都市制圧
瓦礫の山の前で、スピアは正座をしていた。
もう仮面は外して素顔を晒している。
眉を吊り上げたエキュリアが、その目の前に立っていた。
「―――何度も言ったはずだ! 後先を考え、常識をわきまえろと! だというのに、おまえという奴はいつもいつも派手な騒動ばかり引き起こして!」
「はい、先生! 今回は最初から騒動が起こってました!」
「だからどうした!? あと、私は先生じゃない!」
「たとえわたしが騒動を起こしたとしても、目立たないはずです」
「そんなはずあるか! 火に油を注いだ形ではないか! あと、“たとえ”じゃない! 現実にもう騒動を引き起こしただろうが!」
スピアが飛び出した後、エキュリアたちは荷馬車に残されていた。
護衛役はサラブレッドが務めていたし、戦いの場からも離れていたので安全は確保されていた。
だけど問題はそこじゃない。
そもそも争いに加わる必要が無かったのだ。
王都に忍び込むのが目的だったのだから、無視するのが最善だった。
屋敷だって吹き飛ばす必要もなかった。
それよりなにより―――。
「しかもまた一人で勝手に決めて! 少しは相談しろ!」
「え? 仮面を渡した時に言ったじゃないですか。待っててくださいって」
「それは相談とは言わん! だいたい、おまえは一人で無茶をしすぎるのだ!」
「大丈夫です。エキュリアさんが守ってくれますから」
「また置いていったではないか!」
ちなみに、スピアが置いていった白仮面のおかげで、この屋敷跡まで来るのは容易だった。
エキュリアの白仮面を見るだけで、誰も彼もが慌てて逃げていったのだ。
魔族だとか、殺されるとか、怯えきった悲鳴を上げながら。
「争いを止めようというのはいい。立派な心掛けだと賞讃しよう。しかし時と場合を考えろと言っているのだ。いや、時と場合だけじゃない。おまえにはとにかく考えることが足りないのだ。まずは慎重という言葉の意味を―――」
瓦礫と化した屋敷跡に、エキュリアの怒鳴り声が響く。
いつまでも続きそうなお説教を、スピアは大人しく聞いていた。
今日はいつもより五割増しだなあ、なんて考えながら。
「あの、エキュリアさん……」
「なん―――でしょうか、殿下?」
無礼な発言を、エキュリアは辛うじて呑み込む。
声を掛けてきたのはセフィーナだった。
「そろそろ許してあげてもよいのではありませんか? スピアさんも、その、反省しているようですし……?」
「はい。とても反省してます」
「嬉しそうに言うな! ちっとも反省の色が見えんではないか!」
またエキュリアが怒りだして、セフィーナが仲裁しようとする。
エミルディットが呆れて溜め息を落とすのも、もういつものことだ。
ただ、そんな光景を困惑顔で見つめる者もいた。
「まさか、本当にレイセスフィーナ殿下とは……」
都市長のブロスペールだ。柔和な顔立ちをした初老の男だが、皺が濃いのは年齢の所為ばかりではないだろう。理不尽な王命から街を守るために苦労してきたのは、血色の悪い顔色からも窺えた。
そこへきて今回の騒動だ。
まだ混乱から立ち直れていないのも仕方ない。
「しかし立派になられた。以前は自分のお考えも口に出来ないほど気弱であらせられたのに……これほど見事な策を練り、しかも実行してしまわれるとは」
「え……あの、ブロスペール?」
「すべては魔族の仕業……儂もその策を考えはしたが、屋敷を吹き飛ばそうなどとは思いつきもしなかった。過激なようで被害は最小限、実によく出来ておる。これならば国内の乱れを正した後、神聖国への言い訳もつく。すべてはあの魔物使いの少女あってこそ……いや、殿下の知恵と噛み合ってこそか」
白い顎鬚を撫でながら、ブロスペールはうんうんと頷く。
それを横で聞くセフィーナも困惑していた。
なにやら盛大に勘違いされている。
訂正するべきだろうか?
