7. 時雨の第一歩
「…………シャレになってないじゃないカ」
アストライオスの言葉が沈黙に支配されたテラスに木霊した。
「あの世界は堕ちる。だが〈イントロウクル世界線〉の中枢には行くだろう。ならば獅子極等がついている限りうるさい小娘は無事だろう」
テラスにアンフェアが彼方と共に合流した。
「でも…………今の千花はいつもの千花ではないんです。……………………裏千花と名乗っていて、明らかに千花じゃなかった……」
時雨が絶望することは当然である。
なにせ、唯一の親友が自分のことを殺しに来ただなんて、どう頑張っても納得できる話ではなかった。
「…………私は……どうしたら………………いいんですか……? 千花がいないなんて………………考えられない……」
時雨は悔やんでいた。
自分があの時確実に護っていれば、エングのもとへ行く千花を止めていれば、いや最初から自分が千花に会わなかったら、こんなことにはなっていなかったかもしれない。
悪い想像ばかりが時雨の頭の中を駆け巡る。
しかし
「俯くな!!」
「…………ッ!?」
「下を向くな前を見ろ!! 何があっても折れるな!! 世界は一人でまわっているのではない、世界を廻している者は己と仲間!! 己一人ではどうともできん! 心に刻めよ、小娘。仲間を信じよ…………!」
アンフェアが折れかけていた時雨の心を叱咤し、立ち直らせようとする。
「そうさな!! 炎だけではない、凶も魎もいる!! なれば千花の身は安泰であろうよ!!」
那由多が確固たる自信に満ちた声で時雨を激励する。
那由多もまた、戦場を知っている。
絶望してゆく人間の末路をその目で見ている。
「………………なんで……私たちを気にかけるのですか……? 私たちに【刻印】があるからですか?」
時雨は戸惑いを隠せない。
なぜ、自分たちにここまで優しく護ってくれるのか。
なぜ、なんの力もないただの女子高校生に手を差し伸べるのか。
なぜ、世界の守護をしている大きな人達が助けてくれるのか。
時雨には何一つわからなかった。
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私は人が怖い。
政治家である父は割と有名な人だったからか、六歳の頃、父に恨みをもつ犯罪者に三日ほど拉致監禁されたことがあった。
とても怖かったことを今でも鮮明に覚えてる。
血走った眼、荒い息、憎悪を口走る言葉。
そのどれもが私にとっては初めて受ける感情だった。
何度も殴られ、罵詈雑言の嵐、殺されかけもした。
だけど純潔は取られなかった。
きっと、父が慌てて来たところに私の純潔が散るさまを見せつけたかったのだろう。
警察が早く見つけてくれたから良かったけど、多分私の中でなにかが壊れたのはきっとこの時だと思う。
全ての人が私に向ける視線が怖かった。
いつ、誰に、どんな理由で、襲われるのか……ただそれだけを恐れて十年間生きてきた。
襲われ、助けを求めた時に何を見返りに要求されるのか。
金か、家族か、体か、もしくはその全てか。
だから私は人となるべく接してこなかった。
何があっても人に助けは求めない。
求めたら私は恐怖で動けなくなってしまうから。
私は永遠に人に怯えながら生きていくしかない。
そう決意したことは何度もあった。
そんな時、私は千花に出会った。
どうせ、この子も恐怖の対象になるとそう思っていた。
でも、千花はそうならなかった。
千花は私を認めてくれた。
父の娘ではなく、一人の人間である『華彩時雨』として接してくれた。
初めて私に寄り添ってくれた。
千花は私のただ一人の親友。
傷ついて欲しくない。
だけど、私だけの力じゃどうしようもない。
こんな時、千花ならどうするのかしら?
千花は強いから、一人でどうにかしてしまうのかしら?
