幕間 ダンジョンマスターのひみつ
木造りのドアを控えめにノックする。
返答の声も抑えられたもので、エキュリアは足音を忍ばせながら室内へ入った。
エミルディットが一礼して迎える。
椅子に腰掛けていたセフィーナも、やや緊張した面持ちながら、貴族らしい微笑とともに席を勧めた。
「夜も更けておりますので、早速、本題に入ってもよいでしょうか?」
エミルディットが入れてくれたお茶に口をつけてから、エキュリアは静かに頷く。
こうして部屋を訪れたのは呼び出されたから。
内密に話がしたいと、セフィーナからの提案だった。
「話というのは、スピアさんのことです」
「……? 彼女が、またなにか失礼なことでも?」
「ああいえ、そういうことではなくて……」
否定したセフィーナだが、一瞬、視線を彷徨わせた。
心当たりがありすぎるのだ。
王族に対するには、スピアはあまりにも礼儀がなっていない。
けれどそれは今更だし、セフィーナもまったく気に留めていなかった。
「まず最初に言っておきます。わたくしはスピアさんを信頼しております」
セフィーナが表情を引き締める。
真面目な話をしたいのだと眼差しが語っていて、エキュリアも背筋を伸ばした。
「わたくし自身も、幾度も助けていただきました。それに、エミルディットのことも真摯に気に掛けてくださいました」
二人が向き合う脇で、エミルディットがそっと目を伏せる。
スピアに救われた―――、
その点では、エキュリアも同じだ。
だから感謝しているし、スピアが認められていれば、自然と表情も緩む。
「打算などなく、優しい方なのだと理解しております」
「そうですね……はい、奔放すぎるのは困ったものですが」
三人は揃って笑声を零す。
いきなり翼を生やした馬に乗せられて空を飛ばされたり、
苦労して持ち出した聖城核をあっさり偽物だと言われたり、
夜中に後ろから不意に現れて驚かされたり、
まるで荷物のように馬車へ放り込まれたり―――。
数え上げればキリがないほど、其々がスピアに困らされていた。
「わたくしが気掛かりなのは、スピアさんの不思議な力なのです。魔物を召喚して従わせて、建物も一瞬で作れるなど……魔法でも、普通は有り得ないでしょう?」
「そうですね……私も常々から、気になってはいるのですが……」
「そもそも、御二人の出会いはどういった形だったのです?」
問われて、エキュリアは少しだけ躊躇ってから語り始める。
オークに襲われていたところを、キングプルンに乗った少女に救われた―――、
普通なら、なかなかに信じてもらえない話だ。
けれど、これまでの旅を思えば今更だろう。
セフィーナも驚いて目を見開いたりはしたが、静かに耳を傾けていた。
「人攫い、ですか? スピアさんを拐かした何者かがいると……?」
「はい。アレを連れ去れるほどの者は、なかなかに想像も難しいのですが」
「嘘ということもないでしょう。スピアさんは冗談は言いますけど、正直な方ですから……やはり、彼女の力が狙われたのでしょうか?」
「父もそれを疑っておりました。ですが、真実はまだなんとも……」
エキュリアは渋い顔をして頭を垂れる。
スピアの力がどんな性質のものであれ、支えていくとエキュリアは誓っている。
ただ、王族からの疑問に答えを返せないのは、騎士として申し訳なくもあった。
「本当に、訝しんでいるのではないのですよ。スピアさんについて詳しく知っておけば、わたくしも力になれることがあるのでは、と……?」
言葉を止めて、セフィーナは空中へ視線を巡らせた。
なにかを思い出そうとするような表情だ。
「人攫い……そうです、人攫いです!」
ぽん、と手を叩いてセフィーナが声を上げる。
エキュリアも、静かに控えていたエミルディットも首を傾げるばかりだ。
「スピアさんは以前、神々を人攫いだと言っていたのです」
ひよこ村に移動した直後のことだ。
エミルディットも一緒に入浴していた際、スピアは確かに言っていた。
神々を人攫いだと。
そして、そんな人攫いから恵まれる力なんて欲しくもない、と。
「あの、殿下……それはいったいどういう意味なのでしょう?」
「分かりません。スピアさんは本当の意味での御遣いなのかも知れません。あるいはまた違った因縁で、神々と繋がっている可能性もあります」
ですが、とセフィーナは息を吐く。
心を落ち着けるように胸に手を当てると、次第に表情を曇らせた。
「あまり御自分のことを語らない理由は、分かった気がします」
憂いの混じった口調で述べて、セフィーナは小さく頷く。
けれどエキュリアはエミルディットには、やはり分からない。
一人で納得されても困る―――、
そう口にはしなかった二人だが、疑問の眼差しはセフィーナに届いていた。
「神の恩寵を授かるというのは、良いことばかりではありません。例えば……兄は、使徒の力を得てから変わってしまいました。原因がそうとは限りませんが、他にも、教会や国に使い潰された使徒がいたという話をいくつか聞いております」
穏やかに述べて、セフィーナは柔らかく表情を緩める。
それは悲嘆を誤魔化すための笑みだ。
優しかった兄が、神から力を授かってから豹変してしまった。
真実はまだ分からないが、いずれにしても語って楽しい事柄ではない。
エキュリアはしばし言葉を失っていたが、深々と頭を下げた。
エミルディットも、同じく。
「姫様、その……申し訳ございません」
「思慮が足らず、殿下には辛いことを思い出させてしまいました。どうかご容赦を」
「いいえ。わたくしはもう、兄と向き合うと覚悟しておりますから」
お気になさらず、と王族らしい笑みで受け答えをする。
沈みかけた空気を払って、セフィーナは話を戻した。
「詳しい事情はともかく、スピアさんが神々と関わっているのは間違いないと思います。だからこそ、あの不思議な力についても語らないのではないかと」
「つまり……私たちに気を遣っていると?」
セフィーナが何を言いたいのかは理解できてきた。
神々と、スピアは関わっている。
何かしらの重い事情を抱えている。
その事情からエキュリアたちを守るために、敢えて語ろうとしない―――、
それも有り得なくはない、とエキュリアも思う。
けれど同時に疑問も浮かぶ。
そこまで深いことをスピアが考えるだろうか、と。
「いずれにしましても、一人で抱え込むのはよくないでしょう。わたくしたちが話を聞くだけでも、少しは支えになれるかも知れません」
「では、場を整えて聞き出しましょうか?」
「それもひとつの方策ではあると思いますが……無理に問うよりも、スピアさんから話してくれるのが一番でしょう」
真実に一歩近づいた、という充実感もあるのだろう。
セフィーナの瞳には、少女らしい悪戯めいた輝きも宿っていた。
「大切なのは信頼を得ることです。まずは、優しく接してみましょう」
「は……? 優しく、ですか?」
エキュリアは頬を歪める。
なんとなく、スピアに悩まされる時と似た匂いが漂っている気がした。
翌朝―――、
「よろしければ、わたくしの分のトマトも食べてください。スピアさんの好物なのですよね?」
「あ、あの、よかったら私のも……」
「んん? 今日は二人とも優しい?」
主従二人から優しくされながら、スピアはぱくぱくと朝食を口へ運ぶ。
その対面の席に着いたエキュリアは、頭を抱えていた。
「……違う。これはなにか違う……」
小さな呟きが落ちる。
エキュリアの悩みはともあれ、この日の朝は優しく穏やかだった。
第三章はここまで。
次回から第四章、たぶん土曜日には開始します。