ダンジョンマスターvs魔侯爵①
広々とした草原を、武器を手にした大勢の人間が進んでいく。
数にして、およそ三千。
その内の一千は騎兵で、ワイズバーン侯爵が抱える精鋭部隊だ。
けれど残りの二千は寄せ集めに過ぎない。
普段から街を守っている兵士はそのまま留め置き、領民の中から若い男たちを適当に連れてきた。あとは安物の武器を与えただけで訓練すらしていない。
しかし二千名の寄せ集め兵士たちも、整然と隊列を保っている。
一糸乱れぬ行軍を見せている。
疲れて息を乱し、蒼い顔をしている者もいるが、それでも足は緩めない。
前を行く騎士たちも、その行軍の様子に感心していた。
ただ、勘の良い騎士の中には、背筋に悪寒を覚える者もいた。
「……蟻の軍勢か。ひとまずは期待通りであるな」
軍勢の後方、大型馬車の中でワイズバーン侯爵は呟いた。
もうじき四十歳になるワイズバーン侯爵は、まだまだ働き盛りと言える。恵まれた体格をしていて、肌艶もよく、そして頬や腹の肉にはとても余裕がある。
馬車の席を二人分も占めるほどだ。
以前、クリムゾン伯爵は「贅肉が余っている」と皮肉を述べたが、正しくその通りの見た目をしていた。
「しかし疲弊したまま戦えるかどうかは分からぬな。とはいえ、今回は騎兵部隊だけでも充分であろう」
馬車の外を眺めるワイズバーンの前には、いくつもの皿が並んでいる。
事前に料理人に作らせたものだ。
専用の馬車には、護衛ではなく給仕が乗り込むのが常だった。
いつでも何かを口にしていないと不機嫌になる。
いまも空になった皿が片付けられ、ワイズバーンは新しい料理を口へ運んでいた。
「どうやって近衛騎士を退けたのかは知らぬが、共回りも数名しか連れていないのであろう?」
『少人数なのは確実だ。しかしこちらの要望も忘れてもらっては困る』
「ふん、実験か。我が領民を使っていい気なものだ」
料理が並ぶテーブルの隅に、仄かに光る円盤が置かれていた。
表面に複雑な魔法陣が描かれている。その魔導具から、男の声が流れていた。
『今更、領主ぶるのか? すぐに使える兵が欲しかったのだろう?』
「兵力ならば、以前のように魔物でも充分だ。また単眼巨鬼でも寄こせ。数を揃えれば、殲滅魔法の使い手がいようと戦いようはある」
『あれは施術に手間が掛かる。改良し、効率を上げたのが今回の物だ』
ふん、と鼻息を落として、ワイズバーンはまた料理を口へ運ぶ。
頬張り、咀嚼しながら、座席の隅に置いてある小箱へ目を向けた。
「効率を上げてこれか。魔力消費が激しすぎるぞ」
小箱の中央に置かれている“それ”も、通話先の男が用意した魔導具だ。
一見すると、林檎くらいの大きさの硝子玉だ。けれど表面には複雑な魔術紋様が刻まれている。そして内部には一匹の虫が収められていた。
全身が黒く、半透明の羽根と、大きく膨れた腹を持った虫だ。
その『女王蟻』は、尖った嘴部分だけをギチギチと動かしている。
『効率化は充分に図っている。計算外だとすれば、貴様ら人間の貧弱さだな』
「ふん、化け物のくせに小賢しい言い訳をするのだな」
声だけの遣り取りだというのに、馬車内には張り詰めた空気が漂っていた。
給仕役の男はずっと顔を強張らせている。なるべく会話に意識を向けないようにして、ひたすら料理の皿を整理する機械と化していた。
何の力も持たない給仕は、何も聞いていないと主張するしかない。
下手に関われば命に関わる。
なにせ、通話先の相手は魔族、しかも六魔将の一人なのだから。
「貴様らが、単純な協力などしないことは分かっている」
『そうか? これでも随分と便宜を図ってやっているつもりだがな』
「結果として、この国を乱すことにも繋がったからであろう? しかし今回は違う。レイセスフィーナ殿下の保護は、陛下の個人的な望みでしかない。それに協力するのは、この実験以上の思惑があるのではないか?」
ワイズバーンの指摘に、沈黙が応える。
どうやら図星を突いたようだった。
レイセスフィーナの居場所が突き止められたのは、魔族の協力によるものだ。
けれどそれ以前に、国王であるロマディウスからの命令が届いていた。
妹を無傷で保護しろ、と。
その時はレイセスフィーナは別の領地にいたので、ワイズバーンが直接に働くこともなかった。けれどその命令があったから、急いで兵を出撃させられた。
「陛下にしても、貴様らを大切な妹君と関わらせたくはないはずだ。これまでも秘密にしてきたのだからな」
『……ロマディウスから求められたのは事実だ。勝手に動いているのではない』
魔導具から流れてくる声に、苦いものが混じった。
魔族が人間に使われている。
それは耐え難いほどの屈辱なのだろう。
『どうやら“聖城核”が関わっているようだ』
「なんだと……まさか、殿下が聖城核を持ち出したのか!?」
『詳細は知らぬ。しかし貴様のやる気を引き出すには充分ではないか?』
今度はワイズバーンが苦々しげに顔を歪める。
並べられていた肉料理をまとめて口へ放り込んで、ぐちゃぐちゃと音を立てながら噛み締めた。
もしも告げられたことが事実ならば、『聖城核』を手に入れる好機かも知れない。
そうなれば、国ごと自分のものに出来る可能性もある。
