ひよこ村の日常
朝の陽射しに反応して、”ベッドが”目を覚ます。
「んぅ……」
ゆらゆらとマットレスが蠢いて、スピアも起こされる。
試しに作ってみた魔導具なのだけど、思いのほか使い心地はよかった。
寝心地が良い。起き心地も良い。消費魔力も極めて控えめ。
残念がっていたのは、自分の仕事がひとつ失くなったシロガネくらいだ。そちらもスピアが喜んでいるならと納得している。
「おはようございます。ご主人様」
「ん、おはよう」
ベッドから降りて、スピアは軽く伸びをする。手足の筋をほぐしていく。
頭の上へ腕を伸ばすと、ちょうどその高さにシロガネの胸があった。
むにょり、と。
豊満な膨らみを小さな手で掴んでみる。
「わたくしの胸が、どうかいたしましたか?」
「ん、なんとなく。もにゅもにゅ」
「はい。もにゅもにゅです」
などと意味のない会話をしてから、スピアは部屋を出る。シロガネも後に続く。
顔を洗うと、シロガネがタオルを差し出してくれる。
テーブルに着くと、やはりシロガネがすぐに朝食を並べてくれた。
新鮮な野菜とマカロニをマヨネーズで和えたサラダ。綺麗な黄身の色を見せるベーコンエッグ。焼き立てふわふわのパン。
どれもスピアがレシピを伝えて、シロガネが完璧に再現したものだ。
「うん。いい匂い」
「お褒めに預かり光栄です」
恭しく一礼するシロガネの姿は、正しく模範的なメイドと言えた。
食事の方も、見た目だけでなく味も完璧だ。まだ目覚めきっていない胃に優しく、それでいて食欲を刺激して、しっかりと空腹感を満たしてくれる。
一介の村長には贅沢な朝食をゆっくりと味わう。
そうしてしっかりと目を覚ましてから、スピアは家を出た。
クリムゾンの街の北に位置する、一夜にしてできた奇妙な村。
正式名称は『ひよこ村』。
名付けたのは、もちろんスピアだ。
頑丈な壁に囲まれた中心に、スピアの家は建っている。二階建てでそこそこ広い。屋敷と言ってもいいくらいだ。
その屋敷の門を出ると、のどかな田園風景が広がっている。
村の住民は五十名ほど。
人数の割りに家が少ないのは、一軒だけある教会で共同生活をしている者が多いから。
元はオークによって手酷く扱われていた女性たちが、村の住民のほとんどを占めている。未だに心の傷が癒えない者ばかりだ。
なので皆で寄り添い、支え合いながら、のんびりとした暮らしを送っている。
「スピア様、おはようございます」
「ああ。今日もこうして陽の光の下にいられるのもスピア様のおかげです」
「よっしゃぁ! おはよう、スピア様ぁっ、そして新芽たちぃぃ! 私がしっかりと美味しい野菜に育ててやるぜぇっ!!」
「さあ皆さん、朝の祈りをしましょう」
信仰対象とされるのは、スピアもまだ慣れない。というか止めて欲しい。
だけど何かしらの拠り所が必要なのも事実だ。
正気を失うギリギリのところで踏み止まっている女の子もいるのだから。
時折、街の神父や修道女にも足を運んでもらっている。
いまの状況はけっして悪くないとも言われたので、ひとまずはスピアも様子を見守るつもりだ。
「まあ、無理矢理にでもテンション上げられるのは良いことだよね」
たぶん、と呟いたスピアは、軽く走り込みをしながら村内を巡る。
畑は小麦が中心で、野菜の種類も次第に増やしている。鶏の飼育も始まっていて、稲や大豆の栽培も行う予定だ。豚も飼おうと思ったけれど、念の為にやめておいた。
各所に水路が走っている。だけどまだ、ダンジョン魔法で作った泉に頼っている状態だ。少し離れたところに川も走っているので、そちらから水を引く計画もある。
壁や家屋の建築といい、ダンジョン魔法頼りな部分は多い。
もしも魔力切れを起こせば、村は立ち行かなくなる。
とはいえ、さほどの不安要素ではない。最低限、泉を維持できる魔力さえあれば、生活は可能だ。あとは侵入者への警報装置や、スピアの家の贅沢品などもあるけれど、シロガネがいれば困ることもない。
