迷宮倉庫と毒キノコ
頭を抱えて呻る。
ほどなくして顔を上げたエキュリアは、真っ直ぐにスピアを見つめて言い放った。
「ともかく移動するぞ!」
「はい。分かりました!」
「うむ、いい返事だ。魔物も亜人も血の匂いに敏感だからな。こうした戦いの後は、なるべく早く移動するのが鉄則だ。覚えておくといい」
まだ疑問はたっぷりと残っているエキュリアだが、置き捨てることにした。
いまはまず身の安全を図るべき。自分だけならばともかく、この少女を危険に晒してはいけない。自分は情けない騎士だが、民を守る務めは放棄できない。
そう考えて、エキュリアはすぐに行動へと移った。
まずオークの死体は捨て置く。
燃やして浄化したいところだが、エキュリアが使える魔法にはそれほど強力なものはなかった。
仲間の死体も置いていくしかない。代わりに、剣の柄に付けられていた小さな金属札を回収した。剣章と呼ばれるそれは、兵士などの剣にはきまって備えられている。命を落とし易い職業なので、それを遺品にするのが通例となっていた。
一人一人から剣章を回収しながら、エキュリアは祈りを奉げていく。
「丁重に葬ってやりたいところだが……すまん」
「……友達だったんですか?」
「ああ、そうだな……一人で死ぬつもりだった私についてきてくれた、掛け替えのない戦友たちだ」
膝をついて祈るエキュリアの瞳には、薄っすらと涙が滲んでいた。
スピアも真似して祈ってから、ぽんぽんとエキュリアの背中を撫でた。頭を撫でようともしたけれど、手が届かなかった。
「お葬式ってよく知らないんですけど、遺体はあった方がいいんですよね?」
「それはそうだが……この状況だからな。諦めるしかない」
エキュリアは美しい顔を歪める。
だけど首を振ると、優しげな表情を取り繕った。さっきのお返しみたいにスピアの頭を撫でる。エキュリアは女性としては背が高いので、スピアの頭はちょうど撫でやすい位置にあった。
「わたしが運びましょうか?」
「……は?」
「倉庫を使えば、たぶん運べます。こんな風に」
スピアの手元に影が浮かんだ。お盆みたいな楕円形の影だ。
その影にスピアは手を入れると、中からリンゴをふたつ取り出した。
「どうぞ。お裾分けです」
「なっ……なな、なんだそれは!? 噂に聞く空間魔法というやつか!?」
「ひはいはふ。はんひょんはほーへふ」
リンゴを齧りながらの言葉は説明になっていなかった。
また訳の分からない事態に晒されて、エキュリアは頭を抱える。とりあえずリンゴは受け取った。しゃくしゃくとして美味しい。甘味も詰まっている。
「えっと……そうだな、遺体を運べるというなら頼めるか? あとで礼もしよう」
「ふぁひ。ふぁふぁへへふらはひ」
「……食べながら喋るのは行儀が悪いぞ」
リンゴを片手に持ったまま、スピアは遺体に手をかざしていく。今度は地面に影が広がって、そこに遺体が呑み込まれていった。
倉庫とやらに収めているのだろう、とエキュリアは困惑しながらも理解する。
数人分の遺体を回収したところで、ふとスピアが首を傾げた。
「魔力が足りません」
「む……? それは、全員は回収できないということか?」
「オークの魔石を貰ってもいいですか?」
質問を放置されたエキュリアだが、もう状況に流されることにした。素直に頷いてオークの死体へ歩み寄る。
魔物や亜人は、身体の中心部に魔力の塊を持っている。それが魔石だ。人間にとっては、主に魔導具の動力源となる。
「しかし、魔力を引き出すには特別な工程が必要だと聞いていたが……?」
また新たな疑問を抱きながらも、エキュリアは予備に持っていた短剣を抜いた。オークの胸に突き刺すと、すぐに刃先が硬い感触に当たった。
「あ、取り出さなくても大丈夫です」
「なに……!?」
スピアはオークの死体に手をかざしていた。その掌が淡く光っている。
オークの死体、胸の中心部から光の粒子が溢れて、小さな手に吸い込まれていく。
「まさか、魔力を吸収しているのか……?」
エキュリアはオークの死体を調べてみる。
最初に短剣を刺したオークからは、しっかりと魔石が取り出せた。
けれどスピアが”処理”をした死体には、肉や骨が詰まっているだけだった。
◇ ◇ ◇
スピアが踏み込むと、それを警戒したオークが跳びずさる。
すでに何匹ものオークが、突然現れた落とし穴や土槍に斃されていた。短絡的なオークでもさすがに学習するらしい。
この子供は足下から不可思議な攻撃をしてくる―――、
そんな風にオークは考えたのだろう。
けれど離れようとしたオークの死角から、木枝が鞭のように襲い掛かった。豚面をしたたかに打ち据えて、さらに蔦のように伸びた枝が太った体を樹木へ縛りつける。
スピアの紅い瞳が鋭い輝きを放った。
地面を蹴り、空中で一回転して、スピアは凄まじい勢いで踵を振り下ろす。
捕縛壁踵落とし、といったところか。
脳天を砕かれたオークは、無様な悲鳴を上げて絶命した。
「あと三匹」
残った”五匹”のオークを見据えて、スピアはまた駆け出す。
森を東へと向かう途中、スピアたち二人と一体はまたオーク集団と遭遇した。最初に敵を発見したのはエキュリアで、すぐに身を隠してやり過ごそうとした。けれど指示を出そうとした時には、スピアが突撃を始めていた。
ぷるるんもスピアを追い掛け、追い抜き、オーク集団の中央に飛び込んだ。
乱戦になって、一番活躍しているのはぷるるんだ。