────私は……そんなに強くないよ…………。
いつも迷ってばっかりで、どうしようもなくて、いぃ〜〜ってなっちゃう。ふふっ。可笑しいよね? でもね時雨…………私はそんな人だよ。みんなそう! 全部完璧にできる人なんて、いないんだよ! だから私は、自分より凄くて私たちを本当に大事に思ってくれる人に………………助けてもらうの。自分たちでどうにかならないなら、そうするしかないかなら。ね? 時雨にもいると思うな…………もし、今までいなかったとしても、目の前にいる人が時雨を助けてくれない! なんてことはないと思うよ────
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「(そうだった…………千花も私と一緒だった。私は自分の中で勝手に決めて虚像を押し付けただけだった……。千花も私と同じ……それなら今、千花は苦しんでる……………………自分ではない誰かに千花は苦しめられてる……! ありがとう、千花。あなたのおかげで私は強くなれる。六歳の頃から何も変わらなかった自分を越えられるかもしれない。待ってて、千花! 今から私が助けに行く!)」
時雨が千花の言葉を思い出し、決意を固める。
人を頼り、人に助けてもらう。
誰でもできるその決意は時雨にとって、大きな壁として立ちはだかっていた。
しかし、時雨はその壁を超える。
今、超えてみせる。
「……私が今…………助けを求めたら…………助けてくれますか? なんの見返りもない! ただの女子高校生のただの願望です……。それでも…………私たちを……………………助けて…………くれますか?」
言おうと決めたことのはずだが、言葉はたどたどしく彼女がどれほどの葛藤と恐怖を感じているのがよくわかる。
しかし、彼女は口を閉じなかった。
最後まで言い切って見せたのだ。
「その問いに対する我々の答えは一つだけだ。…………目の前で絶望に涙を流すものがいるのならばその者の未来を護ろう。我々は人類の護り手!! 貴様のような小さな小娘を救えずして、一体何が護り手だ? 一体何を護るというのだ? 顔を上げ、未来を見据え、胸を張り、覚悟を決めろ!! 貴様の目の前にいるのは人類の護り手 !! 準備はいいな? 秀才ぶっている小娘よ…………世界最強の集団に貴様の命を掛けよ!! さすれば貴様の願い全てを叶えよう。人類の護り手の名に賭けて!!」
時雨が声を潤ませ、今まで堪えていた涙を流し、問う。
力のない自分たちを、なんの役にもたたない自分たちを、それでも助けてやると、そう言ってくれた守護者たちに、もはや言葉はいらなかった。
だから時雨は己が唯一言わないと決めていた言葉を口にする。
本当に助けてくれる、本当に護ってくれる最強に嘘偽りのない願いを。
「………………私たちを……助けて…ください……………!」
「その覚悟しかと受け取った」
アンフェアが時雨の頭を撫でる。
その様子はまるで、子どもの成長を褒め称える親のように。
時雨の想いを受け取り、その重みも、その意味も、全てを託され人類の護り手たちはついに守護者たる力を使う。
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先程、助けて欲しいと願いを口にした時雨が隅に小さく丸まっていた。
「恥ずかしい…………。恥ずかしいよ……。千花ぁ…………恥ずかしいよぉ……………………」
プルプルと体を震わせ恥ずかしいよぉ、恥ずかしいよぉと言っているさまは強くなると決意した少女とは似ても似つかない。
そんな、少し哀れな時雨を気遣ってか、アンフェアが作戦会議を開始する。
「…………これより、人類の護り手に命を降す。ギール、空中庭園を〈イントロウクル世界線〉に向けて飛ばせ。ワールはギールに〈イントロウクル世界線〉の中心を測定し伝えろ。それと、武虎と死狩は帰ってきているか?」
「分かったよ。時間がないから今から飛ばすよ。【真理の書 第百七十三節「空中庭園」】」
「【空間一収】 ギール、そこ斜め右の隙間に入り込ませろ」
「ここだね。…………行けたようだね」
ゴゥンッッッッ!!!!と、地面がなり空中庭園がある方向に動き出す。
「武虎と死狩は〈イントロウクル世界線〉の要人暗殺で傷を受けたらしイ。今は第八階層で治療を受けていル」
「…………そうなると、獅子極たちとの連絡が最優先だろう。ギール、あとどれくらいで着く?」
「もう着いたよ………………」
「…………………何?」
「空間の隙間に時間はないからな、結構すぐ着くぞ」
「………………貴様らは何も聞いていない。いいな?」
「何を言っている? アンフェアよ、それは無理があるのではないか?」
