ダンジョンマスターvs魔侯爵②
塔の上から軍勢を見下ろす。
軽く腕組みをしながら、スピアは目を細めた。
もうじき夕刻で、西方に広がる平原は橙色の陽射しに染まり始めている。
「ちょっと、眩しいね」
のんびりと呟いて首を傾げる。
隣では、ぷるるんも頷くみたいにふるふると揺れている。
とりあえず目立つように簡素な防壁を築いてみた。
降伏勧告もしてみたものの、実のところ、スピアは少々迷っていた。
あらためて見ると相手は大人数だ。
目的は“時間稼ぎ”。それ自体は難しくない。
巨大鉄球を作り出してまとめて轢き潰す―――、
なんていうのは、さすがに酷いと思うので自重する。オーク相手とは違うのだ。
それでも軍勢を叩きのめす手段は、他にいくらでもある。
控えめな深さの落とし穴をたくさん作るとか。
地面を粘着性の沼にしてしまうとか。
眠りを誘う煙幕とか、食料だけを狙うネズミの大群とか―――。
ダンジョン魔法を探せば、悪辣な罠は選び放題だった。
問題は、後の始末だ。
戦闘不能にして放置すると、魔物の餌を大量に用意することになってしまう。
「今回は、ぷるるんに食べてもらう訳にもいかないからねえ」
ぷるぷるの黄金色を突つきながら、スピアは考えを巡らせる。
セフィーナたちと合流するためにも、なるべく早く片付けたい。
だからといって手荒すぎる真似はできない。
最も良いのは、相手が納得して撤退してくれることだけど―――。
そうスピアが思案を重ねている内に、相手の方が動いた。
「ん……? いきなり全軍突撃とかはしてこないかな?」
眼下の軍勢はおよそ三千。
スピアには大雑把な人数も把握できないので、「学校三つ分くらいかな?」などと思っていた。
これだけの人数が一斉に動いたら迫力がありそうだ。
ちょっと見てみたいかも―――、
なんて期待もあったのだが、壁の前に駆け寄ってきたのは一人の騎士だった。
「我はワイズバーン侯爵に仕える騎士、デューレヒト! 何故、我らの前に立ちはだかるのか!? そちらの所属と目的をお聞かせ願いたい!」
馬上から声を響かせる。
若い騎士の顔をしばし眺めてから、スピアは拡声用の魔導具を手に取った。
「スピアです。セフィーナさんの親衛隊長です」
「は……? 親衛隊長……?」
「あ、セフィーナさんっていうのはレイセス……っと、いまは身分を隠してるんでした。喋っちゃマズイですね。たぶん。ともかく、目的は時間稼ぎです」
バラしてどうする!、とエキュリアがいたら怒鳴るだろう。
けれど交渉役の騎士にはそんな余裕もなく、目を白黒させるばかりだ。
さらにスピアは一方的に続ける。
「ちょっと前に、セフィーナさんは魔族に襲われました」
「なっ……魔族だと!? この近くに出たのか!」
「ワイズバーン侯爵さんは、その魔族と関わっている疑いがあります」
「っ、ちょっと待て、こちらの話を……」
「エキュリアさんからの評判もよくありません。なので、お引取りください」
もはや交渉というよりは前哨戦だった。
ワイズバーンが魔族と関わっている。その疑いの言葉は、魔導具によって大声となって辺り一帯に響き渡った。
普通なら、訳の分からない少女の戯言として聞き流されただろう。
けれど騎士も兵士もざわめき始める。
もしや。いや、まさか。しかしあの侯爵様ならば―――、
そんな呟きが広がっていった。
普段の行いの結果だ。部下や平民を遣い潰すワイズバーンは、領主や貴族としての手腕はともあれ、あまり良い人間とは思われていなかった。
スピアの言葉が士気を下げたのは間違いない。
とはいえ、それで瓦解するほど軍は混乱していなかった。
「ん~……? あれがワイズバーン侯爵かな?」
交渉役の騎士が呼び戻されていった先へ、スピアは目を向ける。
兵士たちに囲まれた大きな馬車があって、その横で大柄すぎる男が声を荒げていた。
「……お相撲さん?」
ガマガエル、という言葉は飲み込んだ。
失礼だとかは考えていない。ただ、カエルと言うには違う気がしたから。
地団駄を踏んだり、腕を振るったりする動きは、太っている割に俊敏だ。混乱する兵士たちを一喝すると、素早く指示を出した。
