お茶会式作戦会議
ワイズバーンの街から見て南東、山岳地帯にスピアたちはいる。
東へ向かえば国中央の直轄領に入れる。
そうして王都を目指す、というのが本来の予定だった。
「東西から軍勢が迫っているということか?」
「はい。この山を囲む形です」
出発しようとしていたスピアたちは、また足を止めて話し合っていた。
襲撃を警戒して、遠くまで目を向けなければ気づかなかっただろう。東西から山岳を包囲しようとしているのは、恐らくワイズバーン侯爵の軍勢だ。領都である町と、王国直轄領を繋ぐ関所と、それぞれから兵を出してきたと考えられる。
スピアが見たところ、数は三千と百余り。
百の方は、東の関所から来たと思われる兵士たちだ。
随分と数に違いがあるが、そもそも関所には少数の兵しかいなかったということだろう。
「それにしても、いまここで軍を出してくるとは……もはや魔族と手を組んでいるとしか思えんな」
「やはり、わたくしが狙われているのですね」
「……推測になりますが、警戒するに越したことはないでしょう」
ワイズバーン侯爵も、王国に仕える貴族の一人だ。
王族であるセフィーナを狙って軍を動かすなど、本来ならば有り得ない。
それだけ国が乱れている証左だと言える。
おまけに、魔族と手を組んでいる可能性も高い。
まだすべては推測の段階だが、セフィーナが騒動を招いているような形だ。
自分が混乱を引き起こしている。
皆を危険に晒している―――、
そう憂いて顔を歪めてしまうのも無理はなかった。
まあ、そんな憂いを台無しにしてしまう者もいるのだが。
「美人のエキュリアさんを狙っているのかも知れませんけどね」
「だ、誰が美人だ!? そんな話が有り得るか!」
「じゃあ、可愛いエミルディットちゃんかな?」
「ふざけてる場合じゃありません!」
噛みつきそうな勢いで、エミルディットはスピアを睨む。
でもスピアには怒っても無駄だと学んだのだろう。
くるりと首を回すと、その勢いのままセフィーナへと訴えた。
「姫様、やはり戻りましょう。危険です。転移陣を用意してもらえば、クリムゾンの街まではすぐにでも戻れるはずです」
「ですが、それでは……」
「あんまりオススメできないよ?」
言葉を挟んだスピアは、少しだけ真面目な顔をしていた。
「転移陣を置いていって発見されると、逆に使われる可能性もあるから。わたしたちが突然消えたら、相手だって周りの捜索くらいするはずだし」
ひよこ村やクリムゾンの街に、敵の軍勢を招いてしまう恐れがある。
それは無鉄砲なスピアでも無視できないほどに危険だ。
完全に転移陣を壊していけば、その危険性は失くなる。
けれどこれまでの旅も無駄になる。それは面白くない、とスピアは言う。
「なにより、コソコソ隠れるのは好きじゃないです」
「いや待て。好みで選んでいる状況でもないだろう。それに、これまでも身を隠してきたではないか」
「コソコソしすぎるのとは違います!」
スピアは胸を張って言ってのける。道理を木っ端微塵にしそうな主張だった。
「それに、深刻になることでもないと思いますよ」
「む……?」
ぺしぺしと、スピアはぷるるんを撫でる。
そこでエキュリアも気づいた。
「振り切れるか……確かに、ぷるるんやサラブレッドの速度ならば、並の兵士では追いつけんだろうな」
「騎兵でも難しいと思いますよ」
スピアの性分として逃げる選択肢はない。
だけど包囲を突破し、追いかけっこをするくらいは許容範囲内だ。
「まあ、相手が人数を活かして、休みもせずに追ってくるなら難しくなりますかね。こっちも少し急がないといけません」
「わたくしの体力次第ということですね」
セフィーナの目は、すでに答えを出していると訴えていた。
自分が足を引っ張っているくらいは、セフィーナも理解している。
旅慣れていないから。体力がないから。
だけどそれくらいは、我慢すれば補えないことではないはずだ。
そうセフィーナなりの決意を口にしようとした。
「多少の無茶ならば―――」
「時間稼ぎをすればいいんです!」
声を上げたのはエミルディットだ。
小さな拳を胸の前で握って、泣き出しそうな表情をしていた。
「ワイズバーン侯爵とは、私も面識があります! わざと捕まって、嘘の情報で惑わせるくらいはできるはずです! やらせてください!」
それは懸命の訴えだった。
尋常でない迫力に押されて、誰も言葉を返せない。
スピアでさえ、目をぱちくりさせるばかりだ。
「私のような子供が相手なら油断だってするはずです。きっと上手くいきます!」
「で、ですが、それではエミルディットが……」
「危険は覚悟の上です! こうでもしないと、私は姫様のお役に立てないんです!」
戦う力なんてない。
身の回りのお世話にしても、スピアやシロガネに及ばない。
だから―――と、エミルディットは震えた声で訴える。
完全に取り乱していた。
いったい何が原因で、急にこんなことを言い出したのか?
