国境へ
ジュタールの脱走劇が未遂に終わって、数日―――。
王都からの援軍、およそ二万が小砦に到着した。
総大将はクリムゾン伯爵。新女王となったレイセスフィーナが自ら出陣すると主張したが、側近たちによって止められた。
とりわけ胃痛を堪えながらのザーム親衛隊長代理の説得が、効を奏したらしい。
そうして信頼できる者に手柄を立てさせる意図もあって、クリムゾンに兵が預けられた。
「息災なようでなによりだ。エキュリアも、スピア殿も」
「“殿”はやめてください」
「ははっ、本当に相変わらずなようで安心したぞ」
真剣な表情を緩めて、クリムゾン伯爵は豪快に笑う。
どちらかと言えば文官寄りな性格のクリムゾン伯爵だが、兵を率いる姿も堂々としている。恰幅がよいので甲冑も似合っていた。
「今回もまた随分と活躍したようだな。『女王の秘剣』に相応しくなってきたか?」
「父上まで、そのような二つ名で呼ぶのはやめてください!」
「良いと思うのだがな。私も父として誇らしいぞ」
久しぶりに親子の時間を取りつつ、一日を兵の編成に当てた。
そうして翌日、オルディアン城砦の奪還へ向けて軍勢は出立する。
軍勢なのだから、当然ながら戦いを想定しての行動だった。
城砦を占拠する帝国軍との激戦が繰り広げ―――られることはなかった。
城砦近くまで迫ると、帝国軍から使者がやってきた。
戦いの前に話し合いが行われるのは、さほど珍しくもない。魔族という脅威があるために、人間同士では可能な限り犠牲を少なくしようと試みる。
そして帝国軍からの提案は、ある意味では予想通りのものだった。
「我らは城砦を明け渡し、そちらの捕虜も全員解放しよう。その代わりに、エキュリア殿との一騎討ちを所望する!」
エキュリアは渋々ながらも承諾して、帝国騎士三名を打ち倒した。
トンファーフルスウィングで。
「エキュリアさんなら、いつかトンファービームも出せるかも知れません」
「“びぃむ”とやらは知らんが、この武器が素晴らしいのは確かだな。単純だが奥が深い」
帝国軍の撤退は決まり、まず捕虜の返還が行われた。
足止めのため少数で城砦に残った勇士たちだ。命を落とした者もいたが、丁重に扱われていたようで、王国側にも温かく迎えられた。
友人知人である兵士たちが、互いの無事を確認して笑顔を向け合う。
歓呼に沸く中で、一際騒がしい二人の姿もあった。
「お爺ちゃん! よかった、無事だったんだね!」
「おぉ、メィア。おぬしこそ……怪我はないか? 少し痩せたのではないか?」
カーディナル伯爵も無事に解放されて、抱きついてくる孫娘を受け止める。
普段は威圧的な顔ばかり見せていたカーディナルだが、この時ばかりは相好を崩していた。
「私はほら、見た通りだよ! この鎧が守ってくれたの」
「む……そ、そうか。役に立ったなら、特注した甲斐もあったが……」
「あとね、エキュリア様に剣も習ったの。凄かったんだよ、あっという間に帝国軍を追い払っちゃって!」
「おお、そういえば礼を言わねばならんな。儂が不甲斐ないばかりに、多大な迷惑を掛けてしまった」
其々に再会を喜ぶ一方で、別れを“惜しまない”者もいた。
王国側からの捕虜返還も行われたのだ。
「なぁラヴィ、本当に俺と来ないでいいのか? 素直になった方がいいぜ?」
「あれだけ無様を晒して、よく言えるわね。さっさと行きなさいよ」
辛うじて命を取りとめたジュタールも、帝国へ返される運びとなった。
そのこと自体は当人も喜んでいる。
けれどラヴィと別れるのは受け入れ難いようで、しつこく言い寄っていた。
人質の身であり、脱走に失敗して死にかけたというのに、何処までも前向きなジュタールだった。
「だいたいアンタ、使徒としての力も失ったんでしょ? 他人のことより、自分の心配をしなさいよ」
「心配要らねえよ。これでも騎士なんだ、そこそこの贅沢はさせてやれるぜ?」
「しつこいの! 私はお姉ちゃんと一緒にいるって言ったでしょ!」
眉間に皺を寄せながら、ラヴィはユニの影に隠れるようにする。
とはいえ、ユニの方が小さいのでまったく隠れられていない。
「お姉ちゃんって……なあ、それ本当なのか? やっぱり子供にしか見えねえぞ?」
「ふん、アンタの目が節穴なだけよ。お姉ちゃんは凄いんだから!」
痴話喧嘩にもなっていない言い争い。
そんな二人の間に挟まれたユニは、相変わらずぼんやりとしていた。
もう虚ろな目はしていない。ただ面倒くさいので、さっさと終わってくれないかなあ、と無言で語っている。
それでも愛用の黒杖は握っているし―――、
「しつこいのは俺も分かってんだよ。だけど帝国に来れば、おまえも……」
ジュタールが歩み寄り、ラヴィへ手を伸ばそうとした。
その瞬間、するりと黒杖が突き出される。
「あ……」
自然な動作だった。ユニにとっても無意識で、唖然とした声を漏らしてしまう。
とん、と。黒杖がジュタールの腹に当たった。
けっして暴力には見えない。だけどそれは必殺にも成り得る一撃だ。
自分の間合いに入る敵は問答無用で打ち倒す―――そんな癖が、ユニの身体には染み付いていた。
「な、なあ、妙な感覚がいま……うぼああああぁぁぁぁァァァっ!?」
炸裂した魔力が、ジュタールの全身から溢れ出す。
痛々しい悲鳴を上げたジュタールは、力なく倒れ伏した。
「……うん。正当防衛」
