吹雪からのプロローグ
白一色。
窓から窺える景色に、スピアはむぅっと唇を捻じ曲げた。
「今日も足止めですねえ」
「仕方あるまい。自然には逆らえんからな」
ソファに腰掛けたエキュリアが肩をすくめる。
暖炉が灯された居間で、セフィーナとエミルディットも席を囲んでいた。
「一刻も早く王都へ向かいたい気持ちはあります。ですが、計画を見つめなおすには良い機会かも知れません」
「はい、姫様。ここは今一度、慎重になられるべきかと」
吹雪によって、スピアたちは足止めをされていた。
数歩先も見えないような猛吹雪だ。
馬車だってまともに進めない。外に出れば、確実に道を失って凍えてしまう。
ぷるるんでさえ暖炉の脇に転がって大人しくしている。
居間の傍らには止まり木が置かれて、トマホークも翼を休めている。
外にはサラブレッド用の馬小屋も併設されて、魔物対策も兼ねた簡素な囲いまで築かれていた。
「冬にしては暖かい方だったのに、急に厳しくなりましたね」
「氷雪の古龍が動き出すからという話もあるが……スピアの故郷は違うのか?」
「龍なんていません」
「いや龍ではなくて、季節の移ろい方の話だ」
「まあ、暖冬だと思ったらいきなり大雪って時もありましたけど……」
冬にはきまって猛吹雪が訪れる時期がある。
ベルトゥーム王国というよりも、この地域では毎年恒例の出来事だ。
数日で治まることもあれば、一ヶ月以上も続いた年もあったという。
「ここまでの吹雪は初めてです。スキーやスノボで遊ぶ余裕もなさそうですね」
ぼんやりと述べて、スピアはソファへ腰を下ろした。
またエキュリアの知らない単語が出てきたが―――、
それを問う前に、スピアが『倉庫』から紙と筆を取り出す。
さらさらと描き出されたのは、王国とその周辺の大雑把な地図だ。
「フランスとドイツを半分ずつ合わせたような形なんですよね。東の帝国がロシアで……あ、その前にポーランドが入るんだったかな?」
「その“ふらんす”とやらは知らぬが……なかなかに分かり易い地図だな」
エキュリアは腕組みをして地図を見つめる。
スピアたちがいま留まっているのは、王都から南西方向にある森の入り口だ。
すでにワイズバーン領を抜けて、王国直轄領に入っている。
しかし王都までは馬車でも十日以上は掛かるだろう。
その間には小さな街もある。近くには街道も通っていて、南へ向かえば他領地を抜けてセイラール領にも辿り着ける。
「わたしたちは……うん、金色にしましょう」
スピアの手に、チェスで使うような駒が現れた。
ただし、その言葉通りに金色で、ぷるぷるのお饅頭型の塊が王冠を被っている。
それを、自分たちの居る位置へと置く。
「何故ぷるるんを……いや、まあ細かいことはよいか」
「可愛らしいですね」
横から、セフィーナが覗き込んできた。
ぷるぷるの駒を細い指先で突つく。
暖炉の脇で、大きな黄金塊もぷるっと揺れていた。
「あとは、黒と白でいいですよね」
王都と、西方に離れたクリムゾン領にそれぞれの駒を置く。
そうしてスピアは難しい顔をして腕組みをした。
「とりあえず、分かり易くしてみましたけど」
こてり、と首を傾げる。
「なにから考えていきましょう?」
「ああ、そんなことだろうと思ったがな!」
エキュリアが頬を歪めて、セフィーナとエミルディットは苦笑いを零す。
思いつきでスピアが行動するのは、もはやいつものことだった。
「まず我々の目的は『聖城核』だが……」
黒のキングを、エキュリアが指先で叩く。
「真正面から王城へ乗り込む訳にもいかん。当然に警戒をされているだろうからな」
「近衛騎士とか、軍とか、待ち構えてるんですね」
スピアが新たに黒い駒を並べる。
今度は騎士を象った物が十個ほど、黒のキングを囲んだ。
