ダンジョンマスターvs武技の使徒③
今度は何事だ―――、
鎧姿の幻像を見上げて、エキュリアはそう声を上げようとした。
けれど咽喉が震えるばかりだ。包囲を作っていた兵士たちも、騒然としているものの満足な言葉は発せられない。
正しく神々しい幻像を目にした瞬間、全員の心に同じ想いが去来した。
それは恐怖。自身の内から湧きあがってくる根源的なもの。
『我こそは武技の神マルドース! 人の子等よ、跪け!』
荘厳な声が響くと同時に、兵士たちは揃って頭を垂れ、膝をつく。
理屈ではない。身体が勝手に反応していた。
幻像のマルドースは厳しい顔に満足げな笑みを浮かべ、太い腕を組む。
ぐるりと兵士たちを見渡してから、その中心で目を留めた。
『貴様は跪かぬか。どうあっても神に仇為すつもりなのだな』
「畳の上なら正座くらいはしますけどねえ」
スピアは平然として立っていた。
ただ、淡く輝く幻像を見上げる顔は不機嫌を表している。
「暴力で人を従わせるなんて、ロクな輩じゃありません」
『人が神に従うのは当然ではないか。貴様が異端なのだ。神を傷つけるなど在ってはならぬ。その力も不可解だが……まあいい、貴様が消えれば解決することだ』
マルドースは腰の剣を抜き放つ。派手な装飾が施されていて、それもまた神々しさを漂わせている。
神秘的な輝きをスピアへ向けると、再び威圧的に告げた。
『この者を、殺せ!』
兵士たちが揃って顔を上げる。そこには困惑や畏怖が張りついている。
しかし体は震えながらも動き、剣を握ろうとして―――、
「―――断る!」
涼やかな声が、一同を制止した。
誰も彼もが跪く中で、エキュリアは毅然として立ち続けていた。
何故、神の言葉に逆らえるのか?
胸の奥底から湧きあがってくる恐怖に抗えるのか?
エキュリア本人にも分からず困惑している。
それでも意志を込めて、マルドースの幻像を睨みつけた。
「神だかなんだか知らぬが、人の心まで操れると思うな! 我が忠誠は貴様などに奉げたものではない!」
『貴様……何故、逆らえる? 貴様も神敵になると言うのか?』
「黙れ! 友を守るのに、神の許可など要らぬ!」
一欠片すら迷いのない宣言は、静まり返った場に染み渡っていく。
兵士たちもぼんやりと理解していた。
目の前に現れた幻像は神なのだと。けっして逆らってはいけない相手なのだと。
けれどその呪縛は解ける。
皆を捉えていた震えは、いつの間にか治まっていた。
命令に従うまま剣に伸びていた手も自由に動く。まだ全員ではなかったが―――。
「……おいおい神様よ、どうなってんだ? なんだか気圧されてねえか?」
疑念の声を投げたのはジュタールだ。
業火に焼かれた傷はすでに回復している。マルドースの幻像が現れると同時に、瞬く間に癒しが齎されていた。
神が救いの手を差し伸べてくれた。しかも、わざわざ姿を見せてまで。
使徒としては、この上なく頼もしい状況のはずだった。
けれど、どうにも風向きが怪しい。
これまで散々に非常識な目に遭ったおかげで、ジュタールも神への信頼が揺らいでいた。あるいは、スピアへ対抗する心が折れかけていると言うべきか。
「ここは慎重になった方がよさそうだぜ? 俺はもう脱出できれば充分なんだが」
『……愚かな。神を疑うな。我が力を見せつけてやろうではないか』
「見せつけなくていいです」
え?、とジュタールとマルドースは揃って首を回す。
両者の正面に、スピアが立っていた。
いつの間に近くに―――などと問う暇もなく、拳が突き出される。
「んゴッ―――」『ぃばらぁっ!?』
使徒と神、二つの濁った悲鳴が重なった。
スピアが殴り掛かり、小さな拳がジュタールの顔面に叩き込まれた。
傍目にはそうとしか映らなかった。
けれどジュタールだけでなく、マルドースの幻像も同じように殴り飛ばされる。
しかも派手に転がったマルドースは、顔が半分ほどひしゃげ、首があらぬ方向に曲がっていた。
『ぐぅっ……ぎ、貴様、またも神に対して……けっして許されぬぞ!』
「わたしが許します。自画自許です」
そんな言葉はない、とエキュリアが呟く。
けれどその表情は緩んでいて、眼差しでは別のことも告げていた。
私も許す、やってしまえ、と。
「っていうことで、メィアちゃんを怖がらせた報いを受けてもらいます」
「ま、待てよ。神の命令に従っただけで、俺は―――」
抗弁ごと砕くように、スピアの蹴りが炸裂する。
