雷撃魔法とハンマーウォール
脳天を砕かれたオークを見下ろしたまま、スピアはしばし拳を握っていた。
相手を完全に仕留めたと確信しても気を抜かない。
残心というやつだ。護身術で最も大切なものだと教えられた。
それと、動揺を抑え込む意味もあった。
(ひぃぃっ、やっちゃったヤッちゃったよ脳天をグシャってきもちわるいきもちわるいきもちわるいオークさんには悪いけど本当にきもちわるいですごめんなさいだけどそっちも悪いと思うんですよいきなりくっころな状況を作ってたし―――)
これまでも魔物の命を絶ってきたスピアだが、人間型の相手は初めてだった。
この世界ではオークは亜人と分類される。魔物と同じく人間の敵だと、スピアも理性では承知していた。
でも感情は別だ。
だからほんの少しだけ、心を整理する時間が必要だった。
「ふぅ……」
周りに敵がいないのも確認して、スピアはようやく安堵の息を吐いた。ぷるるんも戻ってきたので労いの言葉を掛ける。
そうしてもう一度深呼吸をしてから、視線を横へ向けた。
呆然としたまま女騎士が座り込んでいる。ぱちくりと瞬きを繰り返す瞳は、スピアを凝視していた。
どうしたものか、とスピアは戸惑う。
明らかに危機的な状況だったので咄嗟に飛び出していた。後のことなんて考えていなかった。
「こんにちは。はじめまして。槍……いえ、スピアっていいます」
「あ、ああ……」
とりあえず挨拶をしてみる。
「こっちは、ぷるるんです」
「あ、ああ……?」
ぷるるんも、友好的な態度!、と主張するみたいに震えた。
だけど女騎士の反応は鈍い。
困惑しているのは、スピアにも見て取れた。まだオークに襲われた恐怖が抜けていないのだろう、と納得もできる。
辺りにはオークだけでなく、兵士の死体も転がっている。凄惨な光景だ。
あまり長居したい場所ではない。
血の匂いに引かれて他の魔物が寄ってくる恐れもあった。
「おねえさんは、誰ですか?」
直接的な質問を、スピアは投げ掛けてみた。
それでもまた沈黙が流れる。
(……き、気まずい。なにか喋ってよ! 私の九割は人見知りと遠慮で出来てるんだから、話を主導するとか苦手なの! それとも何か失礼なことしちゃった!?)
なるべく友好的な態度を、スピアは心掛けていた。だから柔らかな微笑を浮かべながら女騎士を見つめる。
女騎士の瞳には、やはり困惑と怯えが混じっていた。
その眼差しは、スピアとぷるるんの間を行ったり来たりしている。
「わ、私は、エキュリア・ラディ・クリムゾン!」
いきなり立ち上がった女騎士は、背筋を伸ばして敬礼した。
「まずは感謝を述べたい。君が来てくれなければ、私は殺されていた」
「えっと……いえ、困った時はお互い様です」
「そ、そうか。そう言ってもらえると助かるが……」
なにやら口篭ってエキュリアは目を逸らす。
スピアは小首を傾げたが、静かに次の言葉を待った。
質問したいことは、スピアも山ほど抱えていた。理不尽な人攫いに遭って、ようやくまともな人間と出会えたのだ。この場所が何処なのか、近くに人は住んでいるのか、まずはそういった情報を聞き出すべきだったのだろう。
だけどエキュリアの態度に、スピアの気は緩んでいた。
(なんか、いいひとっぽい! 感謝とか言われたの久しぶりかも!)
