超激マズ特訓
⑤
遠くの海原に木箱が浮かんでいる。
一本の柱が立てられた木箱は的だ。柱には二重丸が描かれた旗も付けられている。
太い光が空中を貫いていって―――、
旗のずっと上を通過して、遠くの海原へと撃ち込まれた。
高々と光の柱が沸き上がり、熱と衝撃によって海面に大きな穴が空いた。
「ふっ……心まで震えさせるような音、ずっしりとした衝撃、完璧すぎる」
「どこがじゃ! 完璧に狙いを外しておるわ!」
ビターン、と。
ロウリェの振り回した尾ヒレが、ユニの顔面をしたたかに打ち据えた。
まあ、さほど力は込められていない。
精々、ユニが顔を赤くして悶え転がるくらいだ。
そのままユニは正座をさせられ、もはや何度目になるか分からない説教を聞かされる。
「よいか、魔力制御とはそもそも―――」
魔法の基本的な理論から、その応用法、魔術師に必要とされる振る舞いまで、ロウリェはつらつらと語っていく。
やはり見た目は幼女なのに、伊達に巨乳、もとい長く生きてはいない。
教育的指導が一区切りするところで、スピアが近づく。
「はいユニちゃん、お薬の時間だよ」
「ひっ……!」
異臭を放つ小瓶を手元で揺らして、スピアはにっこりと微笑む。
ユニはわたわたと逃げようとするが、正座で痺れた足では無理な願いだった。
ロウリェから羽交い絞めにされる。
スピアにもがっしりと顎を掴まれる。
そうして超激マズ回復薬を飲まされて、ユニは声にならない悲鳴を上げた。
「これでもう今日は五本目か。それでも魔法を撃つのをやめぬのは、大した根性と誉めるべきかのう」
「この味にも慣れたのかも知れませんよ?」
「慣れるかぁー!」
珍しく声を荒げて、ユニは抗議する。
だけどまた黒杖を握り締めて、次の殲滅魔法を撃つべく崖の先へと向かった。
はじめて人魚の村を訪れてから、すでに三日―――、
超激マズ特訓は続いていた。
数を重ねたおかげか、ロウリェの指導がいいのか、あるいは超激マズ薬から解放されたい必死さがそうさせたのか。次第に、ユニの殲滅魔法は正確さを増していた。
特訓をしているのはユニだけではない。
ぷるるんも特訓中だ。海に浮かんで、泳ぎの特訓をしている。
人魚に囲まれて楽しそうだが、けっして遊んでいるだけではない。
ぷかぷかと浮かんでいるだけに見えたりもする。
だけど新技の開発にも勤しんでいたりもする。
また合流したエキュリアも、人魚族の女戦士から剣技の指南を受けていた。
常に水流の抵抗を受ける海で生活するだけあって、人魚たちは身体能力に優れている。主に槍を使い、加えて水の精霊魔法も扱える。
砂浜で模擬戦をするだけでも、エキュリアには良い訓練になっていた。
そして、スピアも―――。
「ぐぅっ……この不味さは、ぷるるんでも逃げ出しそう」
超激マズ薬を飲んで、スピアは思いきり顔を顰めた。
ばしばしと岩肌を叩いて悶絶するのを堪える。
口内の不味さが消えるのを待って、スピアは岩場に並べた魔石を手に取った。
ユニの黒杖に付ける魔石の交換用だ。全部で十個以上もある。
ダンジョンマスターであるスピアは、倒した魔物や、自分の”領域”にいる人間から魔力を吸収できる。けれど外部に頼るばかりでもない。
スピア自身も、当然ながら魔力を生み出している。
何もしなくても、一日およそ魔力量五〇。
これは殲滅魔法にすれば二~三発は撃てることになる。常人とは桁違いだ。
おまけに、それを際限無く溜め込めるときている。
しかしスピアは満足することなく、さらに魔力量を増やそうとしていた。
「んん~、けっこう難しい……」
「おぬしは何をやろうとしておるのじゃ?」
「ちょっとした戦力強化です」
曖昧な返答をして、スピアは魔石に魔力を込めていく。
そうしている内に、またユニの殲滅魔法が放たれた。
太い光は、今度は僅かに的を掠めて海面に突き刺さった。直後に白光を放つ柱が広がって、激しい高波が巻き起こる。
そのまま波が押し寄せれば、人魚の村にも被害は及ぶだろう。
けれど周囲の潮流に揉まれて、高波は緩やかなものへと変わっていく。
砂浜に打ち寄せる頃には、ぷるるんの泳ぎを邪魔する程度の勢いにしかなっていなかった。
「ふぅ……今度は威力の調整も上手くいった」
ユニはほっと息を吐く。
