ダンジョンマスターvs開拓村喰らい②
宝はともかく、箱そのものは初登場だったはず。
次回は、旅を再開です。
幾本もの炎の柱が立ち、兵士集団を囲うように燃え盛る。
まとめて丸焼きにしよう、なんてことじゃない。
むしろ逆で、炎の壁が灰軍狼からの攻撃を遮った。
さらに上空からは小さな影が急降下してくる。
瀕死の兵士を捕らえていた灰軍狼に、その影は襲い掛かった。獣の目でも捉えきれない速度で、雷撃を纏って、小さな影は狼どもを蹴散らす。
数頭の仲間を倒されると、群れの後方にいた大型の灰軍狼が一鳴きした。
重々しい吠え声が響く。
それと同時に、狼たちは素早く後退していく。
「ふむぅん。これで一段落かな?」
サラブレッドの背から降りて、スピアは大きな翼をそっと撫でた。
見事な奇襲を仕掛けた白馬は誇らしげに嘶く。
エキュリアたちもぷるるんから降りると、周囲を警戒して身構えていた。
セフィーナとエミルディットは戦う術を持たないが、守られやすいように動くのは心得ている。
「ぷるるんも、セフィーナさんたちを守ってあげて」
ぷるっ!、と黄金色の体が揺れる。
小柄な少女の言葉に頷く、素直で頼もしい従魔。
見ようによっては心和むような遣り取りだ。
けれど事情をまったく理解できない兵士たちには、困惑を覚えさせるだけ。
いきなり魔物を連れた少女が飛び込んできたのだ。
助けられたのは事実だが、相手は仮面で顔を隠している。
あからさまに怪しい。
こんな状況で救われたと安堵できるのは、よほど脳天気な者だけだろう。
それに実際、まだ危機は去っていなかった。
「おい、貴様はクリムゾンにいた魔物使いでは……」
「話は後です」
涼やかな声で述べたスピアだが、有無を言わさぬ威圧も滲ませていた。
仮面越しに一点を見据えている。
炎に照らされた広場の先、灰軍狼の群れはまだ完全には撤退していなかった。
群れのボスである大型の狼を中心にして、陣形を整えなおしている。
低く呻る大型の灰狼も、油断なくスピアを睨みつけていた。
「なかなか手強そうですね。万が一があるといけません」
自然体で立ちながら、スピアはすっと腕を伸ばす。
その手の先には何もない。けれど地面に、ぽっかりと丸い影が浮かんだ。
一拍の間を置いて、そこからずずっと影が盛り上がって人型が現れる。
スピア以外は、皆一様にその光景に息を呑んでいた。
「お待たせ致しました、ご主人様」
「待ってないよー。それより、シロガネもみんなを守っておいて」
「承知致しました。全力を尽くします」
丁寧に一礼したのは、『倉庫』を使って現れたシロガネだ。
もしもシロガネが“全力”を出せば、辺り一帯ごと灰軍狼を全滅させられる。
けれど主人の見せ場を奪わないのもメイドの務めだ。
そう心得ているシロガネは、一歩下がって控えた。
「うん。やっぱり狼って迫力あるね」
スピアが足を踏み出す。正面にいる、大型の灰狼へと。
言葉とは裏腹に、まるで近所へ買い物へ行くような軽い足取りだ。
けれど隙が無く、大型灰狼もそれを察して低く呻った。
配下の狼どもが左右に広がる。スピアを誘い込む陣形を取った。
「……人間を襲わないって約束するなら、逃げてもいいよ?」
足を進めながら、スピアは一応の降伏勧告をしてみる。
言葉が通じる魔物でないのは承知している。けれど念の為、というやつだ。
そして返答は衝撃波だった。
吠え声を合わせて衝撃波を放ち、灰軍狼はそれで獲物の隙を作る。
貧弱な人間なら、それだけで骨を砕かれ、命を断たれてしまう。
「むぅ。うるさいです」
スピアの歩みは止まらない。
左右から放たれた衝撃波は、小柄な体に辿り着く直前で霧散していた。
ダンジョン魔法による領域管理の応用だ。
一部の空間を瞬間的に裂いて、衝撃波を遮っている。