「数は黒の方が上ですね」
「まあ仕方あるまい。我らは四人しか……」
「でも実は、金のキングは十回行動ができて範囲攻撃も持ってます」
スピアの摘んだ駒が、どーんと、黒のナイトたちを一気に蹴散らした。
「妙な対抗心を出すな!」
遊びじゃないんだ、とエキュリアが眉を吊り上げる。
怒られたスピアは駒を並べ直した。
ついでに、白のナイトも十個ほど新たに追加する。
「西の連合です。こっちの戦力も同じくらいなんですよね?」
「予測ではそうだな。だが問題は……」
「やっぱり『聖城核』による守りですね」
黒のキングの側に、城を表す駒が追加される。
四人の視線がそこへ注がれた。
スピアがいま述べた通りに、やはり鍵となるのは『聖城核』だ。
「わたくしがもっと慎重になって、本物を手に入れていれば事態は違ったのですが……」
セフィーナが持ち出した『聖城核』は偽物だった―――、
それはスピアが指摘しただけだが、もう事実として受け入れられていた。
とはいえ、いまはさほど落ち込んでいないのも、また事実だ。
「ですが、姫様の判断が間違っていたとは思えません。それに……」
「ええ、後悔はしておりません。城を出たおかげで、スピアさんとも出会えました。それにまだ、兄を説得できる可能性もあるのですから」
柔らかく微笑みながら、セフィーナは地図上の駒を見つめた。
王族らしく静かな表情を保っている。
けれど金色の瞳には、鋭い輝きも宿っていた。
「本格的な内乱となれば、大勢が犠牲になるでしょうね。戦力が拮抗しているならば尚更に……そんな事態は避けなければなりません」
白い指先を伸ばして、セフィーナは黒の城を手に取る。
コトリと音を立て、金のキングと並べた。
「こちらが『聖城核』を得られれば、無血で戦いを終わらせる芽も出てくるはずです。スピアさん、エキュリア様、そしてエミルディット。皆の力を貸してくださいませ」
セフィーナが姿勢を正して、深々と頭を下げる。
簡素な木造りの居間なのに、まるで王宮の一室のように空気が張り詰めていた。
エミルディットはぱちくりと瞬きを繰り返す。
だけどすぐに、「は、はい!」と元気良く頷いて拳を握った。
エキュリアも静かに一礼して同意を示す。
そして、スピアも―――、
「今更です」
にんまりと頬を緩めて、涼やかな返答をする。
「わたしは親衛隊長で、セフィーナさんの友達ですよ。頼られたら断りません」
王族に対して友達というのはどうなのか?
エキュリアは、そう言いたげに眉根を寄せた。
でも今回ばかりは仕方ないかと、黙って肩をすくめるだけに留める。
セフィーナが嬉しそうに微笑んでいる以上、文句を言うのはさすがに無粋だった。
「それで殿下、今後の計画なのですが……」
「はい。まずは王都南にある衛星都市を目指そうと考えております。王都の警備は厳しいでしょうから、その街から……」
「あ、待ってください」
話を遮って、スピアが声を上げた。
だけどその視線は、何もない空中を彷徨っている。
ぼんやりと空想でもしている子供みたいだ。
セフィーナやエミルディットは首を捻ったが、エキュリアはなんとなく事情を察した。
「どうした? 何かを見つけたのか?」
「はい。この小屋に近づいてくる人がいます」
吹雪の中での客人。
皆が揃って身を強張らせる。
そうそう有り得ない事態に、警戒心を抱くのは当然だった。
ただし、スピアだけは少々方向が違っていたが。
「どうしましょう?」
「そうだな。ひとまず相手が何者か分からなくては……」
「もしも名探偵とかだったら惨劇確実です」
「何の心配をしている!?」
などと言っている内に、雪を踏む足音が近づいてくる。
荒々しく、ノックの音が響いた。