第二章エピローグ 後編
朝早くに起きたユニは、街の職人たちが集まる区画を巡っていた。
普段のユニは寝坊ばかりしている。
だけどこの日は休息日だった。
特訓をせずに済むのだ。殺人的な不味さの薬を飲まずに過ごせるというだけでも、晴れやかな気分で朝を迎えられた。
眠って過ごすだけなんて勿体無い。
休日になると早起きになるあたりも、ユニはまだ子供だった。
それに、やりたいこともある。
「工房を貸してほしい」
ユニが訪れたのは、魔導具職人の工房だ。
職人にとって、自分の工房は城にも等しい。初対面の相手から貸せと言われれば、あからさまに嫌悪感を表すのも当然だった。
三件目の工房長も、眉間に思い切り皺を寄せた。
けれどユニは、さらに要求を重ねる。
「それと、材料も。魔導具を作りたい」
ふざけるな!、と叩き出されても仕方ない要求だ。
一時的とはいえ、仕事場を貸して材料まで提供しろと言っているのだから。
しかも魔導具はどれも高価な物ばかりだ。庶民が手を出せる物もあるが、それでも材料だけで銀貨が数枚は飛ぶ。おいそれと差し出せはしない。
工房長は厳しい顔をしたまま、じっとユニを睨みつけた。
「随分と贅沢な注文だなあ。嬢ちゃん、紫妖族のようだが職人か?」
「……設計図は書いた」
ユニは懐に手を伸ばして、折り畳まれた設計図を取り出した。
殲滅魔法しか使えないユニだが、他の魔法に関しても知識だけはある。幼い頃から魔導具に関する様々な書物にも触れていた。
広げられた設計図を、工房長が険しい眼差しで見つめる。
「守りの魔導具か? しかしこの魔法陣は初めて見る形だ。消費を抑える……いや、素材の質を問わずに作れるのか」
「そう。安い魔石で充分」
「なかなか面白いな。少々手直しは必要みてえだが……よし、この設計図が貰えるなら、嬢ちゃんが作る分くらいは都合してやろう」
工房としては悪くない、それどころか破格の取引だ。
新しい魔導具の設計図となれば、最低でも金貨での値がつく。多少の素材を譲ったところで十二分に元は取れるだろう。
そう工房長は計算した。
だけどユニも、一方的に損をする取引をするつもりはなかった。
「この魔導具を三つ、“私が”作る分の素材をもらう」
「おう。いま準備してやる」
案内されて、ユニは作業場へと入る。
用意した設計図は、まともな職人にとってはそう複雑ではない物だ。細かい魔法陣を組み込む必要があるが、最低限の魔力制御ができるなら、まず失敗はしない。
だからユニでも、失敗は十個ほどで済ませられた。
灰にされた素材を見て、工房長は呆れ混じりに溜め息を落とす。
「嬢ちゃん、悪いことは言わねえ。職人の道は諦めた方がいいぜ」
「……問題ない。私は魔術師」
殲滅魔法に限らず、ユニはとても不器用だった。
昼前になって、ユニは一旦宿へと戻った。
スピアやエキュリアと合流して、また街へと向かう。
のんびりと買い物や食事などをして過ごす予定だった。
三角帽子を揺らしながら、二人と並んで大通りの露店を覗いていく。
「本来なら、もっと早くに街を巡る予定だったのだがな」
「まあ、そもそもの目的が特訓でしたから」
「ん……私たちは真面目すぎた」
「間違ってはいないのだが……おまえたちから真面目と言われると、違和感を拭いきれんな」
苦笑しつつ、エキュリアは露店の商品へ目を移す。
スピアとユニも歩調を緩める。
「……こうして見ると、海産物ばかりじゃない」
「そうだね。この白い毛皮とか珍しいし。海の向こうから来たのかな?」
「海上交易ばかりではないぞ。ここの東には大きな河が流れていて、ひよこ村のように第二市街が造られている。他の領地とも船が行き交っていて……」
小難しい話を聞き流しながら、ユニは首を回した。
ふと見覚えのある後姿が目についた。
大柄な背中は以前と同じだが、なんだか疲れたように頼りない足取りをしている。
「あれ? ギルドマスターさんですよね?」
スピアも気づいて声を掛ける。
振り返ったディティモーブは、げっそりとした顔をしていた。
「ああ、この前の……」
吐き出された声は、まるで老人のように皺枯れていた。
あまりに変わり果てた姿に、スピアたちは三人揃って目をぱちくりさせてしまう。
「随分と、お疲れみたいですね?」
最初に立ち直ったのはスピアだった。小首を傾げて訊ねる。
「お酒の飲み過ぎはよくないですよ」
「いや、酒なんざ飲みたい気分でもないが……」
「そうなんですか? てっきりギルドの方でも、お祝いしてるのかと」
ディティモーブが怪訝に眉を寄せる。
スピアの言動が唐突なのはいつものことだが、ユニとエキュリアも話に追いつけず首を捻った。
続けて、スピアが訊ねる。
「だって、ダンジョンが攻略されたんですよね?」
「え……?」
