小さな魔術師と焼き魚
ごりごりと、鈍い音が繰り返されている。
ごりごり、ごりごり、ごりごり……ちょっと休憩して、すり鉢をまた擦る。
「ユニ、手を止めるんじゃないよ」
ほんの一呼吸休んだだけなのに叱咤が飛んできた。
小さく頷いて、少女は薬草をすり鉢で擦り続ける。
不満はあるけれど文句は言えない。ユニはどれほど苦労しようとも、立派な魔術師になると心に誓った。父母が遺してくれたローブと三角帽子、それとボロボロの杖を肌身離さずに持っているのは、その誓いを忘れないためだ。
立派な、一人前の魔術師となり、父母の仇を討つ―――、
そのために師匠である老魔術師の理不尽な仕打ちにも、唯々諾々と従っていた。
見た目は皺だらけの老婆で、ユニが小突いただけでも息を引き取りそうだ。けれど彼女は、魔法を得意とする紫妖族の中でもとりわけ腕が立つ。かつては国一番の魔術師とも言われて、その弟子にしても宮廷魔術師となる者が何名もいた。
遠縁とはいえ、ユニはこの老魔術師の血縁にあった。
それは幸運だったのだろう。
ただ、老魔術師は才能の無い者にはトコトン厳しかった。
「ふん。薬を作る腕だけは、少しはマシになったようだね」
元より曲がっていた腰をさらに屈めて、老魔術師は目を細めた。
大きな鍋を満たした紫色の液体に指を伸ばして一舐めすると、つまらなそうに息を吐く。
「あと鍋二つ分作っておきな」
言われるまま、ユニは材料を鍋へと入れていく。
そうして掻き回しながら魔力を注ぐ。均一に魔力を注がないといけないので、魔術師にとって基本的な訓練になる。
とはいえ、肉体的な疲労の方が大きい。
腕の感覚がなくなるまで薬の調合をして、ようやく休息を許された。
「さっさと食事も作りな。言われなきゃ出来ないんだから、まったくグズだよ」
調合室から出ると、クスクスと嘲笑が聞こえた。
ユニが暮らしているのは、老魔術師の屋敷だ。他にも数名の弟子が共に暮らしている。まだ術式のひとつさえ満足に使えないユニは、いつも嘲笑の的だった。
才能のある者なら、呪文を知っただけでもその術式を使いこなせる。
客観的に見ても、ユニに魔法の才能がないのは明らかだった。
「さっさと出て行けばよろしいのに」
「本当にね。どこまで厚顔無恥なのかしら」
「田舎者だから、何が恥かも分からないのよ」
そんな声を聞きながら、ユニは食事の支度や、掃除や洗濯といった仕事もこなしていく。皆が食事をした後片付けもして、残り物のパンとスープで空腹を満たす。
自室に戻る頃には、へとへとですぐにでも眠ってしまいたくなる。
重い目蓋を擦りながら、ユニは枕元にある魔法書を開いた。
月明かりを頼りに読み進める。眠るまでの短い時間だけが、魔術師として学ぶ機会だった。
この屋敷を出て行けば、魔法書を読むことさえ叶わなくなる。
どれだけ辛くても、ユニには堪える以外の選択肢はなかった。
「……我慢……絶対に、立派な魔術師になる……」
自分に言い聞かせながら、僅かに残った魔力を使って練習に励む。
涙が零れそうになるのけれど、ぐっと唇を噛んで堪えた。
ユニの伏し目がちな表情は、この頃に染み付いたのだろう。周囲からの嘲笑を見たくないから、ぼんやりとした眼差しをするようになった。余計なことを言えば叱られるから、声を絞るようになった。
「……お母さんも言ってた。私には、凄い才能がある……」
先には暗闇しか見えないような過酷な日々―――、
それは唐突に終わりを迎えた。
魔物の侵攻によって、ユニが暮らす王国は存亡の危機に陥った。
王都の壁を押し潰さんと迫り来る軍勢。その先頭に立つのは、城壁を越えるほどに巨大な魔物。竜と狼と山羊の頭を持ち、虫の足を生やした異形だった。
