幕間 舞台裏の真実
単眼巨鬼の襲撃よりも少し前―――、
応接室の椅子に腰掛けて、クリムゾン伯爵は憮然とした表情をしていた。
貴族であるならば感情は隠すべき。
そう心得てはいるものの、目の前の相手に対しては不機嫌を抑えきれない。
もはや抑える必要も無い、という考えもあった。
それでもひとまずは静かに相手の言い分を聞いている。
「あの小娘が襲ってきたのだ! 我らをワイズバーン侯爵家の使節団だと知ってな。それでも匿うというなら、領地自体に問題があると報告させてもらいますぞ!」
声を荒げたのは、使節団の代表を務めている騎士だ。グモーブと名乗った。
騎士とはいえ、グモーブは領主に仕える者、陪臣というやつだ。
対してクリムゾンは国に仕える直臣で、爵位も持っている。立場としてはクリムゾンの方が圧倒的に上なので、グモーブも一応は言葉遣いに気を配っていた。
しかしグモーブの後ろ盾であるワイズバーン侯爵家は厄介だ。
爵位としてはクリムゾンよりも上になる。それ以上に問題なのが領地の関係だ。
ワイズバーン侯爵領は、クリムゾン伯爵領の東に隣接している。王都との間に位置する形だ。そのため関係がこじれると、街道封鎖などによって物流が滞る。領地運営に必要な物資さえ、入手が難しくなってしまう。
顕著なのは塩の値上がりだ。それはクリムゾンも把握していた。
ほんの一年程前までは、友好的な関係が続いていた。
互いの領地で足りない部分を補い合って、利益を共有していた。
しかしワイズバーン侯爵の代替わりや、その他諸々の事情があって、いまは極めて険悪な関係になってしまっている。最近では、領地の境にある砦に侯爵が兵を集めている、といった情報も流れてきていた。
使節団というのも、友好を取り繕うための建て前に過ぎない。
どうせ無理難題を吹っ掛けての挑発か、よからぬ企みがあるのだろうと、クリムゾンは察していた。
「好きなように報告してもらって結構」
「ほう……では、領内に犯罪者がのさばっていると認められるのですな?」
「まさか。それは、そちらの勝手な言い分だ」
しかし、とクリムゾンは嘲笑を見せる。
「まさか少女一人に叩きのめされたと、そう報告すると? 二十人もの騎士がいながら、随分と情けない話だ」
「っ、貴様……!」
グモーブが椅子から腰を浮かせる。
殴り掛かりそうなほど怒りを露わにしたが、直前で踏み止まった。
クリムゾンの両脇には、数人の護衛騎士が控えている。一方、グモーブは一人きりで、武器も取り上げられていた。配下の者も、いまは少女を襲った嫌疑ありとして拘束されている。
「そういきり立つな。幸い、こちらには煩わされる以外の被害は無い。襲われた当人も細かなことは気にしない性格だからな。黙っていれば誰にも伝わらぬ」
クリムゾンは嘲笑を深める。
最初、使節団が捕らえられたと聞いた時は頭を抱えた。
あの少女がまた問題を起こしたのか、と目眩を覚えたほどだ。
けれどいまは、むしろ幸いだったと思える。
話の主導権を握れたし、こうして面倒な相手をからかってやれるだけでもスピアに感謝したいほどだった。
「それよりも、ワイズバーン殿からの用件を聞こう」
「……そうですな。侯爵閣下は、領地間の交易を再開してもいいと考えておられます」
ほう、とクリムゾンは眉を揺らす。
いきなり重要な、そして意外な話が出てきた。
互いの関係が正常化するならば、クリムゾンにとっても望ましい。
けれどあまりに都合のいい話で、素直に喜べはしなかった。
どうせ無茶な条件でも付けてくるのだろう、と身構える。
「人の行き来が行われるのです。当然、街道の安全は保たれなければならない。それを保障するのは領主の務めであると、伯爵様でもご理解いただけるでしょう?」
