ダンジョンマスターvsダンジョンマスター⑥
⑥
ゴツゴツとした岩肌の湿った洞窟で、デュミアンは目を覚ました。
『君たちには、ダンジョンの主として神々の使徒と戦ってもらう』
頭に声が響いてきた。
自分の頭がおかしくなったかと思った。意味が分からなかった。
けれど目の前に浮かんだ紅い石に触れた瞬間、様々な知識が流れてきて―――、
込み上げてくる笑いを抑えきれなかった。
デュミアンは商家の次男として生まれた。
そこそこに裕福な家で、それなりの教育を受けて育った。家は長男が継いだけれど、デュミアンは不満を抱きもせず、兄を支える立場に就いた。
商売は順調だったし、デュミアンも平穏な日々を送っていた。
ただ、少しだけ兄と意見が衝突することがあった。
デュミアンの兄は、とても堅実な商売しかしなかった。適切な値段で仕入れた商品を、適切な値段で売る。それだけだ。明らかに値が上がって儲けが出るような物があっても、普段と違ったことには一切手出ししなかった。
そのたびに、デュミアンは意見をした。けれど聞き入れてはもらえなかった。
不満というほど大したものではない。
商売に失敗すれば、ずっと苦しい暮らしを強いられるのは承知していた。
けれど退屈だった。
その退屈は積もり積もって、デュミアンも気づかぬ内に大きな鬱憤となっていた。
そして、その鬱憤を爆発させる機会を与えられた。
「ははっ、ははははは! ダンジョンマスター! いいじゃないか、やってやる! これは大きな商機だ! 冒険だ! なんとしても勝ってみせるぞ!」
迷宮の主と言えば、一般には魔族か、知恵をつけた魔物がなるものだ。
いずれにしても人間の敵となる。
ダンジョンはそう遠くない内に発見され、冒険者や兵士が押し寄せてくるだろう。
攻略されればデュミアンの負けだ。まず間違いなく殺される。
そこに恐れを抱かないでもなかったが、デュミアンの意識は得られる利益の方に傾いていた。
「要は、人を誘い寄せて、肝心な部分に触れさせなければいいんだろ? 商売と同じだ。俺が失敗するはずないんだよ!」
決意して、デュミアンはすぐに行動へと移った。
いきなり全魔力を注いで強力な魔物を召喚、なんて真似はしない。
そんなのは馬鹿のすることだと思っている。
まず最初に行ったのは情報集めだ。
コアから与えられた知識を調べるのは元より、ダンジョン周辺の地理や、国家や街の位置など念入りに調査を行った。情報の大切さは、商売でも学んでいた。
しかし、調べてみて驚愕させられた。
「なんだ、ここは……孤島なのか!?」
デュミアンがいたのは暗い洞窟の中だ。
けれどコアの機能に頼れば、ダンジョン領域の様子は把握できた。
目の前には映像が浮かんで、小さな島を映し出していた。
本当に小さな島だ。
僅かに草木も生えているが、数十名も暮らせないだろう。ふとした拍子に周りの海に呑み込まれてしまいそうでもある。
岩礁地帯と並んでいるが、人どころか、ほとんど生き物すら見掛けられない。
潮流が激しいからか、魚すら寄り付かないようだ。
「これじゃあ冒険者が来るどころの話じゃない……安全かも知れないけど、俺の方が飢え死にしちゃうじゃないか」
焦りを覚えたデュミアンだが、さらに情報集めを続けた。
鳥型や虫型の魔物を召喚して、ダンジョン領域外の偵察も行わせた。
結果、デュミアンは勝算を見出した。
ダンジョンの本拠地があるのは、確かに人の寄り付かない孤島だった。
けれど海を挟んで北側は、ベルトゥーム王国の領土となる。人魚たちも暮らすセイラールの街も近い。
幾分かの魔力を消費すれば、孤島と陸地とを繋げるのも可能だった。
けれどデュミアンは別の選択をした。
「この島に本拠を置いたまま、陸地まで海中を通路として繋げる。そして……第二の領域を作り、そっちに侵入者どもを招きよせる!」
ダンジョンの決まり事として、コアから完全に独立した領域は設置できない。
しかし繋がっていればいいのだ。
それは人一人が通れる程度の、水に沈んだ領域でも構わない。
つまりは、深い海底を通らなければ本拠地には攻め込めない構造にする。
第二領域を本物のダンジョンと思わせれば、侵入者は本拠地の存在にすら気づかない。海底に入り口を作ることになるが、擬装しておけば人魚でもそうそう発見はできないだろう。
そう考えをまとめると、デュミアンは詳細な設計を練り始めた。
「この構造なら勝てる。絶対に、成功する!」
第二領域を街道近くに設置すると、その入り口はすぐに発見された。
デュミアンの目論見通りだ。
