もうひとつのエピローグ
無骨な石壁が紫色の光に照らされている。
家一件がすっぽりと入るほどの部屋だが、そこには何も存在しなかった。
窓どころか、外と繋がる扉もない。完全に密閉された空間だ。牢屋と言うよりも、拷問部屋と言った方が近いだろう。
そもそもは神にとって危険な相手を封じておくための場所だ。
はじめは完全な暗闇でしかなかった。
けれど徐々に封印が弱まり、光や音が現れ、いまでは部屋の中央に大きなベッドも置かれている。
「ねえ、ユーちゃん?」
「ん~、なに~、クロちゃん?」
ベッドには二人の若い女が寝そべっていた。
もっとも、“若い”と言っても見た目だけのことだが。
一人は赤紫色の髪を長く伸ばしていて、ぼんやりと煙管を吹かしている。
もう一人は青紫色の髪で、ぱたぱたと足を揺らしながら四角い板を眺めていた。
魔神クロメアとユーディア。
堕落と享楽を司るとして、人間には畏怖される双子神だ。
「さっきから、なに見てるのん?」
「ん~、地上の様子~?」
「地上って、あの退屈連中のん? また喧嘩でもしてるん~?」
「んんん~。そっちじゃなくてぇ、もっと弱っちゃい人間のほう~?」
ユーディアの手元に浮かんだ画面には、大勢の人間が行き交う様子が映し出されている。街の大通りで、三角帽子を被った少女が通り過ぎていくのが見えた。
「へえぇ、いつの間にか、そんなのも見えるようになったんねぇ」
「うん~、まだまだ外には出られないけどねぇ~?」
煙管を吹かしながら、クロメアも体の向きを変える。
ユーディアに寄り添い、白い足を絡めながら、ぼんやりと画面を覗き込んだ。
「それでぇ、なにか面白いものでも見つけたのん?」
「すごいよ~、殲滅魔法を使える子がいたの~?」
「んんぅ? 殲滅魔法ぅ?」
「そうだよ~、しかも二人もいたの~?」
三角帽子が揺れる映像を眺めながら、ユーディアは声を弾ませる。
クロメアも興味に目を輝かせたけれど、首を傾げてもいた。
「あぁ、思い出したぁ。たしか人間に伝えたんだよねん?」
「うん~、クロちゃんが調子に乗って~、三十個も詠唱作っちゃったの~?」
「ユーちゃんだってぇ。二十個は作ってたのん」
互いに顔を寄せ合って、くすくすと笑う。
そこに他者を害しようという悪意はない。
ただ、ひたすらに自分たちの楽しみを優先させるだけに、良い趣味とは言えなかった。
「でも本当に使えてるのん? バカ発見魔法なのに」
「びっくりだよ~。バカバカ連発してる~?」
「へえぇ。じゃあ本当に、自信たっぷりなんだぁ」
「うん~。失敗するなんてぇ、欠片も思ってないみたい~?」
映像の中では、海を穿って巨大な柱がそびえ立っていた。
“真っ黒い”柱が広がって、高波とともに衝撃を撒き散らしていく。
およそ人が扱うには危険すぎる威力を持つ、殲滅魔法。
数十もの詠唱があるのは、それが無闇に放たれるのを制限するためとも言われている。あるいは神の理に触れられる人間を探すため、とも。
けれど実際には、そんな優しい神の配慮なんて存在しなかった。
殲滅魔法を発動させる鍵はもっと簡単なもの。
一定量の魔力と、“絶対に発動する”という自信だけ。
何故なら、そういう自信を持った人間を探すために撒いた餌だから。
傲慢な、あるいは単純な人間が力を持てば、面白い具合に破滅してくれるから。
一方的に神が愉しむための思惑しか存在しなかった。
「ねえぇ、ユーちゃん? ちょっと悪いこと思いついちゃったん」
「なに~? この子たちに、ちょっかい出しちゃう~?」
クロメアとユーディアは見つめ合う。
コツン、とおでこ同士をぶつけると、軽やかに咽喉を鳴らした。
整った顔にも嗜虐的な笑みが浮かぶ。
そもそも、ろくでもないことを仕出かして封印された二柱だ。
思いつくのは、やはりろくでもないこと。
「そういうのは、やめてくれると嬉しいです」
背後、誰もいないはずの場所から声が投げられた。
クロメアとユーディアは見つめ合ったまま、ぱちくりと瞬きを繰り返す。
そうして、ゆっくりと振り向く。
ベッド脇に黒髪の少女が立っていた。
「こんにちは。はじめまして」
「えっとぉ、誰ちゃん?」
「はじめまして~? んん~、何処かで見たことあるような~?」
扉すら存在しないこの牢獄には、神ですら踏み込めないはずだ。
だから退屈の嫌いなクロメアたちも、我慢して寝るばかりの日々を送っている。
なのに、どうして他の者がいるのか?
疑問を覚えながらも、魔神二柱は興味に目を輝かせる。
「わたしはただの通りすがりです。というか、迷いました。ここら辺は時空が捻じ曲がってるみたいですね」
「へえぇ、迷子ちゃん? それも珍しいねん」
「ちょっと邪神さんと話をしようかと。でも、逃げられちゃったんです」
「そっか~、よく分からないけど大変だね~?」
なにやらとんでもない話を、呑気な口調で交わしていく。
気の合いそうな三名だったが、少女の方はあまりのんびりとはしていなかった。
「ということで、もうお暇しますね。それと、さっきの話ですけど……」
手元に影を浮かべると、少女はそこから木箱を取り出した。
ベッドの上に広げてみせる。
木箱の中には、綺麗な作りのチェスのセットが収められていた。
「通行料も含めて、これを置いていきます。人攫いさんのところで拾ったんですけど、変なちょっかい掛けてるより面白いと思いますよ」
「ふぅん。なんだか妙な玩具だねん」
「そうね~、危なそうだけど、遊んでみてもいいかも~?」
不自然な輝きを発する駒へと、魔神二柱は目を移す。
それはほんの一呼吸ほどのことだった。
だけどクロメアが顔を上げると、少女の姿は消えていた。
現れた時と同じく、忽然と。
ユーディアも気づいて首を傾げる。
「んん~、なんだか不思議な子だったね~。あの紅い瞳も珍しかったし~?」
「そうだねぇ。また会えるといいねん」
のんびりと言いながら駒を並べていく。
封印された魔神は、もうしばらくは大人しく退屈を潰していられそうだった。
邪神を追っている少女……いったい何スピアなんだ?
といった感じで今後を匂わせつつ、ひとまず第二章終幕です。
まあ、まだ幕間とかあるんですが。
もうちょっとだけ連続更新の予定です。