礼拝堂での出会い
城の地下にある極秘通路。
王族のみが知るそれは、なかなかに複雑な構造になっていた。
脱出先の選択肢としてはそう多くない。
王都外の荒野に出るか、水路を伝って衛星都市まで向かうかだ。
けれど緊急の際に使えるように、城からの入り口はいくつも設けられている。
玉座の下、宝物庫の奥、礼拝堂にある神像の裏側など。
セフィーナに与えられた私室にも、その入り口のひとつがあった。
「よっ、と。誰も居ませんね」
石畳を押し上げて、スピアは周囲を見回す。
先に“領域”の感知によって気配は探っていたが念の為に。
そうして安全を確認してから、四人と一体は地下から抜け出した。
「帰って参りましたね、姫様」
「ええ……二度と戻れないことも覚悟していましたけど、不思議な気分です」
胸元にそっと手を当てながら、セフィーナも室内を見回す。
けれど感慨に浸っている暇はない。
誰にも見つからない内に、事を済ませなければならないのだ。
「今更ですけど、泥棒みたいですね」
「それは……いえ、否定はできませんね。どんな手段を取ろうと、わたくしは兄を止めると決めたのです」
スピアの軽口にも、セフィーナは真剣な眼差しで応じてみせた。
静寂に包まれた小部屋を出ると、すぐに広々とした部屋に出た。
部屋の奥に台座があって、光の神ルノワルトイシュラを中心として数体の神像が並んでいる。
高い天井には、神話を描いた絵画に加えて、煌びやかな装飾も施されている。
何処にいても神々の目が届く空間が作られていた。
スピアたちが選んだのは、礼拝堂へと繋がる道だった。
セフィーナの私室へ戻ることも考えたが、そちらは最も警戒されている可能性が高い。なにより、『聖城核』へ向かうには遠い場所だと思われた。
「わたくしが持ち出した『聖城核』は北の塔にあったものですが……いま思えば、亡くなった父も兄も、そこにはほとんど立ち寄りませんでした。城壁を修繕するような時も。『聖城核』の力は、確かに使われていたはずなのに」
そんなことをセフィーナは語った。
王位を継ぐ可能性の低いセフィーナには、虚偽が伝えられていたのだろう。
けれどそのことが、真実を推測する切っ掛けになった。
『聖城核』が使われた際に、父や兄が何処にいたのか?
セフィーナは近くで見てきたはずだった。
無論、王であった者たちが密かに行動していた時もある。
けれど常に誰かを側に控えさせている王が、その居場所を隠すのは難しい。
慎重に記憶を探れば、セフィーナならば真相に辿り着けるはずだった。
「やはり怪しいのは、この礼拝堂だと思うのです。元々、『聖城核』は神々から与えられたという話もありますから」
脱出通路の他にも仕掛けがあるのではと、セフィーナは礼拝堂を見回す。
エキュリアとエミルディットも頷くと、辺りを探りはじめた。
ぷるるんは、ゴロゴロと転がって広間の四方を巡る。
「やはり怪しいのは神像か。光の神以外の像にも仕掛けがあるかも知れん」
「でも神々に触れるというのは、不敬なような……」
「神罰が下るのでしたら、わたくしが引き受けますわ。エミルディットは壁や床を調べてくれますか?」
セフィーナは躊躇なく指示を出すと、神像を慎重に探っていく。
そんな様子を、スピアはぼんやりと眺めていた。
ただ突っ立っているだけ、ではない。
別のものに対しては、しっかりと意識を注いでいる。
「どうした、スピア? 警戒を解くのはよくないぞ」
「いえ、“領域”外まで探査中です。潜水艦のソナーみたいなものです」
「は? せんすいかん……?」
意味の分からない言葉を並べられて、エキュリアは眉根を寄せる。
それでもどうにか理解可能な部分を取り上げて、頭の中で繋ぎ合わせてみた。
「またなにか、おまえの魔法で探っているということか?」
