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微妙な顔合わせを終えて翌日。
昨日のように朝から呼び出されることはなかった。しかしそれだと俺は何もすることがない。割り当てられた部屋の本棚から知識を得ようとしたが、当然ながら字が読めないし意味がわからない。絵本の類は見つからなかった。挿絵もない本だった。
昼食前、様子を見に来たらしいエルへ言語を理解したいと身振りで伝えた。それから数刻、妙齢の気品ある女性が俺に手解きをしに来てくれた。恐らく行儀見習い的なものを教える家庭教師だと思われる。ついでとばかりにエルが気に入れば身篭らせてもよいとこっそり伝えてきた、組み敷けば抵抗するような女ではないぞと。
「ヴぁ!」
反射的にそう叫んだ俺を見て、家庭教師は目を見開き、エルはくつくつと可笑しそうに笑っていた。そこでからかわれたのだと気付く。恨みがましい目で見送ったのは大人気ないとは思うが許して欲しい。
まぁそんな訳で、俺は今子供用らしき挿絵付きの単語表と睨めっこしている。
「あ、うーだ?」
「ヴァ、ウァーダ、ティッツ。ウァー、ダ」
りんごらしき絵の下に三文字、ウァーダと読むらしい。終始こんな調子だ、実用性のなさに溜息が出る。そしてこちらの言語は発音が難しい。巻き舌、馴染みない子音、一音の上がり下がりに強弱に、と規則性はあるのだろうが単純明快発音の日本語を使っている身としてはややつらい。
人の名前さえ満足に呼べない。教師の名前もそうだった。何度か呼んでみたものの俺の発音がてんで駄目らしく、何度も復唱したが最終的に彼女はテインと名乗った。
「テイン、疲れた。休憩にしよう」
「ツィ…カレ?」
小首を傾げるテインは、見目麗しいが、俺が求めてるのは眼福じゃない。エルのように一方的でもいい、意思を伝えて欲しい。だが、彼女はそれをしない。もしかするとアレはある種の才能か、もしくは習得技術のようなもの、なのかもしれない。
「ブレイクだ、ティータイムにしよう。お茶…まぁ、伝わらないか」
「ティー?」
「ティー、飲み物…飲むと、リラックス、な」
「ミツル、“ティー”…ア、アイン、ノウ!」
花がほころんだような笑顔に俺はフリーズした。アインはドイツ語だが彼女が言いたいのは、I know、か?
「Do you speak English?」
反射的に聞くもテインは何かを考え込む仕草で、意味は伝わっていないのだろう。しばらく考えた後にテインは先程俺がした仕草と同じ、飲み物を飲むフリをした。
「ティー、オン、リィ。アイン、ヌ、セィ、パ」
「セパ…?何語だ…?」
少しばかり申し訳なさそうなテインにそれ以上言うこともできず、俺は疲労感を解すように眉間を指先で押さえた。
少し待つようにという意味合いの所作をした後テインが退室する。程なくして香りのよいお茶、らしきものが運ばれてきたので恐らくティーの意味は伝わったのだろう。
きっと過去呼び寄せた異世界人の中には地球人も混じっていたのだろうと予測をつけて、その日は他に大きな収穫もなく終わった。