親衛隊長叙任式
王都の広場は歓声に包まれている。
大勢が注目する舞台の上では、一体の竜が暴れているところだった。
ハリボテだ。急いで作ったのか、ずいぶんと不恰好な竜だ。
けれどその不恰好さも含めて観客は喜んでいる。
竜と対峙する演者が舞台に登場すると、歓声はさらに大きくなった。
「邪悪なる竜よ、去れ! 王国の民はけっして傷つけさせぬ!」
高々と剣を掲げて、女演者は澄んだ声を響かせる。
「この姫騎士レイセスフィーナがいる限りは!」
美しい姫が剣を振るって、邪悪なる竜と対決する。
いま最も民衆から人気を集めている演目だ。
邪悪な竜と、魔族、傀儡と化した国王、
その兄王を救うために剣を取った姫騎士レイセスフィーナ―――。
「姫のため、『クリムゾンの秘剣』エキュリアも助太刀いたす!」
「『剛力無双』のワイズバーンもいるぞ! 竜の肉、喰らい尽くしてくれよう!」
「『暴乱の舞手』セリスティアもおりますわよ! 竜など敵ではありませんわ!」
誰が脚本を書いたのか分からない。
かなり事実と異なっていて、ツッコミ処も満載だ。
それでも分かり易い勧善懲悪の物語は、民衆に熱狂とともに受け入れられた。
王都を襲った屍竜は、多くの住民に目撃されていた。
その巨体と対峙する白馬に乗った少女の姿も。
だから物語にも信憑性が生まれている。
少女が黒髪だったとか、子供にしか見えなかったとか、忘れられている部分もある。
だけど細かな部分は、民衆にとってはどうでもいい。
それよりなにより―――、
暴君と呼ばれた王が退位したのは事実で、それがまた歓喜の材料になっていた。
「ふふっ、街に活気があるのはよいことですわ」
そんな街の様子を報告されて、セフィーナは柔らかな笑みで応じた。
ここ数日、セフィーナはずっと城内での務めに追われている。
何名もの貴族と会談をしたり、今後の統治について文官と打ち合わせをしたり、騎士団を再編したりと、ほとんど休む暇もない。
いまも執務室で、文官が持ってくる書類の山と向き合っていた。
それでもセフィーナは泣き言を漏らすつもりはない。
王都が無事であることを思えば、笑顔を作るくらいは苦労にはならなかった。
屍竜の脅威が去った後、浮上していた王都は地上へと戻った。
いまは地下通路なども含めて、地形的にはすべて元通りになっている。
街全体が浮かんでいたことに気づいた者は少ない。
けれど、その後も王都の混乱は続いた。事態を収拾するのは容易ではなかった。
「午後の叙任式まで、まだ時間があります。少し休まれたら如何でしょう?」
文官が出て行ったのを確認してから、問い掛ける声が投げられた。
部屋の端に、エミルディットが静かに控えていた。
侍女として、変わらずセフィーナを支え続けてくれている。
「ロマディウス様と会う時間くらいは取れると思います」
「ありがとう、エミルディット。ですが大丈夫です。いつまでも兄を頼ってはいられませんし……いま会うと、快く思わない方もおりますから」
微かな憂いを瞳に滲ませながら、セフィーナは窓へ視線を向けた。
そこからは城の外れにある白い塔が見て取れる。
視力を失ったロマディウスは、いまはその塔に幽閉されていた。
正しく暴君と呼ばれるのに相応しいほどに、ロマディウスの所業は酷いものだった。どれだけの血が流れたか分からない。洗脳された近衛騎士をはじめとして、恨みを抱いている者も数え切れない。
退位の宣言がされても、処刑を求める声は多かった。
幽閉で済んだのは、セフィーナが意見を押し通したからだ。
ロマディウスを止めたのは、他でもないセフィーナということになっていて、彼女の言葉に逆らえる者はいなかった。
とはいえ、いつまた処刑が求められてもおかしくない。
とりわけ教会関係者は根強い不満を抱えている。
兄妹だからといって、あまり頻繁に会うのはよろしくなかった。
せめてセフィーナが正式な女王となれば、また違ってくる。
支持してくれる貴族は多く、そう遠くない内にセフィーナは王位に就くだろう。