黄金色の巨体でオークを撥ね飛ばし、押し潰し、丸呑みにして次々と仕留めている。ぷるるん無双だ。
集団の中には、杖を持って魔法を使うオークメイジもいた。
炎弾を何発も放って、ぷるるんを焼き尽くそうとしたが、黄金色の体を僅かに溶かしただけだった。直後には苛烈な体当たりを喰らって沈んでいた。
もちろんエキュリアも戦っている。無茶な戦いは避けたいところだったけれど、子供を置いて逃げるなんて騎士の誇りが許さなかった。
仲間の遺品である剣を振るって、オーク一体を仕留めた。
いまは戦斧を持ったオークと対峙している。
武力に関してはあまり自信のないエキュリアだが、それでも消耗していなければ、オークの一体くらいは危なげなく斃せた。
「しかしこれでは、どちらが騎士か分からんな」
エキュリアには苦笑を零す余裕もあった。
その視界の隅で、また一匹のオークが断末摩の悲鳴を上げた。
全身を”鉄の槍”に貫かれて。
これまでも突然に落とし穴が作られたり、木枝が敵を捕縛したりと、不自然な現象が続いていた。けれど”その場にある物が形を変える”といった枠に収まっていた。
その点で、今度の鉄槍はまた不自然度が増している。木の幹から打ち出されたのだが、元あった物質をまったく無視していた。
ともかくもオークが斃されたのは間違いない。
スピアは小さな拳を握って、にんまりと微笑んでいた。
「うん。第二段階のトラップも問題なく使えるみたい」
「第二段階……?」
エキュリアは首を傾げながら剣を収める。
さっきまで目の前にいた最後の一匹は、横合いから飛び掛かってきたぷるるんに押し潰されていた。
焚火の上に鍋を置いて、二人と一体は腰を落ち着けた。
いや、ぷるるんに腰はないのだけど、ともかくも火を囲んで休息を取る。
オーク集団を斃した後も歩き続けて、いまはもう陽が落ちている。まだ街まで距離はあるが、先を急いでも危険を増やすだけだ。
スピアが出してくれた水を口へ運んで、エキュリアは大きく息を吐いた。
今日何度目になるか分からない感謝を述べてから、表情を引き締める。
「さて、そろそろ話を聞かせてもらおう」
「話ですか? 子守唄だったら覚えてますけど……」
「違う! 子供を寝かしつけるための童話などではない! だいたい、そんなものがないと眠れない年に見えるのか?」
「そうですよね。エキュリアおねえさんは、いくつですか?」
「今年で十七になる……ええと、ともかくも話を戻すぞ!」
これまでは急いで行動する必要もあって、エキュリアは色々な疑問を後回しにしていた。だけどいつまでも放置はしておけない。
ひとつ深呼吸をすると、スピアの紅い瞳を真っ直ぐに見据えた。
「まずは……」
「あ、そうだ! この近くに街とかあるんですよね?」
「はぁ? いや、ちょっと待て。ここは私が質問する場面で……」
「ご存知ありませんか?」
スピアはしょんぼりとした顔をする。
膝を抱えて、親に捨てられた子供みたいに。
あまりにも物悲しげな様子に、エキュリアも申し訳ない気持ちにさせられる。
「あ、えっと、街ならあるぞ。ベルトゥーム王国のクリムゾン領と言って分かるか? 私はそこから来たのだ。だから帰り道も分かる」
「帰り道も! 分かる!」
「う、うむ。スピアは街に向かいたいのか? ならば、責任を持って案内しよう」
途端に元気になったスピアは、ぱぁっと笑顔を輝かせる。
対照的に、エキュリアの笑みは歪んでいた。
だけど案内すると言ったのは嘘ではない。スピアには命を救ってもらった恩義を感じている。求められれば、いくらでも力を貸すつもりだった。
「よかった。ずっと野外生活なんてことになったら、さすがに泣いちゃうところでした」
鍋が煮立ってきたところで、スピアは新しい食材を投入した。
ぐつぐつと美味しそうな匂いを漂わせる鍋を、鼻唄を歌いながら掻き回していく。
「しかし……帰り道が分からないとは、この森まではどうやって来たのだ?」
「起きたら、洞窟にいたんです。人攫いです」
ここでようやく、エキュリアは事情を理解し始めた。
経緯は分からないが、スピアは連れ去られてきた。恐らくはこの近くに、人攫いの隠れ家でもあるのだろう。随分と可愛らしい子供だし、これまでの行動でも短慮な部分が目立っていた。悪人からすれば都合の良い獲物だったはずだ。
そう受け止めたエキュリアだが、また疑問も浮かんだ。
「その人攫いはどうしたのだ? 隙を見て逃げてきたのか? それとも……」
「逃げません!」
不愉快です、とでも言うみたいに、スピアは唇を突き出した。
「いまは何処にいるかも分かりません。でも必ず見つけ出して、反省させてあげます。そのためにも、わたしは強くなるんです」
「あ、ああ……そうだな。人攫いなど許される行為ではないからな……」
力強い宣言に押されて、エキュリアは曖昧に頷いた。
スピアが嘘を吐いているとは思えない。だけど話を聞けば聞くほど、状況に対する疑問が増えていくようだった。
「洞窟と言ったな? そこには他に誰かいなかったのか?」
「はい。私一人だけで、最初にぷるるんを呼び出しました」
「呼び出した……? そ、そういえば、そのキングプルンについても聞きたかったのだ。スピアが従えている、という解釈でよいのだな?」
「ぷるるんは、お友達です」
―――さっぱり意味が分からない。
いや、子供に詳しい説明を求めるのが、そもそも間違っているのか?
