58. エピローグ
──糾弾、そして裁定
理不尽を許せないのは人間としての性分なのであろう。
しかし、これは余りにも度が過ぎる。
ただ救いたかっただけである。
ただ笑顔にしたかっただけである。
だが、彼ら彼女らは、その態度こそが傲慢であると、責め立てる。
どうしてこれに耐えれようか、そうも思うが、彼女は耐える。
自身の行いが、愛する者を救えたのであれば、何の悔いもない。
きっとそう思えただろう。
それは、彼女を裁く最前列いる者が唯一無二の親友でなければ。
世界で最も幸せになって欲しいと、何不自由なく生きて欲しいと、万物に憂いなく笑っていて欲しいと、そう願った彼女の想いは、成就されぬまま、人間の我儘によって踏みにじられた。
❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐
その日はコアド魔王国にとって重大な日であった。
『魔王』千花の上司と思われる『帝王』が来訪したことに加え、ある礼状が魔王国へと届けられたからである。
「さてと…………千花、あなたは私に過労死しろと?」
「ごめんなさい」
「そうよね、謝罪は大切よ。けれどね、私が望んでいるのは、また別の言葉なのよ」
「……? いつもありがとうございます……?」
「ええ、こちらこそありがとう、『魔王』千花様。感謝を示すことは良いことだと思うわ」
「(え? なになになに? 時雨は何で怒ってるの?)」
「<分からんでありんすか? まあ、余も理解し得ないでありんすが>」
時雨の自室兼事務室である部屋の床に、それはそれはみごとな正座で、椅子に座った時雨のお説教を受けている。
そして、時雨もお説教のレパートリーが無くなったのか、今回は「どうして私が怒ってるか当ててみて(ただし、間違えたらわかってるよな?)」という難問にも程がある鬼畜ゲーに転向した。
既に二回間違えている千花に後はなく、そろそろ真面目に当てない限り、恐怖の鉄拳制裁が待っている。
「(あ……! もしかして、時雨の大事に取っておいたプリン食べちゃったからかな?)」
「<それは違う。余でも、その答えだけは違うと断言できるでありんすえ! そんなしょうもない理由で、ここまで激怒できる人間はいないでありんしょう?>」
「(それもそうかあ…………でも他に食べんちゃったのって、フルーツタルトにロールケーキしかないよ……)」
「<そなたは一度、本気で怒られた方がいいでありんすよ。刻印源皇よりもそなたが諸悪でありんすえ>」
相手が相手なら決して許される訳もないであろう、つまみ食い(常習犯)にフレイヤですら匙を投げる。
それよりも、こんなくだらないことの刻印源皇を引き合いに出さないで欲しいのだが…………。
「あのね、千花。何かやる時は事前に言ってくれるかしら? そうすれば……幾らかマシだから」
「時雨の精神的負担が?」
「そうね、そうよ、その通り。分かっているなら、改善してくれるかしら?」
トントントントン、と綺麗な指で机を叩き、小動物の哀愁漂う千花を威圧する。
確かに、時雨は〈聖ドラグシャフ世界線〉に来て、コアド魔王国の実質的な王──宰相的立ち位置に収まってから、明らかに疲れ切っている。
今まではなかった額に刻まれた皺、目元のクマ、諸々の体調不良…………etc。
それすらも、時雨の美貌を引き立てるエッセンスになっているのは、彼女が苦労体質だからなのかもしれない。
「起きてしまったことは仕方がないわ。次回から気をつけるように。いいわね?」
「はい! 気を付けるであります! 時雨だ〜いすき!」
何とか無回答で難問を潜り抜けた千花はパタパタと擬音が着きそうな足取りで、時雨の自室から退出する。
その姿は無邪気な子どもだが、現在の千花は妖艶な肉体に、露出度が高いドレス姿だ。
そのあまりのギャップに時雨はたじろぐが、そうも言ってられない。
今回、千花が引き起こした一大事──『帝王』へライド=ギールの来訪。
ただコアド魔王国に訪魔したのであれば何ら問題ないのだ。
だが、今回は些かばかり勝手が違った。
その場に居合わせたソフィアに話を聞くと、どうやら千花と共に転移してきた彼は、まるで魂を抜かれたように自意識を失っており、とても平時の彼とは思えなかったそうだ。
さらに、千花のドレスには返り血がべっとりと着いており、ところどころが焼け、ボロボロになっていたという。
「先ずは……事情聴取かしらね」
