幕間 クリムゾン領への帰還
正式に親衛騎士となって数日後、私は一旦クリムゾン領へと帰還した。
冬が明けたとはいえ、普通なら危険を伴う旅になる。
けれど一瞬で帰還できた。
スピアが設置してくれた転移陣のおかげだ。
どこの国でも実現していないはずの転移陣の製作を、スピアはやってのけた。
しかも気軽に使っている。
頭を抱えたくなるが、その事実と便利さは認めざるを得ない。
「おお、エキュリア。無事でなによりだ」
転移陣から出ると、そこはもう馴染みのある屋敷だった。
父が笑顔で迎えてくれる。兄たちや侍女長、家の者も揃っている。
自然と胸に熱いものが込み上げてきた。
思えば、我ながら無茶な旅をしてきたものだ。
僅か数名で国の命運を揺るがすなど―――いやまあ、私は同行しただけだったとも思えるのだが。
……気にしてはいかんな。
なにも手柄が欲しかったのではないからな。うむ。
父も兄たちも、ひとしきり私の帰還を喜んでくれた。
そしてもちろん、スピアに対しても笑顔で迎え入れてくれる。
「スピア殿も、正式に親衛隊長となられたとか。お祝いを述べさせていただく」
「ありがとうございます。でも、堅苦しいのは要りません」
「ははっ、相変わらずなようだな。安心したぞ」
スピアの奔放っぷりにも、父だってこれまで幾度も困惑させられていた。
それでもけっこう気に入っているようだ。
領主としての打算だけでは、ここまで快く迎えてはくれないだろう。
近い内に、父や兄も王都へ向かう予定だ。
アルヘイス公爵やセイラール子爵にも声を掛けている。
元よりレイセスフィーナ殿下の味方であるし、混乱の残る王都を治める一助になってくれると期待できる。
いずれはこのクリムゾン領と王都を転移陣で結ぶ。
そして大々的に喧伝して、国内の流通を盛んにする―――、
そんな構想も持ち上がっていた。
もちろんスピアの協力が必要だし、それも信頼があってこそだ。
「まずはゆっくりと休むと良い。スピア殿の部屋も用意してある」
「はい……父上、本当に心配をお掛けいたしました」
「また、お世話になります」
スピアはぺこりと頭を下げる。
奔放でありながら、時折しっかりとした礼儀を見せるのも不思議だ。
きっとこれからも驚かせてくれるのだろう。
自室に入って、ほっと息を吐く。
馴染みきった風景を前にして、あっという間に心が緩んでいった。
硬いベッドの感触も懐かしくて苦笑が零れてしまう。
単純な心地良さならば、ひよこ村で使わせてもらったマットレスの方が上だろう。
けれどやはり慣れた自室というのは心が休まる。
「そういえば、エキュリアさんの部屋に入るのって初めてですね」
「ああ……招いた覚えもないがな!」
私と一緒に、こっそりとスピアが入ってきていた。
ついさっき礼儀正しさに感心した途端にこれだ。
勝手に椅子を引いて、しかも背もたれを肘掛けにして逆向きに座っている。
足をぶらぶらさせるのも行儀が悪い。
まあ、目くじらを立てるほどではないが。
「べつに居ても構わんが、客室は用意されていただろう?」
「はい。でもエキュリアさんが心配だったんです」
んん? 心配だと? 何かあっただろうか?
この屋敷まで無事に帰ってきて、これといった問題もないはずだが?
