良薬口に苦し
④
いきなり地面に現れた小瓶。
薬が入ってると言われても、それを飲むのは躊躇うだろう。
普通なら、入念に調べて安全を確かめるところだ。
しかしディティモーブは一気に飲み干した。
「まだ、あげるとも言ってないんですけど……まあいっか」
呟くスピアを余所に、ディティモーブは海へ向けて走り出した。
バシャバシャと水飛沫を上げる。そのまま泳ぎ出すと、水中へ潜っていった。
一緒にいたギルド職員二名が慌てた声を上げるが、その時にはもうディティモーブの姿は水面の下へと消えていた。
「元気な奴じゃのう」
「そうですねぇ」
「そしておぬしは、呑気な奴じゃ」
「いえいえ。それほどでもありません」
「だから、誉めておらんわい!」
ロウリェは眉を吊り上げる。
けれど本気では怒っておらず、頬を膨らませる様子はやはり子供みたいだった。
そうしている間に、ディティモーブが海から上がってくる。
寒さで全身を縮こまらせていたが、その顔は上機嫌に緩んでいた。
「本当に水中呼吸の効果があった。あれはどうやって出したんだ?」
「秘密です!」
スピアは元気よく答える。勢いで誤魔化すことにしたのだ。
ダンジョンに置く宝物の中から選んで“創造召喚”した、とは言えない。
さすがに初対面の相手だ。ダンジョン魔法のことを打ち明けるのはよろしくないだろう。
それくらいの分別はスピアだって持っていた。
「秘密か……いや、ともかく本物なんだな?」
「鑑定魔法とか掛けてくれてもいいですよ。効果時間は半日ほどです」
「これまでの薬と同じくらいか。よし、譲ってくれ。いまなら三割、いや五割増しの価格で……」
「それはダメです」
スピアは手を上げて、ディティモーブの言葉を止めた。
横で話を聞いていたロウリェを一瞥、それからユニへと目を向けなおす。
珍しく、真面目な顔になって問い掛けた。
「ユニちゃんは、自分でダンジョン攻略したいかな?」
水中呼吸薬が冒険者たちへ渡れば、ダンジョンの攻略は進むだろう。
けれどそれは、ユニが望まないことかも知れない。
ダンジョンへの憎悪にも似た執着を、ユニは見せていたから―――、
そうスピアは思案した。
ユニはぼんやりと話を聞いていたが、静かに首を振った。
「……構わない。ダンジョン攻略が進むなら、誰の手であっても」
「そっか。よかった」
にんまりと笑って、スピアは呼吸薬を差し出す。
ディティモーブへではなく、ロウリェへと。
「贈り物です。受け取ってください」
「……おぬし、何を考えておる?」
「殲滅魔法を撃ちまくるので、許可をください」
ロウリェは額に手を当てて、ディティモーブは目を白黒させる。
唐突すぎる話の流れに追いつくのも難しいだろう。
殲滅魔法という物騒な言葉を出されては、驚くのも無理はない。
「あと、いくつか魔石も貰えると嬉しいです」
ともあれ、交渉の主導権はスピアが握ったようだった。
百個の水中呼吸薬を抱えて、ディティモーブはほくほく顔で去っていった。
元々、諦め半分で頼みにきていたそうだ。
そこで上々の成果を得られたのだから、喜ぶのも当然だろう。
少々の出費はあったが、それも計算の内。ダンジョン攻略が進むなら安いものだ。
冒険者ギルドと、人魚と、そしてスピアと、三者の思惑が入り混じった交渉は少しばかり混乱した。主にスピアの所為で。
それでも結局は、其々が満足する形で交渉はまとまった。
「しかしおぬし、欲がないのう」
「そうですか? けっこう欲張ったつもりですよ」
ロウリェの手元には、金貨の入った革袋と、一枚の契約書が残された。スピアから贈られた水中呼吸薬を、ギルドへと売りつけたのだ。
ただで手に入った物を右から左へ流すだけで、金貨ががっぽりと得られた。
ついでに、無理な要求に煩わされることもなくなった。
人魚丸儲けである。
上機嫌らしく、ロウリェはびちびちと尾びれを揺らして岩肌を叩いていた。
それに、スピアは気づいていないが―――、
人魚の族長として、将来の憂いを排除できたというのもある。
もしも呼吸薬が足りないまま、ダンジョン攻略も進まなければ、冒険者からの不満が人魚に向かったかも知れない。魔物が溢れて街への被害が出れば、住民からの怒りや恨みも加わっただろう。
