人形生活の始まり
気がつくと、俺は人形になっていた。
はっきり言って不細工で、可愛いげのない人形だよ。しかも、見たり聞いたり考えたりは出来るが、動くことは出来ないのだ。目の前に虫がうろうろしていても、潰すことも払うことも出来ない。これは、想像を絶する苦痛だったよ。慣れるまでには、数日かかったね。
しかも、俺のいる家というのが……子供が三人もいやがるんだよ。構成はというと、長女、長男、次女だ。小さい子供が人形をどんな風に扱うか、これは人形になった者でないとわからないだろうな。
この家の長女は、ジュリアという名前だ。来年、中学生になるらしい。しっかり者であり、やんちゃな弟や幼い妹の面倒を見ている。長女だからか、真面目な性格で責任感も強い。
さすがにジュリアくらいの年齢になると、人形で遊んだりはしなかった。だが時おり、俺に話しかけてくることがある。大半は、父や母や弟や妹たちに対する愚痴だ。もっとも、こんなことを言うこともある。
「ねえチャッキー、中学ってどんなところだろうね。これから先、やらなくちゃならないことも増えるんだろうな。勉強も、大変なんだろな……」
知らねえよ、と思う。俺がジュリアくらいの年齢の時は、早く大きくなりたかった。大きくなれば、自分で何でも出来ると信じていた。
ところがジュリアは、成長し進学するのが不安らしい。まあ、俺なんかと違って、いいとこの子だからな。やはり、プレッシャーもあるのだろう。
もっと気楽にいけ、お前はまだ若いんだから……と言ってやりたかったが、あいにく俺の声は聞こえない。黙って聞いていることしか出来なかった。
なんとも侘しい話だよ。
長男のエリックは、ものすごい暴れん坊である。近所の子と、ちょいちょい喧嘩をしては泣かしているようだ。
俺が初めてこの家に来た時も、こいつにさんざん殴られたもんだよ。特に、カンフー映画やプロレスを観た時なんかは最悪だ。目を輝かせてテレビに見入っていたかと思うと、次の瞬間には俺に技を仕掛けてくる。
「こらチャッキー! 俺さまの新しい技を食らえ!」
喚きながら、俺に技をかけてくる。新しい技なんていってるけど、その正体はというと……へったくそな回し蹴りや、不格好な飛び蹴りだよ。時には、仕掛けた方がダメージ大きそうなわけわからんプロレス技をかけてくることもある。まあ痛みは感じないんだが、不快であることに変わりはない。
もし俺が人間だった時に、こんなガキを見つけたらどうするか……言うまでもなく、きっちりシメるよ。こういうバカガキには、大人の恐さを骨の髄まで叩き込んでやらなきゃならねえんだ。そもそも、俺は子供が大嫌いだからな。子供にも嫌われるタイプだったし。
もっとも、俺もこのくらいの年頃には、同じようなことをしていたけどな。エリックくらいの歳の頃には、近所のガキどもを全員シメてたもんだ。俺に比べると、エリックもまだまだ甘いな。
末娘のミシェルは、とてもおとなしい子だ。基本的にジュリアもエリックも活発で気が強く、ちょっとしたことですぐに喧嘩になっている。ところが、ミシェルだけは性格が違うんだよ。兄のエリックに玩具を取り上げられても、何も言えない。姉のジュリアに叱られると、何も言い訳せずに謝るだけだ。時に、八つ当たりとも思える理不尽な叱られ方をすることもあるのに。
こいつは、致命的なくらい世渡りが下手だった。見ていて歯痒くなってくる。俺なんざ、ミシェルの年頃には嘘をつきまくっていたぜ。ごまかし、しらを切り、大人たちを丸め込む……そうやって、俺は生きてきた。
なのに、こいつは何なんだろう。俺はミシェルを見ていると、複雑なものを感じてしまう。
三人の中で、俺のことを一番気に入っていたのもミシェルだ。こいつは保育園から帰ってくると、すぐに俺の前にやって来て、その日の出来事を事細かに話して聞かせる。たどたどしい口調で、舌足らずな発音なので、何を言っているか理解するのに時間がかかるんだよな。それはともかく、話を聞く限りでは、こいつの世渡り下手は保育園でも発揮されているらしい。呆れ果てるくらいの不器用さだよ。
