幕間 魔将の集い
広々とした部屋には、白く光沢のある石畳が敷かれている。
天井に備えられた窓からは、柔らかな陽射しが差し込む。柱や壁も丁寧に作り込まれていて、荘厳な空気を演出していた。
もしも大陸に住む人間がこの場を訪れたなら、己の目を疑うだろう。
こんな美しい城に魔族が住むはずがない、と。
けれど魔族と言っても、美的感覚は他の人類種とさして違わない。色に抱く感情はいくらか差異があっても、花を愛でたり、清潔を好んだりはする。
もっとも、倫理観では他の人類種と大きく異なるのだが―――。
「おや。もう揃っておったか」
足音もなく部屋に現れたのは、銀髪の女魔族だ。
体の線を隠すような布の多い服を着ている。白を基調にして所々に金の刺繍が入っていて、清涼な気配を纏わせている。
その白装束と合わせたかのように、女の肌も白く瑞々しい。ほとんどの者が黒肌の魔族にしては珍しい。ともすれば侮蔑の目を向けられるだろう。
けれど彼女の白い肌を揶揄する者はいない。
過去にはいたが、すべて実力で黙らせてきた。
『光輝』のヴィヴィアンヌ―――、
六魔将を束ねる者として、人間から最も多くの畏怖を集める魔族だ。
「全員が揃うのも珍しいというのに。おぬしらも、事の重さを分かっておるようじゃな」
広い部屋の中央には、白く大きな円卓が置かれていた。
それを囲む形で六つの椅子が用意されている。
いまその椅子に座っているのは、ヴィヴィアンヌを含めて五名のみ。
つまりは、空席がひとつある。
過去にも、いくつかが空席だったことはあった。身勝手で自己主張の強い者ばかりだ。ヴィヴィアンヌに呼びつけられても、気が向かなければ無視する者もいる。
しかし今回は事情が違った。
「前置きはいい。間違いないのか?」
「俺もそれを確かめに来たんだ。さっさと聞かせろ」
二人の魔族が口早に問う。
『雷嵐』と『爆炎』、どちらも魔将として確固たる地位を築いている。
けっして仲の良い二人ではないが、気が短い性格は共通していた。
そんな二人から鋭い眼差しを注がれながら、ヴィヴィアンヌは軽く肩をすくめる。
「間違いない。グルディンバーグが死んだ」
その言葉は、静寂で受け止められた。
滅多に表情を崩さない『氷絶』も、伏せたままの目蓋を僅かに揺らした。
暗殺者のように気配を消していた『無刃』も、微かに呼吸を乱れさせた。
全員の様子を見回してから、ヴィヴィアンヌは続けて述べる。
「奴は東方大陸に渡り、後方から人間どもを掻き回してやると言うておった。それは上手くいっていると、少し前に本人から通信もあったのじゃ。しかしいまはこちらからの呼び掛けにも応えぬ。奴の部下も、魂奉げを行った者は尽くが倒れた」
実のところ、ヴィヴィアンヌの認識には誤りも混じっている。
本人からの通信はあっても、それはロマディウスによって制限されていた。
魔導通信によって、偽りの情報を伝え“させられていた”だけだ。
しかし魔族が人間に服従させられるなど、まず有り得ない。
ましてやグルディンバーグは、魔族の統率者たる六魔将の一人だった。
たとえ真実を告げられたとしても、簡単には信じられなかっただろう。
「……死んだのは確実か。原因は何だ?」
「まさか人間に殺されたのか? はっ、だとしたら魔族の面汚しだぜ」
また口を開いたのは『雷嵐』と『爆炎』だ。
その声には幾分か喜色も混じっている。
グルディンバーグの死を喜んでいるのではない。
それ自体に関しては、さしたる感情は抱いていなかった。けっして友好的な間柄ではなかったが、とりたてて啀み合う関係でもなかったのだ。
どうでもいい、というのが正直なところだろう。
けれど同じ六魔将として、グルディンバーグの力は認めていた。
グルディンバーグを屠った者がいるのかも知れない。
間違いなく強者だろう。いったいどんな相手なのか―――、
二人の目には、そんな期待が宿っていた。
「逸るな。その調査を、これから行おうというのじゃ」
「調査だと? んなもん、適当に人間をぶっ殺して聞き出せばいいじゃねえか」