唖然とした声を漏らしたのはユニだ。
けれどエキュリアもディティモーブも、驚きの表情でスピアを見つめた。
「なんだそれは? スピア、本当なのか!? 何処から得た情報だ!?」
「えっと、海で拾ったというか……色々です!」
「色々で分かるかぁっ!」
エキュリアに詰め寄られて、スピアは頬に手を当てて困った顔をする。
一方、ディティモーブは虚ろな目で何もない空間を眺めていた。
「はは……もう噂が広がってるのか。そりゃそうだよなあ。まだ調査は続けてるが、ダンジョンが死んだのは確実だ……」
力無く述べて、深く項垂れる。
「喜ぶべきなんだろうが、唐突すぎてなあ。おかげで、買い取ったばかりの呼吸薬もほとんどが手元に残っちまった。他にも在庫の山がたんまりだ。なのに、肝心のダンジョンコアは見つかってねえし……」
「いっぱい仕事ができますね」
「ああ、そうだな! おかげさまでな!」
ディティモーブはキレ気味に言い返す。
八つ当たりせずにはいられないのだろう。
だけどその様子からすると、取り戻せないほどの損害ではなさそうだ。
「……そっか」
交わされる会話を、ユニは立ち尽くしたまま聞いていた。
ひとつのダンジョンが消えた―――、
一言で表される現実を、ゆっくりと噛み締めて受け入れていく。
気持ちはふわふわしている。
少しだけ胸が痛んだのは、自分がなにも出来なかった悔しさだろうか。
だけど呑気に微笑むスピアを見ていると、なんだかどうでもよくなってきた。
「……でもやっぱり、派手に吹き飛ばしたかったかも」
「ユニちゃん、どうかした?」
「ん……なんでもない」
眠たそうな表情に微笑も滲ませて、ユニはゆるゆると首を振った。
そうしてディティモーブと別れてから、三人は街の広場へと向かった。
広場の中央には海の女神リミュラシエルの像が建てられていて、ちらほらと祈りを奉げる人の姿も見える。露店の数は制限されていて、代わりに、しっかりとした建物の飲食店が並んでいた。
適当に店を選んで、三人は昼食を囲んだ。
食事というよりは軽食だろう。パンやクッキーを中心とした店で、紅茶や緑茶など、お茶の種類が豊富な店だ。
いくつか甘いお菓子を注文して、スピアはもきゅもきゅと頬張る。
「ドーナツっぽいのもあるんですね。でもさすがにピザは作ってないか」
「ぴざ、とは何だ? また新しい料理か?」
「色々乗せるんです。チーズとケチャップもありますから、今度作ってみます」
「よく分からんが、おまえの料理が美味いのは確かだ。楽しみにしておこう」
「ピーマンとマッシュルームも欲しいですね。召喚事故を起こさないようにしないと……」
お茶を飲みながら、スピアとエキュリアは穏やかに談笑する。
そんな様子を眺めるユニも、そっと口元を緩めていた。
元々、ユニはあまり口数が多くない。
だけど話を聞くのは好きだ。
こうしてスピアたちと過ごす時間は居心地がよくて、自然体でいられる。
「……スピア、エキュリア」
話が途切れたところで、ユニは二人に呼び掛けた。
懐に入れてあった小箱を差し出す。
「受け取ってほしい」
そっと顔を伏せたユニは、辛うじて聞き取れるくらいの声で告げた。
小箱には、ユニが自作した魔導具が入っていた。咄嗟の際に一度だけ障壁を張ってくれる、指輪型のお守りだ。
「……これまでのお礼。全然足りないけど、感謝の気持ち」
「そんなの気にしないでいいのに。でも、ありがとう」
スピアは素直に受け取る。もちろん、エキュリアも。
返礼を述べつつ、小さな指輪を嵌めてみせた。
「似合うかな?」
「うん。さすが、私の手作りだけはある」
ユニも自分の手に嵌めた指輪を見せて、口元を綻ばせる。
言葉自体は傲慢だったが、これまでで一番自然に述べられたものだった。
根拠のない自信ではない。
安物の指輪だけど、そこに込めた気持ちは本物だ。
スピアには自分を認めてもらえた。信じてもらえた。
そのおかげで救われた。
どれだけ感謝をしても足りない。
だからいつか、本当の意味でお礼をしたい。
これはその約束―――、
そう胸の内に留めて、ユニはほっと息を吐いた。
「でもユニちゃん、手作りだって言ったけど材料はどうしたの?」
「む。言われてみれば、魔導具となれば材料だけでも高価なはずだが……」
スピアとエキュリアは顔を見合わせる。
しばし小声で囁き合ってから、結論に達した。
二人は揃ってユニの肩を押さえる。
「ユニちゃん、素直に自首しよう」
「店主には、私からも話をしてやる。なんとか軽い罰で済ませてもらおう」
「んなっ……!」
ちっとも信じてもらえていなかった。
そう嘆くユニの声は、街を包む潮騒と喧騒に紛れて消えていった。
とりあえずの一区切り。
だけどまた次の騒動が起こります(確定
明日も続けて更新、もうひとつのエピローグです。