困惑はセフィーナにも伝染して、宥める言葉も出てこない。
「エミルディットちゃんは、何をしたいの?」
戸惑いに満ちた場を、スピアの涼やかな声が貫いた。
一拍の沈黙を置いてから、エミルディットは真剣な眼差しをスピアへと注ぐ。
「私は姫様の侍女です! ですから、姫様のお役に立ちたいんです!」
「……うん。ちょっと落ち着こうか」
スピアは手元に影を浮かべて、足下へと落とす。
その『倉庫』の影から、静かにシロガネが現れた。
一礼したシロガネは、スピアに一言二言指示されると、すぐに動き出す。
テーブルセットを並べる。人数分のカップを用意して、お茶とお茶菓子まで揃えていく。さらに簡素な衝立も置いて、吹き寄せる風を遮る心配りもする。
あっという間に、山道の一角がお茶会空間に作り変えられた。
「それじゃ、座って」
「な……なにを言ってるんですか!? ふざけてる場合じゃないってさっきも……」
「いいから」
スピアは穏やかな表情を保っている。
だけどその口調には、静かな怒気も含まれていた。
エミルディットは言葉を詰まらせる。
縮こまった肩を、ぽんとシロガネに叩かれて、そのまま椅子に座らされた。
セフィーナとエキュリアも、戸惑いながらも席に着く。
「まずは一息入れよう。わたしも、変なこと言っちゃいそうだから」
いつも変なことだらけではないかと、普段のエキュリアなら指摘するところだ。
けれど、さすがに言葉を控えた。
スピアが怒っている。それは全員に伝わっていた。
では、何に対して怒っているのか?
単純に、エミルディットに対するものではないようだが―――。
「まず、エミルディットちゃん」
「はい……」
「セフィーナさんの役に立ちたいっていうのはいいと思う。だけどそれは“まだ”、本当にしたいことだとは、わたしには思えない」
厳しい言葉だ。それに対して、エミルディットも言い返そうとした。
けれど、スピアの鋭い口調が反論を許さない。
「“しなくちゃいけない”、そう思い込んでるようにしか見えないよ」
言葉に混じった怒気が一段と濃くなった。
スピアが怒りを感じたのは“そこ”だ。
まだ幼い子供を、命懸けの決意をさせるほどに追いつめてしまった。
追いつめられているのを見過ごしてしまった。
そんな自分自身に対して、殴りつけたいほどにスピアは憤りを覚えていた。
「本当にしたいことなら、もっと楽しそうに言うものだよ」
スピアは目を細めて、そっと息を吐き出す。
その言葉は、エミルディットにも納得できるものだ。
けれど受け入れられない。
感情が、焦りが、足を止めるのを拒絶する。
「楽しむなんて……無理、です。だって私は孤児で、役に立たなかったら、きっとまた捨てられるに決まってて……」
「食べて。美味しいよ」
震える声をあっさりと無視して、スピアはテーブルの上を示した。
小皿に乗せられたロールケーキが、エミルディットの前にも置かれている。
シロガネ特製の新作だ。
すでにスピアは生クリームの甘さに頬を緩めていた。
「なっ……なにを言ってるんですか!? いまは真面目な話を……」
「食べないの? なら、わたしが貰っちゃうよ?」
「っ……食べます! いただきます!」
エミルディットは眉根を寄せながらもフォークを手に取る。
仄かな甘い香りが食欲を刺激していた。
