帰還と、新たな召喚
クリムゾンの街までセフィーナを連れて行く。
その後は北のアルヘイス領までも行く予定だが、ひとまずの目的は決まった。
けれど実際に動くとなると、言葉にするほど簡単ではない。
冬に入ったことで、街道を行く商隊の数は減っている。必ずしも商隊に紛れる必要はないのだが、やはり女ばかりの旅というのは物騒だ。それに食料なども買い込まなければならないし、雪が降った際への備えも要る。
まずは馬車を用意するべきか。
そうエキュリアは考えていたが―――、
「じゃあ、いまからひよこ村へ帰りましょう」
「はぁ?」
素っ頓狂な声を出してしまう。
エキュリアは目を白黒させたが、見つめられるスピアは構わずに続けた。
「でもこんなに早く帰るなら、コタツを置かせてもらったのは勿体無かったですね」
まあいいか、と朗らかに述べて荷物をまとめる。
そんなスピアに強引に促されて、一行は宿を出た。
食堂で寝ていたユニとロウリェも、引き摺られるようにして連れ出される。
「今度はいったい、何を仕出かすつもりなんじゃ?」
「いや、私も疑問ではあるのだが……」
「……ねむい」
ぷるるんやトマホークも入れて、総勢八名。
ある意味では、とても華やかな集団だ。とりわけ大きな黄金色の塊が目立つ。
それでも街を抜けて、人魚の村を過ぎて浜辺に着くと、やがて辺りには静かな潮騒が漂うばかりになっていた。
「話すより、見てもらった方が早いです」
そんなスピアの言葉を信じて辿り着いたのは、人気のない岩場だった。
岩が折り重なって、小さな渓谷みたいになっている部分がある。
その奥へとスピアは足を進める。
陰に覆われている小路へ入ったところで、ロウリェが眉を顰めた。
「む……これは、人払いの結界か?」
「あ、気づきましたか? これは改良の必要がありそうですね」
「潮の香りが急に変わったからのう。そうでなければ、ワシでも気づかぬほどじゃ。しかしこのような結界があるとは、いったい……!?」
疑問が呟かれている内に、スピアの体が消えた。
岩壁の中へ。半分だけ。
「こっちです」
手招きして、スピアは完全に岩壁の奥へと入っていく。
一同は揃って口を開けたまま固まった。
幻によるものだと理解できたのは、数呼吸の間を置いてからだ。
「こっちですよー」
また岩壁から顔だけを出して、スピアが催促する。
頭を抱えたり、呆れきった顔をしたり、瞬きを繰り返したり、それぞれが戸惑いを表しつつも足を進めていく。
幻影で隠されていたのは、細い洞窟だった。
人が二人も並べば肩をぶつけてしまう。
ぷるるんが入り口につかえるくらいだ。ぐぐっと黄金色の体を圧縮して中に入る。最後尾でなかったら、また皆を驚かせていただろう。
「この洞窟、天然の物ではないのう」
「スピア……まさか、おまえが作ったのか?」
「はい。特訓の合間に、ちょこちょこっと」
さらりとスピアが告白したところで、洞窟は行き止まりに突き当たった。
何もない。ゴツゴツとした岩肌が晒されているだけ。
エキュリアたちは揃って首を捻る。
だけどスピアは、平然として脇の石壁に手を伸ばした。
壁の一部がパカリと開いて、そこに小さな石版が現れる。
スピアが石版に手をつくと、奥の壁が割れて左右に開いた。
重々しい震動音とともに道が現れる。
「なんともまあ、大掛かりと言うべきじゃろうか……」
「……呆れた。ううん、呆れきった」
けっこう平静を保っているロウリェやユニも、まともな感想が言えない。
セフィーナやエミルディットなどは、もはや言葉もなかった。
「この隠し扉は、わたしとシロガネ以外だと開けません。でもあとで、みんなの分も登録しておきますね」
一方的な説明をして、スピアはさらに奥へと進む。
通路は少し曲がっていたが、さほど歩かずに最奥まで辿り着いた。
そこは綺麗な石壁に囲まれた広間だった。
整えられた床や壁は、ぱっと見ただけでも人の手が入っていると分かる。
広間の中央には、十人くらいは入れそうな大きな魔法陣が設置されていた。
「ここから、ひよこ村まで転移できます」
つまりは、転移魔法陣―――、
もう何度目か分からない驚きが、その場の全員を包み込んだ。
青白い光が周囲に満ちる。
すぐに視界は白に埋め尽くされて、一瞬の浮遊感が全身を包み込んだ。
そうして次に視界が開けると、まったく異なる光景が目の前にあった。
「おかえりなさいませ、ご主人様」
「うん。ただいま」
石造りの部屋は、洞窟にあったものよりも広い。
大きな魔法陣が置かれているのは同じだが、その前にはシロガネが静かに佇んでいた。
「皆様も、ようこそいらっしゃいました」
丁寧に出迎えてくれたメイドに促されて、一同は広間から出る。
今度は充分な広さのある通路を進むと、すぐに上へ続く階段へと辿り着いた。
そうして地上へ出る。
長閑な村の風景が広がっていた。
「っ~~~!」
皆が唖然とする中で、エキュリアは握った拳をぷるぷると震わせていた。