その異形には剣も矢も効かず、魔法も尽くが掻き消された。
ユニの師である老魔術師も打つ手がなく、忌々しげに顔を歪めるばかりだ。
もう城壁も破られる。
そんな時に、ユニの中に眠っていた力が目を覚ました。
ドクン、と。
胸の奥から膨大な魔力が湧き上がってくる。
「奇跡……ううん、違う。お母さんとお父さんが力を貸してくれてる。これまでの努力は無駄じゃなかった……」
自身の内から溢れる魔力に導かれるように、ユニの口は呪文を紡ぎ出した。
城壁の上から太い光が放たれる。あらん限りの魔力を注ぎ込んだ一撃は、正しく奇跡のように、魔物の軍勢を薙ぎ払った。これまですべての魔法を打ち消してきた異形の魔物も、ユニの一撃の前にはあっけなく滅ぼされた。
誰も彼もが呆然としていた。何が起こったのか理解できなかった。
そんな中で、老魔術師が真っ先に動いた。
「見たかい! これが私のとっておきの秘術だよ!」
「え……?」
ユニも呆気に取られる。
と同時に、魔法で作られた縄で拘束されていた。あっという間に全身を縛られて、声も上げられず、もがくことも叶わない。
手柄の横取り―――、
そう理解しても、ユニにはどうすることもできなかった。
「さあ、もっと讃えるんだよ。救国の英雄である、この私の名を―――」
老魔術師の名を、皆が呼び讃える。
ユニは愕然としていたが、その目蓋はゆっくりと閉じていく。限界以上の魔力を使ったために、意識を保っているのも難しかった。
ただ、暗闇に飲み込まれていくなかで、皺がれた笑声が聞こえた。
「くかかっ、ユニ、おまえは本当に愚かな弟子だったねえ。両親の仇である私を信じて、こんな贈り物までくれたんだから」
歓声が轟くなかで、ユニだけは絶望に突き落とされて意識を失った。
その後、気づくと荒野に放り出されていた。
恐らくは老魔術師によって転移させられたのだろう。両親の形見である装備一式があったのは、奇跡か、それとも老魔術師による悪意なのか。
訳も分からないまま、ユニは疲れきった体を起こして歩き出した。
まだ死ねない。誓いを果たしていない。
そして、両親の仇も討たなければならない。
執念にも近い想いを支えに、ユニはようやく街に辿り着く。
このクリムゾンの街で、運命的な出逢いが待っているとも知らずに―――、
「―――っていう物語があったと思うんです」
「想像か! 私の涙を返せ!」
怒鳴り声とともに、エキュリアがテーブルを叩く。
スピアは目を逸らしつつ、焼き魚に箸を入れた。
パリッと皮が割れる。綺麗な白身が姿を現す。元より漂っていた芳ばしい香りと、脂の乗った匂いが混じり合った。
焦げて粒の大きくなった塩を軽く乗せて、弾力のある身を口へと運ぶ。
魚の旨味がじんわりと口の中に広がった。
スピアはうっとりと目を細めながら、白く炊けたご飯にも箸を伸ばす。
味噌は手に入らなかったけれど、お米はダンジョン魔法の召喚で調達できた。
「んん~、懐かしい味です。やっぱりお米は魂の食べ物ですね」
ぱくぱくと、スピアは箸を進めていく。
部屋にも芳ばしい香りが充満していた。実に美味しそうな食べっぷりを見せられて、エキュリアもごくりと唾を呑む。
テーブルの上には、エキュリアの分の焼き魚も並べられていた。
ここは厨房と隣接した、使用人のための小食堂だ。屋敷の豪華な食卓よりも落ち着くからと、スピアが使わせてもらっている。
狭い部屋であるため、食欲をそそる香りからの逃げ場はない。
我を喰らえ!、と焼き魚が囁いてくるようだ。
「ま、まあ、悪い魔術師に苦しめられた者がいなかったのは良いことだな」
咳払いをひとつして、エキュリアはフォークを手に取る。
「折角であるし、冷める前にいただくとしよう。しかし後で、ちゃんと話は聞かせてもらうからな」
