ダンジョンマスターvs開拓村喰らい①
ひよこ村を出て二日目―――。
街道から逸れたスピアたちは、浅い森を東へと進んでいた。
いまはスピアがサラブレッドに乗っている。エミルディットも一緒だが、今日は控えめな速度で地上を駆けていた。
セフィーナたちに無理をさせない旅路を、という配慮もある。
それと、気になるものが遠くの丘陵に見えていた。
「ボロボロですね」
「ああ。何故か崩壊したとは聞いていたが、酷い有り様だな」
ぷるるんの上では、エキュリアたちも同じものを眺めている。
ワイズバーン領の入り口に立つ関所だ。
以前は高く厚い壁に囲まれていて、堅牢な砦と言えるほどの建物だった。クリムゾン領へ攻め込めるよう、兵士や物資が集められてもいた。
けれどいまは見る影もない。
外壁も建物も崩れ去って、辺りに瓦礫が散らばっている。兵士が修復作業を行っているけれど、まだ簡素な柵くらいしか作られていなかった。
どうして、そんな事態に陥ったのか?
まあだいたいスピアが原因だ。
けれど幸か不幸か、未だに真実は知られていない。
「ワイズバーン侯爵とは相容れないと思っていたが……ああいった惨状を見ても喜べないものだな」
「そうですね。いつだって戦いは何も生みません」
「…………」
スピアは軽く腕組みをして、うんうんと頷く。
対して、横に並ぶエキュリアはじっとりとした視線を向けていた。
「どうかしましたか?」
「……いや、なんでもない。今回はおまえの言う通りだからな」
「むぅ。なんだか失礼な勘違いをされてる気がします」
「気のせいだ。それよりも、さっさとこの辺りを抜けるとしよう」
目立つのを避けるため、街には寄らないと決めている。当然ながら関所も避ける。
だからわざわざ、街道から外れて進んでいるのだ。
そういった意味では、関所が潰れて監視の目が緩んでいるのは好都合だった。
「ですが同じ国内でのことと考えると、やはり喜べませんね」
今日はセフィーナも、ぷるるんの上に乗っている。
ぷにぷにの感触を楽しんでもいたが、瓦礫の山を眺めて表情を曇らせていた。
「砦が潰れたとなれば、街道の安全も脅かされるのでしょう?」
「そうなりますが……元より、往来の少なかった街道です。影響は最小限のものでしょう。いまのところ再建も順調のようですし……」
セフィーナの懸念を解きほぐすように、エキュリアは穏やかな声を返す。
王族を気遣う様子は、真っ当な騎士の姿だと言えた。
ぷるぷるの黄金塊に乗っていることに目を瞑れれば、という条件はつくが。
ただまあ、傍目からの姿などこの際どうでもよかったのだろう。
もっと大きな問題があったのだから。
「関所を作る際には、はじめから比較的安全な場所を選ぶものです。あの砦も魔物の襲撃が少ない場所を探した上で建てたはず。簡素ながら柵も出来ているようですし、よほど狂暴な魔物にでも襲撃されない限りは、復興も上手く進むかと―――」
上空から、トマホークの高い鳴き声が響いた。
警戒を促す声だ。
エキュリアがすぐさま身構えて、セフィーナとエミルディットも辺りを見回す。
ただ、スピアだけはぼんやりと呟いた。
「またエキュリアさんが物騒なフラグを立てた気がします」
トマホークの目は、砦へと駆ける魔物の群れを捉えていた。
ベルトゥーム王国で厄介な魔物と言えば“開拓村潰し”が有名だ。
集団で突進してくるビート牛に対しては、熟練の騎士や冒険者でも戦いを避けようとする。
しかし荒野は広い。
他にも、厄介で凶悪な魔物は数多く存在する。
開拓村荒らし、開拓村泣かせ、開拓村転がし、開拓村丸呑み―――、
安直な二つ名と笑うなかれ。
それだけ多くの者が人類の生存圏を広げようと挑戦し、そして失敗を重ねてきた歴史の証明なのだ。
「狼のような魔物集団だと……まさか、“開拓村喰らい”か!」
エキュリアが真剣な表情をして唸る。
スピアたちがいる森とは別方向から、数十頭の魔物が砦を目指して駆けていた。
一見すると、灰色の毛に覆われた狼だ。ただの動物である狼と大差ないようにも思える。体格が一回り大きいくらいだろう。
けれどその瞳は紅く輝き、人間への殺意に満ちている。
そして集団の最後尾にいるのは、一際大きな体躯をした狼だ。
四つ足の状態でも、大人の男を見下ろせるほどの巨躯をしている。
灰軍狼―――、
