ダンジョンマスターと避難民
強風に煽られた雪が舞う中で、メキメキと重く軋む音が響いた。
太い木々が次々と倒れていく。
まずは屋敷が建つほどの面積を確保すると、スピアはまた地面へ魔力を流した。
「学校の体育館くらいでいいかな……あ、でも屋根は高くする必要ないんだ」
呟く間にも、目の前の景色は変わっていく。
倒れた木々が幾つにも割れて、壁や柱となり、大きな避難所を作り出していった。
スピアやエキュリアは、もう幾度か見た情景だ。
けれど他の者は違う。控えめに言っても非常識な光景だった。
セフィーナやエミルディットはぱちくりと瞬きを繰り返している。
セリスも言葉を失って、がっくりと地面に膝をついた。
「くっ……この驚愕を表す舞いを持ち合わせておりませんわ」
なにやら他人には理解し難い屈辱感に打ちひしがれていた。
ともあれ、最も驚かされたのは、ここに来たばかりの百名余りの人々だろう。
けれど驚きというよりは、むしろ感動に近い。
街道から外れた場所で、人の住む灯火に出会えただけでも彼らには僥倖だった。
それに加えて、安全に過ごせる場所が与えられたのだ。
吹雪の中で倒れるかと諦めかけていたのだから、歓喜に打ち震えるのも無理はない。
「ひとまず中に入ってください。食事とか寝床とかは、順番に整えますから」
「お、おお……!」
スピアの隣には、初老の男がいた。
小屋にやって来た集団の代表で、サルバモーブと名乗った。
痩せ型で、髪にも髭にも白い物が混じっているが、背筋は真っ直ぐに伸びている。
そして、やや汚れているが白い法衣を纏っていた。
「深く感謝いたします。これぞ正しく神のお導きでしょう」
サルバモーブが跪いて、背後に控えていた従者たちも同じく深々と頭を下げた。
大袈裟すぎるほどの感謝に、スピアは曖昧な笑みを返す。
「困った時はお互い様です」
「はい。確かに、助け合うのは人としての正道。しかしそれを行動で示すのは、なかなかに難しいことです」
なにやら感慨を受けた様子で、サルバモーブは繰り返して頷く。
小屋にやってきたのは、街の教会に勤める神官や、熱心な信徒たちだった。王都の南方にある衛星都市のひとつに住んでいたという。
わざわざ危険を冒して冬の旅をするような人々ではない。
彼らは、街を逃げ出してきた。
教会を潰し、その関係者を処断するという王命が下されたから。
南方へと逃れる途中で吹雪に見舞われ、立ち往生していたところ、小屋の灯りを見つけてやって来たという訳だ。
ベルトゥーム王国に限らず、大陸では多数の神々が信奉されている。主神や大神といった区分けがあったり、その区分けに関して意見の違う派閥も存在するが、さほど激しい争いは起こっていない。
同じ神々を信奉する者として、諸派の聖職者たちは協力する形を取っている。
街の教会も、“どの神に対しても祈れる場所”として置かれる場合が多い。
つまりは、大勢の庶民に親しまれる場所となっている。
教会の影響力が強いということ。
そこを潰すのは、紛れもない暴挙だ。
神への信仰心など皆無に近いスピアでさえ、常軌を逸した行動だと感じていた。
ただ、その経緯はどうあれ、スピアは彼らに手を差し伸べただろう。
先程述べた言葉の通りだ。
凍えそうな大勢の人々を放っておくなど、信仰云々の問題ではない。
「そうだ、怪我とか病気の人とかはいませんか? 回復薬なんかもありますよ」
「ご厚意には重ねて感謝いたします。ですが、こちらにも治療術の心得がある者はおりますので、お気持ちだけで充分でございます」
サルバモーブは跪いたまま、まだ顔を上げようともしない。
まだ地面には雪が降り積もっているのに。
実はこれは、神官の礼儀作法によるものだった。
目上の者に対したり、深い感謝を表したりする際には、相手から赦されるまでは顔を上げてはいけない。そんな作法が神官にとっては常識だった。
もちろんスピアは、神官の作法なんて知らない。
だけど、こてりと首を傾げてはいた。
このまま放っといたら凍りついちゃうんじゃ―――、
そう疑問を投げようとしたスピアだが、先にサルバモーブの方が口を開いた。
「失礼とは存じますが、お訊ねしてもよろしいでしょうか?」
「ん? なんです?」
「スピア様は、どの神の使徒であらせられるのでしょう?」
どうやら勘違いされているらしい。
妙な質問だなと、スピアはまた首を傾げた。
「お稲荷様は可愛いと思いますけど……」
「あの、スピアさん!」
的外れな返答は、セフィーナの声で遮られた。
ようやく驚きから立ち直ったセフィーナは、白い息を吐きながら歩み出る。
「わたくしにも何か手伝わせてください。この件は、その、わたくしにも無関係とは言えませんから……」
まだ頭を下げている初老神官を、セフィーナはちらりと窺った。
兄の暴挙が原因だから、とは身分を隠している状況では言えない。
街の教会関係者程度では、“レイセスフィーナ”の顔は知らないだろう。それでも用心に越したことはない。王によって街を追われた者たちが目の前にいるのだから、王妹であるセフィーナに恨みの矛先が向かってもおかしくない。
むしろ、恨み言を受け止めるべきだともセフィーナは考えている。
けれどいまは、王都へ向かう目的の途中だ。
『聖城核』を手に入れるまでは、余計な騒動は避けるべき。
こうして他人の前に姿を晒すのも、可能な限り控えた方が利口だろう。
それでも、とセフィーナは真剣な眼差しで訴える。