黒杖に嵌められた魔石はまだ幾分か輝きを保っている。以前はすべての魔力を注ぎ込んでしまったユニだが、今回は抑えることが出来ていた。
なるべく薬を飲む回数を減らしたい、という切実な想いもある。
「喜ぶでないわ。それくらい、魔術師なら出来て当然じゃぞ」
「でも一歩前進なのは間違いないよ。この調子なら、弱点克服も早いかもね」
新しい魔石をユニへ手渡しながら、スピアは首を回した。
砂浜では、エキュリアが稽古の手を止めて呼吸を整えている。ぷるるんも一休みするところだった。
「そろそろお昼だし、わたしたちも休もうか」
「もうこんな時間か。よし、おまえたち、昼食の支度じゃ!」
ロウリェが声を上げると、近くを泳いでいた人魚たちが集まってくる。
指示を出されて、またすぐに海へ潜っていった。
「おぬしから譲ってもらった“ショーユ”の礼じゃ。飛びきりの海鮮料理を振る舞ってやろう。楽しみにしておれ」
「はい。ご馳走になります」
遠慮無く、スピアは笑顔を輝かせる。
ここ数日、人魚の村に通い詰めていた。おかげでスピアたちはすっかり顔馴染みになっている。
海から光の柱が上がるのには最初こそ驚かれたが、ロウリェが住民への説明をしてくれた。いまではもう「またか」としか思われていない。
まあ、街の方ではまた別の騒動になっているのだが―――。
ともあれ、互いに良好な関係を築けていた。
「では、ワシも適当に狩りをしてこよう。何か食べたいものはあるか?」
「ウニをお願いします。ウニ!」
「あれか……確かに美味かったが、よく食べようと思ったものじゃのう」
「もしくはアンコウで!」
「おぬし、実はゲテモノ好きなだけではあるまいな?」
苦笑を零しつつ、ロウリェは銛を持って海へと飛び込んでいった。
自分と同じくらい小柄な背中を見送ってから、スピアは空の魔石を手に取る。
まだ回復薬の効果も残っているので、魔力を込めていくのは簡単だった。
隣に杖を置いたユニも、静かに腰を下ろした。
「……スピア、ひとつ聞きたい」
ぼんやりとした眼差しで、ユニはスピアを見つめた。
眠たそうな表情はいつものものだけど、少しの疲れも滲んでいる。大きな魔法を何度も撃つのは、肉体にも負担となるのだろう。
それでも、ユニは一度も弱音を吐かない。
超激マズ回復薬を嫌がってはいても、本気で逃げ出そうとはしなかった。
その点はロウリェも誉めていた通りで、スピアも感心していた。
「わたしに質問? 他に珍しい海産物なら……」
「そうじゃない。真面目な話」
ユニは正座をして背筋を伸ばす。
ふざけてはいけない空気を察して、スピアも真面目な顔で向き合った。
「……どうしてスピアは、ここまで協力してくれる?」
「協力って、魔法の特訓のこと?」
「そう。スピアに悪意があるとは思っていない。だけど……」
ユニは俯くと、視線を地面に彷徨わせながら言葉を繋げた。
「住む所を用意してくれたり、隣町まで護衛してくれたり、人魚との交渉をまとめてくれたり、杖や魔石をくれたり……私は何かを返すどころか、食費さえ稼いでいないのに……」
「まるっきりヒモだね!」
「は、はっきり言わないで欲しい!」
耳まで真っ赤にして、ユニは抗議する。
だけどその肩を、スピアはぽんと叩いた。
「ユニちゃんを応援するのは、わたしがそうしたいって思ったからだよ。だから返すとか、借りとか、そんなこと考えなくてもいいの」
「……でも、それじゃぁ……」
尚も抗弁しようとするユニを抑えて、スピアは朗らかな笑みをみせた。
「わたしも帰れないんだ」
「え……?」
「エキュリアさんにも話したけど……人攫いに遭って、何処かも分からない洞窟にいたの。望めるなら、いますぐにでも家に帰りたい。だけど、とても遠くて……」
だから―――ごめんね、とスピアは困ったように目を細めた。
「ユニちゃんを故郷まで送り届けたい。これは、同情なんかじゃない。見返りも期待してない。だって、わたしの我が侭だから。それくらい簡単に出来なきゃ、わたしも家に帰れないと思うから」
違う者が言えば、それは重い覚悟に聞こえたかも知れない。
だけどスピアは、なんでもないことのように言ってのけた。
まるで夕食になにを食べたいのか言うみたいに―――。
「あ! ロウリェさんにアワビもお願いすればよかった!」
