1.クロネコとヤマト
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「せー君ちょっと待ってよ!」
休日の剣道部を終えた俺は見慣れた通学路を歩いている時に後ろから声を掛けられた。
聞き覚えのある声に口角が上がり、眉根を寄せる。
笑ってしまった理由は呼び止められた音が10年間聞き続けていた声だったからであり、不機嫌になった理由は呼ばれたくない愛称で呼ばれたからだ。
「……せー君は止めろと言っただろう、千歳」
足を止めて後ろを振り返る。
俺こと大和 星下を『せー君』などと恥ずかしい愛称で呼ぶやつは1人しかいない。
沈みかけた太陽を背にした少女――栗色の長い髪を高い位置で結び、いわゆる馬の尻尾と呼ばれる髪型を輝かせて笑っている。
「せー君はせー君でしょ? せー君も昔みたいに私をちーちゃんって呼んでくれていいんだよ?」
「……黒石さん」
「ああっ!? 冗談だからそんなに他人行儀にならないで!?」
こちらの冗談に茶目っ気を乗せつつ元気で騒がしく反応してくる千歳。困った時にする癖である、おでこを手の甲で擦っている。
よく見ると汗を掻き、肩で息をしていた。大方部活が終わった俺を発見して慌てて走ってきたのだろう。
俺のことなんか気にしないでいいのに。
少女の名は黒石千歳。
俺がこの街に引っ越してきて以来のお隣さんだ。年齢は千歳が1つ下だが、小、中、高と同じ学校に通っていた。初めて会った頃には人の影に隠れて行動しているようなチンチクリンであったが、成長するにつれて女性としての魅力が備わってきた。元気で愛想良く、スポーツ万能で成績も良い。それでいて鼻にかけることのない彼女は同姓から異常な人気を誇っている。
何でも『妹にしたい娘NO.1』。
日本人としてかけ離れているプロポーションを持ち、どこか猫を想像させる切れ長の目。そして顔がモデルのように整っている彼女は異性から異常な人気を誇っている。
何でも『彼女にしたい娘NO.1』。
そしてそんな両性からぶっちぎりで人気が無いのが俺。
何でも『お隣さんだから調子に乗るなよ』と。
いくら何でも酷すぎないか?
「相変わらず傾いてるな千歳は」
「前から思っていたけどせー君がよく言う『傾く』ってどういう意味かな?」
「……可愛いって意味だよ」
「かっ……可愛いって……そんな……!」
俺が咄嗟に言った説明に、なにやらイヤンイヤンと身をくねらす千歳。それに合わせてポニーテールも左右に揺れる。猫がいたら飛びつきそうだ。
ちなみに傾くという言葉を辞書で調べるとこう書いてある。
傾く――勝手な振る舞いをする。奇抜な身なりをする。
俺的には『愉快』と同義である。単語の響きと独自解釈した意味が気に入って以来、なんとなく口に出してしまう言葉だ。
小さい時の千歳を見てきた俺には女性としてのフィルターがかかっていない。
頬を赤めて恥ずかしそうにクネクネする姿も男から見ると扇情的に映るらしいが、俺には面白さしか感じない。
『女性』というより『妹』として見ている。長年連れ添った幼馴染なんて案外そんなもんだ。妹や姉に欲情するなんておかしいだろ?
「それで、どうしたんだ?」
このままくねりすぎて異世界にトリップしそうな千歳を我に返す。
「私も部活終わりで帰ろうとしたらせー君が見えたから追いかけてきたの!」
「さいで……んじゃ帰るか」
「うん!」
そのまま横に並んで歩き出す。千歳の髪からシャンプーだと思われる薔薇の香りと、微かな汗の匂いを感じた。
男性だと汗臭い感じるが、女性だと嫌な気がしないのはなぜだろうか。
「部活、大変か? 男子と女子は活動が別だから事情がわからん」
「んー今は新人戦が近いからね。先輩達の指導も気合が入ってるかも。ちょっと疲れる」
大して疲れていなそうな声で千歳がぼやく。普通の部活レベルなら千歳は疲れないだろう。それでもポーズとは言え疲れた振りをしているのはその先輩方を気に入っているからだろう。
いつの間にか俺以外にも気を使えるようになりやがって……
そんな様子を見てなんとなくいじろうといたずら心が芽生えた。
「『薔薇剣姫』は大変だねえ」
「もー! その名前で呼ばないでって言ってるでしょ!」
『薔薇剣姫』。
それは女子剣道部に入部したばかりの千歳が、練習試合で部長相手に華麗な勝利を収めた時に付けられた渾名だ。
『綺麗な薔薇には棘がある』。練習試合を見ていた観客はその言葉を千歳に見たらしい。
静かにしていれば(黙っていれば)美人な千歳が竹刀を持ち、相手の隙を突くようにチクリチクリと有効打を重ねる姿は確かにピッタリかも知れない。
ちなみに本人がその渾名を嫌がっているのは恥ずかしいというのと、初めてその渾名を聞いた俺が大爆笑したからだ。
いやだって高校生になって少年漫画みたいな渾名ってどうよ?