そして村民からは、毎日、税金のように魔力の徴収が自動で行われている。
維持するどころか、スピアはただ日々を過ごすだけで、魔力の蓄えを増やしていた。
「この前の騒動で空っぽになっちゃったけど……また溜めればいいよね」
ぷるっ!、と黄金色の塊が賛同するように震える。
スピアが走っていると、ぷるるんがいつの間にか隣に並んでいた。そうして一人と一体は村の端にある広場で足を止めた。
柔軟体操をするスピアとともに、ぷるるんも、みよんみよんと体を伸ばす。
「ずいぶんと、色んな形が取れるようになったね」
スピアは感心しながら口元を綻ばせる。
以前は、お饅頭型から大きな変化はできなかった。
けれどいまでは、鞭のように全身を細長くしならせたり、完全な球型や立方体になって転がったりもできる。全身をハリネズミのように尖らせるのも練習中だ。
他にも、色々と。
ぷるるんは努力を惜しまない子なのだ。
「それじゃあ、光の玉をいくつか浮かべてみて」
頷くように震えて、ぷるるんは体から仄かな光を発する。魔力光だ。
光粒はやがて集束して、いくつかの球になって浮かぶ。初歩的な、素人でも使える灯りを生み出す術式だ。
ただし、無詠唱で、しかもプルンが魔法を使うのは非常に珍しい。
だけどスピアにとっては只の的だ。教えたのもスピアなので驚きもしない。
「……ていっ!」
ふよふよと浮かぶ光球に、スピアは手刀を振り下ろした。
光球は一瞬だけ揺らぐ。
けれどすぐに元の明るさを取り戻す。
幾度か同じことを繰り返して、むぅっとスピアは唇を捻じ曲げた。
「ご主人様、なにをなさっておられるので?」
ひっそりと側に控えていたシロガネが尋ねる。いつもの無表情だけど、眼差しには微かな困惑が乗っていた。
「ん~……魔法に対抗できる手段が欲しいんだよね」
「でしたら、魔法でよろしいのでは? 小型の無効化壁や、あるいは魔力を直接にぶつける手段などもあるかと、愚考いたします」
「うん。ひとまずは、それでもいいんだけどね」
スピアは手刀から微かな魔力光を発して振り抜く。
今度は光球は綺麗に切り裂かれて、復活することもなく消え去った。
「結局は頼れるのが魔力だけって、不安材料だよ」
「仰られることは理解できますが……純粋な肉体の力のみでは、限界があるのでは? 闘気や龍力といったものも存在しますが、究極的には同質ですので」
「そういうのが在るだけでも、とってもファンタジーだねえ」
呆れ混じりの笑声を零して、スピアは動きを止めた。
顔の前で両手を広げる。紅い瞳で、ぼんやりと眺める。
ダンジョンは、ダンジョン自身の状況を常に観察している。外部からの侵入者や、罠や壁の汚れひとつまで、事細かに把握できる。
つまりは、自分自身を深く見つめている。
ダンジョンコアを取り込んだスピアも、同じような真似が可能だった。
「……もっとファンタジーなことも出来そう」
広げていた手を握って、また開いて、スピアはふっと肩の力を抜いた。
辺りを見回してから、手刀を光球へと打ち込む。
光球はまた断ち切られるでもなく、ふよふよと浮かんでいた。
「まあ、焦っても仕方ないよね。ぼちぼち鍛えていこう」
それに、とスピアは自嘲するみたいに笑声を零す。
「あんまり変なことばかりしてると、エキュリアさんが過労で倒れちゃうから」
ちょっぴり奇抜なことをしている自覚は、スピアにもある。
だけど自重するつもりはない。
そして制止する者も、この村には一人もいなかった。
先日の騒動から加わった新たな住民も、細かなことは気にしない性格だ。
むしろ、自重しない仲間と言える。
「あ、ユニちゃん、おはよう」
「ん……おはよう」
朝の稽古を終えて屋敷へ戻ると、ユニが起きてきたところだった。
寝惚け眼をこすりながら軽く頭を下げる。
