ジョーカーを引こう
上空から響く悲鳴が遠ざかっていく。
その悲鳴の発信源である騎馬に似た影を、ひよこ村に残った一同は静かに見送った。一部の者を除いて、揃って頬を引きつらせて。
「それじゃあ、家に戻りましょうか」
その一部の者であるスピアは、唖然としている一同を促す。
皆、まだ驚きは抜けきっていなかったが、ひとまず屋敷へと足を向けた。
「スピアは時折、容赦ないのう」
「同意……エキュリアは尊い犠牲を払って、そのことを教えてくれた」
「死んだように言うでないわ。それに、おぬしも犠牲者ではないか」
「……やめて。あの薬の味は思い出したくない」
軽やかに咽喉を鳴らすロウリェと、げんなりとして頭を抱えるユニ。
それでも二人は事態を受け入れられている。
そんな態度が、すでにもう普通ではない。
だから置いてけぼりにされる者もいる。
セフィーナとエミルディットは、まだ混乱から立ち直っていなかった。
「姫様、あの……」
「……そう、ですね……スピアさん!」
辛うじて現実へと戻ってきて、セフィーナが声を上げる。
だけどまだ思考はまとまっていなかった。
「その……転移陣、のことも気掛かりなのですが……いまの、天馬のような、騎獣はいったい……? 魔法で呼び出したようですが、貴方は、その……何者なのです?」
疲れているのもあるのだろう。
王族の威厳などなく、しどろもどろにセフィーナは問い掛ける。
対して、スピアはあっさりと。
「村長で、親衛隊長です」
朗らかな返答に、セフィーナは困惑させられるばかりだった。
結局、状況に流されるまま、屋敷の客室へと案内される。
まずは休息を。
エミルディットの申し出通りに、主従二人だけで休める部屋が用意された。
「湯浴みの準備は整っております。着替えは別にご用意致しますが、そちらの箪笥に入っている服も自由にお使いくださいませ。お茶と軽食もこちらで用意いたしました。他に御用などありましたら、気兼ねなくお声を掛けてくださいませ」
ティーポットなどが置かれたカートを置いて、シロガネが一礼する。
そうして音も無く扉が閉じられた。
緩やかな空間が残されて、セフィーナはほっと息を吐く。
「なんだか驚かされましたけど、こうして休める場所も得られましたから……エミルディット?」
「あ、いえ。なんでもありません」
シロガネの去った扉を見つめて、エミルディットは小さな拳を握っていた。
なにかを決意するみたいに。
どうやらシロガネの隙ひとつない所作に、侍女として感じるものがあったらしい。
「すぐに、お茶を淹れます。姫様は休んでいてください」
「ありがとう。そうですね、まずは落ち着かないと、なにも出来そうにありません」
窓辺にはソファが一対、小さなテーブルを挟んで置かれていた。
そこにセフィーナは腰を下ろす。
気持ちを静めようとしたのだけれど、またそこで驚かされた。
腰から背中までをゆったりと包んでくれる座り心地だ。
革張りのソファは、絶妙な硬さと柔らかさを併せ持っていた。
「姫様、どうかなさいましたか?」
「ううん。なんでも……なくはないかしら。エミルディットも座ってみれば分かりますよ」
王族として教育を受けてきたセフィーナは、感情を隠す術を心得ている。
けれどいまはエミルディットと二人きりだ。
気心の知れた仲であるし、誰よりも信頼を置ける相手でもある。
悪戯心も隠すことなく、セフィーナは微笑みながら対面のソファを示した。
「ですが姫様、それは……」
「エミルディットもあまり顔色がよくありません。休息は必要なのでしょう?」
本来なら、侍女が主人と向き合って座るなど許されない。
けれど重ねて勧められて、エミルディットは小さな体をさらに縮めてソファへ預けた。
「え……?」