ざわついていた兵士たちが一斉に静まり返る。
奇妙な情景を、スピアは怪訝に眉を寄せて見つめていた。
「やっぱりトマホークの目で見たのと同じ……人形みたい」
兵士たちが隊列を組みなおす間に、数十名だけが前に出た。
軍勢から突出して、スピアが立つ塔へと向かってくる。
「ともかく、あの娘だ! 得体は知れぬが、敵は一人! ひっ捕らえろ!」
野太い声が草原に響き渡った。
ワイズバーン侯爵も事態が分からず戸惑っている。
まあ当然だろう。いきなり荒野にそびえ立つ壁が現れるなど、真っ当な理屈では説明できない。とても少女一人が起こせるような現象ではない。
それでもスピアを邪魔者だと見定め、排除すると決めた。
まずは一部隊で様子見、というのも冷静な判断だ。
「むぅ。戦いは何も生まないのに」
仕方ないか、と自身の頬を両手で叩く。
ここでようやく、スピアは相手を叩きのめすと決めた。
そうしている内に、先行部隊の兵士たちが壁に取り付いていた。だからといって、すぐに壁が壊されることもない。彼らの手には簡素な剣と盾しかないのだ。
そもそもワイズバーンの軍勢は、攻城戦の準備などしていない。
壁を破るような武器や、乗り越えるための梯子すら持ってきていなかった。
だから兵士たちは素手で登り始めた。もしも落下したら命を落とすほどの高さがあるのに、僅かな窪みに手を掛けて這い上がっていく。
これには、スピアも少々虚を突かれた。
「無茶する……ううん、させられてるのかな?」
呟いたスピアは、とんっと軽く足踏みをした。
直後、壁の一部が突き出す。張りついていた兵士たちは見事に弾き飛ばされた。
口々に悲鳴を上げるが、あとは地面に落下して砕けるだけ―――、
しかし落ちた先で派手な水音が上がった。
いつのまにか、壁の正面を覆う形で深い堀ができあがっていた。
落下した兵士たちは大した怪我もなく、慌てて地面へと上がる。
全身甲冑でも着ていれば別だが、簡素な装備しかない兵士では溺れる心配もなかった。
「これで防御は万全と。守るのは楽だけど、埒が明かないね。そろそろ……?」
突撃しようか、と言い掛けたのを止めて、スピアは手刀を振るった。
空中で小さな“なにか”が弾ける。
その横で、ぷるるんも全身を大きく揺らした。
「ん……これは、蟻?」
スピアはぷるるんをまじまじと見つめる。
黄金色の粘液体の中に、数匹の羽蟻が取り込まれていた。
指先ほど、と言うと蟻にしては珍しい大きさだろう。粘液体の中でまだ生きているものは、眼から淡い光を放っていた。
「魔物みたいだね。ぷるるん、大丈夫?」
ぷるっ!、と元気よく黄金色の塊が揺れる。
それを確認すると、スピアもまた手刀を振るって飛んできた蟻を叩き落とした。
警戒を深めつつ、眼下にも意識を向ける。
すでに壁の周囲はスピアの“領域”だ。だから小さな蟻の動きも把握できた。
ちょうど落下した兵士の一人が堀から這い出るところだった。
その兵士の近く、水の中にも数匹の蟻がいた。
溺れて沈んでいく蟻もいたが、一匹が飛び立って兵士の方へと向かった。
他の誰にも気づかれぬまま、蟻は兵士の首の後ろへと取り付く。
そして、小さな牙を立てた。
噛み付かれた兵士はビクリと全身を揺らす。
痛みがあったのではなく、微弱な魔力が兵士の全身へと巡り、何かしらの作用を及ぼしていた。
「……操ってるみたいだね」
大まかに真相を見抜いて、スピアは口元を捻じ曲げた。
小さな虫を使って人間を操る。気持ちのよい話ではない。
それに、もしも人間の軍勢同士の戦いで使われれば、大変な脅威となるだろう。
なにも軍勢でなくとも、大きな街で暴徒の集団を生み出すだけでも大変な騒動になる。それこそ一国を傾けるほどの事態だって引き起こせる。
とはいえ、スピアにとっては新種の害虫というだけ。
すでに十匹以上の蟻を潰している。ぷるるんはもっとだ。
さして脅威ではないけれど、いちいち対処するのは手間が掛かる。
しばし空中を眺めてから、スピアはぽんと手を叩いた。
「よし。一掃しよう」
朗らかに述べて、またひとつ足を鳴らす。