けれど別の考えも浮かぶ。
自分よりも王位に相応しい者がいるのでは―――、
そう思い惑うセフィーナだったが、いまは流れに身を任せるしかない。
王国の平穏を守るためには、己にできることを重ねていくしかなかった。
「それにしても、叙任式とは……」
呟いて、セフィーナはくすりと笑みを零す。
「軽い気持ちで認めたのに、まさかこんな事態になるとは思ってもみませんでした。彼女が親衛隊長であってくれるのは、本当に心強いのですけど」
「……はい。問題行動も多い方ですけど」
エミルディットは困惑まじりの笑みを浮かべる。
幾度も助けてもらって認めてはいるけれど、まだ素直に賞讃は送れなかった。
「お城務めなんて、できるんでしょうか?」
「さあ。どうでしょう?」
セフィーナは悪戯っぽく咽喉を鳴らす。
不安を否定してほしかったエミルディットは、目を丸くした。
「ですが、そんな親衛隊長がいてもよいと思います。彼女は親衛隊長であるだけでなく、村長でもあり、そして小さな英雄なのですから」
晴れやかな笑みを浮かべて、セフィーナはまた視線を窓へと向ける。
そこから活気のある街の様子は窺えない。
だけど青々とした空が広がっていて、どこまでも飛んでいけそうな気がした。
重厚な扉を前にして、エキュリアは項垂れていた。
じっと足下を見つめて呟きを繰り返している。
「……我が剣も盾も、その忠義と等しく、けっして砕けぬもの也。常に主君とともにあり、その心は……」
正式な親衛騎士となるにあたって誓う言葉だ。
すでに騎士の位は持っているエキュリアだが、王族直属となるとまた違ってくる。
叙任式には大勢の貴族も集まる。
緊張するなと言う方が無理な相談だった。
まあもっとも、隣に立つスピアはのほほんとした顔をしているのだが。
「なんだか最初の一歩で転びそうですね」
「ぅ……どうしておまえは緊張せずにいられる? いやまあ、そういう性格なのは承知しているが……」
「わたしだって緊張してます。ちゃんと空気だって読めますから」
薄い胸を張るスピアは、やはり緊張とは無縁そうだ。
でも重厚な扉を見つめると、少しだけ表情を引き締めた。
「こういう荘厳な儀式って苦手ですし……」
それに、と。
急に悪戯っ子みたいな笑みを見せた。
「逃げ出したらどうなるのか、ちょっと試したくもなります」
「待て。妙な考えを起こすな!」
「冗談です。だいたい、逃げるのは嫌いです」
そんな遣り取りをしている間にも、扉の向こうでは儀式が進んでいる。
謁見の間には貴族が列を作って並び、玉座の前にはセフィーナが立っていた。
まずは挨拶から始まり、今回の騒動の顛末などがざっと語られる。
国全体の混乱、魔族の策動、屍竜の襲撃―――、
それらの解決に多大な貢献があったものとして、スピアとエキュリアの名が呼ばれた。
「いよいよだな。まずは殿下の御前まで並んで歩くのだぞ。そこからは……?」
ふと違和感を覚えて、エキュリアは首を横に回した。
同時に、重厚な扉が開かれる。
新たな親衛騎士二人を迎え入れようと、大勢の視線が注がれた。
けれどそこには一人しかいない。
いや、正確には一人と一匹だ。
ついさっきまでスピアがいた場所に、真っ白い雪ウサギがちょこんと座っていた。
まん丸でふわふわ。
小さな鼻をひくひくと動かしている。
「…………は? あの、スピアさんは……?」
セフィーナが戸惑いながら訊ねる。
けれど問われたエキュリアも、まったく事態が理解できなかった。
混乱している謁見の間へ、ちょこちょことウサギが駆けて入る。
真っ直ぐにセフィーナの足下へと寄って止まった。
つぶらな瞳で見上げる。その頭には、一枚の紙が折り畳まれて乗せられていた。
「……? えっと、手紙でしょうか?」
セフィーナはそっと屈んで手紙を取り上げる。
王族としては行儀が悪いが、困惑して細かいことに構っていられなかった。
そうして取り上げた手紙を広げてみる。
『名前はシュミットです。可愛がってあげてください』
意味が分からない。