正しく軍隊のように統率された動きをする魔物だ。
弱い人間の集団を襲い、それでいてけっして全滅はさせない。食料として増えるのを期待して、じわじわと効率よく喰らっていく。新鮮な肉を好むという特徴もある。
「手強い魔物なのですか?」
「はい……撃退には、街のような高い壁が必須です。木柵程度では乗り越えられますし、生半可な集団では奴らの連携に対応できません」
それに、とエキュリアは鋭い眼差しを砦の方へ向けながら述べる。
「恐らく、襲われたのはこれが初めてではないかと。いま気づいたのですが、作り掛けの壁が壊されている部分があります。完成に近づいた部分を、灰軍狼によって壊されたのでしょう」
「それほど知恵が回る魔物なのですね。では、このままだと犠牲者が……?」
セフィーナの問いに、エキュリアは苦々しい表情を返す。
無言だが、それは肯定を示していた。
同じ人間として、魔物に喰われる者がいることを喜べはしない。
けれどだからといって、その魔物をどうにかできるでもない。
灰軍狼に襲われれば、むしろエキュリアたちの方が命を落とす可能性は高いのだ。
「ひ、姫様が気にされることではありません! それよりも、魔物が近くにいるのでしたら、一刻も早くこの場を離れましょう!」
「エミルディット……でも、それでは……」
「彼女の言うとおりです。いまは御身の安全をお考えください」
二人からの説得を受けて、セフィーナは神妙に頷く。
自分に戦う力がないのは承知していた。
けれど顔を上げたセフィーナは、違和感を覚えて首を捻る。
目の前にある風景が勝手に動いているようだった。
「お、おい、スピア! ぷるるんが……何処へ行こうとしている?」
「え? 助けに行くんですよね?」
三人が話している間に、ぷるるんとサラブレッドが進行方向を変えていた。
当然、乗っているセフィーナたちもそちらへ向かうことになる。
正面にあるのは、灰軍狼に襲われている砦だ。
「おまえは話を聞いていなかったのか!? アレは危険な魔物なのだぞ。そうでなくとも、我々は目立つ訳にはいかないと……」
「大丈夫です。ちゃんと考えてありますから」
にんまりと笑みを浮かべて、スピアは手にした“それ”を掲げてみせる。
白く平たい“それ”を見て、エキュリアたちは頬を引きつらせた。
◇ ◇ ◇
騎士グモーブは怯える兵士を叱咤しながら、己の不運を呪っていた。
破壊された砦の再建。
それがワイズバーン侯爵から与えられた新たな任務だ。
以前、クリムゾン伯爵の暗殺を失敗したことへの懲罰の意味も含んでいる。
与えられた兵士は三百名。
魔物の襲撃を警戒しながら土木作業をするには、あまりにも少ない人数だ。
荒野での作業は、大勢を投入して一気に行うのが基本。
日数を掛ければ、それだけ魔物に襲われる危険は増すのだから。
もしも大きな群れに襲われれば、即座に命を落とすだろう。
そう思っていたグモーブの不安は、悪い方向に裏切られることになった。
「密集しろ! 盾を構えろ! 奴らは何処からでも襲ってくるぞ!」
自らも武器を構えながら、グモーブは懸命に指示を飛ばす。
襲ってきた灰軍狼の群れはおよそ三十頭。
並の灰軍狼でも兵士十名分ほどの戦闘力を持つ上に、群れを統率する大型の戦闘力は計り知れない。しかも連携を活かして襲ってくるので、即席の部隊では対抗できるはずもなかった。
灰軍狼の群れに襲われた時点で、もはやグモーブは死を覚悟した。
けれどまだ“生かされて”いる。
即座には殺されなかったという意味で、裏切られていた。
初めて灰軍狼が襲ってきたのは十日前だ。
それからすでに四回の襲撃を受けている。
もしも相手がその気になっていたら、グモーブと兵士たちはとっくに皆殺しにされていただろう。
けれど被害は出ていて、もう百名近くの兵士が喰われていた。
「グモーブ様、援軍はまだ来ないのですか!?」
「このままでは我々も……」
「……諦めるな。必ず援軍はやって来る」
震える声を抑えながら、グモーブは辛うじてそう吐き出した。
もちろん嘘だ。
ワイズバーン侯爵の非情さを、グモーブはよく承知している。
先の任務を失敗した自分が情けを掛けられることはないと分かっていた。
兵士たちだけでも逃がしてやりたい、とも思う。
けれど任務を放棄して街へ向かえば、脱走兵として罰を受ける。命までは奪われないかも知れないが、命が削られるほどの重労働を課されるはずだ。