この俺に、チャッキーという名をつけたのもミシェルだ。まあ、人形にも名前は必要だわな。それだけなら、別に問題はない。
ただ、この娘の変わっているところは……ファーストネームのみならず、ラストネームまでつけたことだ。
ある日、保育園から帰ってくると、ミシェルは真っすぐ俺のところにきた。
何をするのかと思いきや、画用紙で作った何かを俺の胸元につけた。見ると、丸い花の形をした名札のようなものだ。下手くそな字で「チャッキー・ノリス」と書かれている。
ミシェルは、得意げな顔で俺に言った。
「チャッキー・ノリスくん」
そんなことを言われても、俺には何も出来ない。正直、面食らっていた。こいつは、何がしたいのだろう。
唖然としている俺の両腕を掴み、挙げさせるミシェル。
「はーい!」
直後、ニッコリと笑う。
「よく出来ました。お返事、上手ですね」
そこで、ようやく理解した。ミシェルは、保育園で職員らとそんなやり取りをしているのだろう。
ミシェルにとって、家で自分より幼い存在である俺を相手に、先生ごっこがしたいのだ。それには、チャッキーというファーストネームだけでは足りない。ラストネームも必要だ。ノリスという名は、適当に選んだのだろう。
だが俺にとって、ノリスという名は特別な意味を持っていた──
チャック・ノリス。
今時の若い奴は、この名前を聞いても何のことか分からないだろう。このチャック・ノリスは格闘家であり、一九七〇年代から二〇〇〇年代あたりまで、数々のアクション映画に出演した俳優である。
世の中には、チャック・ノリス・ファクトというものがある。簡単に言うと、チャックの武勇伝だ。
「チャック・ノリスがガラガラヘビに噛まれた。三日三晩苦しんだ挙げ句、ガラガラヘビが死んだ」
「大概の人は死神を恐れる。チャック・ノリスにとって死神はまだ若造である」
「チャック・ノリスは犯罪を一掃する、モップとバケツで」
「幽霊たちはキャンプファイアを囲んで、チャック・ノリスの恐い話をする」
「世界の海は、チャック・ノリスの敵の涙から生まれた」
まだまだあるが、キリがないのでここまでにしておくぜ。言うまでもなく、全部でたらめだよ。これらはファンが考えたものであり、一般的にはチャックを称えるジョークだと言われている。
でも子供の時の俺にとっては、チャック・ノリス・ファクトは全て真実だったけどな。
幼い頃の俺にとって、娯楽といえばテレビくらいしかなかった。特に、映画が放送される日は特別であった。貧乏な俺は、話題になっている映画を観に行くことなんか出来やしない。テレビで放送されるのを待つしかなかったのだ。
そんな俺にとって、一番の楽しみは……チャック・ノリスのアクション映画を観ることだった。
はっきり言うが、チャックはイケメンではない。田舎のオヤジっぽい顔だ。少なくとも、今の若い俳優の方が顔だけ見れば遥かに上だな。これは認めざるを得ない。
さらに言うと、チャックは背も高くないし、手足も短い。スタイルもよくないんだよ。シルベスター・スタローンやアーノルド・シュワルツェネッガーみたいな凄い筋肉の持ち主ではないし、ジャン・クロード・ヴァンダムやウエズリー・スナイプスのような派手でカッコイイ空手技を使うわけでもない。
だが、幼い頃の俺にとって、ヒーローといえばチャック・ノリスだった。泥臭い雰囲気の彼が、たったひとりで短い手足を振り回し、懸命に巨悪に立ち向かっていく……その姿に、俺は心惹かれたのだ。
当時の俺のヒーローは、スーパーマンでもバットマンでもない。チャック・ノリスこそが、唯一無二のスーパーヒーローだった。チャックのようになりたいと、真剣に願ったもんだ。
もっとも、成長するにつれ……俺は変わっちまった。チャック・ノリスに憧れていた俺は、いつのまにかチャック演じるヒーローにぶっ飛ばされる側の人間へと成り下がっていた。マフィアの殺し屋になり、電気椅子に座らされ、挙げ句に物言わぬ人形へと転生させられた──
だから、ミシェルに「チャッキー・ノリスくん」などと呼ばれると、なんとも言えない気分にさせられたよ。