幕間 クリムゾン伯爵への贈り物
屋敷の執務室で、クリムゾン伯爵は頭を抱えていた。
オークの群れを退けた後、街は順調に賑わいを取り戻している。鉱山街の復興にも目途が立った。いまのところ領地の運営は順調と言える。
けれど内にも外にも問題は山積みだ。
表面化していないだけ。いつ、その問題に火がつくかも分からない。
「せめて冬の間は、あの愚王も大人しくしててくれればよいのだが……」
いくつかの報告書へ目を通しながら、クリムゾンは思考を巡らせる。
現在のベルトゥーム国王は、ほんの半年前にその座に就いた。しかしその僅かな期間に、王の不興を買って幾名もの貴族が命を奪われた。その中には大領地を治めていた貴族もいて、国内が乱れる原因になっている。
先代の王は、現王の兄で無難な統治を行っていた。
その先代の死も極めて不自然だった。現王である弟との茶会の席で、数名の側近とともに突然の死を迎えたのだ。
外傷は無く、毒殺の痕跡もなかった。
しかし弟が王位を簒奪した。そう疑われるのが当然だった。
疑惑はともあれ、現王が国を乱しているのは間違いのない事実だ。
「やはり東方の兵力は期待できぬか。しかし我らだけで攻め上がっても、王都は容易には陥とせぬであろうな」
愚王を排除しようという動きはある。
北のアルヘイス公爵が中心となって、水面下で盟約を広げていた。
クリムゾン伯爵やセイラール子爵は盟約に加わっているが、王への不満はあっても強攻策には踏み切れない貴族も多い。
また逆に、王に味方する勢力もある。王家の権威というのは侮れない。
とりわけワイズバーン侯爵などは、積極的に現王に取り入っている。
そのワイズバーン侯爵領の砦が潰れたというのは、良い報せではあるが―――。
「原因は不明。大規模な魔法の残滓あり、か。よもや魔族の仕業か、あるいは……」
呟きながら、クリムゾン伯爵は指先で眉根を叩く。
偶然に殲滅魔法が命中したのでは、という可能性にも思い至った。
気分としては爽快なのだが、喜んでばかりもいられない。
もしも本当に殲滅魔法の仕業だとしたら、クリムゾン領からの先制攻撃ということになってしまう。相手側に兵を挙げる大義名分を与えてしまうのだ。
しかも広い目で見れば、“人間の”砦が潰れたというのは喜べない。
街道に出る魔物への抑えが減る。
それはいずれ、クリムゾン領にも悪影響を与えるだろう。
「まったく、頭が痛い。人間同士で争っている場合ではないというのに……」
亜人や魔物への対策には万全を期すべき。
魔族が現れたとなれば、国全体で迎え撃たねばならない。
それが望ましい姿だというのに、ベルトゥーム王国は分裂直前だ。
「魔族か……オークの一件では半信半疑だったが……」
スピアからも魔族を見たという証言は届いていた。
例によって理解の難しい説明だったが、体を真っ二つにされても生きていたという話は無視できない。かなり高位の魔族が関わっていたのだと推測できる。
それに、単眼巨鬼の一件もある。
本来は暴れるしか能のない魔物が、知性的な行動を見せた。
魔族との関わりを疑わずにはいられなかった。
「かといって、有効な対策を打てるでもなし。本当に神へ縋りたい気分だ。それでも……子供の力に頼るのは避けたいところだな」
ふっと息を吐いて、クリムゾンは机の上のグラスに手を伸ばした。
果実水が注がれた容器は、虹色に輝いている。
それは子供の、スピアの力によってもたらされた物だ。
殲滅魔法を防いだ黒い壁。
街を守るように突如として現れた壁だが、すぐに崩れ落ちて大きな瓦礫の山が残った。その瓦礫である黒い石は、当初はただの脆い石かと思われた。
けれど、『クリムゾン鋼』が発見された影響もあったのだろう。
