ダンジョンマスターvs大屍竜③
屍竜の咆哮が響き渡る。
黒々としたブレスで、空の一帯ごと少女が砕き散らされた―――、
傍目には、そう見えただろう。
「うるさいなあ、もう」
黒に染まった空間が引き裂かれる。
その裂け目から、スピアは飛び出した。
サラブレッドの手綱を強く握りながら、一直線に空中を駆ける。
屍竜は虚を突かれたように目を見開いた。
無防備に滞空している巨体の横を掠めて、スピアはその背後まで駆け抜けた。
同時に、手刀を払っている。
ずるり、と腐った肉が滑る音がした。
切り裂かれた屍竜の翼が、ゆっくりと落下していく。
一拍遅れて、自身の負傷に気づいた屍竜が叫び声を上げる。
当然、片翼では巨体を支えきれない。
空中でぐらりと体勢を崩して、屍竜も地面へと引かれていった。
そして、ただ地面へ落ちるだけでは済まされない。
「ここで決着をつけるよ。サラブレッドは離れて待ってて」
サラブレッドを大きく旋回させつつ、スピアは空中へと身を投げ出した。
真下に屍竜を捉える。
両手を大きく広げたスピアは、空中へと魔力を流した。
ダンジョン魔法を複合発動。
まずは鉄柱を何十本と召喚。本来なら、ダンジョンの建築資材となるものだ。
その戦端を尖らせ、杭として屍竜へ向けて突き落とす。
地面に落下した屍竜の巨体を、その直後に鉄杭の群れが張り付けにする。
その鉄杭に乗って、スピアも着地した。
並の竜相手だったなら、この時点で仕留められていただろう。
なにせ身体の中心部や頭部まで、太い鉄杭で貫かれている。
ほとんど竜の標本だ。
けれど不死身の肉体を持つ屍竜は、憎悪のこもった重々しい咆哮を上げる。
張りつけから抜け出そうと、ガリガリと太い爪で地面を掻いた。
「まだまだー!」
対してスピアは、呑気にも聞こえる声を上げる。
鉄杭の上に乗ったまま、青白く輝く網を召喚。
ダンジョンへの侵入者を捕まえる、基本的な罠である投げ網だ。
それを対屍竜用に、特大サイズで用意した。
魔法による強化も施してあって、竜の力でも引き千切られはしない。
さらにはまた特製の鉄鎖も地面から召喚する。
その鉄鎖で巨体を雁字搦めにして、拘束を重ねていく。
徹底的に屍竜の動きを封じようと、スピアは続け様にダンジョン魔法を発動させた。
いくつもの轟音と、屍竜の咆哮が重なる。
そして、ひとつの“個室”が完成した。
「よし、っと。防腐処理もしっかり効いてるねー」
透明の天井の上に、スピアは立つ。
見下ろす先は広大な室内で、屍竜の巨体がすっぽりと閉じ込められていた。
鉄杭と鉄鎖、網も絡んで厳重に動きを封じられている。
それでも屍竜は暴れようとする。
辛うじて動く爪で床を掻く。黒々としたブレスを吐いて部屋を破壊しようとする。
けれど僅かに傷をつけるだけ。
壁も床も、すぐに修復されていく。
大規模なダンジョンを作れるほどの魔力が、部屋ひとつのために注ぎ込まれた。
いくら竜とはいえ、そう簡単に脱出できるものではない。
完全に隔離されているので、周囲から生命力を奪って回復するのも不可能だ。
「こうして間近で見ると、本当に迫力ある。いつか生きてる竜にも会えるかな」
呟きながら、スピアはじっと屍竜を観察している。
閉じられた部屋では、床の魔法陣が淡い光を放ち続けていた。
そして、その効果は徐々に現れている。
ぐずり、と屍竜の胸元の肉が溶けたように崩れて床に落ちた。
スピアの狙いは、屍竜を徹底的に腐らせること。
すでに腐肉と化している相手だが、だからといって無意味とは言えない。
そもそも腐敗とはどういった現象なのか?
簡単に言ってしまうと、“微生物の増殖”だ。
魔法による効果が加わっても、その事実は変わらない。
いま屍竜の肉体は、大量の微生物の巣となっている。
ならば、その巣に収まらないほどに増殖したらどうなるか?