瞬く間に、ダンジョンには大勢の冒険者が訪れた。
僅かな宝に誘われるまま、デュミアンの思惑に気づかぬまま、魔力と生命を献上してくれた。
ただ、少々の計算違いもあった。
第二領域の攻略が、デュミアンの想定以上に速く進んでいた。
そもそもデュミアンは商人だった。
ダンジョンコアから知識を与えられたとはいえ、戦いの経験などない。冒険者から話を聞いたことはあっても、実戦的な魔物の利用方法や、効率的な罠の設置場所などは試行錯誤するしかなかった。
それでもデュミアンは、ほくそ笑んで日々を送っていた。
元より、第二領域は攻略されても構わないのだ。
まだ十階層しかない浅いダンジョンだが、深層には海水を利用した罠が多く設置してある。それで多くの冒険者を足止めできていた。
よしんば最後の部屋まで到達されても、そこにダンジョンコアは置かれていない。それどころか、冒険者を閉じ込め、海水で圧殺する確実な仕掛けを施してある。
ダンジョン自体が偽り。
それを見抜かれない限りは、デュミアンに危機は訪れない。
少なくとも、デュミアンはそう確信していた。
そうして冒険者を撃退する日々が続いて、着実に魔力も溜まってきた。
溜まった魔力で、さらに守りを強化できている。
海底から攻めてくる者への備えも整えられた。
巨大な蛸や海蛇の魔物を召喚して、本拠地である島の守護を命じた。
たとえ人魚の軍勢に攻められても耐えられる。予備の魔力を注ぎ込めば撃退も難しくない。
「くくっ……いまなら、兄さんが堅実に生きていたのも理解できる。世の中には馬鹿が多すぎるよ。宝に目が眩んで冒険なんて、身を滅ぼすだけだ」
安全なダンジョン運営を心掛けるだけで、デュミアンは充分に満たされていた。
魔力さえあれば、コアを介して様々な物を召喚できる。
食べ物も、酒も、あるいは女だって望み放題だ。
外に出られない不満はあるが、我慢できないほどでもない。
偶に冒険者を捕らえて、嗜虐心を満たすこともあった。
「このまま事故でもなければ、半年後には街にも攻め込めそうだな」
本拠地に置いたデュミアンの私室も、かなり豪華なものとなっていた。
柔らかな椅子に腰掛け、デュミアンは酒の注がれたグラスを片手に思案を巡らせている。足下には首輪を嵌めた冒険者だった女を侍らせていた。
「あの街なら人魚も味わえるか。その次は、国を乗っ取るのも―――」
悪辣な笑みを浮かべた直後、デュミアンはその表情のまま凍りついた。
部屋全体に響いた轟音。そして衝撃も襲ってきた。
デュミアンは椅子から転げ落ちて、手にしていた酒を頭から被ってしまう。
「な、なんだ? なにが起こった!?」
声を荒げても、答えられる者はいない。
本拠地にいた僅かな魔物も、首輪を嵌められた冒険者も、皆一様に混乱していた。
小刻みに震える床に手をついたまま、デュミアンは外の映像を浮かべる。
そこには信じ難い光景があった。
海に巨大な穴が空いている。
まるで強力な魔法を撃ち込まれたように、ぽっかりと黒い円が作られていた。
しかもそれは、デュミアンがいるこの孤島のすぐ近くだ。
ほんの少し狙いが違っていたら、孤島ごとデュミアンも消え去っていただろう。
「まさか、冒険者が仕掛けてきたのか? ここの場所がバレた? いや、それにしてもいきなり魔法を撃ってくるのもおかしい……」
喋りながら、デュミアンは自分を落ち着かせる。
ともかくも情報だ。状況確認をしようと思い至る。
そして、気づいた。
「なっ……反応が消えてる? 船呑蛸も、海禍蛇も……巻き込まれたのか!?」
海の守りに置いてあった魔物の何匹かが消えていた。
元々、それほど数は用意していなかった。しかしどれも強力な魔物だ。最後の砦となる魔物だからと、かなりの魔力を注ぎ込んでいた。
それが、不意打ちで、戦いもせずに斃されてしまった。
「くそっ、大損だ! 誰の仕業か知らないが、只じゃ済まさないぞ!」
怒りを撒き散らしながら、偵察用の魔物に指示を出す。
空からの映像が次々と送られてきた。その中に、気になるものがひとつあった。
「なんだ? 大きな魔力反応……!」
そちらの映像に目を向けた直後、また衝撃が襲ってきた。部屋全体、いや孤島全体にビリビリとした震動が伝わってくる。
映像の中では、島から少し離れた位置に巨大な光の柱が立っていた。
「この攻撃……極光殲滅魔法ってやつか!?」
歯噛みしながら、デュミアンは混乱の一歩手前で踏みとどまる。
荒い呼吸を繰り返しつつも、素早く思考を巡らせた。
本当に殲滅魔法なのかは分からない。デュミアンは商売はともかく、魔法には詳しくないのだから。
