人生の終わり
さっきから、大粒の雨が降っている。
雨は、容赦なく俺の体を打つ。おかげでズブ濡れだ。不快でたまらねえよ。出来ることなら、屋根のある場所にさっさとエスケープしたい気分だね……って、そんなことは言うまでもないだろうけどな。
だが、そいつは不可能な話だ。なぜなら、足が動かねえからだよ。俺の足は、どう頑張ってもピクリとも動かねえんだ。
足だけじゃねえ。腕も首も、どんなに頑張ろうがピクリとも動かねえ。これがどんなにキツイか、普通の人間であるお前らにはわかんねえだろうな。
それにしても、この雨は何なんだよ。
かれこれ三時間くらいは降っているが、いっこうに止む気配がない。このままだと、俺の樹脂製の顔に穴が空いてしまうかもしれねえな。
そう、実のところ俺は人形なのだ。身の丈五十センチほどの人型である。赤いボタンのオーバーオール、赤いスニーカー、赤い髪、青い目、そばかすのある縞模様のセーター、薄ら笑いを浮かべた顔。 なんとまあ、可愛いげのない姿だよ。その上、片腕がもぎ取れてるんだ。
俺が子供なら、こんな人形は絶対に部屋に置かないだろうな。俺が親なら、絶対にこんな人形を子供に買ってやったりはしないよ。
そんな俺が今いるのは、実はゴミ捨て場だったりするんだよ。いずれは、他のゴミと一緒に回収され焼却炉で燃やされちまう。後に残るのは灰だけ。
そしたら、こいつも灰になっちまうな。
俺の左胸には、手製の名札が付けられている。画用紙を花の形に切ったものを、安全ピンで留めている。真ん中には、ミミズがのたくったような字で、チャッキー・ノリスと書かれていた。ご丁寧にも、油性マジックで書かれたものだ。だから、雨でも字が消えずに残ってる。見れば見るほど、下手くそな字だよ。
でも俺にとっては、宝石よりも価値のある宝物さ──
・・・
俺の昔の名は、チャールズ・レイ。かつては殺し屋だった。マフィアのジルコニア・ファミリーに十五歳で入り、そこで殺し屋としての腕を磨き上げてきた。ナイフ、拳銃、毒薬、爆弾、さらには格闘まで、何でもござれさ。自分でいうのも何だが、俺は他の連中よりもきっちり訓練していた。だから、他の連中よりも高いレベルのスキルを身につけられた。結果、他の連中よりも早く出世できたのさ。
一番最初に殺したのは、日本人ヤクザの幹部ヤカモトだ。こいつは、調子こいてウチのファミリーの縄張りで商売を始めやがった。言うまでもなく、ファミリーに話は通してねえ。だから、幹部のジョーはブチギレた。子分たちを集め、誰かヤカモトを殺してこい! と怒鳴ったんだよ。
そん時、真っ先に手を挙げたのが俺だったってわけさ。マフィアってのは競争社会だ。自分から積極的に、腕をアピールしていかなきゃ話にならねえ。
その姿勢が評価されたのか、ヤカモトの始末は俺に一任されることとなった。
俺は拳銃を手に、ヤカモトの後をつけた。ヤカモトの奴、警戒心がなさ過ぎる。ボディーガードも付けず、たったひとりで夜の町を歩いてんだよ。
バカな男だぜ。もう少しで、こいつはあの世逝きだ。
ヤカモトは、人気のない路地裏へと入っていく。その瞬間、俺は一気に距離を詰めた。いくら拳銃があるとはいえ、十メートルも離れたら外す可能性が高くなる。当時の俺は、拳銃が下手くそだったからな。最低でも、三メートルは近づきたい。その距離から、きっちり頭に銃弾を撃ち込み仕留める。
だが、ここで想定外の事態が起きた──
不意に、ヤカモトが振り向いた。俺の尾行に、奴は気づいてたんだよ。
直後、恐ろしい速さで間合いを詰めてきた。まるで弾丸のような速さだよ。気がつくと、俺は顔面にパンチを喰らっていた。
後から知ったのだが、ヤカモトは空手の黒帯だったらしい。中学高校と、空手部で活躍した腕前だそうだ。実際、ヤカモトのパンチは効いたぜ。俺は前歯と鼻をへし折られ、その場でダウンしたよ。弾みで、拳銃も落っことしちまった。
