に移す。
千花を中心に防護結界が張り巡らされる中、一人飛び出した剣聖は【剣の刻印魔法】第三段階【鬼神体】にて強化した身体能力で、一気に数キロ離れ、居合の型をとる。
「これこそ、我の裁定也」
魔力の充填が終了した“真天聖龍”は躊躇なく白く輝く魔力を、細く尖らせた魔力の杭に変化させる。
虚ろな瞳が眼下の世界を捉えた瞬間、世界を穿つ杭が射出される。
「みんなっ! 離れないで! 【愛は女神の根源】!」
【愛の刻印魔法】にて底上げされた時雨の模倣結界。
あくまで形も見よう見まねだが、それでも最も彼女の結界を見続けたのは千花なのだ。
何ら違うこともなく、ところどころに綻びは見えるものの、それでも結界としての機能は完全だ。
だが、千花の結界が展開された瞬間に、平等に降り注いでいた光の杭は空中で軌道を変え、一斉に千花へと向かっていった。
「フッ────真禍極限流【終・無刀】!」
一極化を確認した剣聖は真禍極限流の最速の技である居合術──【迅・無刀】を一秒未満の間に行い、更に、真禍極限流の横凪技に【剣の刻印魔法】を付与した斬撃で杭を相殺する。
だが、それでも光の杭は衰えず、剣聖にもその矛先を向けた。
「【愛は何時でも朧げ】!」
「真禍極限流【限・無刀】ッ!」
光の杭のある空間と、“神聖天龍”の背後の空間、その二つの空間を根こそぎ交換することで、光の杭を“神聖天龍”自身へと向けさせる。
更に、一定の杭を斬り捨てた剣聖が一瞬の内に肉迫し、中途の杭を真禍極限流の理論上無限に斬れる技で斬っていく。
背後には自身の生み出した杭、正面には赤髪を纏った剣聖。
完全に挟み撃ちされた“神聖天龍”だが、その空間に焦りはなかった。
というより、それに焦りなど存在するかは不明だが。
「……ッ! なに……?」
ガキィィィィイイン! と甲高い金属音が二つ、響き渡った。
一つは背後の光の杭が弾かれた音。
本来は“神聖天龍”が生成したものであるため、千花も光の杭でダメージを与えられるとは思っていない。
ならば、狙いは何か。
──本命は剣聖。
目算でしかないが数本の光の杭よりも、剣聖の一撃の方がダメージが高い、と推測したのだ。
しかし、結果は誰しもが目を疑う結果となった。
なんと、剣聖の刀──【剣の刻印魔法】で生成した妖刀、鬼哭啾啾は“真天聖龍”の鱗に阻まれたのだ。
よくよく見れば純白の鱗を二枚斬っていたが、三枚目の複数ある鱗、その一つに防がれていた。
深々と刺さっているのか、刀は抜けず剣聖がぶら下がる構図になってしまう。
「我が体躯を害する賊よ、汝は何を欲す」
「…………笑止。このオレの刀を止めた貴様が、何を聞くかと思えば…………くだらんな」
虚ろな目がこの世に現れて初めて動いた。
視線を向けられただけで心臓が止まるのではないか、と錯覚してしまう程の圧力に、屈するどころか不敵に笑い殺す剣聖。
その胆力はあの千花でさえ息を呑むほど。
流石の“真天聖龍”も剣聖の答えには驚いたのか、まるで逡巡するかのように空気が迷った。
だが、それも長くは続かず──
「先の式も賊である。汝もまた…………賊である」
「チィッ!」
もう一度、先の杭を生成するためか身体中に魔力を込めだす“神聖天龍”。
そのあまりの錬成に、剣聖の刀は溶け始め、彼は“神聖天龍”から退かざる得ない。
「【愛は何時でも朧げ】!」
真っ逆さまに地面に向かう最中、千花が剣聖と地面近くの空間を入れ替え、事なきを得る。
「おい、鬼人! 大事無いか!」
「ご主人様、怪我はない?」
「そう喚くな。オレが易々と殺られてくれる程、ヤワに見えるか?」
とは言うが、剣聖の身体には点々と薄い血痕が残っている。
杭を斬り捨てる度に致命書は避けていたが、軽傷である切り傷は度外視していたのだ。