ロマディウスの恐ろしさは知っているが、隙を突ければ―――、
そんな野心が、ワイズバーンの頭を掠めた。
けれどすぐさま欲望に目が眩むほど、ワイズバーンは愚かではない。
食欲だけは抑えられないが、他の部分では自制が利くのだ。
「ふん、誰が貴様の思惑に乗ってやるものか。情報だけは貰っておくがな」
『魔導具もだろう? 上手く使ってみせろ』
互いに嫌悪を隠さない言葉を交わすと、通信を切った。
ワイズバーンはまた食事を再開する。
馬車はもう荒れた道に入っていて、揺れも激しくなってきた。
けれど気に留めないし、手も口も止めない。
ただ、さすがに腹が膨れてくると食事の速度は落ちる。
一旦給仕を止めさせ、脇に置いてある箱を持ってこさせた。
その箱から、口直しに保存食を取り出す。
干し肉を延々と噛み続けながら、ワイズバーンは行軍を眺めていた。
一度だけ休憩を取って、また軍を進める。
かなりの強行軍だが、やはり兵士からの文句は一言も出ない。
むしろ前を行く騎兵部隊の方が、馬も疲れてきて隊列を乱すことがあった。
「ワイズバーン様、間も無く目的地へと到着します」
馬車に駆け寄ってきたのは、副官を務めている騎士だ。
ワイズバーンの命令は山岳地帯の包囲だった。
ひとまずは行軍をしてきたが、細かな動きまでは命じられていなかった。
「目的は、レイセスフィーナ殿下の保護だ」
「は……?」
「マヌケな声を出すな。貴様、王妹殿下の名を知らぬのか?」
「い、いえ、あまりに突拍子もないことでしたので……」
ふんっ、とワイズバーンは苛立ち混じりの鼻息を落とす。
それなりに自制や頭の回転も利くワイズバーンだが、やはり根っ子の部分は直情的だ。だから部下にも単純さを求める。
いちいち驚いて行動が遅れるような者は、相手にするのも面倒だった。
命令を受け、実行する。それだけで構わないとワイズバーンは考えている。
そういった意味では、グモーブは良い部下だった。
今更ながら惜しかったな、とワイズバーンは思う。干し肉を齧りながら。
「山狩りを行え。しかし、けっして殿下を傷つけるな。友好的にこちらへ来てもらえるならば、それで構わん」
「……事情を聞いてもよろしいですか? その、力尽くな手段が必要になるやも知れませぬ」
騎士は頭を下げながら重ねて問う。
王族に関わることとなれば、慎重になるのが当然だろう。
けれどその不安を拭ってやるのも、ワイズバーンにとっては億劫でしかない。
脂汗の滲む頬を歪めたワイズバーンは、舌打ち混じりに命じた。
「無事に保護できれば、多少は手荒な真似をしても構わん。王都側の関所からも少数ながら兵を出してある。騎兵部隊は先行し、包囲する形で確実に殿下を見つけろ。それと、殿下の共回りには腕の立つ者もいるようだ。けっして侮るな」
ワイズバーンは一気に言葉を連ねる。
騎兵部隊の編成や、包囲網の作り方など、細かく指示を出す。
今度は副官騎士も口を挟む余裕がなく、ひたすら頭を下げて命令を聞いていた。
ワイズバーンにしても真剣だ。
レイセスフィーナの保護など、最初は面倒なだけと考えていた。
けれど『聖城核』が関わっているとなれば話は変わってくる。
近衛騎士を退けたという話にも、今更ながら興味が沸いてきた。
前線でワイズバーンは指揮を取れない。
肉付きの良すぎる体格のため、乗れる馬がいないからだ。
それでも歩兵を率いて、自らも槍を握るつもりだった。
「いいか、百名単位で行動し、必ず定期的に連絡を取れ。しかし大胆に行動しろ。
後詰めには歩兵部隊もいるのだからな」
食事の手を止めてでも働く。
ワイズバーンにとっては、この上なく真剣な覚悟だ。
しかしそんな覚悟も、細やかな命令も無駄になる。
「貴様らの役目は、儂の手を煩わせることなく―――!?」
脂ぎった声は、轟音で断ち切られた。
まるで地の底から大きな物が這い出てくるような重々しい音だ。
辺り一帯に空気の震えが伝わり、兵士たちが慌てた声を上げる。
何事だ!?、とワイズバーンも目を見開いた。
そして山岳の方向を凝視し、凍りつく。
「なん、だ……壁? 城壁だと!? あんな物はなかったはずだ!」
しばし呆然としていたワイズバーンが驚愕を吐き出す。
その凝視する先では、山岳への道を塞ぐように高々とした壁がそびえ立っていた。
灰色の壁は街を囲むものと似ている。
一本の太い塔もあって、その両脇から壁が伸びている形だ。
堅く重い壁なのは、遠目から見ただけでも推察できた。
そんな壁がいきなり現れただけでも異常。
しかも、異常はさらに追加される。
『あーあー、てすてす。てすとてすと』
そびえ立つ塔の上から、可愛らしい声が響いてきた。
場の全員がそちらへ目を向ける。
塔の屋上に、黄金色の塊が鎮座していた。
さらに、その隣には一人の幼い少女もいる。
黒髪で、赤い瞳をした少女だ。
『皆さんには、武器を置いて逃げることをオススメします。さもないと痛い目に遭います。ぷるるんもやる気満々ですよー』
……降伏勧告、なのだろうか?
そんな疑問を覚えるのにも時間が必要なほど、誰も彼もが困惑しきっていた。
まずは優しく降伏勧告。
次回は、vsその②です。