人魚が協力しなかったから被害が出たのだ、と。
理屈では人魚たちは悪くないのだが、感情の問題だ。
いざとなれば人魚の戦士を集めてのダンジョン攻略も、ロウリェは考えていた。
そんな不安を取り除いてもらえたのだ。
安堵し、上機嫌にもなる。
一方で、スピアも満足できる結果となった。
殲滅魔法の練習には、ロウリェが付き合ってくれることになった。
派手にぶっ放しても安全な場所へ案内してくれるという。
それだけでなく、可能な範囲で魔法の手ほどきもすると約束してもらえた。
人魚は水の精霊魔法が得意で、ロウリェは他の魔法にも通じている。
良い教師になってくれるだろう。
「あまりにも破壊が広がるようなら止めるがのう。まあ、母なる海は寛大じゃ。魔法の百発や二百発では傷にすらならんわい」
さらに魔石も、冒険者ギルドから譲ってもらえることになった。
オークを倒して得られる程度の下級魔石だが、それを百個。
魔力量にして、およそ五百といったところだ。
実のところ、それを呼吸薬に換算すると、千個は作れる計算になる。
スピアも丸儲けだった。
「長生きしておると、魔法に関してもそれなりに詳しくなってのう」
いまスピアとユニは、ロウリェに連れられて浜辺を移動していた。
魔法の練習をするのに適した、見晴らしの良い場所があるという。
「しかし、おぬしが使ったような魔法は見たことがない。あれは何じゃ?」
「大したものじゃありません」
「誤魔化されぬぞ。あれだけ複雑で緻密な魔法陣、宮廷魔術師でも扱いきれぬほどのものではないか」
「宮廷魔術師って、カッコイイ響きですね」
「そうではなくてじゃな……はぁ、もうよいわ」
ロウリェは軽く肩をすくめる。呆れたとか諦めたとかではなく、言葉通り、単純に追及する気がなくなったらしい。
長寿であっても、やはり人魚は大らかな性格をしているようだ。
そんな話をしている間に、砂浜は途切れて、三人は高い崖の上へと辿り着いた。
見渡す限りの広い海が続いている。
崖下には、激しい波が繰り返し叩きつけてきていた。
「犯人が追いつめられそうな崖ですね」
「なんじゃ、それは? 人間には犯罪者を崖から突き落とす風習でもあるのか?」
「もしくは、自殺の名所になりそうです」
「訳が分からぬわ!」
声を荒げてから、ともかく、とロウリェは広い海を指し示した。
「ここから先の海ならば、船も人魚も立ち入らぬ。潮流が激しくてのう。貝は潜んでおるかも知れぬが、魚すら避けるようなところじゃ」
「いくつか島があるみたいですけど?」
「ほとんど岩のようなものじゃ。少なくとも、人は住んでおらぬ」
念の為に、スピアはトマホークに指示を出した。
上空を舞っていたトマホークは、一鳴きすると、岩礁が並ぶ辺りを旋回していく。そうして一巡りすると降りてきて、スピアの掲げた腕へ止まった。
大きな鷹の姿に、ロウリェがまた目を見開く。
「魔物使いでもあったのか……おぬし、本当に何者なんじゃ?」
「ただの、ひよこ村村長です」
「はぁ? おまけに村長じゃと? さっぱり意味が分からぬわ!」
怒鳴り声から目を背けつつ、スピアはトマホークを地面へ降ろした。
それよりも、と話を移す。
「やっぱり人は居ないですね。ただ、岩場に大きな蛇の魔物がいるみたいです」
「蛇の魔物? シーサーペントかのう。あやつは海の中で隠れるように育って、姿を見せる時は大物ばかりじゃから厄介なのじゃ」
むしろ倒してくれれば助かる、と言いながらロウリェは身を屈めた。
どうやらトマホークが気になるらしい。
そっと手を伸ばして羽毛に触れようとする。
だけど嘴で突かれそうになると、慌てて手を引っ込める。
そんな仕草は、本当に子供みたいだった。
「なんにしても、殲滅魔法を撃っても大丈夫ってことですね」
「うむ。派手にやるがよい」
話がまとまって、スピアとロウリェは振り返る。
二人の視線の先には、これまでずっと静かだったユニがいた。
海風を受けて、三角帽子を押さえながら佇んでいる。
「ふっ……」
口元を薄めて片手を上げる。
海を指差して、妙なポーズを取ってみせた。