「その理屈はどうかと思うけど……でもお姉ちゃん、ありがとう。私を守ってくれたんだよね?」
「べつに……ただ、勝手に体が動いただけ」
無愛想に返すユニだが、ラヴィは嬉しそうに顔を綻ばせる。
帝国兵に運ばれていくジュタールのことは、すぐに忘れ去られた。
捕虜の交換と並行して、帝国軍と王国軍は会談の場を設けた。
戦争に対する補償や、今後の両国の在り方などを取り決めるためだ。
王国側からはクリムゾン伯爵やエキュリア、帝国側も主だった騎士が参加した。
勝ったのは王国だが、さほど大きな要求を突きつけはしなかった。
少々の賠償金と、これまで通りの領土線を認めて貰えれば充分だ。今回の侵攻は小競り合いみたいなものに過ぎず、下手に刺激をして帝国から本気で攻められても困るのだ。
そういった事情もあって、互いに折り合うのは難しくなかった。
話し合いは順調に終わりそうだった、が、
「ひとつ、お願いがあります」
乱入者がいた。スピアだ。
大切な会談の場にひょっこりと子供が現れたのだから、帝国騎士たちは怪訝な顔をする。クリムゾン伯爵とエキュリアは揃って頭を抱えた。
こうなる事態も予測して、スピアには待っているよう注意をしておいた。
見張りの騎士だって置いておいた。だけど力不足だったらしい。
「帝国へ行きたいんです」
「お、おい、スピア……?」
「わたしと、エキュリアさんも一緒です」
エキュリアは制止しようとしたが、それよりも早くスピアは話を切り出していた。
唐突な話だったが、居合わせた帝国騎士はキラリと目を輝かせた。
とりわけ、エキュリアも一緒、という部分に対して。
「我らが国を訪れたいと。それは、どういった目的でしょう?」
「いや待て。そちらに聞かせるような話では……」
「観光です。あちこち見て回るつもりですけど、『永劫剣』にも興味があります」
なにやら物見遊山な台詞を述べて、スピアは無防備な笑顔を見せる。
まるきり旅行を楽しみにする子供みたいな態度だ。
深く物事を考えていないという点では同じかも知れないが―――、
エキュリアは頭痛を堪えつつ、スピアの襟首を摘んで顔を寄せる。
「どういうつもりだ? 帝国にはこっそりと向かう予定だったろう!」
「でも折角の機会です。お願いしたら、堂々と入国できるんじゃないですか?」
「あのなぁ、そんな簡単にいくはずが……」
ない、とエキュリアは口にできなかった。
背後から、帝国騎士が嬉しそうに声を上げる。
「では、エキュリア殿を親善大使として迎えましょう」
トンファーフルスウィングは、エキュリアの想像以上に効果を上げていたらしい。
帝国騎士の目が語っている。
是非また一騎討ちの機会を得たい。試合でも構わない、と。
どうやら彼らの常識では、戦いと書いて親善と読むようだ。
「無論、そちらのスピア殿でしたか。供回りの方々も御一緒で構いませぬ。実のところ、キングプルンと戦いたいと申す者もおりましてな。某もその一人で……」
「ぷるるんです。得意技は押し潰しです」
「おお、そちらもやる気充分ですな。これは楽しみだ」
「ぷるっ?」
いつの間にか、黄金色の塊も現れていた。
流れるように決まっていく話に、エキュリアは頭痛を覚えずにはいられない。
単純に帝国へ赴くことだけを考えるなら、悪い話ではないのだろう。
けれど親善大使なんて肩書きは、この場の決断で名乗って良いものではない。
本来なら国の代表として、王から任命されるのだ。
そもそも、たったいままで戦っていた敵国同士だ。
いきなり親善大使を派遣するというのもおかしい。
よしんば認められたとしても、外交のために様々な仕事を行う義務が生じてくる。
とても自分には務まらない、とエキュリアは断言できる。
なによりの不安の種は、スピアが一緒ということだ。
「おい、分かっているのか? おまえも親善大使一行としての肩書きを背負うことになるのだぞ? 国の代表だ。下手な騒動を起こせば、冗談では済まされん」
慌ててスピアの肩を引き寄せ、声を潜める。
エキュリアはこれでもかと困った顔を見せたが―――。
「大丈夫です。諺でも、旅の恥はかき捨てって言いますから」
「恥を捨ててどうする! そんな諺こそ捨ててしまえ!」
スピアは無邪気な笑みを見せる。不安の欠片すら感じさせない。
エキュリアが怒鳴っても、さらりと受け流されてしまう。
「多少の問題くらいなんともないです。それよりも、コソコソしないで済む方が重要です」
「む……まあ確かに、おまえに隠密行動を要求するのは難しそうだが……」
「それに、折角の旅行なんですよ」
にんまりと、スピアは笑顔を輝かせる。
「エキュリアさんにも楽しんでもらいたいです」
そう悪意無く言われてしまっては、エキュリアも返す言葉がなくなる。
眉根を寄せたエキュリアだが、緩みそうになる口元をそっと覆い隠した。
「まあ、なんだ、なるべく良い方向に話を持っていくとしよう」
「はい。旅は道連れ、世は情けです」
なにやら尤もらしいことを言って、スピアは平坦な胸を反らす。
偉そうな仕草だが、ちっとも威厳なんてない。
だけど、不思議と頼もしくて―――。
「はぁ……おまえの道連れというなら悪くないか」
また騒々しくなる旅路を予感して、エキュリアは密かに胸を弾ませていた。
ひとまずここで区切り。
次回は例によって幕間となります。