そう言って、寝巻きであるネグラジュから何時ものブルーデニムにネイビーティーシャツ、テーラードジャケットを肩にかけ、仕事着に着替え、共に気持ちも切り替える。
これからはお仕事の時間だ、と言わんばかりに。
そして、本日も社畜ですら舌を巻く重労働の始まりだ、と気合いを入れて扉を開けるが──
「……!? 千時先輩!? 何故、私の部屋の前に?」
「…………今から『帝王』の話を聞きに行くのだろう? オレも行く」
「はあ…………私は別に構いませんが、いいのですか? キャンベラやネメシアを放っておいて」
「彼女らには試練を渡した。元主とシャーシス=ディアスから一本取れるまで来るな、とな」
「それは不可能では?」
「そうとも言うな」
出鼻をくじかれた時雨だが、即座に立て直し剣聖と連れ立って歩きながら理由を問う。
剣聖は軽く「一本取れ」と言うが、元主とシャーシスのコンビは相性が良く、あの千百合ですら一本取るのに数分かかる。
そんな二人に未だギスギスしたキャンベラとネメシアが挑むなど、ド畜生以外に何者であるのか。
「千時先輩のことですから、何か意図があるのでしょうが……事前に言っておいてもらってもよろしいですかね?」
「…………善処する」
「何で最古参の仲間のツートップがこんなにも責任感がないのでしょう?」
「……………………善処する」
「二度はいいです。その言葉も信用していませんから」
「………………………………善処す」
「千時先輩?」
千花と剣聖と立て続けに責任能力が欠如していることに、改めて分からされた時雨。
しかし、これでもこの二人はコアド魔王国にとっては最高戦力。
しかも、片方はこの国の王なのだ。
そろそろ、時雨の胃を心配しなければならない。
ほんとに…………。
「……! 時雨様! ……と千時様!?」
「ミア、遅れてごめんなさい。変わり無かったかしら?」
「はい! ギール様の症状は回復傾向にあります」
問題児No.2に怒気を放っていた時雨だが、来賓用の部屋、その扉に到着しミリソラシアと話す時には怒りの影もなく収めていた。
「久しいな、ミリソラシア。貴様も息災でなによりだ」
「はい! お久しぶりです、千時様!」
ミリソラシアと剣聖の間では交流がほとんどない。
定例会議の際に顔を合わせて一言二言交わすだけの間柄。
しかし、それも無理のないことである。
ミリソラシアはコアド魔王国の内政を一挙に受け持っているために、そもそも人と会う時間を作るのが難しいのだ。
近頃、ようやく時間を自由にできるようになったが、それでも多忙には変わりない。
「……華彩時雨、来たのかい?」
「ええ、ご様子を伺いに」
扉の外の喧騒は勿論、室内のギールにも聞こえているために、彼から声がかかる。
「それは嬉しいことだね。入っても構わないよ、ワタシも面と向かっての方が助かるしね」
「そうか。なれば入るぞ」
「…………千時先輩……遠慮とかないんですか?」
許可がでたから問題ないのでは? の理論を地で行く剣聖は遠慮など全くなく、傲慢不遜な態度で室内に入る。
来賓用の部屋とはいえど、内部の造りは大して他の部屋(千花や時雨の使用する自室など)とは違いはない。
あるとすれば、装飾が多少豪華と言うぐらいだろう。
ギールはその部屋の窓際に設置された安楽椅子に座っていた。
彼が着ていたローブはボロボロであったため、黒のシャツに、黒寄りの紺色で仕立てられた長ズボン、さらに、黒い革靴を代替で着用している。
どうやら随分と精神の方はマシになったようで、動きにも何の問題もないように見える。
「お元気なようで何よりです、ギールさん」
「はははっ。そうだね、ここに来た時よりかは、元気にもなったさ。君もまた…………相当苦労したようだね」
「苦労は…………多少はしたかもしれません」
「正直でいい。まあ、まさか他の世界線まで乗り込んで国を建るなんて、思わなかったけれどね」
「コアド魔王国に関しては、大半が成り行きです」
「なるほど、成り行きか…………大事がないならそれでいいさ」
簡素なやり取りをしながらギールは安楽椅子から降り、この場の全員──ギール、時雨、ミリソラシア、剣聖の4人が座れる円卓へと移動する。
何故か剣聖はギールが移動するよりも早く座っていた気がしたが、三人は気付かない振りをして無視する。
「さて、時雨くん……聞きたいことは、ワタシが何故ここに来たか、だね?」
「ええ。私も千時先輩に頼み、外部への連絡手段を探していました。何よりもラストワンの方々と連携が取りたかったので」