フォークを入れただけで柔らかな感触に驚かされる。
戸惑いながらも口へ運ぶと、とろけるような食感が広がっていった。
一緒にテーブルを囲んでいたセフィーナたちも、始めての味わいに言葉を失っている。
「例えば、こんなお菓子をもっと食べたいって思わないかな?」
「……それを、“したいこと”にしろって言うんですか?」
「エミルディットちゃん次第だよ。世界中のお菓子を食べるために旅に出てもいいし、いっそ世界征服でも目指しちゃう?」
「無茶苦茶です!」
エミルディットは声を荒げる。
でも、ついさっきまでとは違って、余裕のある怒鳴り声だった。
「無茶でも無謀でもいいんだよ。夢を語るなら大きい方がいいからね。わたしのお爺ちゃんなんて、若い頃は大統領を目指してたんだって」
「なんですか大統領って。それに……分かりません。いまだって、姫様のお役に立ちたいとも思ってますし……」
「うん。急いで決める必要もないよ」
スピアはお茶の注がれたカップへ手を伸ばす。
そうして一気に飲み干すと、立ち上がった。
「そのための時間稼ぎくらい、わたしがやっておくよ」
「え……!?」
時間稼ぎって、まさか!?
スピア以外の三名が、同じことに思い至った。
迫ってくる軍勢を足止めする。つい先程、エミルディットが言い出したことだ。
けれど―――、
「ちょっと行って、軍勢を片付けてきます」
スピアの場合は、ずっと過激だった。
馬車が作り出されて、サラブレッドが引くように整えられる。
御者兼護衛役を務めるのはシロガネだ。
それに乗ってセフィーナたちは先に東へ向かう、というのが大まかな作戦だ。
当然のようにエキュリアは異議を唱えた。
「おまえ一人に無茶をさせるなど騎士の誇りが許さな―――ぃわぶぁっ!?」
真っ先に馬車へと放り込まれた。
次いでセフィーナとエミルディットも。シロガネの手によって、ぽいぽいっと。
そうして出発した馬車を見送って―――、
「さて。格好良いところ見せなきゃね。エミルディットちゃんに頼ってもらえるように」
ぷるるんに乗って、スピアは山岳地帯の入り口に向かっていた。
トマホークの目によれば、その辺りで迎え撃てると思われる。
「それにしても軍隊相手か……関わらない方がいいって、ロウリェさんにも注意されたっけ」
呟くスピアの声には、ほんの微かに震えが混じっていた。
単純に多数と戦うというのなら、オークを相手にした際に経験していた。
人間の集団も、夜盗を蹴散らしたことがある。
けれど本格的な軍隊を相手取るのは、また違った緊張感を覚えるものだった。
そもそも一人で軍勢の前に立ちはだかるものではない。
三千もの敵に対処しようなど、常識的に考えれば無謀でしかない。
とはいえ、ダンジョン魔法を使えば、一掃するのは難しくないだろう。
頼れる仲間だっている。
だけど、スピアにはひとつの懸念があった。
「なんとなく変な感じなんだよね。近くで観察すれば、詳しく分かるかな?」
ぷるるんを撫でながら、スピアは首を捻る。
少々の不確定要素はある。
けれどそれで突撃の足を緩めるスピアではない。
戦いへ向けて、荒れた山道を一気に駆け下りていった。
追っ手が来るのでやっつけます。単純ですね。
次回は、ダンジョンマスターvs魔侯爵です。