とある研究者が、その黒石について調べて奇妙な性質を見出した。
そのままなら黒くて脆いだけの石だが、熱を通すと変色し、粘土のように簡単に加工できた。処理の仕方にもよるが、冷えると虹色の硝子みたいになる。
ただの調度品としても美しい。
それだけでなく、この『クリムゾン硝子』はとても魔力を通しやすかった。
加工の仕方次第で、僅かな魔力で割れる物から膨大な魔力に耐えられる物まで、その性質を変えられる。応用範囲の広い素材となる。
例えば、いまクリムゾン伯爵が手にしているグラスは、少しの魔力に触れただけで割れてしまう物だ。魔法の毒による暗殺を防ぐには最適だろう。
他にも、魔導具の素材として幅広く使える。
これまで使われていた素材を、すべて駆逐する可能性まであるのだ。
「量が限られているのは、嘆くべきか、安堵するべきか。これは贅沢な悩みだな」
苦笑しつつ、グラスを揺らして虹色の光彩を眺める。
下手に市場へ流せば、一国の経済すら瓦解させかねない代物だ。
しかもそれは突然に湧いてきたのだから、真実だと知っていても受け入れ難い。
「利を求めるなら、あの少女を囲い込むべきなのだろうな。しかし迂闊に手を出せば自分を傷つける……このガラスと同じか」
もはや癖となっている独り言を呟きながら、クリムゾン伯爵はその少女のことに考えを巡らせる。
南のセイラール領へ向かったとは報告を受けていた。
娘も同行しているので、ふと心配にならないでもない。
けれど魔物や夜盗程度では、脅威にすらならないだろうとも思えた。
「ついでにダンジョン攻略でもしてくるかも知れんな」
冗談混じりに呟く。
相変わらずフラグというものを理解していないクリムゾン伯爵だったが―――、
その時、部屋の扉がノックされた。
「旦那様、少々よろしいでしょうか?」
クリムゾンが許可を出すと、侍女長が一礼して入ってくる。
もう一人、別の侍女が大きな木箱を抱えていた。
「先程、ひよこ村のシロガネ様が参られました。こちらを旦那様にと」
「贈り物ということか? しかし……」
急な用件とも思えない。
しかし侍女長が予定外の時間に話を持ってきたのだから、何かしら理由があるのだろう。
そう首を捻って、クリムゾンは話の先を促した。
「ともかくも、ご覧ください」
別の侍女が木箱を開ける。
そこには様々な魚介類が詰め込まれていた。
氷とともに。ただし、まだ生きているままで。
「……なんだ、これは? どれも海で採れるもののはずだ」
何故生きている?、とクリムゾン伯爵は目を白黒させる。
「わたくしも疑問に思い、訊ねました。こちらの品々はセイラールの海で採れた物で間違いないそうです。そして……転移魔法によって運んできた、と」
「なん、だと……!?」
転移魔法の存在は知られている。
しかし扱うには、大規模な魔導装置が必要だ。稀少な魔石や素材を使って造るものだし、普通なら一介の村長が使うことなど不可能だった。
「またスピアが何かしたのか? もしも簡単に転移陣を作れるというなら、さすがに放ってはおけんぞ!」
「はい……わたくしも問い質そうとしたのです。ですが……」
シロガネは早々に立ち去ってしまった。
スピアから“ばあべきゅう”の準備をするように命じられている、と言って。
そう事情を告げて、侍女長は深々と頭を下げる。
クリムゾン伯爵は頭を抱えたが、だからといって侍女長を責める訳にもいかなかった。
「ともかく、村へ使いを出せ。事実を問い質さねばならん」
溜め息を堪えながら指示を出して、クリムゾンは深く椅子に腰掛ける。
またひとつ仕事が増えた。
どうやら安息の日が訪れるのは、まだまだ遠いようだった。
スピアはちょっと驚かせてみようとした贈り物ですが、予想以上の効果を上げました。
次回は、ぷるるんです。