4.
ベンジャミンが黙って微笑む。すると、湖
から白い顎ひげをたくわえたサングラスをか
けた老人が浮かんできた。杖を持っている。
「さあ飛び込め!」
禿頭の老人が叫ぶ
「太一、元気でな」ベンジャミンはあっさり
言う。
「ベンジャミンありがとう」
太一もなりゆきにまかせた。手を差し出し
て、握手を求める。ベンジャミンの手を握り
しめる。
太一は思い切り、泉に飛び込んだ。息苦しさはなかった。地上と同じように呼吸ができたのだ。泉の底まで沈んでいくと、サンゴ礁が広がっている。サンゴ礁も写真や映像でしか見たことがない。太一はサンゴの美しさに目を奪われてしまった。サンゴ礁の中には、神社のようなものが建っている。
建物の前まで行き、入口の門に立っていると朱色の重厚な扉が開いた。
「いらっしゃいませ」
丁寧な挨拶に戸惑いながら、会釈する。
「どうも。田島太一です」
太一も思わず、おかしいなと感じながらも丁寧に対応してしまう。
受付には、イカとタコが鎮座していた。受
付カウンターの後ろには、立派な胡蝶蘭が飾ってある。受付に座っているのが、イカタコじゃなければ、間違いなく上場企業の受付といった感じすらする。
「西の魔女にお会いいたしたく、参りました」言い慣れていない言葉に、唇を噛みそうだ。
「かしこまりました。アポイントはお取りでしょうか?」
イカが長い手(いや足か)をくねらせて言う。アポイントメントは取っていないと伝えると、イカはお待ちくださいと言って、電話をかけた。内線電話で確認を取っているようだ。すぐに確認が取れたようで、奥へ案内された。
エレベーターが二基あり、手前のエレベーターに乗るように指示された。エレベーターは自動で閉まり、自動で発進した。どうやら直接、西の魔女がいる場所に行けそうだ。一分もしないうちに到着する。エレベーターの扉が開き、今度はカメがお出迎えしてくれた。カーペットがウミガメだった。甲羅には艶があり、手足は長い。が、進む速度が遅い。遅すぎる。
このままのペースだったら、一体いつ着くのか心配になったが、杞憂に終わる。ウミガミは泳ぎ出したのだ。そうだ、ここは海の中だったことを、すっかり忘れていた。当たり前のように息をしている。動作だって、本当の海とは違う。スムーズに動くことだってできる。服だって濡れていないのだ。でもやっぱり海には違いない。スイスイとウミガメは泳ぎ出す。その後をついて行く。
ウミガメは扉の前で止まって、振り返り、「こちらでございます」と促した。私は扉を開けて中に入った。
西の魔女が笑顔で出迎えてくれた。魔女というよりも天女だと思った。絵本に出てくる。腰まである長い髪は、清潔感に溢れている。赤ん坊のように肌は艶々だ。煌びやかな色が散りばめられた着物を纏っている。
本人に比べて、部屋はいたってシンプルだ。二十畳くらいのスペースの真ん中に四人掛けの応接セットがある。その隣に机と椅子があるだけだ。
「このたびは遠いところ、お越しいただいてありがとうございました。感謝しております」
何のことを言っているのか、さっぱりわからなかった。太一が怪訝そうにしていると、西の魔女が言った。
「あなたの望みは何ですか?」
「この世界から脱出して、元の生活に戻りたいんです」
「そんなことなら簡単ですわ。ただしお願いがあります。私、最近、全く夢を見なくなってしまったのです。どうやら夢を盗むものがいるようでして。その夢泥棒を是非捕まえてほしいのです」
「え?私に?」
「以前、時間泥棒を捕まえたあなたであれば、できるはずですよ」
「時間泥棒を?私が?以前ってことはここにも来たことがあるってことですか?」
全く記憶にない。時間泥棒を捕まえたというが、この世界には時計がない。時間の概念すらないように思える。
「普段慣れ親しんだ時間という概念だって 時間の流れ方は平等ではないのですよ。時間はいつどこで誰にとっても絶対ではないのです。それぞれにとって時間の流れ方は違います」
太一が承諾すると、別の部屋に通された。ベッドが二つあり、赤や青の線が出ている。
西の魔女は徐にベッドに寝転がった。
「さああなたもこちらにどうぞ」秘書に促されて、私も横に寝た。
「こちらをお飲みください」白い錠剤と水が入ったコップを渡され、躊躇なく飲み込んだ。