漫画やアニメは大好きだけど、現実に持ち込まれると笑ってしまう。
「お前がせー君って呼ぶのを止めたら俺も止めてやろう」
高校生で『せー君』は恥ずかしいだろう。
「それは嫌です」
「……なぜだ」
「それはせー君だからです」
意味不明。
「男子部はどうだったの? なんか少し騒ぎになってなかったかな?」
「あー清盛先輩の喫煙が顧問にばれた」
「ええっ!? それって大事件じゃないの!?」
「正確には『ばれかけた』だな。部室であの人が喫煙してたら顧問が乱入。咄嗟に近くにいた俺にライターとタバコをパスして事なきを得た感じ。まあ残り香で詰問されてたけどな」
「じゃあ今はせー君がタバコ持っているんだね……吸っちゃダメだよ」
武道を修めている俺がタバコを吸うわけがないだろう。
「それより今日は道場行くかな?」
「行くというか実家なんだから帰るが正しいんだけどな」
「そうじゃなくて! 稽古をするのかなってことだよ!」
「今日はパス。部活で疲れた」
「最近いつもそうじゃない!」
「だって本当だから仕方ないだろう?」
「せー君の剣は剣道じゃ邪道に近いんだから、せめて家で練習しないと……」
確かに相手の剣を足で捌くのは剣道では邪道だ。
と言うかお前も同じ穴の狢だろう。
俺の実家は剣術道場を開いている。跡取りは俺か弟の予定らしい。面倒だ。
幼い頃から剣術の修行をしていた俺を見て千歳も剣道を学び始めた。ドン臭かったこいつが女子剣道部のエースになるまで強くなるとはさすがに予想できなかった。
……そしてそんなこいつに負けないように影で修行するようになった自分の姿も予想できなかった。
兄貴分としては簡単に妹に抜かれるわけにはいかないのだ。
「だから今日は私と一緒に練習を……」
あ、やばい。面倒なことになりそうだ。
適当に気を逸らそう。
「まあ昼食を食べてから考えるかな。……そんなことよりあっちを見てみろ千歳。猫がいるぞ」
「猫!? あっ! 本当だ!!」
「嘘っ!?」
俺が適当に指をさした方向を見ると、確かに黒い猫がノシノシと歩いていた。偶然とは言え、よりによって黒猫かよ。
黒猫は昔から相性が悪い。
それは黒猫が不幸の象徴と言われていることもあり、俺の苗字に起因しているからでもある。
「にゃにゃにゃ~」
手を猫のように丸め、猫の言葉を操りながら千歳が黒猫に近づいていく。
猫好きとはいえ高校生にもなって無邪気すぎると思うけど、今時ってこんなもんか?