スピアにとっては能力頼みの単純な防御だ。
けれど灰軍狼にとっては予想外だったらしく、威嚇の眼差しに困惑が混じった。
これまで灰軍狼は、スピアを“警戒すべき獲物”と捉えていた。
それが衝撃波を防がれたことで、“得体の知れない相手”に変わった。
獲物ではなく、逃げるべき相手かも知れない。
そう判断したが遅い。
大型灰狼が撤退を考えた時には、その目の前にスピアが浮かんでいた。
ついさっきまでゆっくりと地上を歩いていたのに。
まるで瞬間移動でもしたように―――、
「伏せっ!」
空中で身を翻したスピアは、鋭く拳を突き下ろす。
ギャン!、と子犬みたいな悲鳴が響き渡った。
頭をしたたかに打ち据えられた灰狼は、鼻先から地面に叩きつけられる。
いっそ頭が破裂してもおかしくない一撃だった。
それでもまだ灰狼は意識を保っていた。
むしろ戦意を漲らせて、カッ、と目を見開く。震える足で立ち上がる。
逆襲に燃える瞳の正面に、スピアは悠然と着地していた。
「大人しくしてくれないかな?」
その呟きは灰狼の耳に届かなかった。
はっきりと隙を見せた敵に、牙を剥いて襲い掛かる。
小柄な体に、鋭利な牙が突き立てられた。そのまま敵を食い千切る。
けれど、おかしい。
牙の先にあったのは勝利の味ではなく、奇妙な違和感だった。
新鮮な肉を噛んだはずなのに、どこにも柔らかさがない。
ひたすらに硬い。
しかも骨とは違う、不快な硬さだ。
「残念。幻です」
本物のスピアは、灰狼の横へ回り込んでいた。
ダンジョンに設置できる幻惑回廊、その応用だ。丁寧に作れば匂いや感触まで本物とそっくりに作り出せる。
今回は急いで作ったので、そこまで精巧な幻ではない。
けれど焦った狼を騙すには充分だった。
それと、幻覚におまけも置いてある。
「空蝉の術ならぬ、空宝箱の術ですかねえ」
呟きながら、スピアはくるりと身を翻す。
その途端、大型灰狼の頭が爆発した。口の内部から粉微塵に吹き飛ぶ。
宝箱に罠は付き物。
それが噛み付いた瞬間に発動しては、大抵の魔物は無事でいられない。
大型灰狼も胴体だけになって、ずしりと崩れ落ちた。
「さて、あとは……もふもふでも見逃せないよね」
左右に首を回したスピアは、残った灰軍狼を数える。
一人で片付けても、さして苦労はない。
ぷるるんやトマホークに手伝ってもらえば、あっという間に片付きそうだった。
そして片付いた。
とはいえ、襲ってきた魔物が駆逐されただけだ。
まだすべての問題が解決したとは言えない。
「では、謎の白仮面親衛隊長であるわたしは風のように去りますね」
「ちょっと待てぇ!」
身を翻したスピアの背に、グモーブが声を投げた。
思わず掴み掛かろうともしたが、手を伸ばしたところでサラブレッドの翼で叩かれた。尻餅をついて地面に転がる。
「大丈夫ですか?」
「あ、ああ……って、貴様の馬がやったことではないか!」
「いきなり背後から手を出してくるのも悪いと思います」
スピアにしては真っ当な受け答えだった。
けれどその顔は白い仮面に覆われている。やはり怪しい。
グモーブも助けてもらった恩は感じている。
大怪我を負った兵士もシロガネの魔法によって治療されていたし、周囲からも感謝の声が上がっていた。
けれど関所を任された騎士の務めとしては、礼だけ述べて見過ごすことはできなかった。
「貴様、クリムゾンの街にいた魔物使いだな? それに、そこにいるのはエキュリア殿ではないのか?」
「な、なんのことだ? 私は、その、ただの旅仮面だぞ!」
「エキュリアさん、バレバレです」
「おまえが言うな! だいたい、こんな仮面ひとつで誤魔化そうというのが無理だったのだ!」
ぷるるんやサラブレッドがいる時点で目立つ。