そもそも、逃げられる可能性も低い。
砦の周囲はすでに灰軍狼の縄張りとなっている。
人間が逃げる家畜を捕らえようとするように、灰軍狼も逃げる獲物を放置はしないだろう。
「ともかく、いまはこいつらを撃退するしかない。一匹でも数を減らすのだ!」
絶望的な状況を一時でも忘れようと、グモーブは声を上げる。
兵士たちも肩を寄せ合い、懸命に抗おうとしていた。
灰軍狼はすでに部隊の周りを囲っている。
円を描くように駆けながら、鋭い眼光を放って獲物を見定めようとしていた。
素早い上に慎重な動きだ。
兵士たちも事前に集まり、弓矢や魔術での攻撃も仕掛けたのだが、それらはほとんど効果を上げていなかった。
「く、くそっ! なんであんなに避けられるんだよ!」
焦った兵士の一人が、弩弓を構えて撃ち放つ。
強力な弦から放たれた矢弾は、人間では目で追うことも難しい速度だった。
けれど灰軍狼は華麗に地を蹴って、あっさりと回避する。
さらに反撃。数頭が合わせて吠え声を放ち、衝撃波となって兵士の隊列を叩く。
兵士たちは盾を構えていたが、堪えきれずに数名が体勢を崩した。
「来るぞ! 守れ、やらせるな!」
「う、わあぁっ!」
隊列が乱れた隙へ、灰軍狼が襲い掛かる。
兵士たちは剣や槍を突き出すが、闇雲な攻撃は空を切るばかりだ。
なかには武器や腕に噛み付かれて、手痛い反撃を受ける者もいた。
倒れた兵士は、灰軍狼によって陣の外へと放り投げられる。
そうして獲物を得ると、襲ってきた時以上に素早く灰軍狼は退いていく。
数名ずつ、着実に狩っていくつもりなのだ。
「ぐ……隊列を整えろ! これ以上、隙を見せるな!」
指示を出すグモーブにしても、無茶な命令だというのは分かっている。
けれど諦めて魔物の餌になることも出来ない。
まだ息があるのに狼どもに喰らいつかれ、運ばれていく兵士の姿を見ると、死への覚悟なんて吹き飛ばされた。
あんな目に遭うのは嫌だ。生き残りたい―――、
その想いで、グモーブと兵士たちは一致していた。
もっとも、酷い方向で一致しているのだが。
「し、死んでたまるか! おまえが前に行けよ!」
「冗談じゃねえ、テメエこそっ、ぐわあああぁぁ―――!?」
「た、助けてくれぇっ! 見捨てないで、ぇぁっ……!」
自分だけでも生き残りたい。
そう願う者ばかりで、どこぞのお姫様みたいな裏切り者が続出している。
想いが一致しても団結できるとは限らなかった。
グモーブも蒼い顔をして、自分が襲われないよう狼どもを睨みつける。
正しく懸命に、生き延びる手段を探していた。
「なにかないのか、なにか……どうにかして、こいつらを撃退しなければ……いっそ他の魔物が現れて同士討ちでもしてくれれば……」
その時、声が響いた。
「サラブレッドひき逃げアターーーーック!!」
まったく場にそぐわない可愛らしい声だった。
空中から突撃してきた白馬が、その蹄で灰軍狼の一匹を撥ね飛ばす。
凄まじい勢いで吹っ飛ばされた狼は、ゴロゴロと転がって地面を削り、そのまま動かなくなった。
さらに―――、
「サラブレッドふぁいやーーーー!」
白馬の額に生えた角が輝き、そこからいくつもの炎弾が放たれる。
そちらは狼たちに避けられたが、炎の柱が連なり、兵士たちを守る防壁となった。
突然の乱入者に、灰軍狼も慌てている。
陣形も乱れて、その隙間をさらに貫くように、黄金色の塊が飛び込んでくる。
白馬の上には小柄な少女が一人、ぷるぷるの黄金塊にも少女三名が乗っていた。
「な、あ、ぁ……おまえは、まさか……!?」
グモーブが唖然とした声を漏らす。
黄金色の塊を見て、以前に自分を叩きのめした少女の姿が思い出された。
けれど少女の顔を見て、また違った驚きに襲われる。
そこにあったのは仮面だ。
真っ白い、目の部分だけ一直線の穴が空いた仮面が、少女たちの顔を覆っていた。
「なんだそのふざけた格好は!?」
「あれ? ここは救援に喜んでくれる場面じゃないですか?」
怒鳴り声を向けられて、黒髪の少女が小首を傾げる。
そんな仕草もまたグモーブの怒りを煽っていた。
目立っちゃいけないなら正体を隠せばいいじゃない。
そんなワケで、謎の少女仮面が活躍します。
次回はダンジョンの基本であるアレが、ようやくの初登場です。