一人なのに親衛隊長
十名ほどの男たちが気絶したまま折り重なっている。半裸で。
下着一枚の姿なので、ほとんど全裸と言ってもいい。
どちらにしても、騎士の威厳など欠片も残っていなかった。
「以前の夜盗どもの方が、幾分かマシな扱いを受けていたな」
エキュリアが苦笑を零す。
眉根を押さえながら、安堵混じりに。
怪しい一団を見つけた、と言って飛び出したスピアを放っておけるはずもなかった。エキュリアもすぐに後を追ったのだ。
街の兵士たちにも話を通して、セイラール子爵への伝言と助力を頼んだ。
飛び出した時点では、スピアが何を見つけたのかも詳しくは分からなかった。
だからエキュリアは急ぐよりも安全策を取った。
ぷるるんの速度に追いつけなかった、というのも遅れた理由のひとつだ。
ともあれ、エキュリアが駆けつけた時にはもう事態は片付いていた。
いまは兵士たちが事後処理に当たっている。
「残っていた馬や装備から、王国の騎士というのは確実なようだ。『影近衛』とやらは知らぬ役職だが、王命で動いていたのも間違いあるまい」
「そうですか。では、後は街の兵士さんにお任せします」
あっけらかんとスピアは言う。
まったく興味を失くした様子に、エキュリアはまた苦笑を零した。
「いいのか? おまえの手柄なのだぞ?」
「難しいことは苦手ですから」
そう。難しいのだ。
相手は単純な夜盗などではなく、王の後ろ盾を持つ騎士だ。
たとえ領主であっても、近衛騎士が相手では下手な対処はできない。
領民を傷つけようとしたのだから、厳罰に処すのが正しい在り方だろう。
けれど苛烈な処断をすれば、完全に王と敵対することになる。
そのあたりを悩むのは、セイラール子爵の仕事だが―――。
「そうだ。結局、こいつらの目的は何だったのだ?」
「さあ? なんとか殿下とか言って、勘違いしてたみたいですけど」
それよりも、とスピアは視線を移す。
襲われた商隊の人々が、まだ困惑した表情で様子を窺っていた。
「もう大丈夫ですよ。セフィーナさんも災難でしたね」
「は、はい。その……助けていただいて、深く感謝いたします」
セフィーナは戸惑いながらも丁寧に頭を下げる。
隣にいたエミルディットも、はっと姿勢を正して一礼した。
そうして、スピアの横にいる黄金色の塊にも目を向ける。
「そちらの、ぷるるんさんも? ありがとうございます」
「はい、ぷるるんです。わたしはスピアです。ひよこ村村長ですよ」
「ぷるっ!」
セフィーナの整っていた笑顔が歪む。戸惑いが増したようだった。
隣のエミルディットに、そっと口元を隠して問い掛ける。
「もしかして、村長というのは大きな魔物を連れているものなのでしょうか?」
「違います、姫様。そんな常識はありません」
「では、子供にしか見えないというのも……?」
「そちらも珍しいと思います。きっと色々と事情があるのでしょう」
こそこそと話をする二人の様子に、スピアも首を傾げる。
でも声を掛けようとしたところで肩を叩かれた。
「お、おい、スピア。この方は……」
エキュリアが愕然とした顔をしていた。
その視線は、セフィーナの顔へと注がれている。
「ただのセフィーナです。いまはそれで納得してください、エキュリア様」
「え……あ、はい! 承服いたしました」
エキュリアは背筋を伸ばして敬礼する。明らかに、街娘に対する態度ではない。
そんな珍しい姿に、スピアはまた首を傾げていた。
『潮騒の安らぎ亭』にスピアたちが戻ると、まだ和室に人が集まっていた。
コタツでぬくぬくしている。
ユニとロウリェも寄り添って、涎を垂らしながら熟睡していた。
「珍しい形の宿ですね。皆さん、ああやって一緒に寝られるのですか?」
「姫様、あまり見ない方がよいです」
興味に目を輝かせるセフィーナに、エミルディットが控えめに注意をする。
そんな二人を案内しつつ、スピアとエキュリアは借りている自室へと向かった。
元々、四人部屋だったので広さには余裕がある。
加えて、スピアがあれこれと改装していた。ベッドをマットレス付きの物と交換したり、壁を補強したり、空調用の魔導具を設置したりと贅沢な部屋になっている。
それでも落ち着くには良い空間だ。
話が外に漏れる心配もまず要らない。
椅子に腰掛けて一息ついてから、セフィーナは事情を語り始めた。
ほぼすべてを、包み隠さず―――。
「え? じゃあ、セフィーナさんは本当にお姫様だったんですか?」
「はい……あの、スピアさんも分かっていなかったのですか?」
セフィーナは不思議そうに目を見開く。
近衛騎士との遣り取りを聞いていれば、事情を把握できそうなものだ。
だから助けてくれたのでは、とセフィーナは思い込んでいた。
「話は聞いてました。でも、セフィーナさんが違うって言ってたじゃないですか」
怪しい騎士と、それに襲われている少女。
どちらの言葉を信じるか?