そうセフィーナが迷っている内に、また元気な声が上がった。
「そうです! なにもかも計画通りです!」
大人しくしていたスピアが、ブロスペールの呟きを耳聡く拾っていた。
「悪事はだいたい魔族に押しつければ、みんな納得してくれます」
「……ちょっと納得しそうになったが、ほとんど犯罪者の言い訳ではないか」
「むぅ。言われてみれば、そんな気もします」
「おまえは! やっぱり、なにも考えていないだろう!」
睨まれ、スピアはそっと目を逸らす。
でも頬っぺたを摘み上げられた。
「いはいれす!」
「反省しろと言っているのだ!」
ぎゃあぎゃあとスピアが喚く。
エキュリアはお説教を続けるけれど、本気で痛めつけるような真似はしない。
スピアが暴れたおかげで、血生臭い争いが治まったのは事実だ。
事後処理も、なんとか上手く片付きそうだった。
ひとまず民衆は大人しくなったし、争乱を指揮していた教会兵も捕らえられた。
教会兵たちは、いずれ解放されるだろう。
街を占拠した魔族が、レイセスフィーナによって討たれた後で。
そういう筋書きが描けそうだった。
近衛騎士たちも捕らえられたので、シロガネによって尋問を行っている。
「ご主人様、失礼いたします」
そのシロガネが、『倉庫』の影から現れる。
いきなり影が膨れ上がったので、エキュリアも驚いてスピアを放してしまった。
「シロガネ、いいところに。大切な報告だよね?」
「あ、おい。まだ話は……」
「近衛騎士への尋問がひとまず完了しましたので、ご報告に参りました。ご主人様が推察なされたとおり、彼らには魔法によって精神操作された痕跡がありました」
本当に大切な報告だった。
エキュリアも渋々ながら、口を閉じて耳を傾ける。
近衛騎士と言えば、以前、セフィーナを連れ戻そうとしていた者たちも異常な眼光をしていた。その時はスピアも少し気に留める程度だったし、すぐにセイラール子爵へ引き渡してしまった。
けれど、もしやという予感はあった。
加えて、ワイズバーン侯爵の軍と相対した際にも、兵士たちが操られていた。
そこで今回は、念入りに調べてみようと思い至ったのだ。
無論、王国内の人材を無為に散らすのはよろしくない、という判断もある。
殺生を嫌うセフィーナの心情を、スピアもそれなりに慮っていた。
「精神操作……詳しいことは分からないけど、シロガネが言うなら間違いないね。洗脳の専門家だし」
「なんでメイドがそんな技能を持っているんだ……」
エキュリアは頭を抱えながらも、スピアの言葉に納得してしまう。
淡々と述べるシロガネの言葉には、説得力が溢れていた。
「お褒めに預かり恐縮です。ですが、彼らの精神操作を解くには、少々時間が掛かりそうです。申し訳ございません」
「気に病むことじゃないよ。普通じゃないって分かっただけでも充分だから」
「そうだな……しかし操られているとなれば、やはり捕らえておくのが最善か」
尋問を続ければ有益な情報が得られるかも知れない。
それとも、王都へ向かうのを急ぐべきか。
そうエキュリアは呟きながら口元を歪める。
スピアも真面目に考えているような顔をした。
上手くお説教から逃げられた、なんて安堵しながら。
「あ、あの、スピアさん!」
躊躇いがちに声を上げたのはセフィーナだ。
俯いて肩を縮めながら、そっと控えめに手を上げる。
「わたくしも、その近衛騎士と話をしてもよいでしょうか? 何かを聞き出せるかも知れませんし……」
城の状況がどうなっているのか、セフィーナとしては気掛かりなのは当然だ。
魔族が関わっているというのは、なにも嘘ばかりではないのだから。
今回の騒動は勝手に勘違いされた結果だが、王国の奥深くに魔族が入り込んでいるのはまず間違いない。
「お兄さんのことが、やっぱり気になりますか?」
「おい、スピア……!」
遠慮無いスピアの問いに、エキュリアが眉を顰める。
セフィーナも僅かに身を引いたが、ひとつ呼吸を置くと表情を引き締めた。
「知りたいのか、知りたくないのか、わたくし自身にもよく分かりません。兄が魔族とどう関わっているのか、数々の暴挙の原因は何なのか……怖い、というのが正直なところです。それでも……」
それでも、と繰り返して、セフィーナは強く頷いた。
「わたくしは知らなくてはいけません。この国を支えたいと願い、そして行動を起こした以上は、もう目を逸らしてはいけないのです」
蜂起した民衆を見て、セフィーナも思うところがあったのだろう。
あらためて決意を固める切っ掛けになったようだ。
凛として澄んだ眼差しを見せるセフィーナの姿に、エミルディットは嬉しそうに目を潤ませている。
ブロスペールも教え子の成長が誇らしいのか、そっと目を細めていた。
それが誰のものであれ、人の確固たる意思というのは美しいものだ。
だからそれを目撃した時、自然と心を打たれる。
強い心に憧れ、共感し、打ち震える。
でも、そんな場面を台無しにしてしまうのがスピアだ。
「どうしましょう、エキュリアさん」
「なんだ? なにも迷うようなことは……」
「セフィーナさんが、本物のお姫様みたいです」
「みたいでなく、本物だ! おまえはどこまで不敬を重ねるつもりだ!?」
また頬っぺたを摘み上げられ、スピアはわたわたと喚く。
やっぱり台無しだった。
「あの、それで、近衛騎士たちと話をしたいのですが……」
「そうですね。シロガネがついていれば問題ないと思います」
エキュリアに睨まれながら、今度は真面目に答える。
だけど、とスピアは一言を挟んだ。
「その前に、このお屋敷をなんとかしちゃいましょう」
「なんとか、とは……?」
問い返したセフィーナの表情が引きつる。
これまで旅を共にしてきたことで、セフィーナにもなんとなく予測できた。
また一騒動が起きる、と。
ちなみにエキュリアは確信を持って、制止する準備に入っている。
「都市長さん、許可をください。ちゃんと魔族っぽいお屋敷を建て直します」
この日、王都の盾となる衛星都市のひとつが陥落した。
魔族によって制圧された街の中心部に、禍々しい屋敷がそびえ立つ。
肋骨を象った門が設置され、建物全体が黒い靄で覆われた。
まるで地獄の入り口のようだった。
変わり果てた屋敷の姿に、それを見た住民すべてが恐怖の悲鳴を上げたという。