「そういった建て前で、ワイズバーン殿は交易を止められたのだったな。我が領地は危険だから人を送れぬ、と」
頬杖をつきながら、クリムゾンは苦笑を零す。
領地間の繋がりが止められたのは、オークの襲撃が起こるよりも前のことだ。ワイズバーンの言葉通りに危険な領地となってしまったのは、皮肉としか思えない。
しかしいまは、その危険も排除された。
取引が再開されるのが正常な流れだと言える。
「まずは安全を証明してもらいたい、と侯爵閣下は仰っておられます」
「具体的には、何をしろと?」
「この領地では最近、新しい魔鉄鋼が採れると聞きました。まずはそちらを運んでくだされば、同量の塩を取引すると仰せです」
ほらきた、とクリムゾンは頬を歪める。
あまりにも馬鹿馬鹿しい話だ。
つまりは同量の鉄と塩を交換しろというもの。
金と銀を交換しろというよりも無茶な要求だ。この場に商人がいたら、相手の正気を疑うほどだろう。
最初に無茶を言って交渉を有利に進める、といった手法もある。
しかし今回は違う。本気で言っているのだ。
それどころか、鉄だけ受け取って「届かなかったから取引は無し」と突っぱねてくることも有り得る。
「話にならんな」
「伯爵様は、領民が苦しんでも構わないと?」
「塩の入手経路はいくらでもある。いつまでも同じ手が通用すると思うな、とワイズバーン殿には伝えておけ」
事実、南北の隣接領地から融通してもらっている。
領内でも岩塩の鉱脈は探し続けているし、いざとなれば西方へ山越えをして海に出てもいい。塩の製造が容易でないのは分かっているけれど、出鱈目な値を吹っ掛けられるよりはマシだろう。
現状では、少々の塩不足であるのもまた事実だ。
けれど弱い部分を見せれば、相手を付け上がらせるのは明らかだった。
「……そうですか。残念ですな。侯爵閣下のご厚情を理解いただけないとは」
「ふん。欲が皮を被ったような男が厚情など持つものか。あの有り余った贅肉となら、魔鋼を交換してもいいかも知れんな」
クリムゾンは痛烈な侮蔑を返した。
けれど内心では、少々の疑念も覚えていた。
グモーブがやけにあっさりと引き下がったからだ。もっと食い下がるか、そうでなくとも悪態くらいは吐いてくると思っていた。
(考え過ぎか……?
ただの伝令役にしては、二十名もの騎士は多すぎるのだがな。
いや、危険な領地を越えてくるという建て前には必要な人数か。深い企みではなく、ただの様子見? だとすれば所詮は二十名とも言える。目を離さなければ問題は無いだろう。
知性のない魔物でもあるまいし、下手に暴れるはずも―――)
クリムゾンが思考の海に沈みかけた時だ。
前触れもなく、屋敷全体を揺るがすような轟音が響いてきた。
「な、何事だ!?」
慌てた声を上げて身構える。
フラグというものを、親子揃って理解していなかった。
応接室に伝令の兵士が駆け込んできて、クリムゾン伯爵が顔色を変える。
単眼巨鬼による街への襲撃。
あまりにも突飛な事態に、場の全員が困惑を露わにした。
けれど、ただ一人―――、
グモーブだけは、口元が吊りあがるのを手で覆い隠していた。
(まさか、これほどの事態になるとは……)
事件が起こるとは聞いていた。
その混乱を利用し、クリムゾン伯爵を亡き者とするのが、グモーブに与えられた本当の役割だった。二十名の騎士も事情は理解している。だからこそ気が立っていて、キングプルンとの遭遇時に周りが見えていなかった。
捕らえられてしまったのは痛恨の失態だ。
おかげで他の騎士たちは武器どころか、装備すべてを取り上げられて身動きできずにいる。グモーブも隠し持っていた短剣まで発見された。
しかしまだ挽回の余地はある。
これほど大きな事件ならば、とグモーブは顔を上げた。