「このまま忘れ去られるかと思った。だけど……ここからは私の独壇場。渾身の殲滅魔法で、海ごと消し飛ばしてみせる」
「……こやつもまた、随分と変わっておるのう」
「さすがに海を消し飛ばすのは難しそうだけど……でも、その気迫は大切だよね」
うんうんと頷きながら、スピアは手元に『倉庫』の影を浮かべた。
そこからエキュリアに取り上げられていた黒杖を引き出す。
またもロウリェが驚いた顔をしていたが、スピアは気づきもしなかった。
「それじゃあ、解放の時だよ。思いきり撃っちゃおう」
「待ち侘びた。今こそ、私の全力を……?」
力強く頷いたユニだが、黒杖を受け取ったところで首を傾げる。
杖の先に付けられている三つの魔石を見つめて、不安そうに眉根を寄せた。
「あの……スピア? この魔石、ひとつしか光ってないんだけど?」
「うん。控えめにしておいたよ。そっちの方が安全だからね」
「そんな……」
がっくりと項垂れて、ユニは地面に両手をつく。
よっぽど最大威力の一撃を楽しみにしていたようだ。
だけど黒杖に備えられた魔石は上質な物なので、ひとつ分でも充分に事足りる。
それに、スピアはまた別の備えもしてあった。
「そんなに落ち込まないで。今回は練習が目的なんだから、質より量だよ」
「……? どういう意味?」
「目標は、一日二十発だね」
ユニとロウリェが、ぱちくりと瞬きを繰り返す。
殲滅魔法による消費魔力は膨大だ。とても日に何発も撃てるものではない。
魔石を使ったとしても金が掛かる―――、
そんな疑問を二人が覚えるのは当然だった。
けれどスピアは自信たっぷりに、『倉庫』からいくつかの小瓶を取り出した。
「魔力を消費するなら、回復させればいいんです」
「なんじゃと……? まさか、魔力回復薬か? しかしあれも高価な代物じゃぞ?」
「はい。でもこれはとっても安いんですよ。露店でも投売りされるくらいに」
スピアが小瓶の蓋を取る。
途端に、筆舌に尽くしがたいほどの刺激臭が漂った。
潮の香りも打ち消すほどの臭いに、ロウリェもユニも揃って鼻を摘む。
「ダンジョン名物、激マズ魔力回復薬です」
それは一般にも広く知られている。
主に、嫌がらせや罰ゲームに使う玩具として。
オークすら悶絶すると言われる味なのに、薬としての効果はとても薄い。良薬口に苦し、といった意味の諺はこの国にもあるが、この薬には完全に否定される。
ただ、臭くて不味いだけ。
魔力回復を図るなら、瞑想でもした方がよっぽどマシなくらいだ。
けっこうな頻度でダンジョンの宝箱から入手できるのだが、ぶっちぎりで一番の不人気アイテムだった。
「スピア……まさか、それをガブ飲みしろと?」
ユニは身の危険を感じて後ずさりする。
背後は崖だが、まるで追いつめられた犯人みたいな必死の表情だ。
「違うよ。わたしだって、そこまで鬼じゃないんだから」
だけど、とスピアはまた別の小瓶を取り出す。
そちらも蓋を開けると、また違った悪臭が漂い始めた。
「こっちもダンジョン名物、激マズ強壮薬です。こっちはそれなりに効果のある薬ですけど、やっぱり不味さの方が知られてますよね。でも、こうすれば……」
二種類の薬、さらにもうひとつ謎の錠剤を、別の瓶へと注いで混ぜ合わせる。
もちろんスピア本人も、しっかりと鼻を摘んでいた。
ほどなくして、ボンッ、と小さな煙が上がる。
また漂う悪臭。しかも先程の二種類よりも濃厚な臭みになっている。
半透明の瓶の中で、ゴボゴボと紫色の液体が泡立っていた。
「完成! 超激マズ魔力回復薬です! こっちは本当に効果があるんですよ」
鼻を摘んだまま、スピアが小瓶を差し出す。
やはりユニも鼻を摘んだまま後ずさる。
ロウリェはすでに海へと飛び込んで逃げ出していた。
「ま、まさか……それを飲んで、撃ちまくれと……?」
「大丈夫。シロガネに毒見もしてもらったから」
「……ちなみに、その時のシロガネの反応は?」
問われて、スピアはにっこりと微笑む。
この日の海には、派手な爆発音と、吐瀉物まじりの悲鳴が響き渡った。
ようやく修行回?です。
次回更新は月曜日、だいたい月水土の週三回ペースでいく予定です。