「ふむ…………そうだね、君たちとの連絡手段の確立はワタシたちの方でも動いていた。だからこそ、アンフェアたちは許可取りに手間取っているからね」
「アンフェアさんたちは今後、どのようにコアド魔王国へ?」
「まあ、アンフェアたちなら何とかするだろうね。コアド魔王国に来さえすればどうにでもなるからね」
ギールは空中庭園から緊急で飛び出して来たので魔王国に到着し次第、魔導書を閉じて空中庭園の存在を消したのだ。
その後、襲撃者がどうなったかは分からないが、十中八九ギールと千花が転移し次第、撤退しただろう。
「ギールさん、何があったのですか? アンフェアさんがいなくとも、みすみす貴方方が敗北するとは思えませんが」
「評価が高いようで何よりだよ。けれどね、ワタシたちが寄って集っても勝てない相手はいるのだよ」
「……? それは?」
「彼方だよ。時雨くん、今更駆け引きはいらない。ワタシも真実しか話さないからまどろっこしいのはなしだ」
「そうですね。過ぎたことをしてしまい、申し訳ありません。どうやら警戒する癖がついてしまったようです」
正直に言って、時雨はある程度の仮説を立てていた。
アンフェアらがいなかったのは誤算だが、幾ら何でもギールたち数人が残ればどうとにでもなると思っていた。
だからこそ、逆にギールたちが集結しても対抗不可能な相手
を予測することも容易であったが。
「霊魈さんが裏切ったのですね?」
「ああ、その通りだよ。全く不甲斐ないばかりだ。ワタシたちは誰一人として彼方を疑ってはいなかった。今だからこそ、話せるが、一時期ワタシたちの中でも内通者の話が出たんだ。それでも…………まさかね」
「フンッ。過去は変えようがなかろう。最悪のケースが体現しただけだ。まだ挽回は可能だ」
霊魈彼方は恐らく、ラストワンで最も強かった。
神の如き所業を文字通り、片手間で済ます彼の前では、如何なる抵抗も無意味に帰す。
しかし、皆が失意に沈んでも、彼だけは違った。
剣聖だけは予め過去を視てきた。
だからこそ、かつて三代目の敗北の要因である彼方が、大惨事を引き起こしたことにも納得可能なのだ。
剣聖よりも数刻先に過去を知った千花がいち早くラストワンの元に急いだのも、彼方の存在が仲間ではなく、敵対者として再認識されたからである。
「君は生きていたんだね。てっきり死んだものかと思っていたが」
「無事ではないがな」
「十分さ。あの爆発に巻き込まれて原型を留めているだけマシさ」
やはり、『帝王』にとっても剣聖が生き残れた事実は信じ難いらしい。
ネメシアに提起された疑問は、人類普遍の難問になること間違いない。
「ギールさん、誰が亡くなったのですか?」
「……! 驚いた。まさかここまで直球に来るとはね」
「死傷者がいることは、否定なさらないのですね」
「…………カマかけか。敵わなくなったな。嬉しいのか、悔しいのか、寂しいのか…………難しいな。感情を言葉に表すのは」
あの『帝王』ギールにカマをかけて言質を引き出す時雨は、確実に〈聖ドラグシャフ世界線〉に降り立つ前よりも成長していた。
今も尚、発展途上の時雨は真っ直ぐにギールを見つめ、一言も逃さず、全てを受け止める姿勢を見せる。
「被害は甚大さ……確実に死亡した、と確認出来る者は…………〈NEVERヴァード世界線〉のアレン=ドッペルマンと同世界線、グラリュード=アテムの二人さ」
「……? 確実に死亡した? もしかして、死傷者の数って…………!」
「ああ、ミリソラシアくんのお察しの通りさ。彼らは遺体が遺されていたからね。ギリギリで魔導書の中に格納したから、確実にと言ったのさ」
「つまり、最低でも二人は殺られたのだな」
ギールが語る二人は彼方が空中庭園に乗り込んだ際に、原型など留めないほどの肉片となり放り投げられた物であった。
元〈アザークラウン世界線〉の狙撃手であるアレン=ドッペルマンと〈聖ドラグシャフ世界線〉の三大王の一人である『絶戒王』グラリュード=アテム。
彼らの戦闘的相性は良く、アテムが前衛を務め、アレンが後方から援護。
それも守護者として戦闘能力ならば〈アザークラウン世界線〉の英雄にも引けを取らない二人であった。
しかし、今回ばかりは相手が悪かった。
そもそも『神王』である彼方は味方であり、背後から刺される可能性を完全に除外されていた。
たとえ、二人のどちらかが警戒していたとしても、彼方の“否定”で警戒心そのものを皆無にすることだって可能なのだ。