にこにこと微笑んで、エキュリアを見上げる。
そんな無防備なスピアは、ただの可愛らしい子供にも見えただろう。あるいは騙されやすい、放っておけない子供に思われたかも知れない。
ただし、べっとりとオークの返り血で濡れていなければ。
「どうかしましたか? あ、もしかして怪我とかしてます?」
「い、いや、大丈夫だ。それよりも尋ねたいのだが―――」
頬を引き攣らせながらも、エキュリアはスピアを見つめ返した。
けれど問い掛けは遮られる。
「ぇ……!?」
閃光と衝撃が、スピアを弾き飛ばした。
スピアとエキュリアが向き合っている真横を、白く輝く槍が駆け抜けていった。
魔法によって作られた槍は、黄金色の塊に突き立ち、周囲にも雷撃を散らした。
「ぷるるん、っ!?」
槍が破裂し、スピアも弾き飛ばされた。さして大きな衝撃ではない。けれど不意を打たれたこともあって、小柄な体はごろごろと草むらを転がった。
ぷるるんも、雷撃に貫かれて森の奥へと吹き飛ばされる。
物理攻撃は効かないキングプルンだが、魔法攻撃となれば別だった。
エキュリアは閃光に目を閉じながらも、愕然として立ち尽くす。
「いやいや、危ないところでしたな、エキュリア殿」
「スライムに喰われるというのも、それはそれで喜んでもらえそうだがな。生憎と、陛下の御命令ではオークだ」
エキュリアの背後から、二人の騎士が歩み出てきた。二人揃って軽薄な笑みを浮かべている。
ガラルドとギルス。
”とある事情”からエキュリアの動向を覗っていた男たちだ。
それに関してはエキュリアも承知していた。王都からこの近くの街まで、嫌々ながらも男たちと行動を共にしていた。
けれどいまも覗き見をしているとは思ってもいなかった。
「おまえたち……まさか、ずっと見ていたのか!? 私たちが戦っている間も、仲間が殺されている時も……!」
「はいはい、怒らないでください。これも王命なんですから」
「俺らだって、オーク任せにはしたくねえさ。どうせなら自分で味わいたいぜ。まあ後で、映像は何度も楽しませてもらうがな」
騎士二人は下卑た笑声を上げる。
その手には、水晶玉みたいな物が掲げられていた。魔力の光を放っているそれは、王国でも数個しかない貴重な魔導具だ。映像を収められる物で、主に軍の斥候が用いて、敵軍の様子や戦場の地形などを撮影する。
しかしいまは、下劣な趣味のために使われる予定だった。
「そんな物まで持ち出して、くだらない欲望のために……どこまで愚かなのだ!」
エキュリアは歯軋りをして、斬り掛かりたい衝動を抑え込んだ。
いまこの二人に剣を向けるのはまずい。最低な男達だが、仮にも近衛騎士なのだ。敵対すれば、エキュリアの家族や、領地の民にまで危害が及んでしまう。
だからエキュリアは俯き、そこで、はっと我に返った。
「そ、そうだ、スピアは―――」
―――雷撃魔法に巻き込まれたはずだ。無事なのか!?
エキュリアは慌てて振り返る。
ちょうどそこで、草むらに転がっていたスピアが起き上がった。
むくり、と。
「……許さない」
項垂れたまま、スピアはゆっくりと歩を進めた。
いやらしく笑い続けている騎士二人の方へと。
エキュリアは制止の言葉を投げようともしたが、異様な迫力に押されて口を閉じる。
「あん? なんだこのガキは?」
「そういえば、いつの間にかいましたね。何者でしょう?」
ガラルドとギルスは無防備な態度で首を傾げる。
もしもスピアの戦いぶりを見ていたら、二人も少しは警戒心を抱いただろう。けれど突然に現れたキングプルンに気を取られていた。残ったオーク一匹が倒れていたことも、エキュリアが斃したのだと思い込んだ。
「まさか近衛騎士様に抱かれたいってのか? だったら十年はヴァッ―――」
ガラルドの身体が”ズレ”た。
脇にあった太い樹木から、槌のような太い塊が飛び出してガラルドの頭を叩いたのだ。鈍痛と目眩に襲われて、ガラルドは倒れ込む。
その瞬間、スピアは思いきり足を振り上げた。
足先がガラルドの咽喉を突き、見事に叩き潰した。頭ごと奇妙な方向へと捻じ曲げられて地面に転がる。ガラルドの身体はビクビクと痙攣していた。
「な、ぁ……っ!?」
凄惨な光景に、ギルスが驚愕の声を上げた。ぱくぱくと唇を上下させる。
華麗に着地したスピアは、そのギルスを鋭く睨んだ。
「ぁ、あなたは何者ですか!? いったい、どういうつもりで……」
「ぷるるんは、わたしの友達」
会話にならない会話をしながら、スピアは歩を進める。
ギルスは後ずさりをする。だがその足は、一歩目で強引に止められた。
「ぃ、っ―――!?」
地面の一部が槍と化した。
細い突起が何本も伸びて、ギルスの足や、股間までを貫き、その場に縫いとめた。
さらにスピアは追撃を掛けるべく拳を握った、が、
「ん……そうだね。ぷるるんが攻撃されたんだから、好きにしていいよ」
木陰から大きな黄金色の塊が現れる。ついさっきより少し小さくなっているのは、雷撃のダメージによるものだ。けれど命を落とすほどではなかった。
やや赤味がかった黄金色は、怒りを表しているのだろう。
主人から許可をもらったぷるるんは、勢いよくギルスへ圧し掛かった。
「や、やめろ! 天より轟く雷光よ、いま、我の―――……」
魔法の詠唱もぷるるんに呑み込まれた。粘液体に絞め上げられ、外と内から溶かされて、ギルスはたっぷりと苦悶を味わいながら絶命する。
ガラルドも同じく。倒れて痙攣するばかりで抵抗すら不可能だった。
ぷるるんは嬉しそうに震える。スピアも優しく微笑んで、黄金色の塊をぽんぽんと撫でた。
「よかった。怪我した分もすぐに回復しそうだね」
森に静寂が訪れる。
スピアは振り返ると、子供らしい軽やかな足取りでエキュリアの元へと戻った。
エキュリアはまた愕然として立ち尽くしていた。
「おねえさん。お腹が空きませんか?」
「この状況で言うことがそれか!?」
咄嗟に言い返したエキュリアだが、混乱は加速するばかりだった。