だから見咎められるのは、スピアもエキュリアも覚悟していた。
むしろセフィーナの正体を隠すのに都合がいいかも、くらいに考えていたのだ。
しかしグモーブからすれば、二人の遣り取りに呆れるばかりだ。
正体を隠す気がないならそんな仮面を被るな!、と声を荒げたくなる。
「と、ともかくだ! 貴様たちは他領の者だろう。この関所を通す訳にはいかぬ!」
「だけどこの関所、機能してるんですか?」
「ぐ……そ、それとこれとは話が別だ!」
子供に言い負かされそうになっているグモーブだが、それでも騎士として務めは放棄できない。
主であるワイズバーン侯爵に見捨てられたのは理解している。
力尽くでスピアを止められないのも承知している。
けれど根の部分で真面目な男なのだ。
命令に逆らえない臆病さでもあるが、それが今回は良い方向に働いた。
「でも確かに、ここを壊れかけのまま放置しておくのも良くないですね。また魔物に襲われでもしたら大変です」
灰軍狼の襲撃によって、辺りの木柵も一部が壊されていた。
元より貧弱な拠点だったが、それがさらに酷くなっている。
周囲の様子を窺ったスピアは、少し考えてから地面に手をついた。
「おいスピア、まさか……!」
さすがにエキュリアは察しが良い。
スピアは一晩でひよこ村を作った。それを知っているのも、この場ではエキュリアだけだ。
けれど止められるよりも早く、スピアの手から青白い輝きが放たれていた。
地面に吸い込まれた魔力は四方へと伸びていく。
そうしてすぐに変化は起こった。
「んなっ……!?」
誰かが上げた驚愕の声は掻き消される。
重々しい音とともに地面が隆起すると、盛り上がった土砂が圧縮されて、瞬く間に硬い壁へと変化していく。さほど高い壁ではないが、関所の四方は完全に囲まれた。
「こんなところですかね。ビート牛の突進くらいは防げるはずですけど、あんまり頑丈じゃありません。手を加えるのはお任せします」
一方的に告げると、スピアは今度こそサラブレッドに跨った。
エミルディットも抱えて、他の仮面一行とともに去っていく。
グモーブは呆気に取られるばかりだ。
ぽかんと口を開けたまま、黄金色の塊が壁を跳び越えていくのを見送るしかなかった。
「なんなのだ、これは……?」
静まり返った場で、グモーブは辛うじてそう呟いた。
けれど答えが返ってくるはずもない。
一人の兵士が、戸惑いながらも問い掛けてきた。
「あの、グモーブ様……我々はどうすれば?」
「そうだな……」
額を押さえながら、グモーブはいくつか深呼吸をする。
問われたところで答えはすぐに出て来ない。まだ混乱を鎮めるだけで精一杯だ。
「ともかくも、この場の始末だな。負傷者の手当て……は終わっていたか」
「はい。あのシロガネと呼ばれていた方のおかげで」
「ならば、狼どもの死体を片付けるか。それと、今回の事態を侯爵様に報告せねばならんな。あとは……」
喋っている内に、グモーブも徐々に冷静さを取り戻してくる。
クリムゾンの街で遭った異常経験のおかげで、幾分か慣れもあった。
「あの、侯爵様への報告というのは、彼女たちのことも……?」
「……当然であろう」
渋い顔をしながらも、グモーブは肯定を返す。
ひたすら与えられた命令に従う。グモーブはそうやって生き延びてきた。
今更、その在り方を変えるつもりはなかった。
「だが……まずは状況を確認してからだ。砦の完成が最優先と言われているからな。あの壁の耐久性なども念入りに調べて、報告はそれからだ」
騎士として主君には逆らえない。
だが多少、行動が慎重になるくらいは許されるだろう。
そんな屁理屈を胸の内で並べて苦笑を零す。
命を救われた恩義を忘れないくらいには、グモーブにも良心は残っていた。