「不思議な感触でしょう? でも、とても座り心地が良いのです」
「この椅子、どうなっているのでしょう……はっ! まさか、中にプルンが詰まっているのでは!?」
「ふふっ、それはとても斬新ですね。でもさすがにないでしょう。あのキングプルンも座り心地はよさそうでしたが」
「姫様、そんなことを仰られてはいけません! あれは魔物なのですよ!」
「でも、わたくしたちを助けてくれたではありませんか」
良くも悪くも、エミルディットはとても真面目だ。
その忠告を優しく受け止めながら、セフィーナはカップを手に取った。
温かなお茶の香りに目を細めてから、ゆっくりと口をつける。
「美味しい。こうしてお茶を味わうのも久しぶりですね」
「はい……良い茶葉を用意してくれたようです。まだ油断はできませんが、ひとまず気を休めてもよろしいかと」
「そうですね。エミルディットも、少し肩の力を抜いてください」
勧められて、エミルディットもお茶に口をつける。
そうして緩やかな一時に身をゆだねて、二人はいつしか目蓋を伏せていた。
誘眠の魔法が掛けられたことには気づきもしなかった。
静かな部屋に二人分の寝息が流れる。
音もなく扉が開かれると、部屋に入ってきたのはシロガネだった。
「……呼吸、脈拍ともに正常。問題ありません」
客人に快適な休息を。
そう望んだ主人の意志を、シロガネは忠実に実行していた。
コタツの上で何枚ものカードが舞う。
最初こそスピアが圧勝していたババ抜きも、数戦目にもなると拮抗した戦いになっていた。
「くくっ、おぬしらはすぐ顔に出るのう。カードが丸分かりじゃぞ」
「……そっちこそ。右から四枚目がジョーカー」
「ん~、ここは敢えて怪しいところを引く!」
誰もポーカーフェイスが出来ないので、手札は丸分かりだ。なのに勝負は長引く。十連続でババが引かれるような不思議現象も起こっていた。
それでも徐々に手元のカードは減っていく。
残り三枚になったカードを揺らしながら、ロウリェが呟いた。
「しかし、手札を失くした方が勝ちとは、妙なゲームじゃのう」
「そうですか?」
「人は常に、なにかを得ようとするものじゃろう? 例えばこのカードを金貨に置き換えてみれば、捨てた方が勝ちなどというのは妙な話ではないか?」
年長者らしく表情を引き締めて、ロウリェは意味ありげに述べる。
でも引いたカードはジョーカーだった。
「むう……このようにな、普通ならば、一枚しかない強いカードを引いた者が勝者になるはずなのじゃ」
「そういうゲームもありますけどねえ」
ポーカーのルールを思い出しながら、スピアは首を捻る。
ロウリェの言葉は、ただの負け惜しみにも聞こえた。
だけど他になにか言いたいことがあるのでは?、というくらいはスピアにも察せられた。
「じゃがまあ、押し付け合いになるかは別じゃが、現実にも避けたいカードというのはあるのう。魔物の襲撃やら、天災やら、あるいは……人間同士の戦争か」
「族長さんにもなると、難しいこと考えるんですね」
「偉さという点では、村長も同じようなものではないか」
「ついでに、親衛隊長です」
「……そういえば、そんなことも言っておったのう」
呆れた口調で述べた直後に、ロウリェはにんまりと口元を緩める。
ジョーカーはユニの手札へと渡っていった。
「おぬし、本気であの姫様の味方になるつもりか?」
「ん~、エキュリアさんが手助けしたいみたいなんで、とりあえずは」
「とりあえずで一国の命運に関わるか。感心するべきかのう」
その感心されるスピアは、またジョーカーを引いて難しい顔をしていた。
ほとんど直感で手を伸ばしているのに、かなりの高確率でハズレばかりを引いている。
そこもまあ、ある意味では感心されるところなのかも知れない。