俺はとっさに、その場で前屈みになりしゃがみ込んだ。額をひたすら地面にこすりつける。日本人が敗北を認める姿勢、いわゆるジャパニーズ・ドゲザだ。頭を下げながら、ヤカモトの足の動きに神経を集中させる。
すると、ヤカモトの右足が下がった。こうなりゃ、次にどうするかは簡単に読める。サッカーボールキックを、俺の顔面に食らわそうとしているのだ。
この動きは、完全にミスだった。こいつは喧嘩は強い。だが、殺し合いには慣れてない。キックが飛んで来る瞬間、俺は奴の軸足に飛びついた。同時に、自分の足首に隠していたダガーナイフを抜く。仕事の時には、第二のプランも用意しておくもんだ。拳銃が失敗した場合に備え、ナイフでの刺殺も考えておく。これ、プロなら常識だぜ。
俺は、ナイフを足に突き刺した。ヤカモトのアキレス腱を切りく。
途端に、ヤカモトは悲鳴をあげる。と同時に、派手にスッ転んだ。どんな空手の達人だろうと、アキレス腱を切り裂かれたら立っていられない。この時点で、俺の勝ちだ。
だが、プロの殺し屋ならきっちり仕留めなくちゃならない。俺は、倒れたヤカモトの喉にナイフを突き立てた──
これが、俺の殺し屋デビュー戦だ。
それから、数え切れないくらいの人間を殺してきた。正確な数字は覚えてないが、確実に百人近くは仕留めてきただろう。もっとも、ヤカモトを殺した時の記憶は未だに鮮明に覚えているよ。
自慢するわけじゃないが、俺は上手くやってきたつもりだ。仕事で、ヘマをしたことはない。証拠は残さないし、殺し屋という稼業を、完璧にやり遂げてきた。仕掛けて仕損じ無しさ。幹部連中からも信用されていた。マフィアの殺し屋ランキングがあれば、十位以内には入っていた自信があるね。
ところがだよ、ある日いきなり逮捕されちまったんだ。気がつくと、家の周りを完全武装した警官隊に囲まれている。こうなっては、逃げることも抵抗することも出来ない。俺は、あっさり捕まっちまった。
警察は、俺のやった仕事を全て知っていた。ないはずの証拠も、全部きっちり揃えていたんだよ。やがて裁判になり、当然のごとく殺人罪で死刑を宣告される。
後でわかったことだが、かなり前に逮捕されていたマフィアの幹部が、俺の罪を検察にチクったのさ。司法取引を持ちかけ、てめえが助かるために大勢の人間を売ったんだよ。売られた人間のひとりが、俺だったってわけさ。そりゃ、証拠も用意できるはずだよな。
そっからは早かったね。俺は電気椅子に座らされ、あっという間に処刑された──
確かに死んだ、はずだった。
しかし今、俺がいるのは奇妙な場所だ。あたり一面は白く塗りつぶされており、奥行きというものが感じられない。不思議な空間であった。
ここは何なんだろうか、と周囲を見渡してみる。一応、地面は硬い。靴を通して感触が伝わってくる。だが、どこまで行っても同じ風景だ。死後の世界というのは、なんと不快な場所なのだろうか……などと考えていた時だった。
「チャールズ・レイだな。そこに止まれ」
不意に、そんな声が聞こえた。反射的に振り返る。
立っていたのは、木の杖を持った老人だった。真っ白い衣を着て、白く長い髭を生やしている。髪の毛も真っ白だ。昔、本で見た神話に登場する神のような……って、コスプレ大会かよ。
俺は立ち止まり、コスプレ老人を睨みつけた。
「いかにも、俺はチャールズ・レイだが……そういうお前さんは、いったい何者だ?」
尋ねたが、老人は答えない。睨むような目で、じっと俺を見つめているだけ。
普段の俺は、老人に手荒い真似はしないんだよ。だがな、この時は処刑された直後だったからな。さすがにキレちまったね。
「おいコラ、人が聞いてんだから答えろや」
言いながら、前蹴りを食らわす。蹴りが当たり、老人は吹っ飛んだ……と思いきや、老人の姿は消える。
直後、こんな言葉が聞こえてきた。
「お前は、これまで大勢の人間の命を奪ってきた。その罰として、これから人形に転生させる。お前は心を持った人形として、未来永劫ずっと苦しみ続けるのだ」
ひょっとして、こいつは神なのか……と思った瞬間、俺の姿は消えていた。