「それをやられると困るから言うておるのじゃ。下手に暴れられたら、我の手の者が動き難くなるでのう」
けっして魔族すべてが好戦的ではない。
けれど『雷嵐』と、とりわけ『爆炎』は、暇潰しに竜の群れを襲うほどに血気盛んだった。気まぐれにひとつの国へ単身乗り込み、その国の王と仕えていた使徒を討ち取ったこともある。
ヴィヴィアンヌが六魔将を束ねているのも、彼らの暴走を抑えるためだ。
もっとも、明確に立場が上という訳でもないので、あまり効果は出ていないが。
「ともかくも、いまは情報を集めるべきじゃ。人間を侮って先走ってはならぬ。我らの目的のためにも……」
『あーあー、てすとてすと』
いきなり緊張感のない声が響いた。
『これで繋がったかなー? 繋がってるよね。うん、そんな感じがします』
空の席からだ。そこの肘掛けに備えられた球状の魔導装置が、遠方の声を伝えていた。
『あ、映像も見えてきた。これは量産したら便利そう』
「グルディンバーグの通信宝珠を……? 有り得ぬ、何者じゃ!?」
『スピアです。そっちこそ、どなたでしょう? なんだかコスプレパーティみたいな光景ですけど、もしかして魔族の人たちですか?』
ヴィヴィアンヌはひくりと頬を歪ませる。
他の魔将も同じく。
子供みたいに間延びした声は、馬鹿にしているとしか思えなかった。
『ちょうどよかったです。グルグルハンバーグさんのお友達とかいませんか? いま遺品を整理してるんですけど、グロくて処理に困る物も多いんです』
「グルグル……? もしや、グルディンバーグのことか?」
『あ、そんな感じでした。ペットの趣味が悪い人です』
困惑しながらも、ヴィヴィアンヌは状況を整理しようと思考を巡らせる。
まず耳に留まったのは、相手が“遺品”と述べたこと。
グルディンバーグが命を落としたのは、あらためて確信できた。
通信先の相手は、その死を知っている。
ならば関わっていると考えるのが妥当だろう。直接かどうかは分からないが。
遺品の通信宝珠を見つけて、それを使っているのだろうが―――、
そこまで素早く推測して、ヴィヴィアンヌは首を振った。
「やはり有り得ぬ。あの宝珠は、本人でなければ使えぬはずじゃ」
『プロテクトは掛かっていましたね』
ヴィヴィアンヌは首を傾げる。“ぷろてくと”という単語に聞き覚えがなかった。
でも、次の言葉は聞き逃せなかった。
『ぷるるんが核を食べていてくれて助かりました。おかげで破るのも簡単でした』
「っ……核、じゃと? まさかグルディンバーグの核か!?」
不死に近いグルディンバーグの弱点は、心臓にある核―――、
その事実を知る者は、六魔将でも限られている。
もちろん他の“核”という可能性もあるし、ぷるるんという単語も謎だ。
しかしこの流れで“核”と言われれば、グルディンバーグの物と考えられる。
「まさか……貴様が、グルディンバーグを倒した本人か?」
警戒心を深めつつ、ヴィヴィアンヌは真剣な声で問い掛けた。
素直な答えが返ってくるとは期待していない。
相手もそこまで愚かではないはず―――と、思っていた。
『はい。そうですよ』
あっさりと返されて、ヴィヴィアンヌはぽかんと口を開けたまま固まってしまう。
『正確には、わたしとぷるるんと……あ、マズイです。エキュリアさんに見つかっちゃいました。お話はここまでですね』
「は? 待て。ぷるるんやら、エキュリアとはいったい……」
『そうだ、暗黒大陸です。わたしを探すならそこがオススメで―――』
慌てた声が途切れて、広間には再び静寂が訪れた。
また皆一様に表情を歪めている。
意味が分からないと、どの表情も語っていた。
しかしややあって、『爆炎』が机を叩いて立ち上がった。
「暗黒大陸ってのは聞こえた。行ってくるぜ」
「ま、待て! それが事実とは限らん。だいたい、あそこは砂漠しかないのじゃぞ。あとは遺跡くらいで、まともな人間がいるとは……」
「んなことぁ、どうでもいいんだよ。とにかく行けば分かるってことだ」
一方的に告げると、『爆炎』は部屋を出て行く。
