襲撃
険しい山道を行くのは、王族であるセフィーナには厳しいものになっただろう。
もしも自分の足で歩くのなら、きっと半日ももたなかった。
馬車でも荒れた道に難儀させられたはずだ。
けれど、ぷるるんやサラブレッドに乗っていればまったく問題にならない。
敢えて言うなら、少し風が冷たいくらいだ。
「本当に人がいませんね」
「まあ、散歩がてらに入り込むような場所ではないからな」
「ですが、悪い風景ではありませんね。自然の大きさを実感させられます」
「珍しい花も多いですね。髪飾りのデザインに取り入れたら、姫様によくお似合いになるかと思います」
時折足を緩めながら、スピアたちは荒れた山道を進む。
昼前になっていくらか雲が出てきた。
「山の天気は変わりやすいんですよねえ」
「そうらしいな。少し足を速めた方が……」
のんびりと言葉を交わしていたスピアだが、ぴくりと眉根を寄せた。
首を回して上空へと目を向ける。
「なにか、来ます」
スピアが告げると同時に、ぷるるんとサラブレッドが立ち止まった。
ぷるるんの上で羽根を休めていたトマホークだけが動く。
一気に空高くへ舞い上がると、トマホークは威嚇するように高く鳴いた。
「殿下、お気をつけください。敵襲のようです」
「は、はい!」
エキュリアはサラブレッドの手綱を強く握り、長い槍を構える。
いざとなれば空中での騎乗戦闘を行うつもりだ。
空を飛ぶ経験こそなかったエキュリアだが、騎馬での戦いならば心得があった。
セフィーナとエミルディットは肩を寄せ合い、ぷるるんの影に隠れるようにする。
スピアは一人で前に出て、皆の動きを確認していた。
「セフィーナさんたちも、咄嗟の対処に慣れてきたみたいですね」
「そうでしょうか? ですが、わたくしは守られるばかりで……あ、もしかしてスピアさんが魔物と戦っていたのは、こういった経験を積ませてくれるために?」
「え? あ、そうです。実は深い考えがあったのです」
「いま、え?って言いました! 姫様、騙されてはなりません!」
緊張がほぐれたところで、スピアはあらためて上空を見つめた。
けっしてエミルディットの追及から目を逸らしたのではない。
空から迫る影があった。人の形をしている。
厚めの外套を纏った大柄な男だ。
以前にも、スピアは似たような影を見た覚えがあった。
「あの黒い肌……まさか、魔族か!?」
「そうみたいですね」
緊張感を纏ったエキュリアとは裏腹に、スピアはのんびりと答える。
魔法能力に長け、身体能力にも優れた魔族は、他の人類種にとって脅威と言える。魔法で空を飛べるだけでも、並の魔術師とは掛け離れた技量だと分かる。
けれどスピアだって、サラブレッドに乗れば空くらい飛べる。
今更、驚くことでもない。
なにより、以前に出会った魔族がマヌケだったので、どうにも危機感が沸かなかった。
「この大陸って、魔族と出会うのは珍しいんですよね?」
「そうだ。しかもこんな場所に来るなど、もしや殿下を狙って……!」
上空で光が弾けた。
魔族の男が魔法陣を浮かべて、そこから数発の光弾を放っていた。
狙いは、旋回していたトマホークだ。
矢よりも早く迫る光弾に対して、トマホークも急加速して回避する。さらに雷撃を放って反撃も行った。
無数の光が上空で弾け、交錯する。
激しい戦闘の様子を、スピアは眉根を寄せて見つめた。
「むう。いきなり攻撃してくるなんて、非常識な人ですね」
「なにを悠長なことを。あれは魔族だぞ、敵と決まっている」
警戒の構えを取っているスピアと違って、エキュリアの目にはありありと敵意が宿っていた。
以前、クリムゾンの街が存亡の危機に晒された際にも、魔族が裏で糸を引いていた。それはスピアの口から伝えられている。だからエキュリアがいきり立つのも当然だった。
「私も前に出るぞ。相手が魔族となれば、一気に討った方が……っ!」
「っ、トマホーク!?」
上空で真っ赤な光が瞬き、甲高い鳴き声が木霊した。
巨大な絨毯のように広がった炎が、トマホークを包み込んでいた。
速度には秀でているトマホークでも逃げ場がなかったのだ。
炎に巻かれながら落下するトマホークは、それでも懸命に翼を動かしていた。
「ぷるるん、お願い!」
珍しく焦った声を上げたスピアだが、すぐに指示を出した。
ぷるっ!、と応えた黄金色の塊が飛び出す。
空中へと大きく跳ねたぷるるんは、トマホークを受け止め、着地した。
そうしてまた素早く戻ってくる。まだトマホークの羽根は赤く燃えていたけれど、ぷるるんが器用に炎だけを呑み込んでいった。