その答えが、スピアの足下で現れようとしていた。
「…………うへぇ」
さすがにスピアも顔を顰めてしまう。
ぐずぐずと肉が溶け落ちていく光景は、けっして気持ちのよいものではなかった。
けれど屍竜に対して有効だったのは確かだ。
実のところ、その微生物にこそ屍竜に備わった不死性の秘密がある。
謂わば、竜の形をした微生物の群体。
それが屍竜の正体だった。
群れであり個でもあるから、足や翼を失っても再生できる。
特定の核も持たない。ある程度の数さえ残っていれば、元の姿を取り戻せる。
群れが欠ければ、その原因に対処して、耐性を得ようとする。
個々は単純な生物なので進化も早い。
そうした結果、驚異的な耐久力を持つ魔物となっていた。
けれど小さく単純だからこそ、その本質的な部分が弱点にもなる。
つまりは、“自己の増殖”という生物としての本能は制御できない。
群れを維持できないほどの増殖に、それを攻撃として認識はしている。
けれどその攻撃に対して、進化して耐性を得ることは出来ない。
何故なら、矛盾してしまうから。
腐敗を否定するのは、微生物としての本質を失うことと同義だった。
まあ、もっとも―――、
スピア本人は、そんな難しいことを考えてはいない。
なんとなく上手くいくんじゃないかなあ、という程度だった。
「まさか、お醤油作りがこんなところで役立つとは思わなかったよ」
スピアが見つめる先で、屍竜は原形を留められず崩れ去ろうとしている。
増殖のし過ぎで、肉体を保てなくなっていた。
加速する腐敗は止まらない。
ほどなくして、骨までボロボロと砕けて砂のように散っていった。
荒野の一角で炎の嵐が巻き起こる。
もっとも、それは密閉された室内で起こっていた。
屍竜の骨まで焼き尽くされたのを確認して、スピアはほっと息を吐く。
巨大な密室に、数々の仕掛け、最後には高威力の炎熱陣―――、
多くのダンジョン魔法を駆使したことで、集めた魔力も随分と使ってしまった。
連戦だったこともあって、スピアの顔にも微かに疲労が滲んでいる。
「早く帰って、ご飯たべよう」
魔力供給を切ると、お城のように大きな部屋がぼろぼろと崩れていく。
数日もすれば跡形も無くなるだろう。
それを確認して、スピアは上空へ手を振ってサラブレッドを呼ぼうとした。
「っ……!?」
地面を蹴り、身を翻す。
一瞬前までスピアが立っていた場所を、黒い靄が貫いていた。
そこの地面には、まるで大きな爪で抉られたみたいに跡が残っている。
低く重く、怨嗟の声のように風が鳴いた。
スピアが振り向くと、黒い靄が集まって膨れ上がろうとしていた。
黒靄は屍竜の影を想わせる。
けれど大きさは縮まっていて、精々、人間の倍くらいの背丈しかない。それでもスピアが見上げるほどだ。
「……嫌になるほどしぶといねえ」
辟易として、スピアは眉根を寄せる。
屍竜の肉体は、間違いなく滅ぼせた。もはや復活は有り得ない。
けれどそこに宿っていた、竜の魂は残されていた。
呪われたまま。ひたすらに生者への恨みを晴らそうと蠢くままに。
もはや理性すら失ってしまったようだ。
きっとスピアに滅ぼされたことも理解していないのだろう。
しかし手の届くところに生きている者がいるから、死の世界へ引きずり込もうとする。
もはや灰となった肉体の残滓を集め、怨念に染まった声を上げて―――。
「うるさいです」
スピアは手刀を払った。その斬撃が飛ぶ。
真っ白い光を纏った一撃によって、黒靄はあっさりと両断された。
そうして散り散りになっていく。
反撃も防御もする暇はなく、問答無用で成仏させられた。
「どうせなら、ドラゴンステーキになってから来てください」
もはや聞く者もいない注文を零して、スピアは今度こそ帰ろうと手を振った。
上空からサラブレッドが降りてくる。
白馬の嘶く声は、戦いの終わりを祝うように響いていった。
王城のバルコニーに立って、エキュリアはじっと腰の剣に手を置いていた。
セフィーナやエミルディット、ロマディウスもいる。
ぷるるんやトマホーク、護衛役として急遽呼び出されたシロガネも同じく。
全員が静かに同じ光景を見つめていた。
スピアと屍竜との戦いだ。
遠くの光景だったので、何が起こったのかハッキリとは分からなかった。
けれど息を呑む場面もあった。
空中戦で屍竜の牙がスピアを捉えようとした時は、エキュリアも声を上げた。
そこからはまた理解不能な出来事ばかりが続いたが―――、
「……また救われてしまったな」
エキュリアの呟きには、若干の悔しさも滲んでいた。
けれど上空へ向けた顔には爽やかな笑みが浮かぶ。
やはりここは賞讃と感謝で迎えるべきだろう、というのが素直な気持ちだった。
「ただいまです」
ちょっと買い物にでも行ってきたみたいに述べて、スピアは白馬の背から降りた。
とても災害級の魔物と戦ってきたようには見えない。
だけどその黒髪は、ほんの少し乱れていた。
エキュリアは手を伸ばして、自分の胸くらいの高さにある小さな頭をそっと撫でる。
「おかえり……というか、なんだ、その……感謝の言葉が尽きそうだぞ」
「わたしが勝手にやったことです」
「そうか……しかし本当に無事でよかった」
なんとかするだろうと、信じてはいた。
けれど、だからといって心配せずにはいられない。
子供にしか見えない少女が竜を打ち倒すなんて、奇跡みたいな話だった。
いったいこれで何度目だろうか?
彼女に驚かされ、そして救われたのは―――、
そう表情を綻ばせたエキュリアは、自然と口にしていた。
「……私の命は、おまえのものだ」
言ってから、自分でも驚く。
エキュリアが目を見開いていると、正面に立ったスピアも呆気に取られた顔をしていた。
「えっと、気持ちだけで結構です?」
「む……まあ、おまえならばそう言うか。しかし騎士の言葉に偽りはないぞ」
「ん。覚えておきますね」
エキュリアは真剣な眼差しとともに微笑を零す。
対してスピアは、照れくさそうに目を細めていた。
普段とはすこし違う、大人びた艶も含んだ表情。
けれどそれも短い間で―――、
はにかんで、そっと目を伏せると、スピアはまた子供っぽく頬を緩める。
「スピアさん……心からお礼を述べさせていただきます。わたくしはもちろん、この国に住む大勢の者が救われました」
「あの、怪我とかはないですか? 手当ての準備もしてあります」
セフィーナとエミルディットも駆け寄っていた。
礼を述べ、気遣う二人に、スピアは柔らかく手を振って返す。
「大丈夫です。親衛隊長ですから」
さっぱり理屈になっていない。
それでもスピアは自信たっぷりに胸を張って、笑顔を輝かせた。
巨大敵に完勝。一件落着。
皆さんが心配してくれたおかげです?
次回は、四章のエピローグになります。