「このまま座していることなど出来ません。調理のお手伝いくらいなら、エミルディットやシロガネさんの仕事ぶりを見ていますから可能です」
「んん~、じゃあお願いしましょうかねえ」
手が足りないのも事実だし、とスピアは軽く頷く。
ちょうどシロガネも避難所の方からやって来たところだった。
「ご主人様、少々よろしいでしょうか?」
「うん。様子はどう? やっぱり足りない物だらけかな?」
「はい。およそ百名分の食料となると、こちらの備蓄で回せるのは十日分程度となります。それ以上は新たに調達する必要があるかと。また、寝具や調理器具なども不足しております」
「そっかぁ。毛布とかはともかく、調理器具っていうのは盲点だったね」
いきなり百名以上の避難民が訪れたのだ。不都合は多い。
だから屋根のある場所を用意できただけでも、スピアは深く感謝されているのだ。
とはいえ、飢えて凍えているのを放置するのは心が痛む。
「街への買い出しも必要かなぁ」
スピアが腕組みをして呻る。
その横で、エキュリアも真剣な面持ちをしていた。
「良ければ、父に話をしてみるといい。物資の備蓄ならば、ひよこ村以上にあるはずだ。多少は都合してくれるだろう」
「私どもも助けられてばかりではいられませぬ。出来ることがあれば、何なりと仰ってくだされ」
「……ご主人様、如何いたしましょう?」
吹雪の空を見上げながら、スピアは眉根を寄せる。
なんだかいっぺんに厄介事が舞い込んできた気がした。
順番に整理していけば、実はそう難しい事態でもないのだが―――。
けれどスピアは、だいたいの事柄は感覚で乗り越えようとする。
「シロガネに任せて……あ、そうだ!」
言葉を切り、ぽん、とスピアは手を叩いた。
「もうまとめて、クリムゾンの街まで送っちゃいましょう」
「はぁ!? ちょっ、待て、またいきなり……」
「大丈夫です。ちゃんとクリムゾン伯爵にも許可を貰いますから」
「そういう問題ではない! 安易に転移陣を使うなど……っと」
エキュリアは慌てて自分の口を塞ぎ、首を回した。
けれど遅かった。
視線の先では、サルバモーブが驚愕に染まった表情を見せていた。
さすがに顔を伏せたままではいられなかったらしい。
「転移陣というのは……? ここに、在るのですか?」
「ああ、いや、その、なんだ……」
「細かいことはシロガネに聞いてください」
スピアも自重を発揮して詳細は伏せた。
まあ、シロガネに丸投げしたとも言えるのだが。
ともあれ、大まかな方針は決まった。
「どっちにしても、今日は避難所に泊まってもらうことになるかな。クリムゾン伯爵との交渉も、シロガネに任せちゃっていい?」
「お任せくださいませ。必ずや快諾していただきます」
「オモイカネやクマガネ、必要なら他の子にも手伝ってもらって」
スピアが「好きにしていい」と許可を出す。
それを受けたシロガネは一礼すると、冷然とした瞳を一瞬だけ鋭く光らせた。
まずは『倉庫』を介して、オモイカネとクマガネが呼び出される。
すぐにシロガネは指示を出して、避難所へと足を向けた。
手伝いを申し出たセフィーナやエミルディットも、促されるまま後を追う。
サルバモーブや神官たちも、困惑しながらも早足で続いた。
「失礼。シロガネ殿……先程、転移陣と聞こえたのですが、街まで送っていただけるということでしょうか?」
「ご主人様がそれをお望みです。遅くとも数日中にはそうなるでしょう」
「では本当に転移陣が……いったいスピア様は、どういった御方なのです? これだけの建物を簡単に造れることといい、転移陣といい、とても只の子供とは……いや、失礼。あまりにも驚かされたもので……」
「貴方は、神に対しても、どういった存在なのかと訊ねるのですか?」
「は? な、なにを仰って……」
なにやら宗教論争に発展しそうな会話が交わされていた。
そんな様子を見送って、スピアは横へ首を回す。
まだ雪が降り積もる中で、エキュリアが残って頭を抱えていた。
「ぷるるんを呼びましょうか?」
「何故そうなる!?」
「えっと、難しい顔をしてるので癒しが必要かと思って」
「だいたいの原因はおまえだがな!」
眉を吊り上げるエキュリアだが、はっきりとスピアを止める訳にもいかない。
人助けをしようとしているのは事実なのだ。
たとえ吹雪をやり過ごしても、避難民の旅路は命懸けのものとなるだろう。
ならば、転移陣を使うのも仕方ない。
しかし、やはり重大な秘密なので伏せるべきでは―――、
そんな相反する思考が、エキュリアの頭の中でぐるぐると巡っていた。
「あんまり悩みすぎるのも良くないと思いますけど……」
「そうですわ!」
スピアの言葉を遮って、偉そうな声が響く。
これまで大人しかったセリスが、急に顔を上げ、晴れやかな表情で避難所を指差していた。
「悩む必要なんてなかったのですわ。これだけの観客がいるのですもの、まずは舞いを披露するのが第一。わたくしの華麗な舞踊で、困窮した避難民どもに勇気と癒しを与えてやりますわ!」
勝手に決意したセリスは、勢いよく避難所へと駆け出す。
無言で控えていたゴンザレスも後に続いた。
そうして野営地の外には、スピアとエキュリアだけが残される。
「……うん。やっぱり少しは真面目に考えた方がいいかも知れません」
「色々と手遅れだがな!」
怒鳴るように声を荒げながらも、エキュリアはスピアの頭に手を乗せた。
そうして、くしゃくしゃと撫でる。
問題があるにしても、スピアのおかげで大勢が救われたのは確かだった。