一件落着
ノックをして、返答も待たずに扉を開ける。
礼を失した行為だが、いまのエキュリアには余裕がなかった。
「父上! スピアから手紙が届いたというのは本当ですか!?」
書斎には、クリムゾン伯爵のほかに、ラスクードも腕組みをして待ち構えていた。不機嫌そうな顔には、何故か数本の引っ掻き傷が刻まれている。
エキュリアも疑問は抱いたが、それよりも”手紙”の方が気掛かりだった。
「落ち着け、エキュリア。焦ったところでどうにもならぬぞ」
穏やかに告げながら、クリムゾン伯爵は折り畳まれた手紙を机の上に置いた。
すぐさま、エキュリアはそれを手に取って広げる。
そこには文字こそ拙いながらも、長々とした文章が綴られていた。
『拝啓。
秋色次第に濃くなり、実りの味も愉しまれておられるかと拝察しております。
さてこのたびは、わたくしの突然の出立により、エキュリア様を煩わせてしまったご無礼、深くお詫び申し上げます。
ご厚情をいただきながらの勝手な行為に、さぞご立腹であられると―――』
貴族でもここまで畏まったものは書かない、という無駄に長い文章だった。
数行を読んだだけで、ふざけているのか、とエキュリアは頬を歪めてしまう。
しかも大事な部分は短い。情報量が少ない。
要約すると、つまり―――。
「スピアが、オークどもを全滅させたと……?」
信じられない、という言葉をエキュリアは辛うじて呑み込んだ。
常識的に考えれば有り得ないことだ。
しかしスピアならば、とも思える。
眉根を寄せたクリムゾン伯爵も、判断に困っているようだった。
「そう読めるな。囚われていた女も救ったが、連れて帰るのは難しいので助けが欲しいと。書かれた事柄を信じるならば、そういうことだ」
「ならば、すぐに助けに―――」
言い掛けて、エキュリアは口を噤んだ。
スピアの言葉ならば信じたいとは思っている。けれどさすがに鵜呑みにするのは難しい話だし、そもそも手紙を書いたのがスピアだという確証もなかった。
「……そうだ。この手紙は、どうやって届けられたのです?」
「あそこを見てみろ」
答えたのはラスクードだった。
視線で誘導されて、エキュリアは部屋の窓へと目を向ける。
窓辺に、一羽の鷹が留まっていた。
「従えているのはキングプルンだけではなかったようだ。そいつの足に手紙が括りつけてあった」
「大きな鷹ですね……もしや、兄上のその傷は?」
「ふん。生意気なのは主人によく似ている」
蚯蚓腫れが刻まれている頬を撫でて、ラスクードは舌打ちを漏らした。
「その鷹……トマホークという名前らしいな。そいつのことも含めて、俺は信じてもよいと思う。このような馬鹿げた真似は、スピア以外にはせぬだろうからな」
「そうですね。私も……」
いきなり鷹が甲高い鳴き声を上げて、ラスクードに飛び掛かった。どうやら「馬鹿げた真似」という言葉が気に喰わなかったらしい。
大きく翼を広げて、ラスクードの頭を嘴で突っつく。
「き、貴様、やめぬか! 寛大な俺でも本気で怒るぞ!」
いくらかラスクードの髪を毟ると、トマホークはまた窓辺へと戻る。
手加減ができていることといい、頭が良いのは間違いなさそうだった。
「まずは、この手紙の真偽を確かめるのが先だ」
場が落ち着くのを待って、クリムゾン伯爵が話を仕切りなおした。
「返答を待つとも書かれている。もう一度手紙を往復させて、本当にスピアからの物なのか確かめればよい。そこでエキュリア、おぬしの出番だ」
「はい。ですが確かめるとは、どうやって……?」
「おぬしとスピアしか知らぬ事柄は何かないか? それを問うて答えられれば、まず本人からの手紙と思って間違いあるまい」
なるほど、とエキュリアは頷く。
問い掛けの内容も、そう悩む必要はなかった。なにせスピアは奇行が多かったから、それを問えば他の者では答えられるはずもない。
「早速、手紙を書きましょう。私とスピアが会った日、野営した際に作った夕食は何だったか、それとぷるるんに与えた食事の内容も。これはけっして余人には答えられませぬ」
