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私、ダンジョンマスターやめます! ~迷宮少女の異世界譚  作者: すてるすねこ
第四章 たった一人の親衛隊長編Ⅱ(ダンジョンマスターvs魔将王)
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ダンジョンマスターvs魔将王②

 点々と、赤い染みが床に作られていく。

 整然と並んでいた長椅子はいくつも砕けて、そこら中に木片が散乱していた。

 神像も同じく巻き添えを食らっている。

 瓦礫となって散らばり、もはや無事な像の方が少ない。


 そこに響くのは、一人分の荒い呼吸音。

 スピアは自然体で立っている。涼しげな顔までしている。

 ロマディウスばかりが一方的に叩きのめされ、ボロボロの姿を晒していた。


「何故だ……貴様は、ただの子供ではないか……」


「子供じゃありません」


 さらりと述べたスピアは、軽く手を振った。

 無傷ではあるけれど、少しだけ拳に痛みがあった。

 何度も立ち上がってくるロマディウスを殴り続けたためだ。


 なにもスピアは、痛めつけようとしているのではない。

 相手が向かってくるから仕方なく、だ。


 すでにロマディウスの剣は折れている。

 そうなると徒手空拳、あるいは魔法での戦いになるが、どちらもスピアが圧倒していた。


 ロマディウスが呪文を詠唱し、無数の光弾を放つ。

 ぺちぺちと、手刀で叩き落とされる。

 ならばと接近し、殴り掛かろうとする。

 べちこーん!、と平手打ちで吹き飛ばされた。


 床を転がり、呻きながら、それでもまたロマディウスは体を起こす。

 もうどれだけ歯軋りしたかも分からない。


「ぐぅ……どうやら、俺では貴様を黙らせられぬようだな……」


 並の者ならば、とうに諦めていただろう。

 平凡な顔立ちとは裏腹に、ロマディウスは人並み外れた頑固者であるらしい。

 目蓋を痛々しく腫らしながらも、眼光の鋭さは衰えていなかった。


「だが、貴様の仲間ならばどうだ?」


 スピアに向けていた視線を横へずらす。

 ロマディウスが睨んだのはエキュリアだ。広間の端でセフィーナを庇いながら、息を呑んで事態を見守っていた。


 そのエキュリアへ向けて、無数の影が伸びる。

 ロマディウスの足下から伸びた影は、さながら蛇の群れのように膨れ上がった。

 一気に広がって、礼拝堂の四方を埋め尽くす。

 エキュリアを捕らえ、操るべく―――しかしそれは叶わない。


「妄想の出番じゃありません」


 スピアが手刀を払う。目の前の空間を裂くように。

 それだけで、広がった影は霧散した。

 あっという間に、元の礼拝堂の景色が取り戻される。


「ぐっ……これも無駄ということか。俺の力が、すべて無効化されている……?」


「無効化もなにも、最初から存在しないものです」


 なんでもないことのように、スピアは言う。


「幻覚なんですから、そもそも人を傷つけるのが間違いです。どうせなら、もっと綺麗な景色でも作り出して、人を楽しませたらどうですか?」


 ロマディウスは愕然として唇を震えさせる。

 もはや返す言葉も出て来なかった。


 スピアが指摘した通り、ロマディウスに与えられた力は幻覚を操るものだ。

 視界内の者すべてに対して、あらゆる幻覚を見せ、惑わせる。忍耐と栄達の神から授かった力だというのに、実体を伴わないのはなんとも皮肉なものだった。


 けれど、幻だからこそ制限のない脅威になる。

 ほんの僅かでも幻を現実だと思った者は、そこから抜け出せなくなる。

 つまりは幻覚が現実となる。

 例えば腕が斬り落とされたと僅かでも思えば、実際にその腕は断ち切られる。

 大量の血を失ったと思えば、そのまま昏倒し、失血死に至る。


 下手をすれば、スピアもそうなっていただろう。

 催眠術という程度ではない。

 仮にも神の力の一端であるし、敢えて言うならば呪術に近い。


 ロマディウスが望むままに、その視界内の現実は改変される。

 そして他者にとっては、幻覚がそのまま現実となる。

 “なんでもあり”という、使い方次第では何者をも屈服させられる能力だ。


 しかし、スピアには通用しない。


「まあ、そんな力はどうでもいいんですが」


 またあっさりと述べると、スピアは小首を傾げた。


「どうして、いきなり襲ってきたんですか? しかもなんだか必死ですし」


「ふざけた台詞を……貴様が無礼を働いたからだろうが!」


「ああ、無礼討ちってやつですか。やっぱり暴君ですね、っと」


 スピアは身体を捻る。

 掴み掛かってきたロマディウスの腕を、逆に捻り上げた。


 そのまま体の向きを変えさせると、背中を蹴りつけて弾き飛ばす。

 また神像を破壊して、ロマディウスは床に倒れ伏した。


「ぐ、ぅ……冗談ではない……貴様のような子供に、何が分かるというのだ……」


「無理はしない方がいい、っていうのは分かりますよ」


 弾き飛ばされた際に、ロマディウスの腕は折れていた。

 けれどその腕で自身を支えて、また立ち上がる。


 スピアには通用しなかった幻覚だが、ロマディウス自身には効果を及ぼしていた。

 だから傷の治癒も行える。

 ロマディウスが望むままに、即座に。

 これまで散々に打ちのめされても、ロマディウスはそうして立ち上がっていた。

 ただし―――。


「どんどん顔色が悪くなってます。失った血や体力までは戻せないみたいですね」


 その指摘も事実だった。

 そもそも自分の力が幻覚だと、ロマディウスにはよく分かっている。

