おどろおどろしい???
薄暗い階段を下りていく。
通路には湿気が篭もっていて、壁はじっとりと濡れていた。
生温かい風が吹いて、その度に人の悲鳴にも似た音が木霊していく。
「むぅ。想像以上に『おどろおどろしい牢屋』です」
先頭を行くスピアも眉根を寄せる。
不気味な気配を嫌っているのではなく、不満げな表情だ。
「メニューから選ぶだけでなく、ちゃんと設計した方がよかったかも知れません」
「よく分からんが、おまえの趣味ではないということか?」
「当然です。わたしだったら、もっと爽やかな牢屋にします」
「それもどうかと思うが……」
屋敷の地下に設けられた牢屋には、すでに近衛騎士たちが放り込まれていた。
重い鉄柵で仕切られた部屋には、数名ずつが入れられている。壁から伸びた鉄鎖が全員の首に嵌められていて、動きを制限している。天井に刻まれた複雑な紋様は、魔法の発動を防ぐためのものだ。
つまりは、まず脱出は不可能。
この場なら安全に尋問が可能だと、シロガネが自信ありげに勧めていた。
「確かに安全性は高そうですね。一日分の魔力を注ぎ込んだだけはあります」
呟きながら、スピアは首を捻る。
「お花とか飾ったら、少しは雰囲気よくなりますかね?」
「おまえは牢屋になにを期待しているんだ!」
エキュリアの怒鳴り声が通路に響いて、スピアは丸まるように耳を押さえた。
そんな二人の後に、セフィーナとエミルディットも続いている。
「牢屋に入ったのは初めてですけど……何処も、このように不気味な場所なのでしょうか?」
「えっと、私も牢屋なんて初めてですし……」
「あ、そうですね。エミルディットも知らないことはあるのですよね」
「真面目に生きていれば、牢屋なんて普通は一生関わりませんから」
二人とも、心なしか普段よりも声が控えめになっている。
陰惨な気配に押されているのだろう。
それでも足は止めずに、セフィーナは牢屋をひとつずつ確認していく。
近衛騎士と話をしたいと言い出したのはセフィーナなのだから。
「あ……」
小さな呟きを漏らして、セフィーナは立ち止まった。
見つめるのは、囚われている一人の騎士だ。
他の近衛騎士と同じように武器を奪われ、質素な服一枚しか着ていない。首輪を嵌められ、項垂れていて、場所が場所だけにずいぶんと暗い印象になっている。
けれどその騎士の顔を、セフィーナは覚えていた。
「ザーム卿、ですね?」
「……レイセスフィーナ殿下?」
相手もセフィーナに気づき、目を見開く。
壁に背を預けていた姿勢を正すと、すぐに片膝をついて臣下の礼を取った。
「このような無様な姿を晒してしまい、申し訳ございませぬ」
「いいえ……変わらぬ忠義、安心いたしました」
ザームはまだ若い騎士だが、剣技にも魔法にも長け、なにより真面目な男だった。その誠実な性格を買われて、ロマディウスが王位に就く前から護衛騎士に任ぜられていた。
いま取っている態度も、他の近衛騎士とは異なる。
レイセスフィーナの名を聞いても、敵意の眼差しを向けてくる者ばかりだ。
あるいは、狂気だろうか。
隙あらば牢を脱出して、なんとしても王命を果たす―――、
尋常でない強固な意志を、血走った目から感じさせていた。
低く呻り声を漏らす者もいる。カリカリと床に爪を立てている者もいる。
そんな中で、ザームの態度はとても落ち着いて見えた。
「貴方は、兄が暴挙に及んでいると理解しているようですね」
「なんだと、貴様! 陛下を愚弄するつもり―――」
叫んだのは同じ牢屋にいた別の騎士だ。
けれどシロガネが軽く指を弾くと、空気に殴り飛ばされたように転がる。
そのまま意識を失って大人しくなった。
「失礼。監視が手ぬるかったようです。お話を続けてくださいませ」
何事もなかったかのように、シロガネは一礼する。
セフィーナは目をぱちくりさせていたが、咳払いをひとつすると、あらためてザームと向き合った。
「彼女たちのことは、その、気にしないでください」
「はい……此度の王命に関してですが、自分も忸怩たる思いです。罪も無い民を虐げるなど騎士として恥ずべき行い……しかし同時に、ロマディウス様に従えることを悦ばしくも感じているのです」
ザームは頭を下げたまま、ゆっくりと言葉を確かめるように語る。
自分が口に出す言葉さえ疑っているようだった。
「異常な精神状態にあると、自分でも感じています。ですが、どうにもならないのです。気づけばこの手で、教会にいた人々を殺していました」
「ザーム卿……貴方に罪は無いと、わたくしは確信しております」
「……その御言葉だけで、自分は救われました」
一段と深く、ザームは頭を垂れる。
まるで自分の首を差し出すような姿だった。
「とっても真面目そうな人ですね。将来、禿げちゃいそうです」
「こんな時に、おまえはなにを言っている!?」
「エキュリアさんはきっと大丈夫ですよ」
「待て。意味はよく分からんが、いまとても不安になったぞ。詳しく聞かせろ。真面目なのと頭髪と、どう関係があるのだ?」
騒々しい遣り取りに、セフィーナは頬を歪ませる。