「本当に転移陣を作ったのか! おまえは、また、勝手なことを!」
「え? 怒るにしても遅くないですか?」
「そんなことはどうでもいい! それよりも転移陣だ!」
うがぁっ!、と吠えて、エキュリアはスピアへ詰め寄る。
転移陣の存在そのものは、多くの国家で知られている。
しかしそれを作り出す技術は、ほとんど知られていない。
魔族と、極一部の国家が秘匿技術として持っているのみで、それもけっして量産できるものではない。
ベルトゥーム王国にある幾つかの転移陣も、古代遺跡やダンジョンから回収した物だ。損傷の修復くらいはできるが、作り出すのは不可能。
なのにスピアは、当然のように自前の転移陣を使ってみせた。
「おまえは、自分がどれだけのことをしたか分かっているのか!?」
「えっと……旅の風情を失くしちゃいました?」
「違う! どこまで無自覚なのだ!?」
眉根を吊り上げて、エキュリアは声を荒げた。
ここまで怒られれば、スピアだって“やらかして”しまったのだと分かる。
なので、話を逸らすことにした。
「それよりも、ほら、いまはセフィーナさんのことです」
「む……そうやって誤魔化そうとしても……」
「国の一大事なんですよね?」
スピアは背後へと視線を向ける。
そこではセフィーナが辺りを見回していて、はっと我に返ると頷いた。
「そうです。あの、ここはもうクリムゾン領なのですよね?」
「それは……はい。間違いないのですが……」
「でしたら、すぐにクリムゾン伯爵とお話を―――」
胸元に当てた手を強く握り締めて、いまにも駆け出しそうな剣幕でセフィーナは言う。けれど―――、
「姫様、お待ちください!」
制止の声を上げたのはエミルディットだ。
「まったく状況が分かりません。それに、ここが本当にクリムゾン領だとしても、伯爵様に会うには準備が必要です」
「ですが、エミルディット。いまは急がなくては……」
「一刻を争う事態ではないはずです。なにより、姫様はお疲れです」
小さな体の前で拳を握って、エミルディットは懸命に訴える。
ともかくも休息が必要だ、と。
その言葉に、スピアもエキュリアもはっと表情をあらためた。
セフィーナの顔を窺う。元より色白なので分かり難いが、言われてみれば、心なしか蒼ざめているようでもあった。
長旅をしてきて、襲撃を受けたばかりでもあったのだ。
疲労が出るのも当然だろう。
その上、国の大事に関わるような話をするのは、少女には無理があるように思えた。
「……もうじき夕刻になる。まずは私が街へ行って、父に事情を伝えよう」
「そうですね。伯爵様も、すぐに会えるとは限りませんし」
エキュリアの提案に、スピアも素直に乗る。
まあ伯爵邸へ行けばすぐにも面会は叶うだろう、とは思う。
けれどやはり、セフィーナに無理をさせる場面ではなかった。
「あ、でもどうしましょう? エキュリアさんの馬は置いてきちゃいました」
「ぷるるんを借りて……いや、それはやめておこう。一旦、セイラールの街へ戻って連れてくる方がよさそうだな」
エキュリアは顎に手を当てて思案する。
さらりと転移陣を使うことを受け入れているあたり、かなりスピアに染められてしまっていた。まあ当人は気づいていないのだが。
けれど、まだ甘かった。
なんでもなさそうな切っ掛けでも、騒動を引き起こすのがスピアという生き物だ。
「でも普通の馬だと、街まで時間が掛かりますし……そっちはあとで、クロガネに取りにいってもらいましょう」
言いながら、スピアは地面に手をつく。
エキュリアが嫌な予感を覚えた時には、もう魔法陣が輝いていた。
「今回は速度と、あと安全運転重視で……出でよ、サラブレッド!」
それは名前ではなく品種名ではないか。
そうツッコミを入れる者はおらず、また制止する暇もなかった。
一際強い輝きが発せられて、ヒヒィン!、と甲高い嘶き声が響き渡る。
やがて光が消えると、そこには四つ足の獣が立っていた。
「……馬?」
エキュリアが首を捻る。
それはまあ馬に見えなくもない。
細い四つ足で、胴と首が長く太い。全身は柔らかそうな白毛に覆われていて、鬣も豊かだ。つぶらな瞳には理知的な輝きが宿っている。
それと、背中から生えた大きな翼もふさふさだ。
額からは鋭い角が伸びて、陽炎のような赤い光が纏わりついている。
「天馬にしては角が生えているのは……って、なんだコイツはぁっ!?」
「サラブレッドです」
スピアは胸を張ってさらりと答える。
ぽんぽん、と白毛を撫でると、サラブレッドは膝を折って頭を垂れた。
「この子なら、街までひとっ飛びです」
「……おい、まさか、私に乗れというのか?」
「ひとっ飛びですよ?」
重ねて述べて、スピアはにっこりと微笑む。
夕暮れ時の大空に、エキュリアの悲鳴が響き渡った。
以前に、お魚が生きたまま届いたのは転移陣があったからです。
それと航空戦力二体目。
真価発揮はもうちょっと先ですね。
次回は、お姫様へのおもてなしです。