捕虜
「てぇぇぇぇーーーーーい!!」
元気の良い掛け声とともに、剣が振り下ろされた。
直後、ぽよんと跳ね返される。
キングプルンに物理攻撃は通用しないのだから、まあ当然の結果だった。
そうでなくとも素人同然の剣筋では、実戦では通用しないだろう。
でも徐々に上達している気がする―――と、メィア本人だけは自信を深めている。
「うん。今のはいい感じだった。ぷるるんもそう思うよね?」
「ぷるっ?」
黄金色の塊は、答えをはぐらかすように揺れる。
だけどメィアはうんうんと頷いて、一人で納得していた。
「エキュリア様の戦いぶりを見た成果かな。見るのも訓練だって言うもんね」
鼻息も荒く、メィアはまた剣を振るう。
ひとまず戦いは終わったものの、興奮冷めやらぬメィアは稽古に励んでいた。まだ甲冑も着たままで、お付きの騎士たちは少し離れた場所から温かい目で見守っている。
多少、呆れた目も混じっていたが、咎める色はない。
「んっふっふ、これなら私が騎士として名を馳せる日も近いね」
独り言を漏らしながら、メィアは打ち込みを続ける。
額から汗を流し、剣先が震えてきても、何度も同じ動作を繰り返した。
ひたすら疲れて、動けなくなるまで。
興奮を紛らわすため、というのも嘘ではない。
だけど別の気持ちもあって―――荒い息を落としながら、メィアはぷるるんに寄り掛かった。
「……お爺ちゃん、無事だよね?」
「ぷるぅ」
金色の粘液体が、ぽよぽよとメィアの頭を撫でる。
なにやら奇妙な情景だった。
いたいけな少女が魔物に呑み込まれようとしている、と普通なら危惧するところだろう。
けれど辺りには優しげな雰囲気が漂っている。
夕陽を受けて輝く黄金色の塊は、とても頼もしげで、包容力さえ感じさせた。
「うん……ここで心配してても仕方ないよね。いまは自分に出来ることをしないと」
弾力のある粘液体をひとしきり撫でてから、メィアは晴れやかな表情を浮かべた。
ひとまずの決着はついたとはいえ、帝国軍との戦いはまだ続いている。
奪われたオルディアン城砦を取り戻す。王国軍の本体到着を待ってからだが、その際には城砦にいた者を救出する機会があるだろう。戦わずに済む可能性もある。
そういった可能性を残すために、帝国軍を壊滅させず、追撃もしなかった。
だから、捕らえられただけならば無事でいられるはず。
メィアもそう聞かされた事情を、あらためて頭の中で整理した。
昂ぶっていた気分は落ち着いてくる。
ひとまず部屋に戻って休もう―――そう身を翻したが、ふと思い至る。
「そうだ。休む前に、ちょっと様子を見ておこう」
置いてあった兜を小脇に抱えつつ、メィアは自室とは別方向へ足を向けた。
そちらには、急遽設けられた牢屋がある。
敗北した帝国騎士ジュタールが捕らえられていた。
「健闘した敵を温かく讃える女騎士……ぬふふ、それも英雄譚の一節として悪くないね。敵からも敬意を向けられちゃうとか、さすがだね」
もちろん戦って勝利したのはエキュリアで、メィアは応援していただけだ。
だけどまるで自分の手柄のようにほくそ笑む。
夢見がちな性格は、そうそう治るものではなかった。
「けっこう偉そうな騎士だったし、お爺ちゃんがどうなったのか知ってるかも」
重い甲冑をガチャガチャと鳴らしながらも、メィアは軽やかに歩き出す。
ただ、牢屋へ向かうには無警戒すぎる態度だった。
灰色の石壁に背中を預けて、ジュタールは項垂れていた。
腰を下ろした床の冷たさも気にならない。じっと掌を見つめている。
敗北して捕らえられたのだと、己の置かれた状況を、ジュタールは正確に把握していた。奇妙な打撃武器で顎を打ち抜かれた瞬間も覚えている。さすがに気絶している間の記憶はないけれど、推測するのは難しくなかった。