また濁った悲鳴がふたつ重なる。まるで大型弩砲から撃ち出されたかのように、ジュタールの体は宙を待った。
マルドースの幻像も同じく。
兵士たちの輪を飛び越えて、砦内の壁にドーンと激突した。
『ぐ……な、なんなのだ、あの娘は!? ここまで非常識だとは聞いておらんぞ!』
「俺が知るかよ! なんとかしろよ、神なんだろ!?」
全身をバラバラにされそうな痛みを覚えながらも、ジュタールは立ち上がる。
一方、マルドースも酷い有り様になっていた。流麗な線を描いていた鎧は、あちこちが歪んで、もはや見る影もない。いくつか外れている部位もある。威圧感のある顔はべったりと赤黒く濡れていた。
両者とも傷はすぐに癒えたが、けっして無事とは言えなかった。
しかしそもそもマルドースは幻像であって、本体は神域に在る。どれだけ使徒が痛めつけられようとも、まったく影響は及ばないはずだった。
使徒との繋がりを介して打撃を徹す―――なんて、神にとっても不可解な所業だ。
だからマルドースには、何が起こっているのかも分からない。
それでも神として、人間の小娘一人に敗北するなど認められなかった。
『我が完全に降臨できれば、この一帯ごとすべてを消し去ってくれるものを……』
「だったら、そうすりゃいいじゃねえか!」
『神にも制約はあるのだ! 貴様こそ、己の不甲斐なさをなんとかしろ!』
なにやら醜い言い争いだった。
そうしている間に兵士の列が割れる。
その列の中心をスピアは自然体で歩みながら、ジュタールとマルドースをじっと見据えた。
「やっぱり浸透撃は難しいですね。内側からバラバラになるくらいに叩き込んだつもりなんですけど、思った以上にしぶといです」
「お、おい、なんか物騒なこと言ってやがるぞ!」
『ええい、訳が分からぬが……こうなっては仕方ない』
幻像のマルドースが、ジュタールの肩に手を置いた。
元より淡く輝いていた全身が、よりいっそう強く光を放ちはじめる。
『可能な限りの神力を与えてやる。なんとしても、あの小娘を滅するのだ!』
「お、おう! 力を与えてくれるなら文句は……」
『貴様にはもっと長く働いてもらいたかったがな。最後にひとつ、大きな手柄を立ててもらうことで満足としよう』
「え? ちょっ、待て! それって危ない意味じゃ―――」
瞬間、音が消えた。
まるで世界のすべてが静止したかのように、ジュタールの感覚だけが加速される。
大勢いる兵士たちも身動きひとつしていない。スピアも足を進めようとしたまま、眼差しさえも完全に固定されていた。
これまでも加護を発動させるたびに、ジュタールは似た光景を見てきた。
静止とはいかず、停滞に近い“遅延”程度だったが―――。
けれど今回は格別だ。
神力が惜しみなく注がれただけあって、なにもかもが音ひとつなく静止している。
おまけに、その効果は長く持続するようだった。
『ふむ……料理ひとつ作る時間くらいはありそうだな。この砦の兵も、半数くらいは殺せるであろう』
「おい! それより最後って、どういう意味だよ!?」
『神の力を人の身で受けるのだ。過剰な力が身を削るのは当然であろう?』
「んなっ……お、俺の命を勝手に使ったのかよ!」
静止した場に、ジュタールの怒声が響く。
知らない間に毒を飲まされたようなものなのだから、当然の反応だった。
けれどマルドースは面倒くさそうに鼻を鳴らすと、それよりも、と指差す。
『さっさとあの小娘を始末しろ。神に逆らおうとした、他の愚か者どもも含めてな。急いで事を済ませば、貴様の命も助かるかも知れんぞ』
「っ……く、くそっ! やればいいんだろ!」
忌々しげに顔を顰めつつも、ジュタールは剣を握る。
身じろぎすらしないスピアの前に立つと、軽く目礼した。
先程もスピアへ殺意を向けたジュタールだが、もう状況は随分と違っている。
神に対する疑念は深まり、無防備な子供を害する罪悪感の方が大きくなっていた。
「悪いな、俺も命は惜しいんだ。せめて苦しまないように心臓を一突きで……」
「それはイヤです」
ギョロリ、とスピアの眼が動く。
視線がジュタールを捉えると同時に、小さな手が剣を弾いた。
「え……っ!?」
驚愕の声が漏れる間にも、スピアは反撃に移っていた。
一気にジュタールとの間合いを詰める。
放たれた蹴りは、ジュタールの膝を砕いた。
「ガッ、ぁ……な、なんで……?」
どうして動けるのか?