セフィーナはぱちくりと瞬きを繰り返すしかなかった。
足下から見上げてくる小さなもふもふと、しばし見つめ合う。
「あの……シュミットさん?」
「きゅっ!」
「貴方も、親衛騎士になってくれますか?」
何故そんなことを言い出したのか?、セフィーナ自身にも分からない。
強いて理由を挙げるなら、思いつき。
それと、スピアだったらそんな突拍子もないことを言いそうな気がした。
当然ながら、ウサギを騎士にするなど前代未聞だ。
けれどシュミットは言葉を理解したように可愛らしく頷く。
セフィーナの脇に移動すると、まるで彼女を守る騎士のようにそこへ落ち着いた。
周囲の貴族たちはざわざわと驚くばかり。
でも、スピアを知る面々は理解した。
ああこいつも只のウサギじゃないんだな、と。
「ええと……では、叙任式を続けましょうか」
やや困惑を残しながらも、セフィーナは当り前のように言う。
混乱するばかりの周囲の貴族からすると、随分と落ち着いた、王族に相応しい立派な態度に見えた。
もっとも、セフィーナはただ慣れているだけ。
広間の隅に控えているエミルディットも、呆れ顔で溜め息を落としている。
エキュリアも同じく、軽く肩をすくめて苦笑を零した。
「あとでスピアには、きつく叱っておきます」
「可愛らしい贈り物の分は、手加減してあげてくださいね」
姫と騎士は笑みを交わし、静かに頷き合う。
そうしてエキュリアは堂々とした態度で膝をつく。
まるで何事もなかったかのように、そこからの叙任式は滞りなく進められた。
叙任式を抜け出したスピアは、城の一角にある庭園を訪れていた。
まだ冬が過ぎたばかりなので緑は控えめだ。
それでも小さな花壇に並ぶ彩りは、庭師の心配りを感じさせる。
「いい庭ですね。お昼寝をしたくなります」
「ほっほ、そう言ってもらえると嬉しいわい。お嬢ちゃんは休憩かね?」
「はい。こっそりと休憩です」
「ならば秘密じゃな。儂はなにも見ておらんよ」
その庭師である白髪のお爺さんに挨拶をして、スピアは芝生に腰を下ろした。
隣にはぷるるんも落ち着く。
いくらか肌寒さも残る空気を、スピアはぼんやりと眺めた。
「エキュリアさん、怒ってるだろうねえ」
べつに悪戯心だけで抜け出してきたのではない。
なんとなく、そうした方がよいと思えたから。
まあ、根拠なんて皆無なのだが。
「でも大丈夫だよね。シュミットは可愛いから」
「ぷるっ!」
「うん、ぷるるんも可愛いよ」
ぺしぺしと黄金色の塊を撫でる。
満足げに揺れるぷるるんを横目に、スピアは芝生へ寝転んだ。
「……なんだか大袈裟なことになっちゃったなあ」
はじめは、ちょっとセフィーナを助けようと思っただけだった。
それと『聖城核』を見てみたかっただけ。
なのに、国の一大事に関わってしまった。
大勢から注目されるような真似をしたという自覚は、スピアにもある。
でも実感はない。これといった感慨も。
まだスピアの目的は、ずっと遠くにあるのだから―――。
「手掛かりは掴んだから、一歩前進かな」
空中へ手を伸ばして、『倉庫』から七色に輝く大きな石を取り出す。
『聖城核』、その複製品だ。
本物はちゃんとセフィーナへ返却した。
だけど情報として自身の内に取り込みもしたので、こうして複製も可能になった。
その複製品は、ひよこ村の管理に使う予定だ。
「ん~……人攫いをやっつけるには、まだまだ足りそうにないなぁ」
ぽいっ、と『聖城核』を放り投げる。
それはすぐに『倉庫』へ収まったが、とても国宝に対する扱いではない。
もしもセフィーナが見たら卒倒していただろう。
「もっと頑張らないとね。ぷるるんも、よろしく」
「ぷるっ!」
頼もしい仲間に微笑みを向けてから、スピアは静かに目を伏せる。
冷たい風も心地良い。
やがて訪れる春の柔らかさを予感させてくれる。
次は、なにをして遊ぼうか―――、
子供みたいな呟きは、誰にも聞かれないまま風に紛れていった。
新たにウサギさんが加わって、第四章はひとまず完結です。
次回からはまた幕間が三話、そして次章へと続きます。