ダンジョンマスターvs魔侯爵③
草原に風が吹き、立ち込めていた白煙も次第に散っていく。
兵士たちを操っていた洗脳蟻は、ほとんどが駆逐されていた。
そのためにワイズバーン旗下の軍勢は大混乱に陥っている。
視界は晴れても、混乱は治まりそうになかった。
けれど、それも長くは続かない。
もうじき戦いの決着もつくのだから。
「くっ……小娘が! この混乱、すべて貴様が仕組んだことか!」
ワイズバーンが吠える。
その手にあった魔導具は放り捨てられ、代わりに槍が握られていた。
護衛の騎士たちはすでに全員が倒されている。
まだ大勢の兵士は残っているが、遠巻きに様子を窺っている者ばかりだ。
ワイズバーンの命令に従いそうな者はいない。
そして目の前には、少女の姿をした敵がいる。
「自業自得じゃないですか? それに、べつに混乱が目的じゃありません。撤退してくれればいいんです」
「ぬけぬけと……我が領地で好き勝手が通ると思うな!」
「あ、でもあなたは非道い人なんで逃がしません」
非難する言葉を、なんでもない口調で投げる。
スピアはゆっくりと足を前に進めていた。
対して、ワイズバーンは慎重に迎え撃とうと腰を落とす。
「侮るなよ、小娘が……」
もはや自分の手で事態を打開する他ない。
この娘さえ排除すれば、どうとでもなるはず―――、
そう覚悟を固めたワイズバーンは、肉の余った頬を笑みの形に吊り上げた。
「魔性の者のようだが、儂とて騎士。不意を打たれた未熟者どもとは違うぞ」
「む……騎士というより、お相撲さんですけど、と」
スピアが自分の間合いに入るよりも早く、ワイズバーンが動いた。
大地を震えさせるように重く踏み込む。同時に、槍を突き出している。
巨体に似合わぬ鋭い刺突だ。
胴を狙ってきた穂先を、スピアは身を捻って避ける。
風が巻いて、黒髪が数本、貫かれて飛んでいった。
「びっくりです」
槍が繰り出されると同時に、スピアもダンジョン魔法で仕掛けていた。
踏み込んでくるワイズバーンの足下へ『泥濘の床』を作り出した。
けれど足運びで回避された。
突き出される槍を防ごうと、小さな空間の壁も設置した。
そちらも見抜いたように、突き出された槍が軌道を変えた。
しかも、凄まじく速い。
以前に戦った灰軍狼の牙よりも、一段上の鋭さを持っていた。
スピアは後退こそしなかったけれど、突撃の足を止めざるを得なかった。
ひとつ息を吐いて、肉の余った顔を見上げる。
「お相撲さんは、ただのデブじゃないってことですね」
「そのオスモウサンとやらは知らぬが……儂は、一日たりとて鍛錬を怠ったことがない。体を動かした後のメシは美味い。そして、戦場で強敵を屠ったあとで食うメシは格別なのだ」
ワイズバーンは落ち着いた声で言う。その顔には、もはや動揺の色はない。
武を磨き、死闘の中に悦びを覚える―――、
それこそがワイズバーンの根源にあるものだ。
だから国を乱す王にも従っていた。
横暴な王でも、だからこそ諸外国との戦いを起こしてくれると期待できた。
そしていまも昂ぶりを覚えている。
ほんの僅かな遣り取りだったが、目の前の少女が好敵手だとワイズバーンは認識を改めていた。
「魔物使いであり、奇妙な魔法を使い、さらに武芸の心得もあるか。小娘と言ったのは訂正しよう。これよりは、貴様を武人と認める」
「スピアです。今更ですけど、あなたがワイズバーン侯爵ですね?」
「如何にも。私欲のため、貴様を屠らせてもらおう」
互いに頷くと、一歩を踏み出した。
槍を持っている分だけ、ワイズバーンの方が先に攻撃の間合いに入る。
しかし突き出そうとした槍を止め、ワイズバーンは大きく横に跳ねた。
直後、空中から石壁が降ってきた。
もしも飛び退かなければ、ワイズバーンの巨体は押し潰されていただろう。
「なんとも不思議な魔法だ。しかし、発動の気配を読めば対処できぬこともない」
「むぅ。ラスクードさんもそんなこと言ってました」
ならば、とスピアは広い檻を作り出す。
四方すべてを囲う魔力反応に、ワイズバーンも反射的に足を止めて身構えた。
その一瞬の間に、鉄柵が組みあがる。包囲を狭めていく。