丁寧に魚をほぐして口へ運ぶ。簡素だが新鮮な味わいは、エキュリアの緊張もほぐしていった。
小さなテーブルを囲んで、”三人”は夢中で食事を進めていく。
スピアとエキュリアと、屋敷の前で倒れていた少女―――、
ユニチャン、と彼女は名乗った。
大陸では珍しい響きだが、紫妖族では由緒正しい名前らしい。
青味がかった黒髪は短めに整えられている。十四歳という年齢にしては、小柄な体型をしている。というか、全体的に小さい。スピアよりは幾分か身長が高いけれど、ローブも三角帽子もぶかぶかだ。
魔術師に憧れて仮装している子供にも見える。
本人が言うには、極光殲滅魔法を使える凄腕の魔術師であるらしい。
けれどいまは、夢中でお粥をむさぼっている。欠食児童にしか見えない。
「……美味。美味しい。人の情けが体中に染み渡る……」
目蓋は眠たそうに半分閉じているけれど、金色の瞳は食欲に輝いていた。
ちらちらと焼き魚にも視線を送る。
けれど手を伸ばそうとすると、スピアが「めっ!」と怒る。
意地悪ではない。腹ペコだったユニには、消化によい食べ物しか与えてはいけないのだ。胃がびっくりして、下手をすると命にも関わる。
ちなみに、スピアの釣果はニジマスっぽいのが二匹と、アユっぽいのが一匹。
いずれ蒲焼きになるウナギは大切に保管してある。
二種類の焼き魚が、スピアの前には並んでいた。
「本当に意地悪じゃないんだよ」
串焼きにしたアユっぽいのに齧りつきながら、スピアは厨房の方を指差す。
「いまリンゴも煮てるから。出来上がったら、ユニちゃんも一緒に食べよう」
「……感謝。この恩は忘れない」
ぺこりと頭を下げて、淡白な口調で礼を述べる。そうしてユニはまたお粥を口へ運んだ。ようやく安心したのか、食べる勢いも落ち着いてきた。
穏やかに食事は進む。
ちょうど皿が空になる頃に、甘い匂いが漂ってきた。
厨房から、ぷるるんがやって来る。リンゴを煮た鍋を乗せて。
「え……キングプルン?」
「ぷるるんだよ。わたしの友達」
「……びっくり。さすが大陸。常識がまるで違う……」
「いや、これを常識的な光景と思うのは間違っているからな」
ほどよく煮えたリンゴを、スピアがそれぞれの皿に盛りつけていった。
柔らかな甘味に、ユニもエキュリアもうっとりとして頬を緩める。
蕩けるような味わいは、スピアにも満足できるものだった。
「酸っぱくなるかとも思ってましたけど、今回は上手に煮えました」
「……うん。ほっぺたが落ちそう」
「たしかにこれは美味いな。贅沢な味で……」
と、エキュリアが手を止めた。
きつく目蓋を伏せてから、ふぅっと息を吐く。
「あ~……なんだ、そろそろ話を聞かせてもらってもいいか?」
「蜂蜜を混ぜると、もっと柔らかくなるかも知れません」
「料理の話ではない! 彼女の、ユニの話だ!」
美味しい料理に誤魔化されかけたエキュリアだが、本題を忘れてはいなかった。
ばつの悪さを怒鳴り声で打ち消すと、あらためてユニを見据える。
ユニの方は、フォークを咥えてぱちくりと瞬きを繰り返していた。
「……話?」
小首を傾げたユニは、ひとつふたつと深呼吸をした。
だけど抑揚のない口調は変わらない。
「……さっきスピアが語ったとおり。だいたい合ってる」
「え?」
呆気に取られた声を漏らしたのはスピアだ。困惑顔のエキュリアと、ユニからも視線を向けられる。
さすがにこれは予想外で―――、
しばしの間を置いて、ぽん、とスピアは小さな手を打ち合わせた。
胸を張って、得意気な顔を作る。
「思った通りです。わたしの予想は、だいたい当たるんですよ」
「誤魔化すな! え?、とか言ってただろう!」
お腹が膨れたからか、エキュリアのツッコミも鋭さを取り戻していた。