やはり、というかなんと言うか…………まあ、これこそ千時剣聖なのだろう。
「さて、防戦一方じゃどうしようもないよ。あの“龍”は何なのか、知ってる人いる?」
「恐れながら、千花様。あの“龍”こそ〈聖ドラグシャフ世界線〉の主神龍──“真天聖龍”セント=ヴァル=リウムでございます」
「……! ありがとう、ソフィア」
「(……………………聞いた事のある名だな。どこぞで聞いた……?)」
語られた名に驚愕したのは二人。
誰も知らないであろう、と予想した千花と、聞き覚えのある名に疑問を生じさせる剣聖。
「ねえ、ソフィアちゃん。何であんたがそれ……知ってるの?」
「そうですね…………“真天聖龍”の名は私も存じておりますが……真名までは知りませんでした」
「え……? なぜですか? なぜ…………?」
どうやら驚愕したのは、千花と剣聖だけではなかったようだ。
アンフェアの付き人であった頃から共にいたシャーシス、そして、〈聖ドラグシャフ世界線〉出身のナーラ。
この二人は何故ソフィアが知っているのか、に疑問を持った。
だが、当のソフィアは何故自分が知っていた、それすらも知らずに困惑していた。
「(ねえ、ナーラが名前も知らないのに、何でソフィアが知っていたと思う?)」
「«知らんでありんすよ…………ただ、可能性としては文献で知った、というのが高いでありんすね»」
「(うーん…………何かが、引っかかるんだよなあ)」
「«今は思考時間じゃないでありんすえ。さっさとあのデカブツをどうにかするでありんす!»」
「(そうだね…………でも、アイツ硬すぎ。千時先輩の攻撃が弾かれたんだよ?)」
「«弾かれたわけではないでありんす。二枚斬ったけれども、三枚目に阻まれたといった方が適切でありんしょう? 斬れないことはない。それが分かっただけ上々でありんすえ»」
「(む〜! そんなんじゃダメだよ!)」
「«膨れても現実は変わらんでありんすよ。余としては完璧主義から離れることをオススメするでありんす。肝心な時に判断を損なうでありんすえ»」
「(………………まあ、そうかな。よしっ! 決めた!)」
千花とフレイヤの作戦会議は現実時間でおよそ二秒程度の時間で行われた。
フレイヤが魂の内部に巣食っているから、という要因もあるであろうが、そもそも、人間は一秒未満に刺激を受けて反応可能であるために、千花もまたそれに近しい思考時間での作戦立案が可能なのだ。
「みんなっ! 分担しよう」
ある程度の作戦を皆に伝えるため、大声で注文を集めながらも、脳内ではフレイヤと作戦の細部を組み立てていく。
その並行作業の労力は想像を絶するものであり、例えるならば、法律を一から覚えながら、全く違う内容を話す、という複数作業。
それでも、【愛の刻印魔法】で強制的に強化した彼女の能力ならば容易にこなせるのだ。
日に日に人間離れした芸当を呼吸を行うようにやってのける千花。
もし、皆が千花の『魔王』足り得る、この現状を見たら、どう思うだろうか。
「私と千時先輩、キャンベラ、ネメシアは“真天聖龍”の注意を引いとく。その間にソフィアとナーラ、ミアとシャーシスは二人一組になってアイツについて調べられるだけ調べてほしいの」
彼女たちのいるこの場は〈聖ドラグシャフ世界線〉の中でもトップクラスの情報が集まる王城なのだ。
例え“真天聖龍”が重要機密事項だったとしても、必ず何かしらの手掛かりはあるはず。
千花と、そして、彼女に眠るフレイヤはそう結論付けた。
「(“真天聖龍”…………あなたは、一体…………!)」
皆が散り散りになって自身の役目を果たそうと、動き出す中、ソフィアはただ一人“真天聖龍”について迷っていた。