「伯爵様、我が配下の者たちを解放してもらいたい!」
伝令兵から話を聞いているクリムゾンへ、グモーブは荒げた声を投げる。
やや性急過ぎるか、ともグモーブは思う。
けれど切羽詰まった事態であるのも嘘ではない。
「……しばし待て。非常時こそ冷静に努めるべきだ」
「なにを呑気なことを。サイクロプスに踏み潰されるなど、私は御免被りたい!」
慌てた態度も、ほとんど演技する必要がなかった。
グモーブはテーブルを叩いて、クリムゾンに掴み掛かろうとする。さすがに護衛に止められたが、煩わせることには成功した。
混乱を加速させれば、それだけグモーブの役目は果たし易くなる。
最悪、街の混乱を大きくするだけでも良いと命じられている。
そして―――。
「ともかくも、私は辞去させてもらう! こんな危険な場所にいられるか!」
「っ……待て! 勝手をさせるな!」
怒鳴り声を上げて、グモーブは身を翻した。すぐさま駆け出す。
護衛騎士の何人かが追ってきたが、最初に動いたグモーブの方が有利だった。
屋敷から出てしまえば完全に振り切れる。すでに混乱した住民が街路に溢れていたので、そこに紛れて身を隠すのは簡単だった。
この騒動に乗じれば、拘束された仲間を助け出すのも可能。
兵士詰め所に留め置かれているのは分かっている。いまならば警備も手薄になる。
武器が無いのは心許ないが、何処かで奪えばいい。
魔法の心得もあるので、牢の壁くらいは壊せるだろう―――、
そう大雑把に計画を頭の中でまとめると、グモーブは街の外壁へと向かった。
まずは騒動の原因である単眼巨鬼の様子を窺おうと考えた。
(しかし、準災害級の魔物を……操ったのか? どうやって? 侯爵閣下ならば、あるいは魔族と手を組むということも……)
グモーブは頭を振って、余計な思考を追い払う。
下手な詮索は命を縮めるだけだ。これまでもひたすら命令に従うことで生き残ってきた。
そうして意識を切り替えると、目立たぬように外壁の上へと登った。
普段なら兵士に見咎められただろう。けれどやはり警備が甘くなっていた。
「……本当に単眼巨鬼が現れたのだな」
巨大な魔物の姿に息を呑む。
疑っていた訳ではないが、実際に目にすると畏怖さえ覚える。まだ距離はあっても、城のように大きな魔物の姿は圧巻だった。
けれどいまの状況では頼もしくもある。
このまま、あの魔物が街ごと破壊してくれるのでは―――、
そんな期待もグモーブの胸に浮かんだ。
直後、野太い光の矢が空中を貫いていった。
「は……?」
唖然とした声を漏らして、グモーブは立ち尽くす。
何が起こったのか分からない。
凄まじい魔法攻撃が放たれたのだと理解したのは、たっぷり十回は呼吸する間を置いてからだ。遥か遠方で白い柱と煙が上がっているのが見えた。
「馬鹿な……あんな強力な魔法を使える者がいるというのか!?」
グモーブは戦慄する。
命中していたら単眼巨鬼は消滅していた、というだけでは済まない。
ワイズバーン侯爵は、このクリムゾン領に攻め込むことも考えている。もしもその時に同じ魔法を使われたら、軍も一瞬にして蹴散らされるだろう。そして、その軍の中にはきっとグモーブも含まれている。
「どうする……? 魔術師を探し出すべきか? それとも……っ!?」
グモーブが戸惑っている間に、状況はまた変移していた。
どうっ、と大きな音を立てて単眼巨鬼が倒れる。一瞬の出来事でよく分からなかった。しかし鳥のような影が、単眼巨鬼の足下を斬り裂いたように見えた。
そこからは驚きの連続だった。
馬鹿馬鹿しいほど凄まじい威力の魔法攻撃がまたも放たれて、
単眼巨鬼があっさりと光に呑まれて消滅して、
その光の柱が街を襲うように迫ってきて、