この場は謂わば、神の力によって支配されている。
他の者は事態を認識すらしていない。加速した感覚についてこられないからだ。
なのに、どうして、平然と―――、
そう疑問と驚愕に目を見張ったのは、マルドースも同じだった。
けれどスピアは何も起こっていないように述べる。
「速さ重視の訓練をしておいて正解でした」
『は……? 速さだと!? そのような陳腐なものではない! 我が力は……』
「要は、時間を味方にすればいいんです。コツを掴めば簡単でした」
言いながら、スピアは拳を腰溜めに構える。
その拳が振るわれればどうなるか―――凄惨な未来が容易に想像できて、ジュタールは顔色を蒼褪めさせた。
逃げようともした。けれどそれは叶わない。
膝を砕かれると同時に地面が隆起し、足首をがっちりと掴んでいた。
「ダンジョン武闘術、奥伝―――」
『ま、待て! 神に逆らうのがどういう意味か……!』
幻像のマルドースも焦った声を上げる。
しかしスピアは止まらない。一切構わず、拳を突き出した。何十発と。
それは一瞬の内の一瞬。苛烈なまでの連打だ。
拳の雨はジュタールを打ち据え、全身に衝撃を叩き込み、悲鳴すら押し潰す。
凄まじい拳の弾幕は、最後にジュタールの体を頭上高くへと突き上げた。
「―――拘束百烈拳です!」
勝利宣言のような涼やかな声。
後に重なる痛々しい絶叫は、当然ながらジュタールとマルドースのもの。
ジュタールに叩き込まれた衝撃は、そのままマルドースにも伝わった。
ただし若干の時間差を置いて、一点に集まり、爆発する形で。
全身を打ち据えられる代わりに、幻像の胸には大穴が空く。
神々しい光に赤黒いものが混じって―――怨嗟じみた叫びとともに、マルドースの姿は花火のように弾けて消えていった。
胸の半分以上が吹き飛んだのだから、人間なら間違いなく致命傷だ。
神の命がどうなるのかは不明だが、ともあれ、この場での干渉は終息する。
ジュタールに与えられていた神力も霧散していく。
音が戻り、兵士たちのざわめく声が流れる中で、ジュタールは地面に激突した。
「ぶえっ……!?」
無様な悲鳴に、場の注目が集まる。
顔面から落下したジュタールは、あちこちが拉げ、潰れたりしていた。それでもまだ全身が微かに震えて、息はある様子だ。
とりあえず戦闘不能なようだが、兵士たちは事態を掴めずに困惑している。
「んん~……これは、アレですね」
ぽん、と手を叩く音が響いた。
スピアはぷるるんに手招きする。そうして黄金塊の上にぴょこんと跳び乗ると、腰に手を当てて得意気な笑みを浮かべた。
「敵使徒ジュタール、ひよこ村村長スピアが討ち取ったぁ!」
どんな勝ち鬨だ!?、と頬を歪める者が多数。
それでも一同は安堵の息を吐いて、戦いの終わりを迎え入れた。
敵が時間を止める?
なら、もっと早く動けばいいじゃない。
そんなワケで、勝利です。