その後に『雷嵐』も席を立った。
ヴィヴィアンヌは溜め息を落とすと、二人の背中を黙って見送った。
「……まあ、いまは人間どもも大人しい。さほどの問題にもなるまい。いざとなれば我が前線に出ればよいであろう」
自分を納得させるように呟くと、ヴィヴィアンヌは顔を上げた。
残っている『氷絶』と『無刃』へ目を向ける。
「おぬしらは引き続き“鍵”の捜索に当たってくれ。グルディンバーグに関する調査は、余裕があったらで構わん」
二人は沈黙したままだが、小さく頷いた。
それを確認すると、ヴィヴィアンヌは表情を引き締める。
「我らは確かに強い。多種族から畏怖を集めておる。じゃが先の大戦で、仕えるべき王も、信仰すべき神々も失った。未だ窮地にあることを、ゆめゆめ忘れてはならぬのじゃ」
厳かに告げられた言葉が静寂に溶けていく。
そうして誰からともなく、三人はそれぞれに席を立った。
ほどなくして部屋からは人影が消える。
結局、最後まで、グルディンバーグの死を悼む者は一人もいなかった。
◇ ◇ ◇
ごちゃごちゃと本やら魔導具やらが、床を埋め尽くすように散乱している。
六魔将の一人だったグルディンバーグが使っていた部屋だ。
その部屋の隅で、スピアはエキュリアに捕まっていた。
「で、何をしていた? 暗黒大陸とか聞こえたぞ?」
「はい。アフリカです」
「なんだそれは? 意味が分かるように説明しろ」
言いながら、エキュリアはスピアの手にある魔導具を見つめた。
部屋を調査していて見つけたものだ。
一見すると水晶玉のように思える。
仄かな魔力が感じ取れるが、いまは静かに光を反射しているだけだった。
「魔族の人と話ができました」
「は? 待て、それは大変な魔導具なのでは……」
「大したものじゃありません。カメラが移動する訳でもありませんし」
またエキュリアには理解不能な言葉を返す。
スピアは話を打ち切ると、通信宝珠を『倉庫』へと放り込んだ。
部屋には、まだ調べるべき物がたくさん散乱している。
ひとつの物にいつまでも時間を掛けてはいられなかった。
「まあ、よいか。感じられる魔力も微弱であったし……まさか暗黒大陸に行こうと言うのではあるまいな?」
「え? 行きませんよ。なんでそうなるんですか?」
「おまえが言い出したからだろうが!」
怒鳴りながらも、エキュリアはほっと胸を撫で下ろす。
またスピアが危険な旅をするのではないかと、不安に駆られたのだ。
もっとも、旅に出ずとも危険な真似はしていたのだが。
「そういえば、あの人たちは本当に暗黒大陸に行っちゃうかも……」
「ん? 何か見つけたか?」
「いえ。オススメしただけです」
嘘は吐いていません!、とスピアは胸を張る。
エキュリアは首を捻りつつ問い直そうとした、が―――、
「あ、その本は危ないですよ」
エキュリアの手にあった本から、いきなり黒い靄が吹き出した。
あっという間に天井まで昇った黒靄は、寄り集まり、髑髏の姿を形作る。
その黒髑髏は何本もの腕が生えていて、エキュリアに掴み掛かろうとした。
「くっ、悪霊の類か。侮る、な……?」
エキュリアは腰の剣を抜こうとした。
けれどそれよりも早く、横から小さな瓶が投げられた。
瓶から飛び散った聖水が悪霊を焼く。
正しく怨念の篭もった雄叫びが、室内に響き渡る。
耳障りな雄叫びだったけれど、それもすぐに消え去った。
悪霊へ向けて突撃したスピアが、拳を突き出す。
拳は光を溢れさせ、一撃で悪霊をバラバラに散らした。
「聖拳突き……うぅん、ネーミングとしてはいまひとつですね」
「いや、名前は知らんが、ともかくも助かったぞ」
エキュリアは剣から手を離すと、スピアの頭をぽんぽんと撫でる。
子供扱いに文句を言うスピアだが、笑顔で応えていた。
「余計な手出しだったかも知れません」
「腕試しの機会なら、他にいくらでもある。構わんさ」
そうして二人はまた部屋の調査を再開する。
通信とか暗黒大陸とか、そんなことはすぐに忘れてしまった。
六魔将の顔出し。
もうだめだー、おしまいだー、くらいの強者感は出ていたはず……!