なにもかも吹き飛ばされるかと思ったところで、突如黒壁が現れて街を守った。
「は、はは……どうなっているのだ、この街は……? なんだ、キングプルンが壁の上で踊っている……? くははっ……魔窟にでも迷い込んだのか?」
グモーブは乾いた笑声を零す。
腰が抜けて、もはや逃げることすら忘れていた。
馬車に揺られながら領地へと戻る。
一連の騒動の後、グモーブはまたも兵士に捕えられた。許可もなく外壁に登っていたのだから当然だ。おまけに腰を抜かしていたので抵抗もできなかった。
結局、なにもできなかった。
表向きの、使節団としての役割すら満足に果たせていない。
クリムゾン伯爵の暗殺という本来の目的は、そこに手を掛けるよりも前に頓挫してしまった。
配下の騎士二十名もずっと捕えられたままだった。
街の外まで拘束されたまま運ばれて、東への街道をいくらか進んだところで解放された。馬車や装備も返してもらえたが、だからといって暴れられる状況ではなかった。
クリムゾン伯爵が苛烈な性格であったなら、秘密裏に処断されていただろう。
領地内であれば、人の命であろうといくらでも隠しようがある。
生かされたのは争乱の火種となるのを避けるため。
しかしグモーブには、別の意味もあるように思えた。
敢えて、クリムゾン領の情報を漏らすため。
つまりは、事実を以って威圧をするつもりなのでは、と。
「……あの魔窟の情報を、詳しくお伝えせねば……」
一軍を相手取れるほどの魔術師がいる。それだけでも大変な情報だ。
キングプルンを飼い慣らしている魔物使いもいる。
街を覆うほどの壁を作り出したのも、また別の魔術師の仕業だろう―――、
そう見たことを頭の中で整理しながら、グモーブは溜め息を落とした。
「自分の目で見ても信じ難い事柄ばかりだな。おまけに、任務は失敗……どこまで話を聞いてもらえるやら……」
鬱々とした気分に苛立ちが混じる。
馬車の窓から見知った景色を眺めながら、グモーブは強く拳を握り締めた。
伯爵を殴るくらいはしておけばよかった。
いや、はじまりはあの小娘か。キングプルンを連れた魔物使い。
生意気なガキとの出会いから、すべてが狂い始めた―――。
「次の機会があれば、あのガキだけでも……ん?」
歯噛みしていたグモーブだが、ふとした違和感を覚えて眉根を寄せた。
もうクリムゾン領を抜けて、ワイズバーン領に入るところだ。街道を区切る関所があって、そこには目立つ砦も建っているはずだった。
先代領主の頃から建築が進められていた、堅牢な砦だ。
いずれはその砦を中心として、新たな街を築く計画だった。
しかしいまは目的が変わっていた。魔物に対して睨みを利かせるのではなく、隣接領地を牽制するために使われている。
つまりはクリムゾン領に対する威圧、そして侵攻までも見据えて、最近では兵士が集められていた。
ともかくも大きな建造物だ。近づけば目に留まらないはずがない。
なのに、何故、見当たらない?
妙な瓦礫の山はあるけれど―――、
「……は? 瓦礫、だと……?」
グモーブは、ぱちくりと瞬きを繰り返す。
いつしか馬車は止まって、配下の騎士たちもその光景を呆然と見つめていた。
彼らの前にあるのは大小の石の山。砦ひとつ分くらいはありそうだ。
落ち着いてみれば、見覚えのある門柱らしき物が立っている。半分に割れた門扉らしき物も、辛うじて繋がっていた。
そして石の山の中には、罅割れたワイズバーン侯爵家の紋章も埋まっていた。
つまりは―――砦が、瓦礫と化していた。
「なにが……いったい、なにが起こったのだぁっ!?」
狙いを外した殲滅魔法が、一撃で砦を廃墟にした。
事に至る切っ掛けを作ったのはスピアだが―――、
そんな真実を告げられる者は、誰一人としていなかった。