旅路に差す影
ワイズバーン領に入って五日。
スピアたち一行は、領都である大きな街に迫っていた。
ぷるるんやサラブレッドが全力で駆ければ、もっと旅程は短縮できただろう。けれど旅に慣れていないセフィーナや、幼いエミルディットには辛いものになる。
だから移動を楽しむことも含めての旅路となっている。
スピアにしても、のんびりと草原の風景を眺めるのは嫌いではなかった。
そうして今日も平穏な、“いつもの光景”があった。
「街の外というのは、本当に危ないのですね。こうして日に何度も魔物と遭遇するのですから……」
「姫様、危険なのはその通りですが、これを常識と思ってはいけません」
辺りには、でろんとした長く太い肉塊が転がっている。
ミミズが大型化したような魔物だ。それが数体、地面を割って襲ってきた。
地下からいきなり噛み付いてくる魔物なので、不意を打たれれば熟練の冒険者でも手痛い被害に遭う。けれど普段から“領域”を広げているスピアにとっては、簡単に察知し、迎撃できる相手でしかなかった。
例え不意を打たれても、ぷるるんに乗っていれば安全だ。
いまもスピアは、ぷるぷるの黄金塊の上で腕組みをしている。
「刺激のある旅もいいですけど……でも、こんなに魔物が出てくるのも妙ですね」
「街道から外れているからな。魔物の生存圏であるし、ある程度の戦いは避けられんだろう」
「エキュリアさんがそう言ってくれると、安心できる気がします」
「……どういう意味だ?」
じっとりとした眼差しを向けられて、スピアは空中へ目を向ける。
フラグ立てに定評があるから、とは言わない。
それよりも、ちょうどトマホークが一仕事を終えて降りてくるところだった。
「む……空にも魔物がいたのか」
猿にも似た大きな蝙蝠が、トマホークの爪で仕留められていた。
狩りの成果を地面に放ると、トマホークは誇らしげに一鳴きする。
そうしてスピアが掲げた腕に止まった。
「この蝙蝠、魔法も使ってきたそうです」
「ふむ。本能的に魔力を使いこなすものはいるが……初めて見る魔物だな」
「新種みたいですね。わたしの『知識書庫』でも検索ヒットしません」
魔物の生態については、あまり詳しく知られていない。
けれど新種の魔物は、年に数種類は発見される。さほど珍しくもないものだ。
だからスピアも深く考えようとはしなかった。
「研究してる人に教えてあげれば、喜ばれるんですかね?」
「そうだな。王都の学院や冒険者ギルドに持っていけば……しかし、いまはそんな暇もないからな」
寄り道をするなんて言い出せば、またエミルディットが怒るだろう。
もうスピアも興味を失っていたので、念の為に死体だけ『倉庫』に収めると、旅を再開することにした。
「余裕があれば、あの街も見てみたいんですけどね」
黒い瞳が見つめる先は北東、草原の中に高い壁がそびえ立っている。
若干、クリムゾンの街よりも規模が大きい。ワイズバーンの街は外壁の外にも畑が広がっていて、その畑を見守る塔もいくつか建てられている。北や東の街道からは、訪れてくる商人も多い。
街の外も守れるほど兵士の数も多いということ。
伊達に侯爵領という訳ではない様子だ。
「仮面を被ったら忍び込めないですかね?」
「逆に目立つだろうが。ほら、エミルディットが睨んでいるぞ」
言われて、スピアはそっと振り返る。
可愛らしくも厳しい眼差しが向けられていて、スピアは小さく肩を縮めた。
街を迂回する形で進んだスピアたちは、小川の側で休憩を取った。
さすがに休憩くらいでは小屋を作りはしない。
さっと焚火を起こして、辺りの地面を『温かな床』にするくらいだ。
「ウォームフロアと言いましたか? この魔法は本当に素敵ですね」
「はい。私も最初は驚かされましたが……なあスピア、この魔法は他の者も使えるように出来ないのか? 広めれば、使いたがる者は多いはずだぞ」
「理屈としては出来るはずですけど、簡単な魔法になるかは分かりませんよ?」
「そうか……まあ、おまえの魔法は不可思議なものが多いからな」
「わたしからすると、そもそも魔法自体が不可思議現象だったんですけどね」
のんびりと話をしながら、四人は昼食を取る。