「王国内での争いについては、ワシもある程度は耳に入れておる」
ロウリェが一段声を低くする。
真剣な顔の理由は、なにもババ抜きに熱中しているばかりではない。
「セイラール子爵からも相談されたからのう。内陸での争いとなれば、人魚ではまず戦力になれぬ。なるべくなら関わりたくないところじゃ」
「戦いなんて、起こらない方がいいですよね」
「しかしあの姫様は、火種にも成り得るのじゃぞ?」
まだセフィーナが抱えている事情は、スピアも大まかにしか把握していない。
ロウリェも状況に巻き込まれただけだ。
けれど知ってしまった以上は、族長として無視もできない。
「いまの国王が暴君であるのは、まず疑いようのない事実じゃ。セイラール子爵だけでなく、あちこちの商人からの情報もある」
「ロウリェさん、けっこう情報通なんですね」
「人魚は、ふらりと旅に出る者も多いからのう。河を通って別の街へ赴いたり、交易船に同乗することもある。手広くやっておるのじゃ。この村との取引も、なかなかに面白いことになりそうじゃのう」
「あ、それも話したいところでした。クロガネを担当にしますね」
さらりと、ひよこ村はまたひとつ大きな商売のツテを手に入れた。
転移魔法陣が使えるだけでも、莫大な利益を上げられるのは確実と言える。
そこに人魚の幅広い情報網が加われば、一気に大手商人とも並べる。
もっとも、スピアはさほど情熱を傾けるつもりはない。
「村のみんなも、お魚を食べれるようになるといいね。クロガネは忙しくなると思うけど、ほどほどに稼げるくらいでいいから。頑張って」
「はい。お任せくださいませ」
艶のある黒髪を揺らして、クロガネは一礼する。
表情はまるで崩さない。正しくメイドの鏡、といった姿勢だ。
けれどその瞳は、微かに輝きを増していた。
奉仕人形が全力で物事に取り組むとどうなるのか?
主であるスピアでさえ、この時はまだ把握していなかった。
「細かな話は後で詰めるとして……話を戻すかのう。国王は暴君。じゃが、それを支える勢力は侮れぬ。対抗するアルヘイス公爵も勢力は広げておるはずじゃが……ワシの知る限りでは、武力では互角といったところかのう」
「戦争になったら、楽しくなさそうです」
「うむ。避けてほしいところじゃが、それもまた難しいようじゃ」
ロウリェがにんまりと口元を緩める。
今度はジョーカーを引かなかった。手元に残ったのは一枚、ユニに引かせて一抜けだ。
残ったスピアとユニでの一騎打ちが始まる。
「ワシはのう、おぬしは関わるべきではないと考えておる」
「困ってる人がいたら、助けた方がよくないですか?」
「時と場合によるじゃろ。今回の件は、重大事にすぎる。こう言うのが適切かどうか迷うところじゃが、おぬしはまだ子供じゃ。過分な荷を背負うものではなかろう」
腕組みをしたロウリェは、神妙な口調で述べた。
種族は違っても、大勢の上に立つ者の言葉だ。
優しさを含んだ真剣な眼差しも、その言葉に説得力を持たせている。
「でもロウリェさんも見た目は子供ですよね。おっぱい以外は」
「おっぱい言うな! 真面目な話をしておるのじゃ!」
豊かな胸を揺らして、ロウリェは声を荒げる。
スピアは悪戯っ子みたいな笑顔を返したが、すぐにそっと目を細めた。
「大丈夫です。無理はしませんから」
「……止まらぬか。じゃが本当に、戦場に立つのは避けるべきじゃぞ」
「大勢で騒ぐのは、嫌いじゃないんですけどねえ」
スピアの手元から二枚のカードが舞う。
敗者となったユニは、がっくりと項垂れていた。
「そもそも戦争にならなければいいんですよね?」
テーブルに積まれたカードを、ぐしゃぐしゃと掻き回す。
目立つはずのジョーカーも、もう何処にあるのか分からなくなっていた。
のんびり回ですね。
次回は、全裸です。