まさか毒キノコと灰汁だなどと、誰も思いつきはしないだろう。
あらためて考えると酷いメニューだなあ、と苦笑しつつ、エキュリアは手紙をしたためる。いざとなれば一人でも帰ってくるよう最後に書き足して、トマホークの足に結びつけた。
「頼むぞ。それと可能な限り、スピアを守ってやってくれ」
頭を撫でられたトマホークは、当然!、と言うように一鳴きする。
窓が開け放たれると、勢いよく飛び立った。あっという間にその姿は見えなくなる。
「……兄上、あの鷹、奇妙な飛び方をしていませんでしたか?」
「奇遇だな。俺にも、とんでもない加速をしたように見えたぞ。まるで雷光のようだったが……」
頬を引きつらせて、兄妹は乾いた笑声を零す。
ともあれ、早々に手紙が届くのは間違いなさそうだった。
「では、ここからが本題だ」
クリムゾン伯爵が咳払いをして、緩んだ空気を打ち消す。
「ラスクード、どうだ?」
「はい……ご安心を。完全に人払いはできております」
しっかりと窓を閉め直してから、ラスクードは一旦目蓋を伏せた。周囲の気配を探った上で、風の魔法まで使って室外への音を遮断する。
エキュリアも息を呑んで、表情を引き締めた。
「あの手紙がスピアのものであるという前提で話すぞ。違った場合は現状維持とする。考えるべきは、手紙の内容を信じるかどうかだ」
「父上……まさか、スピアを見捨てるつもりですか?」
スピアだけではない。囚われていた女たちもいる、とエキュリアは机を叩く。
しかしクリムゾン伯爵は難しい顔をしたまま首を振った。
「魔族の関わりを否定できぬ」
その言葉は、重々しくエキュリアの胸に響いた。
「私とて疑いたくはない。しかし魔族は、時として人に化けて欺くとも聞く。もしもあの娘がそうであった場合、これまでのすべてが計略……街に籠もる我らを誘い出すためだったとも考えられる」
街の外壁に頼って戦えば、数倍のオーク軍に対してもしばらくは持ち堪えられる。敵側としては、余計な被害を強いられることになる。
だから兵力を誘い出すための卑劣な策を打った―――、
有り得ないとは言い切れない話だった。
ただし、そこにスピアが関わっていなければ、だ。
「有り得ませぬ! 私は、スピアを信じます!」
「たった一人で数千のオークを屠ったと言うのだぞ? 其方、それを現実として受け入れておるのか?」
「と、当然です! そうだ、祝勝会の準備しましょう。皆にも知らせて―――」
上擦った声で答えたエキュリアは、勇ましく部屋を出て行こうとする。けれどその襟首を、ラスクードに掴み止められた。
落ち着け、と額を指で弾かれる。
「たとえ信じ難い話でも、放ってはおけますまい。父上、ここはまず、少数で偵察に向かわせるべきです。それで真偽を確かめればよいでしょう」
「そ、そうです! その任務、私が務めてみせます!」
クリムゾン伯爵は渋面を作って項垂れる。不確かな情報で娘を危険に晒したくはなかった。
けれどエキュリアは真っ直ぐな眼差しで語る。
たとえ止められても、一人でも出て行く、と。
「……二十、いや三十名だ。それ以上は出せぬ」
「充分です。吉報をお待ちください」
正直なところ、エキュリアにも現実感が湧かない。
ほんの少し前まで、オークに蹂躙される未来しか見えていなかったのだ。
いきなりすべてが解決したなどと言われても、受け入れられるはずもなかった。
けれど―――、
「スピアならば、何をやっても不思議ではないのですから」
エキュリアは苦笑混じりに述べる。
その言葉には、とても実感がこもっていた。
トマホークを介して手紙の遣り取りをする間に、出兵の準備は整えられた。
エキュリアを含めて三十一名。
全員が騎馬を駆り、表向きは偵察を行うことになっている。
「いいか、可能な限り戦いは避ける。騎馬の速度を活かすのだ。我らの目的はあくまで偵察なのだからな」
エキュリアの指示に文句を言う者は一人もいなかった。