一気に魔力が流れ、壁全体が仄かな光を溢れさせた。
三千の軍勢が見つめる正面で、壁の一部がパカリと開く。
十箇所ほど穴が開くと、そこから一斉に白い煙が吹き出した。
大量の煙が、瞬く間に草原一帯を覆い尽くしていく。
軍勢から慌てた声が上がった。
「な、なんだ、煙!? 壁から出てきたぞ!」
「下がれ! 魔法かも知れん!」
「前が見えねえ! 下がれって、逃げ場もないぞ!?」
初歩的なダンジョントラップのひとつ、煙幕。
基本としては、ただ視界を奪うだけだ。
けれど応用範囲は広く、吹き出す煙幕には様々な種類を選べる。
眠りを誘ったり、笑いを止まらなくさせたり、いやらしい気分にさせたり。
あるいは、致死性のものだって存在する。
ただし虫だけを殺す煙幕は、ダンジョンメニューには記されていなかった。
それでも虫殺しの薬は一般でも使われている。
ダンジョンの宝物として置かれることもある。
だから、スピアが一手間を加えて改良するのは簡単だった。
つまりは、殺虫剤を撒き散らした。
単純だが、効果は絶大だった。
「なんだ? なにが起こったのだ!?」
白煙に咳き込みながらも、ワイズバーンは声を荒げた。
ついさっきまで開けていた視界が、いきなり白一色に染まったのだ。混乱するのが当然だろう。
すぐ側には護衛の騎士も幾名かいたが、だからといって安心できるものでもない。
白煙の向こうからは、大勢の兵士たちが騒ぐ声も流れてきた。
周りも混乱している。けれど喜色の混じった声も多い。
自由になったとか。頭がすっきりしたとか。
そして―――、
「俺たちは、侯爵様に操られてたみてえだぞ! 許せねえ!」
「なっ……!」
その声は、やけにはっきりとワイズバーンの耳に飛び込んできた。
太った顔を蒼褪めさせて、ワイズバーンは自分の手元へ目を向けた。
“女王蟻”を収めた魔導具はまだそこにあって、淡い魔力光を放っている。
魔導具としての機能は失われていない。
しかし「鎮まれ」と命じても、周囲からの声は大きくなるばかりだった。
「まさか、この煙が邪魔をしているのか……?」
魔物を使って人を操る。
非道な真似をしているという認識は、ワイズバーンにもあった。
だからすぐに思い至った。
洗脳が、支配が解けた。もはや絶対服従の兵士たちはいない。
それどころか、操られていた怒りと恨みを爆発させようとしている。
いま反乱を起こされたら―――。
「く、くそっ! 騎兵部隊を集めろ! 儂を守るのだ!」
「は……? それは、いったいどういう……?」
「いいからさっさとしろ!」
護衛の騎士を怒鳴りつけながら、ワイズバーンはもはや無用となった魔導具を握り締める。
騎兵部隊の一千には洗脳を行っていない。
命令を下せば、まだ従うだろう。
しかし残り二千の兵士たちが一斉に歯向かってくれば、ワイズバーンは無事でいられるとは思えなかった。正面からの戦いならばともかく、いまのワイズバーンはその兵士たちの中心にいるのだ。
「儂も移動する! 馬車を出せ!」
白煙に視界を遮られながらも、辛うじて見える馬車の方へ向かおうとした。
しかしその足は止められる。
ワイズバーンが一歩を踏み出した直後、激しい破壊音が鳴り響いた。
「んなぁっ!?」
上空から大きな影が降ってきた。
黄金色の影は、馬車を叩き潰し、さらに周囲にいた騎士たちを弾き飛ばす。
咄嗟に身構えた騎士もいたけれど、いきなり足下が滑り、その隙に粘液体で殴られてあっさりと昏倒した。
白煙が僅かに晴れて、黄金色のぷるぷるとした塊が現れる。
「き、キングプルン……!」
「はい。ぷるるんです」
いつものように、ぷるるんの上にはスピアが乗っていた。
塔の上から、『跳ねる床』を使って一気に迫ってきたのだ。
そうしてスピアは地面に降りると、ワイズバーンを見据えた。
「まあ、貴方には紹介する必要もなさそうですけど」
じっとりと、スピアは目を細める。
紅い瞳の輝きが増したようだった。
「人を人とも思わない。そんな外道は、徹底的に叩き潰します」
ワイズバーンは息を呑み、じりじりと後ずさる。
そんな動揺は気にも留めず、スピアは一歩を踏み込んだ。