思わず、苦笑が零れた。
そんなセフィーナの表情を、ザームは呆気に取られて見つめていた。
「……姫様は、随分と柔らかな表情をするようになられたのですね」
「ふふっ、そうでしょうか。楽しい方々と一緒にいたおかげでしょう」
「あ、いえ、不敬なことを申し上げました」
ザームはまた慌てて頭を下げる。
洗脳されていても、命令以外の部分では己の意思が広く残っているらしい。
精神操作にも個人差がある、ということだろう。
セフィーナの笑顔に引かれたのか、幾分かザームの口調も柔らかくなっていた。
「それで……答えられる範囲で構いません。いまの王都や城がどうなっているのか、教えていただけますか?」
「王都は、まだ平穏を保っております。しかしいつ民の不満が爆発するか分かりませぬ。逆に、城の中は凍りついたように静かで……いまや完全に陛下の手中にあると言えるでしょう」
大勢の精神を操る、なにかしらの手段があるのだろう。
そう推測するのは、セフィーナにも簡単だった。
けれどそれだけに深刻な事態であると察して、また表情を曇らせてしまう。
「兄は、わたくしに関してはなにか仰っていましたか?」
「……レイセスフィーナ様が城を出られたことは、捜索部隊が編成されたことで承知しておりました。ですが、それ以外の話はなにも……」
「そう、ですか……」
兄王と敵対すると決めた以上、セフィーナは捕らえられる訳にはいかない。
けれど無関心でいられるのも、妹として嬉しくない。
複雑な感情を押し隠そうと、セフィーナは静かに目蓋を伏せた。
「やはり、ロマディウス様を討たれるおつもりですか?」
「討ちたくはありません。国の乱れを正し、また兄が笑って生きていけるよう、努力したいと思っております。困難であるのも承知の上です」
ですが、とセフィーナは微笑を取り繕う。
「頼れる味方には恵まれました。彼女たちと一緒であれば可能であると、そう信じております」
誇らしげに口元を緩めて、セフィーナは振り返る。
そこにはエミルディットと、そしてスピアとエキュリアがいて―――、
「―――という訳で、髪は長い友達なんです」
「ふむ、そんな手入れの方法が……父が気にしていたから、教えて差し上げれば喜ぶかも知れんな」
なんだかどうでもいい話をしていた。
緊張感の欠片もない。
「ほ、本当に頼りになる方々なのです。その、普段はちょっとアレですけど」
「……殿下の心労、お察しいたします」
「あの、ザーム卿? 勘違いしないで欲しいのです。ここで哀れみは必要ないのですよ?」
セフィーナは慌てて言い訳じみた言葉を連ねる。
薄暗い牢獄に、まったく深刻でない悲嘆の声が流れていった。
黒壁に囲われ、おどろおどろしい雰囲気を纏った都市長邸宅。
けれどその内部は、普通の居住空間になっている。
まだ家財道具は揃っていないが、“スピア式の”野営のようなものだ。
割り当てられた部屋に入ると、セフィーナはほっと息を吐いた。
「今日もまた、とても驚かされました」
「まったくです。スピアさんにはもっと慎重に行動するよう、きつく言っておきます」
エミルディットは厳しい口調で述べる。
だけどその表情はさほど怒ってもいなかった。
楽しげでもあるエミルディットに手伝ってもらいながら、セフィーナは着替えを済ませる。そうしてベッドに腰掛けた。
「でも、スピアさんのおかげで王都の様子も聞けました」
「はい……魔族に関しては、ザーム様は何も存じておりませんでしたね」
「王国内に入り込んでいるのは疑いようがないのですけど。兄が上手く隠しているのか、それとも魔族が巧妙に立ち回っているのか……」
セフィーナとしては後者であることを望みたい。
魔族に操られているとなれば、兄を救える可能性も広がるのだから。
もっとも、いずれにしても魔族との衝突は避けられそうにない。
それも間違いなく強大な相手だろう。
並の兵士など指一本で屠れるような―――、
そう考えると、セフィーナの胸にはまた不安も渦巻いてくる。
「明日には城へ向かうつもりでしたが、慎重になった方がよいのかも―――」
気弱な呟きは、ノックの音で遮られた。
エミルディットが返答をしてドアへ向かおうとする。
だけど、その前に勢いよく開かれた。
「お風呂です!」
スピアだった。
ばばーんと開け放ったドアから、部屋の中へと駆け込んでくる。
タオル一枚を巻いた半裸の姿で。
「す、スピアさん? その格好は?」
「だから、お風呂です。むしろ温泉っぽいです。一緒に入りましょう」
「は? あの、お誘いは嬉しいのですけど……」
「『おどろおどろしいお風呂』が赤かったんです。入らないと勿体無いですよ」
ちっとも説明になっていない説明をして、スピアはセフィーナの手を取った。
そのまま部屋の外へと連れ出す。
「え……あ、姫様!」
エミルディットが止める暇もない。
笑顔を輝かせるスピアは、問答無用でセフィーナを引っ張っていった。
次回はお風呂回……ではありません。
ちゃんと寄り道せずに、王都へ向かいます。