アンフェアが少し前の発言を撤回しようとするが、那由多に突っ込まれ無駄となった。
「神楽坂、九龍は時雨と共に〈イントロウクル世界線〉に斥候として、先立ち降り立ってもらう」
「うむ。承知した!!」
「分かった、斥候でいいんだな? ただ連絡手段がなくないか?」
「ギールよ、何かよい魔導書はあるか?」
「あるにはあるけどさ……。ここでワタシに振るのはおかしくないかい?」
「そうか、あるか。ならばそれで良い」
アンフェアが明らかに誤魔化した。
時雨にカッコつけて助けてやると言った手前、少し緊張したようだ。
「まぁ、いいけどね。それでこそワタシたちの王だよね! 【隠れし法の見つけ方 第三百六十七節「遠隔通信」】」
詠唱が完了した瞬間、那由多たちの右腕に腕輪が装着された。
「それで念じれば、ワタシに通信を送ることが可能だよ」
「ふむん。魔導書とは便利なものだのぅ」
「いつもなら、魔導書のアレコレを力説する時だけど、ワタシは空気が読めるからね。わざと言わないでおくよ」
「その発言が既に空気読めてないんだよなぁ」
「何か言った? 九龍?」
「いや、何も?」
ギールの追求に撃老は目を逸らし、そっぽをむき、白を切る。
「神楽坂さん、九龍さん、どうかよろしくお願いします」
時雨が憑き物が落ちたような声で、彼らに一言かけた。
「任せるが良い!」
「那由多がいるんだ、危険なことはない。いざと言う時は俺も戦闘に参加するから安心してもいい」
那由多と撃老、時雨の準備ができた頃合を見計らってか、アンフェアが声をかけてきた。
「では、斥候としての役目を忘れずにな。だが、あまりに小娘がうるさいようなら少しばかり、乱雑に扱ってもよいから必ず帰ってこい」
それは、アンフェア直々に千花を何があっても連れて戻れ、という許可であった。
「ワールよ、運べるか?」
「構わない。【空気転移】」
ヴォン!!!!と音がした後、時雨たちの姿はなかった。
「無事に送れたようだ」
ワールが満足そうに微笑む。
「悪い、ワール。ジェラールとグレゴリー連れて、武虎と死狩の容態を見てきてくれ」
彼方が一仕事終えたワールに口を開く。
「……? 別にそのくらい俺だけでもいいが?」
「いや、頼む」
「分かった。だが、下手な真似はするなよ。ジェラール、グレゴリー行くぞ」
彼方の尋常ではない様子から何かを悟ったのか、ワールが二人を引き連れ第八階層へと向かう。
「なら、ワタシは楽園内の監視といこう」
ギールが空気を読み、テラスを離れる。
もしかしたらギールは本当に空気が読めるのかもしれない。
ギールが立ち去りテラスには彼方とアンフェアの二人だけになった。
「……いい覚悟だったな。アンフェア、これは俺たちしくじれなくなったぜ?」
しばらくして口を開いた彼方がアンフェアに忠告をする。
しかし、その表情は忠告以外の懸念があるように見える。
「案ずるな。もとより世界線同士の戦争にしくじることなどあってはならぬ事なのだ。それに比べれば、いささか楽ではある」
「違ぇよ。分かってるだろ? 俺が言いたいのは、千花のことだ」
「………………理解している」
「してねぇだろ。………………話を聞いてる限り、二重人格とかで済ませられる話じゃねぇ。何より、俺たちですら、大したこともわかってない【刻印魔法】を自在に使ったそうじゃねぇか? アンフェア…………。もう一度だけ聞くぞ。本当に大丈夫なのか…………?」
「………………大丈夫だ、と言っている! 王の一人である貴様が気にするのも当然だ。……しかし、今はどうすることもできない。ただの小娘があのような覚悟を秘めた目で、助けてと懇願してきたのだ。それに応えるのもおうたるものの務めだ」
「……つまり、私情を挟んだってことでいいんだな?」
「……………………それでいい」
アンフェアは一言も己の意見を言っていないが、かえってそれが彼方には異質にとれたようで、私情で動いたことを看破された。
「あんたの決断は間違っちゃいねぇよ。……ただな、あの子の覚悟をせよったんだ。生半可な結末じゃ許さねぇぞ…………。分かってるのか? 若造?」
「若造呼びはよせ。何年前の話をしている」
「さぁな? 俺が全責任者の席を譲ってからだから…………、もう二百六十年になるか」
「過去のことはいい。…………分かっている。彼女の願いは余が成就させる。見届けてくれるか? 元王?」
「久しぶりすぎてむず痒いな元王呼びは…………、わかってるならいい。安心しろ、俺も彼女の願いは叶えたいからな」
「隠居して更に、優しさが増したな? 元王?」
「下手に呼ぶとその頭、消えるぞ?」
「………………冗談に聞こえないからよしてくれ」
アンフェアと彼方の不穏な会話は幕を閉じた。
時雨と裏千花が相見える時もすぐそこまで来ているようだ。