さらにスピアは、自身の両脇に一枚ずつ壁を作り出した。
複雑な魔法陣が描かれた壁だ。
「ダンジョントラップ『雷撃の陣』、二枚重ねです」
スピアが言い放つと同時に、閃光が迸った。
二本の雷撃が、檻に捕らえられた標的を貫こうとする。
けれどワイズバーンも、すぐさま魔法障壁を張っていた。
全身から魔力を溢れさせ、障壁を抜けて襲ってくる痺れにも耐える。
そもそも、ほとんど肥満体のワイズバーンが素早く動けるのは、身体強化の魔法に頼っているからだ。おかげで魔法を混ぜた戦い方にも慣れていた。
「ふはははっ、この痛みもまた戦いの証! 滾る! 滾るぞ!」
嬉しそうに吠えたワイズバーンは、槍を握る手にも力を込めた。
その槍の表面に魔術紋様が浮かぶ。
仄かな光を纏った槍が振るわれると、轟音とともに、ワイズバーンを囲う檻が叩き壊された。
砕けた鉄柵が弾け飛ぶ。
凄まじい破壊の衝撃に、周囲で戦いを見つめていた兵士たちが悲鳴を上げた。
「この程度の檻で、儂を捕えられると思ったか! 貧弱すぎるわ!」
「むぅ。関取級ですね」
これには正直、スピアも驚かされた。
人間なら鉄の檻を破れるはずがないと、心の一部で思い込んでいた。
それは、スピアが生まれ育った世界の常識だ。
けれどこの世界では異なっている。
目を見開いたスピアの虚を突くように、ワイズバーンは強く地面を蹴った。
一気に間合いを詰めようとする。
けれど槍を振るおうと踏み込んだ直後、足下がパカリと音を立てて“抜けた”。
「なっ……!?」
落とし穴だ。地面に木箱を埋め込むような形で設置されていた。
もしもそれが発動直前に設置されたものなら、ワイズバーンも気づいただろう。
しかし今回は魔力を感知できなかった。
単純に、機械的な仕掛けで発動したから。
薄い板が重さに耐え切れなくなって抜けただけ。
ダンジョントラップとは、本来そういうものだ。
もちろん作り出す際には、ダンジョン魔法による魔力の流れがある。
けれどそれは、『雷撃の陣』の発動中に仕掛けてあった。
周囲に魔力が溢れていたので、ワイズバーンも察知できなかった。
そして体勢を崩したワイズバーンの隙を、スピアは見逃さない。
「ダンジョン武闘術初伝、足崩しです」
一瞬でワイズバーンの懐に飛び込み、小さな拳を叩き込む。
肉の余った腹の中心部を衝撃が突きぬけた。
「かっ、は……!」
ワイズバーンの口から苦悶が漏れる。
同時に、スピアは巨体に身を預けて背撃。鈍い音とともに巨体が宙を舞った。
「後ろから襲われた時のために、って習った技ですけど……」
スピアが呟く間に、ワイズバーンは地面へ落下していた。
太った体がゴロゴロと転がる。
泥まみれになり、槍も取り落としたワイズバーンは、壊れた馬車にぶち当たってようやく止まった。
「失敗ですね。一撃で戦闘不能にできないとは、未熟でした」
「ぐ……そうだ、とも……儂はまだ戦える……」
焦点の合わない目をしながらも、ワイズバーンは起き上がろうとする。
その時、足下に転がってくるものがあった。
追撃を掛けようとしたスピアも、それに目を留める。
転がってきたのは、手のひらに乗るくらいの硝子玉だ。淡い光を纏っている。
内部に“女王蟻”を収めたそれは、ワイズバーンが放り捨てたものだ。
ギチギチと小さな音を漏らしている。
捨てられた際に出来た罅割れ部分から、その音は漏れ出ていた。
そして―――、
「な、っ―――!?」
硝子玉が完全に砕ける。
内部から飛び出した女王蟻が、ワイズバーンへと飛び掛かった。
驚愕に開かれた口へ、黒い体は一直線に向かう。そのまま口内へ突き進む。
ワイズバーンも抵抗しようとしたが間に合わなかった。
咽喉奥まで入り込まれてはどうしようもない。
呻き声を漏らしながら、力を失った巨体が倒れ込む。
「……いまのは、蟻? 魔物だよね?」
いったい何が起こったのか?
スピアも逡巡して首を傾げる。
一呼吸ほどの間を置いて、ワイズバーンの指がぴくりと動いた。
そして、ギチギチと不快な音が流れる。
虫のような歯軋り音は、ゆらりと立ち上がるワイズバーンの口から漏れ出ていた。
動けるデブ、まだ終わりません。
でも次回あたりで決着、かなぁ?