「……えっと、スピア? いま大事な話をしていたと思うんだけど……?」
「アワビだって大事だよ!」
むぅ、とスピアは唇を尖らせる。
けれどひとつ息を吐くと、またすぐに柔和な笑みを浮かべた。
「まあいいか。海は逃げないからね」
「食材は逃げるかも知れないけど……」
「とにかく、ユニちゃんは魔法の練習を頑張ってくれればいいの。ユニちゃんが諦めないでいてくれるのは、わたしの励みにもなるんだからね」
ぺしぺしと岩肌を叩きながら述べて、スピアは話を打ち切った。
その耳は微かに紅潮していた。
照れているのは明らかだったけれど、ユニは茶化しはしなかった。
「ありがとう、スピア」
小さく頭を下げたユニは、口元を綻ばせる。
それはとても自然な微笑みだった。
これまでも二人は気を許してはいた。だけどいま確かになにかが取り除かれた。
「ついでに、ひとつ聞いてほしい。私がダンジョンに拘る理由」
「うん。聞くよ。どーんと!」
「……えっと、そこまで身構えられても困る……」
戸惑い、苦笑しながらも、ユニはあらためて真面目な顔をする。
「よくある話。私の故郷の街は、近くにダンジョンがあった。最初の内は、そこから得られる宝などで街が栄えていた。だけどやがて、魔物が溢れて―――」
スピアはしっかりと口を閉じて話を聞いていた。
遮るつもりなんてなかった。
だけど上空で、トマホークが甲高い声を上げた。それは警戒を促す声だ。
「―――ユニちゃん!」
「え……わぁっ!?」
スピアがユニの腕を引く。
ほぼ同時に、太く長い影が二人の頭上に現れた。
崖下から一気に飛び上がってきたそれは、巨大な鮫だった。
人間数名を丸呑みにできそうなほどの体躯は尋常ではない。さながら数百年を生きた巨木を思わせる。
巨大鮫は僅かに滞空し、ギロリと二人を睨んだ。
そして落下。重力とともに身を捻って加速し、牙の生えた口を開く。
岩ごと喰らってやる、と鋭利な牙が語っているようだった。
もしもスピアがユニを抱えて跳び退かなければ、そのとおりになっていただろう。
思い切り跳んだ二人は、砂浜まで落ちてゴロゴロと転がった。
その間に、ガリガリと岩場が削られる。
獲物を捉え損なった牙だけでなく、硬い鮫の肌が荒々しい音を立てて通過した。
突っ込んできた勢いをそのままに砂浜を滑っていく。
「なんじゃ!? コヤツは……!」
海に潜っていたロウリェも、異常を察して戻ってくる。
銛を構えて、素早くスピアたちの前に立った。
砂浜を滑った巨大鮫も、くるりと身を翻す。
三人と一匹は、静かに睨み合った。
「あの背の角、ただの鮫ではない……」
ロウリェが見据える先、巨大鮫の背には確かに尖った角が生えていた。
まるで棘のように白い突起が三本、仄かに青白い光も纏っている。
「まさか、暴嵐鮫か!」
「そんな……あの暴嵐鮫が!?」
「うむ、おぬしでも驚くか。無理もないがここは冷静に……」
「あ、いえ。勢いで言ってみただけです」
あっけらかんと述べたスピアに、ロウリェが頬を引きつらせる。
危うく銛を取り落としかけたが、そこは辛うじて堪えていた。
「と、ともかく、尋常な魔物ではないのじゃ!」
ロウリェの言葉を肯定するように、暴嵐鮫の背で角が輝きを増した。
途端に、周囲の砂が舞い上がる。
”嵐”の名を冠している通りに、巨大な全身を竜巻のような風で覆っていく。
轟音が響き、砂浜が削られる。
なにもかもを跳ね除けそうな威圧に、押し寄せる波まで怯えているようだった。
「あれが暴嵐鮫の厄介な能力……嵐で守られ、近づいただけでも肉が削がれるのじゃ。地上でも、もちろん水中でものう。あれを仕留めるには持久戦に引き込むしかない。子供には無理じゃ。ここはワシに任せて、おぬしらは逃げるのじゃ」
ロウリェとて、伊達に大勢の人魚から族長として認められてはいない。
その判断は適切だった。
ただしこの場合は必ずしも正しくはなかった。
少なくとも、言葉の選択だけは間違っていた。
「逃げません!」
ほとんど反射的に言い返して、スピアは駆け出す。
嵐の中心へ。躊躇いもなく。
狂暴な牙を睨んで、スピアは一直線に突撃していった。
真面目な話をしようとすると邪魔が入る。
それもダンジョンではよくあることですね?
そして海と言えばサメ。
次回は、他にも海の定番が出るかも知れません。