兵士の中でも馬に乗れる者は少なく、全員がそれなりに腕に覚えのある兵士だった。
憎いオークを相手に背を向けたいとは思わない。
それでも無茶な戦いで命を落とすのも趣味ではなかったし、なによりエキュリアの言葉を信じていた。
「詳細は言えぬが、この任務が上手くいけば戦いは終わる。我らの勝利でな」
エキュリアとしては、後ろめたいことばかりだ。
兵士に事実を告げられないこともそうだし、「我らの勝利」というのも恥知らずな台詞だと思う。
自分は助けられただけだというのに―――。
ともあれ、エキュリアは西方の鉱山街へ向けて出立した。
今回は森を抜けず、整備されていた広い街道を駆ける。高所にある鉱山街からは丸見えの道なので、オークが残っていれば待ち伏せされる危険性もある。
けれど最速で駆け抜けられる道でもあった。
それに、エキュリアは信じていた。
オークを全滅させたという、スピアの言葉を。
「はぐれた数匹くらいは残っているかも知れんがな。空の目も頼らせてもらうぞ」
馬で駆けながら、エキュリアは上空へと視線を向ける。
青々と晴れ渡った空に、一羽の鷹が翼を広げていた。
まるでエキュリアの声が聞こえたかのように高い声で鳴く。トマホークだ。補佐役としてつけると、手紙に書かれていた。
そうしてエキュリアと騎兵たちは街道を進む。
警戒とは裏腹に、二日ほどの道のりは実に平穏だった。
何匹か、狼や熊、小型の魔物が襲ってくることもあった。
けれどエキュリアが剣を抜くことすらなかった。
トマホークがすべて倒してくれたから。
上空から目にも止まらぬ速度で急降下、突進して、周囲の木々ごと薙ぎ払うのだ。
しかも雷撃を散らしながら。
狼や小型の魔物は丸焦げにされた。
大きな熊は、胴体に風穴を空けられていた。
手紙では、「何処にでもいる可愛らしい鷹です」と書かれていたが―――、
「おまえのような鷹がいるかぁっ!」
エキュリアが声を荒げ、兵士たちが蒼ざめた顔でうんうんと頷く。
仕留めた熊を啄ばむトマホークは、こてりと首を傾げていた。
多少の騒動はあったものの、エキュリアたちは順調に鉱山街へと迫っていった。
野営をして、明けて二日目の夕刻―――、
さすがに慎重になったエキュリアは、馬の脚を緩めた。
樹木に挟まれた道をゆっくりと進むと、ほどなくして視界が開ける。
そこに広がっていたのは、がらんとした風景だ。
打ち壊された建物や、石壁や鉄球だった瓦礫は広場の端に寄せられている。オークの死体や血の染みが消えているのは、ぷるるんが頑張ってくれた結果だが、そんな経緯はエキュリアが推し量れるはずもなかった。
領主の娘であるエキュリアは、かつての鉱山街の風景も覚えていた。
あまりにも様変わりした現実に、しばし言葉もなく呆然としてしまう。
それでも、自然と目を引かれるものはあった。
「あれは……?」
大きな建物がひとつ。
その脇で、数十名が集まっていた。全員女性で揃いの白服を着ている。
囚われていた者たちだろう、とはエキュリアにも察せられた。けれど思わず息を呑んでしまう。
異様だった。
なにが、とは言い難い。
けっして悪い感覚を覚えたのではない。むしろ清浄で、透きとおった空気が流れているようだった。白装束の女性たちは列を作って、整然と跪いている。
まるで、その中心にいる神へ祈りを奉げるように。
上空から降りてきたトマホークが、その中心へと向かう。一鳴きすると、やや間があって女性たちが動いた。頭を垂れたまま静かに、道を開くように列がふたつに割れる。
神話にある海が割れるような光景だった。
その開かれた道の奥から、一人の少女が歩み出る。
黒髪黒目の、エキュリアの友人である少女だ。
「スピア……?」
「はい。エキュリアさん、ようこそ。お待ちしてました」
屈託のない柔らかな笑みを浮かべて、スピアは歓迎の意を示す。
平然と。まるで自宅に親しい友人を招いたみたいに。
だけど―――、
「おまえはなにをやってるんだぁっ!?」
エキュリアは叫ばずにはいられなかった。