普段から眠たそうな表情をしているユニだけれど、とりわけ朝は弱いようだった。
「……今日も、いい天気……殲滅魔法日和……」
「そんな日はないよ。ほら、顔洗ってこよう」
手を引かれて、ユニはふらふらと水場へと向かう。
背丈はスピアの方が低いので、出来の良い妹を困らせる姉みたいだった。
先日の単眼巨鬼撃退で活躍したユニは、クリムゾン伯爵から感謝と、それなりの報償を貰った。だけど伯爵家お抱えの魔術師とまではならなかった。
何処に命中するか分からない殲滅魔法など危険すぎる。
下手にぶっ放されて被害が出ては、伯爵家でも責任が負いきれない。
言われてみれば、至極真っ当な判断だった。
とはいえ、スピアとしては不満が残る。故郷へユニを送り届けることまで考えていたのだから。
それでも不満を呑み込んだのは、ユニの言葉があったから。
いま故郷に帰ってもまた簀巻きにされるだけ、と。
どうやら、よっぽど派手に城を吹き飛ばしたらしい。
詳細は語らなかったユニだが、数年は大陸で過ごす覚悟を固めていた。
「……スピアは、もう朝御飯を済ませた?」
「うん。わたしは早起きには慣れてるからね」
「……二度手間になって、申し訳ない」
「気にしないで。でも起きられたら、朝の体操くらいはした方がいいかも。魔術師だって体を鍛えておいて損は無いよ」
「ん……努力してみる。でも二度寝の誘惑は強敵」
ユニが顔を洗う横で、汗を掻いたスピアも軽く身体を拭う。
食堂へ向かうと、ユニの分の朝食が用意されていた。スピアもテーブルに着いて、果物などを軽くつまむ。
「……シロガネも、ありがとう」
「いえ、感謝など無用です。お客様をもてなすのはメイドの務めですので」
シロガネが優雅に一礼して、ユニも会釈を返す。そうして食事を進めていく。
魔物撃退の報償として、けっこうな額の金貨をユニもスピアも受け取っていた。しばらくは街で遊んで暮らせるほどだ。
それでも、この村にユニが居着くことにしたのには理由がある。
年の近い友人としてスピアが誘ったというのもあるが―――。
「……今日は、撃てそう」
「もう溜まったの? 三日に一発って言ってなかった?」
「うん……あの杖のおかげ。それに、私の魔力量も成長期だから」
派手な殲滅魔法を練習するには、人の少ない村の方が都合が良い。
もしも失敗して近くに着弾しても、シロガネがいれば防壁を展開できる。
それに、街には妙な噂も流れている。
先日の一件は、単眼巨鬼ごと街を滅ぼそうとした魔術師の仕業だとか。
錯乱した魔術師が自爆魔法を使ったとか。
怯えまくって、お漏らししながら撃ったから狙いが外れたとか―――。
スピアしか知らないはずの真実も一部混じっていたが、ともあれ、おかげでユニは街に居辛くなっていた。
「ご飯食べたら、また試し撃ちしてみる?」
「……是非」
もきゅもきゅとパンを食べていたユニは、まだ眠たそうな顔をしていた。
けれど殲滅魔法を撃てるとなると、途端に瞳を鋭く輝かせる。
「スピアも、なにか派手な魔法を覚えてみたら?」
「そうだねえ。時間を作って練習してみるのも面白いかも」
食事を済ませると、二人は村の外壁に登った。
村の西側は青々とした平原が広がっている。遠くには高い山脈も連なっているが、鉱山となっている場所はもっと南側で、さすがにそちらまでは狙いも外れない。
つまりは、遠慮なく魔法をぶっ放せる。
「今日の狙いは、あの山の頂上」
宣言して、ユニは呪文詠唱を始める。
やがて野太い白光が放たれて、遠くから爆発音が響いてくる。
それくらいではもう、住民が慌てることもない。
ひよこ村は今日も平和だった。
昼過ぎなって―――、
「―――山の形を変えたのは、おまえたちの仕業かぁっ!」
エキュリアが怒鳴り込んできた。
スピアとユニは揃って目を逸らす。だけど誤魔化しきれるはずもない。
頬っぺたを摘み上げられて、くどくどとお説教を喰らうのだった。