その場で食事を作ることもあるけれど、今日はバスケットにサンドイッチを詰めて持ってきていた。朝の内にシロガネが用意してくれたものだ。
トマトとレタス、それとチーズで瑞々しさと柔らかさを合わせたもの。
シンプルに茹でた卵に塩味をつけて、柔らかなパンで挟んだもの。
人魚の村から仕入れた魚をツナっぽく調理して、マヨネーズと絡めたものもある。
「このトマトは、マリューエルさんのところで育てた物です」
「とても美味しいですね。トマトと言えば夏の野菜ですけど……もしやその方は精霊魔法を?」
「はい。にょきにょきです」
「にょきにょきですか。ふふっ、面白い方のようですね」
「妙な伝え方をするな。殿下、マリューエル殿は我が領地で孤児院を開いている方で……」
そうして昼食を済ませると、エミルディットがお茶を入れてくれる。
はじめはスピアが用意しようとしていた。
茶葉やカップを用意したのはスピアなので、そのついでだ。
けれどエミルディットが「私の仕事です!」と譲らなかったので、任せることにした。
「ありがとう、エミルディット」
「いいえ。姫様のお力になれるのでしたら、私はなんだってします」
一言を掛けられただけで、エミルディットは本当に嬉しそうに微笑む。
とても仲の良い、理想的な主従―――、
素直に見ればそうなのだろうが、スピアは首を捻っていた。
「ぷるるんも、お茶を入れられるくらい器用になるかな?」
「おまえは何を言って……おい、本気で目指すつもりじゃないだろうな?」
「大丈夫です。人型になったりはしません」
「怖いことを言うな!」
お茶を飲み終えると、近くで草を食んでいたぷるるんやサラブレッドを呼ぶ。
そうしてまた旅の再開だ。
ワイズバーン領から王都へ向かうには、大きく分けて二つの道がある。
ひとつは一般にも使われている街道だ。しかしこちらは商人などと出会う可能性が高い。行き来が制限されているクリムゾン領に至る街道とは事情が異なる。身を隠しながらの旅には不適当な道だ。
加えて、途中で河を渡る必要もある。
橋が掛かっていたり、渡し舟があったりするけれど、いずれにしても人目を避けるのは難しい。
そうなると必然、もうひとつの道を選ばなくてはいけない。
ワイズバーン領の東南には山岳があって、そこまでの道も整えられている。
岩塩と少々の魔鋼が採れるので、鉱山として機能している。
「どちらにしても人目は避けられない、ということでしょうか?」
「そこでこの白仮面の登場で……」
「スピアさんは黙っていてください!」
頬を膨らませたエミルディットに怒られて、スピアはしゅんとなる。
そんな様子に苦笑しつつ、エキュリアは説明を続けた。
「鉱山と言っても小規模なものです。それに山岳ならば、身を隠せるような場所も多い。こちらには優秀な目もありますし、相手よりも先に見つけられるでしょう」
エキュリアは上空を指差す。
まるで話が聞こえたみたいに、トマホークが高い声を響かせた。
エミルディットも納得できる説明だったが、まだ少し不安げな顔をしている。
「そんな場所なのに、王都までの道が繋がっているのですか?」
「私も実際に見るのは初めてですが、旧道だそうです。かなり昔に魔物と戦うための砦が建てられたと聞いております。いまは軍勢が通れるほどでなくとも、道としての形は残っているようです」
「いざとなれば、みんなで空を飛んでいきましょう」
陽気な声を上げたスピアは、またエミルディットに睨まれる。
でも、それが結論となった。
さすがにぷるるんは空を飛べないが、道無き道でも強引に進んでいける。
もしも迷っても野営の心配は要らないので、深刻な議論にはならなかった。
「方向さえ合っていれば、だいたいなんとかなります」
「その大雑把さもどうかと思うがな」
「やっぱりスピアさんは非常識です!」
ぷるるんとサラブレッドに乗って、四人は南東へと進路を取る。
翌日には山岳地帯に入ったが―――、
「……また昨日の新種ですね。増えてるんでしょうか?」
猿に似た蝙蝠型の魔物。トマホークが仕留めたその死体を、スピアは見下ろした。
今度は二体、まるで探し物でもするように近くを飛んでいた。