けれど大規模な魔法攻撃を受けているのは事実だ。
つまり間違いなく本拠地の場所がバレている。
そうでなければ、こんな何もない孤島に魔法を撃ち込む理由はない。
デュミアンはそう判断した。
まさか、練習で殲滅魔法をぶっ放しているなどとは思い至れるはずもなかった。
「あれだけの魔法が使えるってことは宮廷魔術師か? でも街には軍隊が入った様子はない……冒険者ギルドの精鋭ってところか?」
いずれにしても、このまま黙って見ていればダンジョンごと消されてしまう。
すぐにでも対策を打つ必要があった。
「この島を強化するか? 壁で囲んで……いや、人魚に攻め込まれるかも知れない。だったら魔物で固めて、とにかくあの魔術師は倒さないと」
偵察で、元凶である魔術師の姿も捉えられていた。
まだ子供にしか見えない女魔術師だ。
その隣にも子供がいて、海辺で遊んでいるようにも見える。
しかし事実、その子供は黒い杖を掲げて、殲滅魔法を放ってきていた。
困惑を覚えながらも、デュミアンは決断する。
コアを操作して、召喚可能な魔物のリストを探っていった。
「使える魔力量は二千くらいか。中位のドラゴンも召喚できるな。でも海で戦うことも考えると……コイツに賭けてみるか」
そうして選ばれた暴嵐鮫は、島を囲う海中へと召喚された。
残った他の魔物も掻き集める。
殲滅魔法でかなりの数が減らされてしまったが、それでも多少の戦力にはなるはずだった。
そしてデュミアンは命令を下した。
最後となる命令を。
「あの子供を、魔術師をなんとしても殺せ! いっそ人魚の村ごと―――」
その言葉は最後まで告げられずに、光の中に呑み込まれた。
殲滅魔法が直撃したのだ。
けっしてダンジョンを狙ったものではなかったが―――。
真実を知ることもなく、商人だった一人の男は消え去った。
ダンジョンと、集められていた魔物とともに。
けれど生き残った魔物もいた。
咄嗟に光の柱から逃れた暴嵐鮫は、しばしぼんやりと海中を漂っていた。
もはやダンジョンマスターの命令には縛られていない。
それでも意識の下に、最後に与えられた目的として刻まれていた。
やがて暴嵐鮫は動き出す。
お腹が空いたからと、獲物を探すために。
ゆっくりと海中を巡りながら、次第に陸へと近づいていった。
◇ ◇ ◇
砂浜に上がった暴嵐鮫は、小さな獲物をじっと睨んだ。
美味しそうではある。だけど空腹を満たすには足りない。
それでも、とても魅力的な獲物に見えた。
自分ほどではないが大きな魔力を抱えているのを感じ取れたから。
魔力を喰らえば喰らうほど、魔物である暴嵐鮫はより強く成長できる。
それを本能で理解していた。
だから、全力で喰らおうと嵐を纏った。
砂と風が混じり合って、暴嵐鮫の周囲に暴力的な壁を作り出す。
視界も塞がれるが、そんなことは暴嵐鮫にとって障害にならない。臭いや魔力反応だけで、充分に獲物を捉えられた。
小さな獲物が突撃してくるのも見て取れた。
その行動には驚かされた。けれど同時に、馬鹿な獲物だとも思った。
「なっ……待つのじゃ! 嵐に弾き飛ばされるぞ!」
暴嵐鮫には人間の言葉は分からない。
けれど相手が慌てているのは察せられた。
慌てている。つまり自分に対して怯えている。
そう理解して―――直後、呆気に取られた。
嵐の壁が、あっさりと叩き割られたから。
「わたしの故郷では、台風なんて日常茶飯事です」
振り下ろされた小さな手刀が、砂嵐を両断していた。
暴嵐鮫は唖然として固まる。
そのまま、頭を蹴り上げられて高々と宙を舞っていた。
何が起こったか分からない。ただ、とんでもない失敗をしてしまった気がする。
そう混乱しながら、暴嵐鮫は砂浜へと落下して―――、
巨大な鉄の顎門に食い千切られた。
「うわ、トラバサミってやっぱり凶悪ですね。禁止されるのも納得です」
「こっちはさっぱり納得できぬわ!」
ロウリェの怒鳴り声が響く。
だけど砂浜の平和を守ったスピアは、満足げに微笑んでいた。
第二のダンジョンマスター、あっさり退場です。
期待していた方には申し訳ありませんが、怒りは彼の不甲斐なさにぶつけてください。
海の定番、触手持ちのタコも、ほとんど出番もなく退場していました。
他にも感想欄を見ると、微妙に合ってる人もいましたね。
深き者どもとか、海底のダンジョンマスターはそうと言えなくもない……?
ちなみに台風と竜巻は違うものですが、スピアはそんなことを知りません。
次回は第二章エピローグ。
その後の幕間とかは短いのでちょっとだけ連日更新になる予定です。