次の一歩へ
街の門は大きく開かれて、大勢の人々を迎え入れている。
クリムゾンの街を襲っていたオークどもは殲滅された。その報せは近隣領地にまで早々に広まって、避難していた住民も多くが帰ってきている。街の賑わいを目当てに訪れる商人も多い。中央通りに並ぶ露店は、久々の盛況ぶりに沸いていた。
大きな魔物の群れが斃されたとなれば、そこから大量の魔石も得られる。魔導具を始めとして、魔石の用途は多岐に渡る。つまりは経済が潤う。
安心感も財布の紐を緩めて、街の賑わいは日ごとに増していった。
ただし、今回はオークからの魔石は得られなかった。
それどころか、まともな死体も数えるほどだった。鉱山内で焙り殺されたものは別だが、ほとんどのオークは潰され、キングプルンに骨まで溶かされたのだから。
そんな事情を知る者は少ないが、下手をすれば、まだ領地の危機は続いただろう。
散々に荒らされるだけで、得るものが何もなかったというのは辛い。
けれど魔石の代わりとなる収入はあった。鉄だ。
オークが巣としていた元鉱山街に、大量の鉄塊が転がっていた。鉄鉱石ではなく、そのまま精製する必要もなく使える鉄の塊だ。しかもかなり良質で、鉱山で採れる量の数年分にも及ぶ。
何故、そんなものが転がっていたのか?
領主であるクリムゾン伯爵も答えを得られなかった。
ともあれ、捨て置く選択肢はない。領地の兵士が動員され、その鉄塊は回収された。同時に鉱山周辺の安全を確かめるため、森でも大規模な狩りが行われた。
季節は秋の中頃。オークに荒らされたとはいえ、収獲は充分に得られた。
そうして森の様々な食材も市場へと流されて、人々を潤すことになる。
「昨日も、もっと卸す野菜を増やせないかと言われました」
孤児院の一室、畑で作業をする子供たちの声を窓越しに聞きながら、マリューエルは涼しげに微笑んだ。
「鉄の値は下がっているが、他が少々上がっているようだな。不便はないか?」
「ええ。懇意にしている商会の方が、安く譲ってくださいます」
エキュリアは孤児院の様子を見るためにやってきていた。
と言うのは建て前で、息抜きを兼ねている。
ここ最近、領地が賑わっているのは嬉しいのだが、その分だけエキュリアも騎士としての仕事に追われていた。
「こう言ってはなんだが、いまの表通りは騒がしすぎる」
「ふふっ、エキュリア様はとりわけ注目の的ですものね?」
「ここにも、あの話は届いているのか?」
「ええ。きっとあとで、子供たちに話をせがまれますよ。みんな、勇者様に会いたいと、はしゃいでいましたから」
人が集まれば、それだけ多くの話も溢れてくる。
いま街で流れているのは、当然、オーク討伐に関する噂話だ。
領地ひとつを呑み込むほど大規模なオークの軍勢が、どうしていきなり壊滅したのか? その詳細についての公的な発表はなく、様々な憶測を呼んでいる。
凄腕の冒険者パーティがやって来たとか。
領主様が神より恩寵を授かったとか。
オークよりも恐ろしい魔物が現れて、そいつの餌になったとか。
伝説の勇者様が復活したとか―――。
「まあ、勇者の復活は事あるごとに噂となるからな。それは分かる。しかしどうしてそこで、私と恋に落ちたなどという話になるのだ?」
そんな噂話が流れているから、エキュリアはおちおちと街の散策もできない。
だからといって盛り上がる民衆に水を差すのも、仮にも貴族の振る舞いとして間違っている気がする。
愚痴を零すしかない、とエキュリアは項垂れた。
「ですが、小さな勇者の活躍はあったのでしょう?」
「……それも精霊が教えてくれたのか?」
「明確なことはなにも。ただ、彼女はもっと大きな風を起こす気がします」
目蓋を伏せたまま、マリューエルは窓の方へと顔を向ける。まるでずっと遠くの景色を眺めるみたいな眼差しだ。
「エキュリア様なら、その風を良い方向へ導けるのでは?」
「勘弁してくれ。あれには振り回されるばかりだ」
項垂れて、エキュリアは溜め息を落とす。
けれどその口元には、優しげな微笑も浮かんでいた。
「ところで……以前から、尋ねたかったのだが」
「なんでしょう?」
「そういった詩的な言い回しは、恥ずかしくならないのか?」
問われて、マリューエルはそっと顔を背ける。
だけどその長い耳は紅く染まっていた。
「……仕方ないんよ。銀霊族は神秘的って印象があるし、演出は大切なんやもん」
訛り混じりの告白を、エキュリアは聞かなかったことにした。
クリムゾンの街を出て北へ半日ほど歩くと、緩やかな丘陵地帯になる。
友好領地であるアルヘイス領とを繋ぐ街道が通っている。広い草原が続き、所々に森があって、定期的に狩人や冒険者が訪れる場所だ。けれど稀に大型の魔物も現れるので、良い狩場とは言い難い。