「そんなところです。このお城には、三つの大きな反応がありますね」
言いながら、スピアは頭上へと目を向ける。
「ひとつは、たぶん『聖城核』。もうひとつは魔族みたいです。それと、もうひとつなんですが……」
エキュリアが目を見開く。
話を聞いていたセフィーナやエミルディットも、その発言は聞き逃せなかった。
聖城核はともかく、魔族がいるというのは―――、
警戒心と不安と、様々な思考が三人の頭を駆け巡っていく。
しかしスピアはのんびりとした様子のまま、くるりと身を翻した。
礼拝堂の入り口へ、じっとりと眼差しを向ける。
「本人に聞いた方が早そうです」
カツン、と。
自己主張するような足音が響く。
礼拝堂に入ってきたのは、細身の、何処にでもいそうな雰囲気を纏った男だった。
その顔に、真っ先に反応したのはセフィーナだ。
「兄上……!」
「久しいな、レイセスフィーナ。まずは再会を歓ぼう」
国王ロマディウスが、勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。
護衛騎士も連れず、ロマディウスは一人で礼拝堂に現れた。
一人きりで神に祈りたい―――、
そんな理由ではないだろう。国王としては無防備に過ぎる。
セフィーナたちの侵入を知ってやって来た。
そう推測するのは簡単だった。
「驚くことでもあるまい。『聖城核』には、強い悪意を持つ者を弾く能力もある。それを利用し、おまえの侵入を検知しただけのことだ」
種明かしをして、ロマディウスは笑みを深める。
わざわざ『聖城核』の話題を出して、鋭い眼光を見せつける。
セフィーナの企みなどすべて見通していると、ロマディウスの笑みは語っていた。
「しかしこちらは驚いたぞ。まさか、おまえが俺に逆らうとはな。しかも偽の聖城核に気づくとは……クリムゾン伯爵あたりが知恵を貸したか?」
視線を移し、ロマディウスはエキュリアを見据える。
「いつだったか、救援要請に訪れた時以来だな。オークどもの餌にはならなかったか」
「……陛下のおかげで、こうして無事でおります」
皮肉を返したエキュリアは、そっと腰の剣に手を添えた。
何気ない動作でセフィーナを守れる位置に立つ。
密かに侵入するのは失敗したが、考えようによっては歓迎できる状況だった。
ここでロマディウスを討てば、一切合切に決着がつく。
護衛騎士もいない。
ロマディウスは腰に剣を下げて、簡素な服を纏っているだけだ。
暗殺には絶好の機会だと言えた。
しかもロマディウスは警戒する素振りもない。
「ふん、分を弁えているではないか。城へ許可無く踏み入った罪は不問にしてやろう。ここまでレイセスフィーナを連れてきたことも誉めて遣わす」
「ならば―――」
恩賞としてその首を、と。
エキュリアは剣を抜く覚悟を固めた。僅かに腰を落とす。
その段階になっても、ロマディウスはまったくの無防備だった。
エキュリアとて、騎士として剣技の研鑽は積んでいる。
油断しきった相手の首を落とすくらいは雑作もない。
けれど―――、
床を蹴る直前で踏み止まった。
エキュリアの横から、するりとスピアが歩み出ていた。
「こんにちは。はじめまして」
まるで街の雑貨屋を訪れたように、気安い口調を投げる。
対峙するロマディウスは、ぴくりと眉を揺らした。
王を前にして頭も下げない、礼儀知らずの子供に見えただろう。
けれどスピアは臆した様子もなく、さらにとんでもない言葉を放つ。
「王様を、辞めてください」
静寂が流れる。
ある意味では、神へ祈るための礼拝堂にはとても相応しい雰囲気だ。
けれど約一名の、子供みたいな少女を除いて、神の存在など綺麗に頭から抜け落ちた。
皆一様に、ただひたすらに、呆れきった顔をしていた。