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「相良君は若いよねぇ」
そう言って笑った彼女の目尻には、あの頃にはなかった皺が刻まれている。学生時代の友人に会うと、こうしてまざまざと年を重ねた事実を突きつけられるから嫌いだ。それなにに餓鬼の頃から全く成長していない自分を思い知らされている気がして、居心地が悪い思いをする。だから、旧友に同窓会の幹事をするから手を貸してくれと言われなければ、そもそも自分はこの席に来なかった筈だ。
酒の入ったグラスをくるくると回して手遊びする彼女は既に子供が二人いると言う。学生の頃は美人だと持て囃され、下世話な話だが男共で抱きたい女子の格付けを行った際には上位に名を連ねたものだった。けれども現在四十路も近い彼女はその名残を僅かに覗かせるだけ、子育てに奔走する間に女であることを諦めたのかもしれない。
「お前もか、若作りって言いたいんだろう?でもま…見てくれはよくても体は駄目だな、しまりがなくなってきてさ。最近筋トレ初めてみたよ」
笑いながら返してやると、そんなつもりじゃなかったのにと非難めいた言葉と共に肩を叩かれた。怒ったように眉間に皺を寄せる彼女は、老いを感じさせるが母親然としていて綺麗だと思う。羨ましい年の重ね方をしたんだなと思う心が、そう見せているのかもしれない。
「あー俺もあんとき結婚しておけばよかったかな。仕事とるなんて馬鹿なことしなきゃよかったんだ」
深い溜息に答えるあいつは、何て言ったんだったか。
あれ…言ったんだったか?
何故過去形になったのか、俺は、今、何を?
『もっと眠るがよい、疲れたであろう?』
ゆったりとした口調で、誰かが語りかける。柔らかなものが俺の頬を撫ぜて、優しく髪を梳かれた。瞼を開けようと力んだのに、自分の体があやふやになるような間隔と共に意識を手放しそうになった。
けれど、つきりとした頭の痛みがそれを一瞬阻んだ。その痛みを自覚した瞬間に、強制的に焼き込まれた情報が浮かび上がる。
空間を、世界を渡らされた自分。
異世界から人を招くのは異世界人の子種が欲しいがため。
異世界人の魂を分けた子種は異世界人の知識を継いで生まれ出でる。
この世界と異世界の知識を持った子供で国を豊かにする、それが最終の目的であること。
この世界にはない発想で何度も危機を乗り越えたことが、
これまでに幾度か異世界人を招いているが、頻繁に行うことは不可能であること。
次の花開く夜には元いた世界へと返すこと。
端的な意訳をするとそういうことらしい、俺は彼女にここへ呼ばれたのだ。
「あー…あんしと、える?」
髪を梳く手が止まった。
緩やかに瞼を開くと、茜色の瞳と視線が交差する。
「アンシトゥエル・ティテ・ク・サバガンダァフス」
形のよい唇が緩やかに動いて、発音の仕方を教えるようにゆっくりと告げた。
『エルでよい。落ち着いたようには見えるが、気分は…』
「最悪だ」
脳内で聞こえる声に多少のわずらわしさを感じて、手を振り吐き捨てるように発するとアンなんとかは僅かに首を傾げた。俺は的外れな回答をしただろうか。二日酔いのような頭痛と気持ち悪さがあるのだ、最悪以外でどう答えろと。
『…妾はお前の魂に語りかけている。乱暴な例えをするなれば、思いで言葉を伝えていると言えようか。それ故お前自身が発する言葉を解することはできぬ。能力のないお前が妾のようにすることもまた、不可能だ』
一報通行コミュニケーション。そりゃ首を傾げるしかないなと乾いた笑いが零れる。
『こちらの都合で呼んだ故、お前が滞在する三月に不自由な思いはさせぬと約束しよう。お前が渡った時と殆ど同じ時に元ある場所へ返すことも保障する…その代わり、お前の子種をこの世界の者へ』
それは高待遇を約束するような台詞ではあったが、つまるところは俺を従えるための脅しだ。中年に足を突っ込みかけている男に男娼にでもなれというのだろうか。勝手に拉致しておきながら好き放題な言い分だけれど、けれど。
『一人で構わぬ。美丈夫を見繕ってあるから、明日にでも気に入った娘を傍に置いて励むよう…よいな』
顔立ちが似ているとか、仕草が似ているとかそういう訳ではないのに。悠然と笑むその姿が、優しく頭を撫でるその手が。何故だか結婚を約束して反故にしたあいつと重なって、俺は抗うという気持ちごと奪われてしまった。