8.
太一は、気が付くと見慣れた景色が眼前にある。北千住の駅ターミナルだ。
北千住駅は混雑していた。通勤通学の時間帯ではないが、複数の路線が乗り入れているため、多くの人の流れがある。
太一は通学で千代田線を利用していた。千代田線は上りも下りも混む。特に朝晩のラッシュアワーは酷く、パーソナルスペースもあったものではない。社会人になってからもこの路線を使うことになるのだろうかと思ったものだ。想像するだけで嫌気が指してくる。
何か違和感を覚える。何だか少し若返った感覚がある。トイレに向かって、洗面台の鏡を凝視する。太一は、鏡を見ると、唖然とした。今度は若返っているではないか。それもこの感じだと大学時代だ。髪は耳にかかり、茶色に染めている。黒いジャケットに、中は白いシャツ。ダメージのデニムパンツを履いている。今度は過去にタイムスリップしたのか。本当に笑わせてくれる。こうなれば、とことん楽しんでやろうじゃないか。
手帳をめくると、今日の大学の授業は三時限目からだ。腕時計を見ると、まだ余裕がある。カシオ製のG-SHOCKだ。懐かしさをかんじる。太一は、北千住のルミネに入っているスターバックスで時間を潰すことにした。本日のコーヒーを購入して、カウンター席に座った。この店のカウンター席は、前面がガラス張りになっている。
鞄からスマートフォンを取り出して、目的もなく操作する。
大学時代は夜更かしばかりしていた。バイトに頑張っていた。あれは今でいうブラックバイトだと思う
当時は、そんな言葉はない。帰宅後は、毎晩あまり眠れなかった。いつも手から目覚めることが多かった。スマートフォンが手の中で震えていたからだ。スマートフォンを持ったまま眠りにつくのが、日課になっていた。
窓の外に目を向けた。ホームには、等間隔に電車を待つ人の姿があった。スーツを着たサラリーマンや
若い女性が目立つ。そこへちょうど左から電車がホームに滑り込んできた。
電車が到着すると、まずは降車する人、続いて整然と並んでいる人たちが乗車していく。ふと一人の男性に目が留まる。その男性が振り返り太一の方に顔を向けたからだ。
一瞬の出来事だった。太一の方を見た男性の顔が自分に似ているような気がした。黒いスーツを着ているが、髪は太一と同じくらいの長さだった。他人の空似とは、まさにこういうことを言うのだろうか。
そんなことを考えているうちに、男性は電車の中に消えていった。