過去には開拓が試みられたこともあった。けれど尽く失敗している。
この世界での開拓というのは、本当に命懸けだ。大規模な兵力で守りを固めて、急いで拠点を作らなければならない。もたもたしていると魔物がやって来て、まとめて蹴散らされてしまう。
ただし、一度拠点が作られてしまえば危険は減る。
攻撃しても痛い目を見る場所を、魔物たちは素早く学習するのだ。
「とりわけビート牛は、魔物たちが生存圏を知る指標になるとも言われております。これでしばらくは静かになるかと」
「そうなって欲しいね。あの集団突進にはビックリしたよ」
スピアは石壁の上に立って、眼下を眺めていた。
何十頭もの牛が、その壁から生えた棘に貫かれて食材になっている。つい先程、その何倍もの集団が猛然と襲ってきたのだ。
ビート牛の集団突進。通称、開拓村潰し。
ベルトゥーム王国の物騒な名物として知られている。
見た目は普通の牛と変わらないビート牛だが、咽喉の下に魔石を持っている。食べられる魔物でもあるけれど、その肉は硬いのであまり市場には出回らない。そもそも一頭見れば十頭に襲われるという魔物なので、狩ろうとする者もいない。
ビート牛怖いよビート牛。
そんな言葉しか言えなくなって狩人をやめた者も多いとか。
「でも突進しかしないなら、お肉でしかないよね」
スピアは魔力を流して、壁から生えた棘を戻した。
ビート牛がばたばたと地面に落ちる。さらにその地面がせり上がって、石壁と同じ高さになって止まった。
シロガネが両手に一頭ずつを掴んで、重いはずの牛を軽々と回収していく。
ぷるるんも、数頭を一度に乗せて器用に運んでいく。
石壁の下、拠点の内側では、住民である女性たちが準備を整えて待っていた。
何頭もの牛を台に吊るし、元狩人だったという者の指示に従って、手早く処理していく。
オークに囚われていた彼女たちは、凄惨な光景に嫌な覚えもあるだろう。
けれど躊躇ない手付きで、次々と肉を捌いていく。
ただ、時折、祈るような仕草をする。
「こうして仕事をいただけるのも、スピア様のおかげですね」
「ええ。魔物の集団も、スピア様の前では塵も同じですわ」
「あの堂々と立つ姿、凛々しい横顔、絵に描きたいほどに素敵です」
「スピア様に感謝を!、です!」
―――狂信っぷりがさらに激しく悪化してる!?
スピアは額に手を当てつつ、あらためて辺りを見渡した。
街道から少しだけ離れた場所に、石壁で囲まれた小さな集落ができている。集落を囲う壁も、ぽつぽつと建つ住居も、スピアがダンジョン魔法で用意したものだ。もちろん魔力の流れを切っても残るよう、きちんと処置してある。
オークの駆除を行った後、クリムゾン伯爵から何か欲しいものはないかと尋ねられた。スピアは報酬目当てで行動したのではないが、落ち着ける場所は必要だと思えた。
いつまでも伯爵家に居候しているのもよろしくない。
相手が喜んで迎え入れると言ってくれても、自分の家とはやはり違う。
それに、助けた女性たちも放り出したくなかった。
狂信者のまま放っておくつもりもない。いずれは”まともな”精神状態に戻すよう、シロガネにも厳しく言ってある。
そういった諸々の事情を考慮して、スピアは土地を貰うことにした。
最初は街の中に大きな敷地を、と言われたけれど、それでは目立ってしまう。街の外ならいくらでも土地は余っていたので、そちらを貰い受けた。ダンジョン魔法を使えば、小さな集落を造るくらいは簡単だった。
もっとも、一晩で集落が完成するのは充分に目立っていた。
それでも街とは違って見物客が集まることはないので、スピアは呑気に過ごしている。
「魔力はほとんど無くなっちゃったけど……まあ、これだけの備えがあれば大丈夫かな」
公的には、スピアは伯爵から開拓村村長の地位も貰っている。
これはクリムゾン伯爵が、スピアをただの子供ではないと認めた、そういう意味も含んでいた。
だからといって、地位に縛られるとかは、スピアは考えてもいない。相手の厚意を無碍にするな、という祖父の教えに従っただけだ。
つまりは、貰えるものは貰っておく。
「しばらくはここで、畑を耕したり、稽古をしたりしよう」
「ぷるっ!」
ひとしきり集落の様子を確認して、スピアは石壁から飛び降りる。
建物数階分の高さはあったけれど、真下にいたぷるるんが受け止めてくれた。
「ぷるるんも、これからもよろしくね」
ぺしぺしと黄金色の塊を撫でる。
ぷるるんは嬉しそうに、頷くように震えていた。
ひとまず、第一章完結となります。
次回からはSS的な閑話。それを三つ挟んで、続けて第二章です。
もうしばらくは毎日更新の予定。