「……やっぱり傾いているよお前は」
「にゃにゃ?」
千歳は素早く黒猫の後ろに回りこむと、一瞬で抱きかかえた。
「ニャー!?」
いきなりの出来事に悲鳴を上げる黒猫。
合掌、である。
「見て見てせー君! この子女の子だよ!」
「フカーッ!」
離せ離せと暴れまわる黒猫。
あきらめろ。千歳の猫好きは異常だ。一度抱きしめたら飽きるまで離さない。
それにしても……
「この子は美人さんだな。毛並みもいいし、目も大きい……お! 珍しく黄金だな」
モデル猫……というのが存在しているかは知らないが、この黒猫はその一角を担うには十分過ぎる容姿を持っている。
「黒猫ちゃんも傾いてるのかな?」
「ぶっ!」
千歳の言葉に思わず噴出してしまう。
しまった。千歳の中では傾く=可愛いのままだ。傾いてる猫というのは想像するだけで俺の精神衛生上良くない。
「いや実はな……」
千歳に真実を話そうとしたその時――
「は……?」
彼女の背後に亀裂が入った。それはガラスの皹のように広がっていき、剥がれ落ちる。
その先の空間は底の見えない闇が広がっていた。
「千歳っ!!」
「え? せー君っ……」
異常な事態に慌てて千歳を呼び寄せようとするが遅かった。千歳が見えない手に引っ張られるように闇へと誘われる。
闇に包まれた千歳と黒猫は一片すら残さずに消えてしまった。
「千歳ェッ!!」
躊躇も、逡巡もないまま闇へと手を伸ばす。
そして俺も見えない何かに引っ張られ、闇の中へと溶け込んだ。右も左も、上も下もわからない空間で千歳を求めて手を伸ばす。
「くそっ…」
やがて体だけでなく、思考も闇へと包まれた。
「ニャー」
意識を失う前に、猫の鳴き声が聞こえた気がした。
完全に意識を失った。
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「せー君起きて!」
「ん……千歳っ……?」
聞きなれた声に目を覚ます。朝起きるときといつもと変わらない千歳の声だ。
少し違うのはいつもより近い距離から聞こえてくるということだ。
そして胸に感じる僅かな重み。
……そもそもなんで俺は寝ているんだ? …………っ!
「無事か!? 千歳!?」
「きゃっ!?」
気絶する前の状況を思い出し、勢いよく起き上がると同時に胸元から重みが消える。
立ちあがった俺の視界に映った光景は想像だにしていなかった。
「なんだ……これ?」
そこには見慣れた通学路ではなく草原が広がっていた。どこまでも続いているような広い草原。
少なくとも俺達が生活している街ではこんな場所は記憶にない。
「ここ……どこかな?」
いつもより元気がなさそうな千歳の声に少し安堵する。
良かった……変なことに巻き込まれたけど千歳は無事のようだ。
「とりあえず現状の把握を……千歳?」
千歳の声がする方を見ても彼女がいない。声はすれど姿は見えず。
そのまま辺りをキョロキョロ見回しても一向に見当たらない。
突如、言いようの無い不安に襲われた。
今聞こえた千歳の声も俺の幻聴であり、この異常な状況に俺は狂ってしまったのではないかと思った。
だって世界が割れてそこに巻き込まれ、目が覚めたら知らない草原にいるなんてそう考えてもおかしい。
それか夢でないと――――
「せー君せー君」
「千歳!?」
幻聴じゃない。確かに俺の耳朶を千歳の声が打っている。しかし声のする方を見てもやはり彼女はいない。
一体……?
「せー君こっちこっち!」
声は俺の見ている方向の少し下から聞こえてくる。
視線を少し下げて見ると、散乱したうちの高校の女子制服とその上に行儀良く座っている――
「……さっきの黒猫?」
闇に飲み込まれる前に千歳が抱きかかえていた黒猫だった。
綺麗な瞳を輝かせてこちらを見上げている。
「なんでお前はいるんだ……?」
ヒョイと黒猫を抱えて呟く。
下に散乱している制服と、傍に落ちているバックと竹刀袋から見るにこれらは間違いなく千歳の物だ。
しかし、肝心の中身である千歳がいない。
もしかして千歳だけ違う所に飛ばされたのか!?
と、当てもなく走り出そうとした俺に聞き慣れた声が聞こえる。
「せー君」
それは間違いなく千歳の声だった。
しかし聞きなれた彼女の声は、見慣れない所から発せられた。
勘違いでなければ、俺が抱きかかえている黒猫から聞こえた気がする……
「……黒……猫……? ……おま……え?」
確かめるように……嘘であってほしいとゆっくりと話しかける。
抱きかかえた目の前の黒猫に。
「にゃはは……」
千歳が困った時にする癖である、おでこを手の甲で擦る動作を黒猫がしている。
猫でありながら、困った顔をした獣に千歳の顔がなぜか重なる。
「……お前……千歳なの……か?」
「……うん。そうみたい」
――――幼馴染の千歳が、黒猫になってしまった。
クロネコとヤマトの異世界での冒険が始まる。