「そして…………恐らく、殺られたであろう者が二人。〈アザークラウン世界線〉の千石魎と九龍撃老」
「…………死因は?」
「分からない」
「あ゛? 巫山戯ているのか?」
「本当に分からないんだ。ただ、忽然と消えたのさ」
「前兆などはなかったのですか?」
「何も無かった…………唯一、あるとすれば……周囲と違うエリセントが現れた…………かな」
「ほう?」
「空気が違うし、練っていた魔力の質も、何もかも他のエリセントとは違っていた」
それは、千花が彼方と『影の存在』、そしてロード=ヴォルダグレイの三人を行動不可能とした直後の出来事であった。
明らかに纏う空気感が異なったエリセントが二言呟いた後には、ただ目の前から二人が消えた。
「(よもや、そのエリセントが刻印源皇なのか? 刻印源皇は【刻印】の権化だ。自身の存在そのものである主刻さえ移植出来れば、そのような芸当も可能だな)」
剣聖は推測するが、今この場では何も言わない。
そもそも刻印源皇の存在そのものが周知では無い上に、刻印源皇自ら出向いたか否かも推測の域を出ない。
故に、皆に要らぬ混乱や不安を与えてしまう。
「原理の分からぬものは考えても仕方あるまい。そのエリセントは傍目にも異なっているのだろう? ならば接敵時に警戒すればよい」
「そうね…………今は千時先輩に同意しましょう。まだまだ片付けなけらばならない事柄はあるのだから。ギールさん」
「そうだね…………最後に一人、最後に空中庭園から脱出する際には、完全に反応が消滅していた者が…………武虎だ」
「……! そう………………」
空中庭園にて緊急時に備え武具の整備と警戒にあたっていた武虎は玉座の間に現れたエリセントら以外の別働隊に殺られた可能性が高い。
もし、通常のエリセントを圧倒したとしても、あの正体不明のエリセントには敵わない。
「以上、五名が今回の襲撃でこの世を去った。……これは空中庭園内の管理をしていたワタシの責任だ。咎は受ける」
「ギール様の責任ではありません! 今回は運が悪かったとしか……」
「ミア…………!」
正直に言って、ミリソラシアの言い分には賛同できる。
彼方の裏切りに加え、『影の存在』とロード=ヴォルダグレイの襲撃、さらには正体不明のエリセント…………対応しようにも、あまりにも多すぎる。
「ミリソラシアくん…………その言葉は重すぎるよ」
「…………ですが!」
「いいのさ。咎でも責任でも、全てを背負うのが王なんだ。今回、ワタシは何も出来なかった。完膚なきまでの敗北さ。ワタシの無能さが優秀な部下を死に追いやった。それは紛れもない事実だ」
王として、上に立つ者として、ギールには『帝王』としての矜恃がある。
それは何人にも犯されるものではなく、万物に通じるものでもある。
王とは支える者がいて初めて王として在る。
それがへライド=ギールの──『帝王』なのだ。
「……ギールさん、それは幾ら何でも背負いすぎです。それなら、ここでのうのうと生きている私たちにも責任はあります」
「そうですよ! 何も出来なかったのは、私たちも同じです……! だから…………!」
しかし、ギールの『帝王』に、時雨とミリソラシアは異を示す。
王とは一人ではない。
王の失敗は臣下の責任。
それが時雨とミリソラシアの『帝王』、ひいては『王』であり、願いでもある。
全てを一人で背負い込む『王』は『帝王』だけではない。
自身らがよく知る『魔王』もまた、万物を顧みない『王』なのだ。
だが、彼女らの言葉は『魔王』には届かない。
いや、それ以前の問題だ。
彼女らにはまだ口に出す資格は無い。
だから、時雨は──
だから、ミリソラシアは──
一人でも咎と共にある『王』を許容するわけにはいかないのだ。
「フンッ。罪も咎も、貴様にはまだ早いという訳だ。背負い込むには、鍛錬が足りん」
剣聖もまた、後輩の『魔王』を、『王』として都合のいいように当てはめるわけにはいかない。
故に、彼は彼の尺度で、『帝王』へと声をかける。
それは、激励なのか、叱咤なのか、批判なのか、区別はつかない。
しかし、唯一、認識できることは──
「ははッ。まだワタシは『帝王』なのか」
彼ら彼女らの世界には、まだ『帝王』は必要なのだ。
これにて第三部が終了します。
第三部はたった10話の少量部ですが、ラストワンの物語へと多大に影響を及ぼす重要なものです。
これからもラストワンは続いていきますので、よろしくお願いします!