 だから治療効果も薄い。

 使徒になってから肉体的にも強化されたロマディウスだが、スピアにはまったく対抗できていなかった。


「さて、どうしましょう? 捕まえて連れていった方がいいんでしょうか?」


 背後へと、スピアは問い掛ける。

 視線を向けられたのはセフィーナだ。はっとして我に返る。


「あ、その……ええと……」


 あまりの事態に驚くばかりで、セフィーナの思考は追いついていなかった。

 それでもいくつか深呼吸をすると、真剣な表情を取り戻す。


「……兄と、話をさせてください」


 セフィーナは静かに歩み出る。

 危険な行動ではあったが、エキュリアやエミルディットも黙って見守った。


 このまま暴君の首を討つ、という選択肢もあった。

 国の安定だけを考えるならば、それが最も合理的な手段だったかも知れない。

 けれど実の兄の命だけでも救いたいからこそ、セフィーナは行動を起こしたのだ。


 それをスピアも承知している。

 いざとなれば、という覚悟はあっても、いまは警戒を緩めないだけで充分だった。

 そうして兄妹は、僅かな距離を置いて向き合った。


「兄様……わたくしは、兄様を止めるためにやって参りました」


「……そうか」


 ロマディウスの返答は、苦々しげに濁っていた。

 それでもスピアに向けていたような憎悪や軽侮はない。

 敵意を溢れさせていた視線は足下へ落とし、セフィーナの顔を見ようともしなかった。


「ですが、兄様を否定するつもりはありません。これまでの行動は、何かしらの事情があってのことと思っております。それを聞かせてください。一人で抱え込まず、わたくしにも兄様の力にならせてくださいませ」


 顔を背ける兄に対して、セフィーナは真っ直ぐに訴えかける。

 その言葉には真摯な想いが込められていた。


「……其方には関係ないことだ」


「いいえ。わたくしも王族です。どれほど辛いことに対しても、目を逸らさぬと決めたのです。そして……この国で、魔族が企みを巡らせていることも知っております」


 ロマディウスが目を見開く。

 そこでようやく、セフィーナと視線を交わした。


「気づいていたのか……」


「城を出てからのことです。六魔将の配下を名乗る者に襲われました。スピアさんのおかげで事無きを得ましたが……兄様は、彼らに脅されていたのですか? どんな事情があるにせよ、わたくしが味方になりますから……?」


 くっ、とロマディウスが笑声を零す。自嘲の混じった暗い笑みだ。


「魔族など恐れるに足りん。六魔将ですら、俺の力に屈している」


「っ……では、これまでの行為はすべて、兄様の意志によるものだと……?」


「おまえが襲われたのは手違いだがな。だからレイセスフィーナよ、俺の元へ戻ってこい。何も心配することはないのだ。国内の乱れもすぐに鎮めてみせる。その次には国外へも遠征し、この大陸も、魔族領も、すべてを手に入れてみせよう」


 だから、とロマディウスは手を差し伸べる。

 けれどセフィーナはすぐに首を振った。


 兄が頼りないとか、もうすでにスピアに敗北しているとか、そんな理由ではない。

 国のためというのも、また違う。

 セフィーナはただ、ロマディウスのために、その手を取ることは出来なかった。


「兄様は、そんなことを望んではおりません」


 セフィーナはまた真っ直ぐに眼差しを注ぐ。

 静かにロマディウスの瞳を見据えて、その心の奥底まで覗き込むかのようだった。


「今回の旅で、わたくしは様々な方と出会いました。恐ろしい魔族や、情熱的な踊り子、熱心な聖職者……そしてスピアさんやエキュリアさん、エミルディットも。王宮にいて、王族として仮面を被ったままでは得られなかった出会いです」


「……何を言っている?」


「種族や立場が違っても、それぞれに望む未来や、夢を持っていました。それを語る時には、どの瞳もとても綺麗に輝いていたのです」


 常に他者の目を見ようとする―――、

 それは人一倍臆病だからなのか、あるいは分かり合いたいという想いなのか、セフィーナ本人は意識したこともない。


 けれど、だからこそ嘘には敏感だった。

 だからこそ、出会ってすぐにスピアを信用したのだろう。

 ロマディウスの瞳が暗く濁っていることも、容易に察せられた。


「大陸の覇権や、魔族領など、兄様にはどうでもいいことなのでしょう? この国の王位にさえ興味を持っておられないように感じられます。では、本当の望みは何なのです? 何を抱えておられるのか、打ち明けてください」


「っ……レイセスフィーナ……」


 繰り返し問われ、詰め寄られて、ロマディウスは後ずさる。

 そこに傲慢な王の姿はない。

 くしゃくしゃに歪められた顔には、悲哀まで滲んでいた。


「言えぬ……言えぬのだ。真実を知れば、おまえも……」


「分かりました!」


 張り詰めた空気を裂いて、まるっきり場違いな明るい声が響く。

 その声の主は、もちろんスピアだ。

 皆の注目が集まる中で、胸を張って、スピアは涼しげに言う。


「すべてはセフィーナさんのための行動だったんです。間違いありません」


 セフィーナもロマディウスも呆気に取られて言葉もない。

 エミルディットも同じく。


 ただ一人、エキュリアだけは顔を歪めて思っていた。

 もしや黙っているのに飽きただけ、

 適当な思いつきで言っているだけではないのか、と。



この作品で一番儚いのは、シリアスさんかも知れません。


次回は、③です。

まだバトルは終わりません。


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