問われれば、スピアは迷いなく後者を選ぶ。
「だいたい、そこらにお姫様が転がってる方がおかしいんです」
「いや、それは正論なのだが……もう少し言葉を選べ」
王族の前とあって、エキュリアはずっと恐縮している。
けれどセフィーナは緊張をほぐすように柔らかく首を振った。
「構いません。スピアさんには救っていただきましたし、いまのわたくしはセフィーナですから」
ほんの一瞬、セフィーナの瞳に憂いが混じった。
それは自責の混じった憂いだ。
堂々と名乗れもしない。身を守る術も持たない。
そんな状況を招いてしまい、変えることもできない己の無力さを、セフィーナは胸の痛みとともに味わっていた。
乱れた国を案ずる気持ちは本物なのだ。
ただ、いざ命懸けの場面になって恐怖に押し勝てるかどうかは別問題だが。
「……それよりも、エキュリアさんにお願いがあります」
「拝聴いたします」
畏まらないよう言われたのだが、やはりエキュリアは真剣な態度を保ったままだ。制止されなければ、きっと膝もついていただろう。
以前、エキュリアは王から酷い侮蔑を受けた。
それに対する怒りはまだ残っているが、レイセスフィーナにぶつけるものではない。
そもそも二人は面識もほとんどなかった。
王都で祭事などがあった時に、短い挨拶を交わした程度だ。
だから、おかげで悪い印象がないとも言える。
王族と騎士として、真っ直ぐに向き合える―――、
両者の性格があってこそだが、それは幸運だったのだろう。
「まずは現状を確認したいのです。兄の行いが国を乱している、多くの貴族、民が不満を抱いている、そう認識しております」
「……事実です。いまの陛下は、内側から国を滅ぼそうとしているようにも思えます」
やや言いよどみながらも、エキュリアは率直な認識を伝える。
セフィーナは握った拳を微かに震えさせた。
けれど金色の瞳は強い輝きを宿したまま、事実をそのままに受け止める。
「わたくしも兄を放ってはおけない、正したいと考えております。その上でお尋ねします。アルヘイス公爵やクリムゾン伯爵が、王都へ向けて兵を挙げるという話は本当でしょうか?」
「畏れながら、いまの私では答えようがございません。ですが、殿下が真に国のためを思って行動なされるのなら、父もアルヘイス公爵も御力になりたいと考えるでしょう。また、西方と南方に領地を持つ貴族の多くは、意見を同じくしております」
王を打倒するために準備をしている、とはエキュリアの立場では言えない。
けれど、ほとんど認めたようなものだ。
セフィーナには充分に伝わっていた。
「内乱ってことですか? そんな話、わたしは聞いてませんよ?」
「スピア、おまえはその……少し黙っていてくれ」
まるで困った子供を見るような眼差しをして、エキュリアは言う。
セフィーナは優しく微笑んでいたが、隣ではエミルディットが眉根を寄せていた。
どうやら空気を読んだ方がいいらしい。
それくらいは理解できたスピアは、黙ってこくこくと頷いた。
「さて、お願いしたいのは、クリムゾン伯爵との面会です」
やや緩んだ雰囲気をそのままに、セフィーナが話を切り出す。
緊迫した遣り取りよりも、むしろ穏やかに言葉を交わす方がセフィーナには合っているようだった。
「もちろんアルヘイス公爵ともお会いするつもりですが……王都へ攻め上がるのでしたら、その力になれるものを、わたくしは持ってきております」
「殿下が味方になってくださるだけでも、歓迎されることでしょう。ですが、その力というのは……?」
「ここではまだ話せません。クリムゾン伯爵に、直接お見せします」
申し訳なさそうにセフィーナは首を振った。
エキュリアを信用できない、とは言っていない。
ただ、それだけ重要なものを抱えていると伏し目がちの表情が語っていた。