しかしスピアの口調には、朗らかながら真剣味も混じっている。
また冗談かと無視する訳にもいかないか。
「旅の途中でも、王都でも、いっぱい出来事があったじゃないですか」
「出来事というよりも、事件だな。戦いと言った方がいいか?」
「それを、クリムゾン伯爵にも話すんですよね?」
「まあ、そうなるな。先に手紙でも知らせたが、父も直接に聞きたがるだろう」
「大変じゃないですか」
「うむ。一気に話が飛んだ気がするぞ」
スピアと話をすると、たまに理解が難しくなる。
ひとつずつ丁寧に読み解けば、それなりに道理は通っているのだが。
いかんせん当人が説明下手なのが―――ああ、そういうことか。
「父への説明を、私に丸投げしようというのだな?」
「はい。難しい話が苦手なのは、わたしも自覚してます」
椅子に座ったまま、スピアは胸を張る。まったく悪びれる様子もない。
まったく。苦手だと分かっていながら克服する気はないのか。
しかし完璧な人間などいるはずもないからな。
いつでも前向きなのは、スピアの美点でもあるのだろう。
それに、頼られるのも悪い気分ではない。
「元より、私も自分で話すつもりだったから構わんが……一応、聞いておくか。今回の一件、おまえだったらどのように説明するのだ?」
「そうですねえ……」
スピアが顎に手を乗せる。
真面目に考えているような顔だが、油断してはならない。
「あのハリボテはないと思いました」
「何の話だ!?」
「劇です。王都の広場でやってたんですよ。エキュリアさんも大活躍でした」
「また随分と話が飛んで……っと、ちょっと待て。私が大活躍とはどういうことだ? まさかまた妙な噂が流れているのか?」
問い掛けると、スピアはさっと目を背けた。
つまりは肯定だな。どうしてこう市井の噂というのは捻じ曲がるのか。
名が知れるのは騎士として誇るべきかも知れないが、それが虚偽ばかりでは却って恥ずかしいだけだ。
「大丈夫です。エキュリアさんが凄い人なのは、わたしが保証します」
「気持ちは嬉しいが、私は大した働きは……」
「だって、ツッコミ名人じゃないですか」
「どういう誉め方だ!?」
スピアの言うツッコミとやらの意味を、ようやく分かってきた。
だからといって黙って流せもしない。
それにまあ、こういう遣り取りをしていると、自然と笑みが零れるのも止められないからな。
とどのつまり、私とスピアは気が合うのだろう。
もう少しくらい真面目になってくれても、とも思うのだが。
「まあツッコミ名人はともかく、エキュリアさんはもう立派な親衛騎士じゃないですか。有名になってもいいと思いますよ」
「……名誉な役職だとは思っているさ。だがなあ……」
「やっぱり、この街を守っている方がいいですか?」
……はぁ。本当に油断ならない。
こうして人の心を見抜いたような発言もしてくるのだから。
「迷わなかったと言えば嘘になるがな。しかしレイセスフィーナ様から直々に頼まれたのだ。断るのも申し訳が立たぬ。それに……殿下をお守りすれば、このクリムゾンの街を守ることにも繋がるからな」
伯爵家の騎士と、王家直属の騎士。
比べるのもどうかと思うが、地位としては間違いなく後者の方が上だ。
ましてや女の身にとっては、望外の出世と言ってよいのだろう。
けれどやはり私は、生まれ故郷であるこの街を守り続けたい。
その想いは変わらないと断言できる。
とはいえ、いまの状況にもさほど大きな不満はなかった。
「目指すところは変わらず、違う手段を得ただけだ。まだおまえに返す恩も残っている。そちらの方は増えるばかりなのが悩みどころだがな」
「わたしの方は気にしなくていいんですけどねえ」
スピアがそっぽを向きながら微笑む。
その表情に照れが混じっていたのは、気のせいではないだろう。
私も言葉に出すのは照れくさいがな。
また一緒にいられるのが嬉しい、などと口に出せるものでもない。
「じゃあ、わたしはそろそろ部屋に……あ、その前に街へ行ってきます」
「出掛けるのか? 構わないが、夕食までには戻って……」
「エキュリアさんの活躍を広めてきますね」
「ちょっと待てぇっ!」
捕まえようと手を伸ばしたが、するりと避けられてしまう。
そのまま身を翻したスピアはあっという間に部屋を出て行った。窓から。
「せめて扉から出て行け!」
ちなみに二階だ。怪我をするのでは、なんて心配は要らなかった。
軽やかに着地したスピアは、そのまま街へと向かっていく。
小さな背中はすぐに見えなくなった。
「……まあ、楽しんでいるのなら大目に見てやるか」
溜め息とともに苦笑が零れる。
あんな悪戯っ子みたいな顔を見せられては、怒る気も失せてしまった。