エキュリアはまた頭を抱える。
ぷるるんにも視線を向けたが、焚火に照らされた黄金色の塊は鎮座しているだけだ。緩やかに揺れる様子は可愛らしくもある。
「まあ、敵意が無いのは分かっている。スライムの従魔というのは珍しいが、これまでも助けられたからな。これがベトン種やエロン種であったら、もっと警戒するところだが……」
「プルンの方が可愛いですよ」
「……それも否定しないが、プルン種は手懐けやすいという話を聞いたことがある」
一言で粘体生物と言っても、様々な種類がある。
エキュリアの述べた三種類が代表的だ。粘液状の体は共通しているが、其々に特徴もある。
ベトン種はより液体に近く、様々な場所に潜んで不意を突いて人を襲う。不定形を極めたような体はやはり物理攻撃に強く、逆に魔法攻撃にはとても弱い。最も知能が低いとも言われている。
エロン種も不定形だが、多くの触手を持ち、円筒状の体になる。触手は剣で斬れるし、魔法攻撃にも弱い。けれど女性の天敵と言える恐ろしい特性を持っている。
「ぷるるんを召喚するには、魔力1000が必要でした」
「は? 召喚だと……?」
「キングベトンは800。キングエロンは、何故か10万です」
「ちょっと待ってくれ。何を言っているのか、意味が分からん」
エキュリアはいっそう深く頭を抱えた。
そんな様子を見るスピアは、不思議そうに首を傾げていた。
不意にスピアは、「ああ!」と声を上げて手を叩く。
だけどエキュリアが疑問の眼差しを向けると、あからさまに目を逸らした。
「えっと、秘密にした方がいいと思いましたー……」
「……まあいい。危険は無いのだろう?」
「もちろんです。その点は安心してください」
頷いて、スピアは鍋へ目を戻した。
ぐつぐつと煮立っているところから、丁寧に灰汁を取り除いていく。
「ぷるるんは、熱いのは大丈夫?」
「ぷるっ!」
頷くように揺れたぷるるんに、スピアは掬った灰汁を放る。
ほとんど熱湯をかけるようなものなのに、ぷるるんは嬉しそうに受け止めた。
「!? お、おい! いま、そいつ声を出さなかったか?」
「え? ぷるるんは喋れませんよ?」
「いや、確かにプルンが喋るなど聞いたこともないのだが……」
エキュリアは黄金色の塊をまじまじと見つめる。
灰汁を取り込んだぷるるんは、少しだけ濁った色をしていた。だけどすぐに元の色に戻って、何事もなかったように佇んでいる。
「気のせい、か……?」
「そうですよ。それよりも、ご飯にしましょう」
差し出されたお椀からは、じっくり煮られた猪肉と茸が良い香を漂わせていた。
脂の染み込んだスープの中から、新鮮な茸や山菜が顔を覗かせている。
エキュリアはごくりと咽喉を鳴らす。ここしばらく、簡素な携帯食しか口にしていなかった。
「……なにからなにまで世話になって、すまん」
「いえ。道を教えてもらうお礼です」
温かなスープを口へ運んで、エキュリアはほっと息を吐く。じんわりと身体の奥まで熱が染み込んでくるのが感じられた。
ふっと気が緩む。だからだろうか。
ほんの半日前に大勢の仲間を失ったのを思い出して、きつく目蓋を伏せた。
「めっ! ぷるるんはもう毒キノコを食べたでしょ!」
「ぷるぅっ」
「って、おい! やっぱりそいつ喋っただろ! それと毒キノコを食べたって、プルンなら平気なんだろうが色々とおかしい!」
エキュリアは立ち上がって黄金色の塊を指差す。
けれどスピアは可愛らしく首を傾げるだけ。ぷるるんも、緩やかに揺れているだけだった。