「……父との面会は問題ありません。私が取り付けましょう。むしろ問題となるのはクリムゾン領までの道程でしょう。いまの季節では雪で足止めも……」
言いながら、エキュリアはちらりとスピアへ目を向けた。
そもそもエキュリアがこの街にいるのは、スピアに付き合ってのことだ。
一度決めた以上、放り出す選択肢はない。
けれど、スピアの目的はほとんど達成された。
ユニの特訓は順調で、魔法制御の能力も上がっている。
ロウリェという師匠兼、見張り役も得られた。
ついでに街の観光も、もう充分に堪能している。
エキュリアとしては、セフィーナをクリムゾンの街まで護衛したい。
しばらくの間なら、スピアから離れてもよいのでは―――、
そう迷っての視線だった。
けれどスピアには、違って受け止められた。
「分かりました。わたしの出番ですね。クリムゾンの街まで送りましょう」
「は? いや、待て。私はそんなつもりでは……」
「エキュリアさんの時と同じです。ちゃんと、助けた責任は持ちます」
「どうしてそう、妙なところでやる気を出すのだ……」
失敗した、とエキュリアは眉根を押さえる。
セフィーナとエミルディットも困惑顔になっていた。
だからといって、止まるスピアではない。
「それじゃあ、今日からわたしはお姫様の親衛隊長ですね」
「待て! なんでそうなる!?」
「エキュリアさんも隊長希望ですか? でも、親衛騎士っていうと響きが好みじゃないです」
「好みとか、そういう問題ではない! 親衛隊とは勝手に名乗っていい身分ではないのだ!」
王族の前だというのも忘れて、エキュリアは声を荒げる。
一方、怒られているスピアは不思議そうに首を傾げていた。
そんな二人の様子がおかしかったのだろう。
くすりと、セフィーナが笑声を零す。
優しげに目を細めた表情からは、王族に相応しい気品まで漂っていた。
「ほら、エキュリアさん。あんまり騒ぐから笑われてますよ」
「誰の所為だと思っている!? だいたい、おまえはいつもそうやって……」
「構いませんよ」
柔らかな口調だったが、エキュリアを驚かせて止めるには充分だった。
セフィーナはスピアを見つめて、悪戯っぽく口元を綻ばせる。
「スピアさんが望むのでしたら、わたくしの親衛隊長になってください」
「ひ、姫様!?」
咎める声を上げたのはエミルディットだ。
無論、エキュリアも目を丸くしていたが、それをセフィーナは静かに首を振って受け流す。
「親衛騎士の選定は、王族が行うものです。わたくしも一応は王族ですから、それくらいの権利は持っています。幸いと言いますか、いまは親衛隊も解散させられてしまいましたから……ちょうどよいと思ったのです」
王の直属が近衛。他の王族に従うのが親衛騎士。
名称の違いはあっても、王国で上位の身分が保障されるのは間違いない。
本来なら、貴族間の立場なども考慮されて、王城での授与式が行われるものだ。
とはいえ、法的にはセフィーナの言葉も正しい。
王族であるセフィーナが認めた以上、この瞬間から、スピアは親衛隊長だった。
「偉くなりました」
「たった一言で済ませるな! 殿下、どうかお考え直しを。こいつは……いや、まあ信じるには値するのですが、いくらなんでも親衛隊長というのは……」
「ですが、わたくしはスピアさんに助けていただきました。いまは他にお礼のしようもありませんし」
それに、とセフィーナはちらりとスピアへ目をやる。
「喜んでもらえたのなら、わたくしも嬉しいのです」
所詮は、ただの肩書き―――、
もちろん肩書きが力を発揮する場面があることも承知している。
それでも、枠に嵌まった考えから抜け出せるという点では、スピアとセフィーナは気が合うようだった。
村長から一気にランクアップ。
でも、やることは変わりません。
次回は、出発です。