「ごめんね、無茶をさせて。もう少しだけ我慢してて」
スピアは『倉庫』から小さな瓶を取り出す。
魔法効果も込められた回復薬だ。すぐに蓋を開けて、トマホークの全身へと振りかける。半透明の液体が青白い光を発して、傷を癒していった。
「エミルディット、貴方も治療を手伝ってあげてください」
「え……あ、はい。お任せください!」
戸惑いながらも、小さく拳を握って駆け出す。
エミルディットは神聖魔法の使い手だ。
治療魔法の心得しかないが、いまはそれで充分に役立てるだろう。
スピアからトマホークを預かると、エミルディットは静かに祈りを始めた。
「そちらは任せて大丈夫なようだな」
安堵も混じった呟きをして、エキュリアは前方へと目を向けなおす。
上空から、魔族の男がゆっくりと降りてきていた。
「私は、ヤツを討つ!」
「ダメです」
馬腹を蹴って、エキュリアは飛び出そうとした。
しかしスピアから制止が掛かる。
サラブレッドは一歩進んだだけで、嘶いて足を止めた。
「な、何故止める!?」
「譲れません。トマホークの仇は、わたしが討ちます」
「いや、仇って、気持ちは分からんでもないが、ちゃんと生きているだろう?」
戸惑うエキュリアの横を抜けて、スピアは前に出る。
もう魔族の男も地上に降りて、やや距離を置いた位置から様子を窺っていた。
やはり大柄で、屈強な体格をした男だ。
首回りなども太く、全身が鍛え上げられているのが見て取れる。
トマホークと空中戦をしたのに疲れた様子もない。
「退屈な任務かと思っていたが、面白い連中と会えたものだ。貴様が、あの鳥の主人か?」
「そうです。あなたは、敵ですね?」
「ふっ、そう思って構わん。我が名はバリオン。六魔将が一人、グルディンバーグ様の命で動いている」
「なっ……六魔将だと!?」
慌てた声を上げたのはエキュリアだ。
その反応に、バリオンは得意気に口元を吊り上げる。
「くかかっ、魔将と聞いただけで震え上がるか。やはり人間どもは脆弱だな。しかし無理もあるまい。グルディンバーグ様がその気になれば、貴様らなど国ごと容易く叩き潰せる。つまり、その配下である我に睨まれた貴様らは終わりということだ」
外套を翻すと、バリオンは全身に纏っていた威圧を一段増した。
まるで重い風が吹いたように周囲に圧迫感が漂う。
エキュリアも、その背後にいるセフィーナたちも、一様に顔色を蒼褪めさせた。
「ぐ……まさか、このような大物と出会ってしまうとは……」
「ど、どうしましょう? わたくしだけでも逃げた方がよいでしょうか?」
「そ、そうです! 姫様だけでもお逃げください。六魔将の配下なんて、私たちではどうにもなりません!」
「でもこの前、一人倒しましたよ?」
え?、と三人の声が重なる。
その視線の先では、スピアが不思議そうに首を捻っていた。
「エキュリアさんには話しましたよね?」
「待て、聞いてないぞ。オークキングの時に魔族と出会ったとは聞いていたが……」
「それです。たしか、ボルボルさんとか名乗ってました」
場の全員が呆気に取られた顔でスピアを見つめる。
バリオンでさえ、信じられないといった顔をしていた。
「ボルボル……もしや、ボルドザーグか? たしかに奴は連絡を絶っているが……」
「あ、それです。真っ二つになっても生きてる人でした」
「っ……! では、本当に貴様のような子供が? いや、しかしこれだけの魔物を連れているのだ。見掛け通りではないということか」
どうやら厳しい外見とは裏腹に、バリオンは柔軟な思考をしているらしい。
好敵手を見つけたように、スピアを見据えると笑声を零した。
「そこの姫以外に用は無かったのだがな。ついでに貴様も、グルディンバーグ様の下へ連れて行くとしよう」
「勝手なことを言わないでください。お断りします」
「ふん。貴様らに選択肢などない。嫌だと言うなら力尽くで―――」
バリオンの言葉は中断された。力尽くで。
いきなり目の前にスピアが迫っていたのだ。
地面ごと滑って移動したスピアは、その勢いのまま拳を突き出した。
「な、っ―――!?」
小さな拳がバリオンの腹に打ち込まれる。
凄まじい打撃音とともに、大柄な体が後方へと吹き飛んだ。
そして岩壁へと激突したバリオンは、派手に散った土砂に埋め込まれる。
「まずは一発。これはトマホークの分です」
ふぅっ、とスピアは息を吐く。
けれど間を挟むこともなく、追撃を重ねるべく全身から魔力を溢れさせた。
いきなり襲ってきた魔族に、大ピンチ(ピンチとは言ってない)です。
次回は、撃退です。