なにせ、すぐ横には頑丈そうな鉄格子がある。
牢に入れられているのは一目瞭然だ。
「なんだよ、トンファーって……」
苛立ち混じりに呟く。
状況は分かっても、それで納得できるかどうかは別問題だった。
「もっと派手な技を使うと思ってたのによお。なのに、あんな小技ばかりで……千人をぶっ倒したんじゃねえのかよ!」
戦い方が違えば自分が勝っていたのに、とジュタールはぼやく。
負け惜しみだが、あながち間違ってもいない。
ジュタールが持っていた短剣は、神の祝福を受けた特別な武器だ。魔力そのものを切り裂ける。たとえ殲滅魔法を相手にしても、使い方次第では無効化することが可能だった。
騎士と対する際でも、大技には魔力を用いるものが多い。炎や風を纏った剣撃などは、帝国騎士が得意とするものだ。だから相手の技を無効化し、その隙を突く戦い方でジュタールは勝利を重ねてきた。
もっとも、エキュリアはそんな技をひとつも体得していない。
そもそも王国騎士は、派手な技よりも身体強化術に頼る傾向がある。
ジュタールの目論見は外れたと言うより、些か勉強不足だった。
「だが、傷を治療してくれたのは有り難いな。この手枷は邪魔だが……」
眉根を寄せて、ジュタールは自身の手首を見つめる。
嵌めた者の魔力を乱し、強化術さえ使えなくする手枷は、大陸で広く使われている物だ。裁定の神ツェラ=ツェラが技術を伝えたとされている。
腕を捻ったり、手枷ごと壁に叩きつけたりしても、まず外れそうになかった。
「あー、くそ! もう一回やれば絶対勝てるのによ! どうにか脱出を……」
「おい、喧しいぞ!」
威圧的な声は、牢の外から投げられた。
鉄格子と通路を挟んで、小窓つきの扉がある。そこから見張りの兵士がジュタールを睨んでいた。
「目が覚めたのはいいが、大人しくしていろ。エキュリア様の慈悲で生かされているのだと忘れるな」
「はっ、慈悲かよ。感謝はするが次はねえぞ。今度は俺が勝つんだ」
「次がないのは、お前の方だろうが。妙なことは考えるなよ」
呆れた口調で告げて、見張りの兵士は小窓を閉じる。
ジュタールはさらに言い返そうとしたが、開いた口をすぐに閉じた。
いまは負け犬の遠吠えになるだけだと、そう思えるくらいの自制心は持ち合わせていた。
「あ、でも……そうだ! ラヴィはどうなった!? 無事なのか!?」
鉄格子を掴んで、ジュタールは声を上げる。
けれど返ってきたのは沈黙だけ。
捕虜に余計な情報を与える必要はない。見張りの兵士は真面目に務めを果たしていた、が、
「ああ、そうだ」
やや間を置いてから、思い出したように小窓が開かれた。
「目が覚めたら伝えるように言われている。使徒としての力は消しておいた、と」
「……は? なんだそりゃ? そんなこと、出来るはずが……」
疑問を述べながら、ジュタールははたと気づく。
神の加護。使徒としての力を使えば、牢からの脱出も難しくないのではと。
強化術は封じられているが、加護でも同じような真似は可能だ。
単純な事実だが、枷を嵌められた経験など初めてだったので気づかなかった。
「ははっ、さてはハッタリか? 俺を脱走させないために……」
にやりと口元を吊り上げると、ジュタールは加護を発動させようとした。
一時的に力が増す。邪魔な手枷だって叩き壊せる―――なんてことはなかった。
「……あ、あれ?」
首を捻る。漏らした声は上擦っていた。
ジュタールは目を丸くしながら、服の襟元を引っ張って胸元へ視線を向けた。
そこには使徒の証である『聖痕』が刻まれているはずだった。
「消えてる……? お、おい! どういうことだよ!?」
「騒ぐな! 俺は伝言を預かっただけだ。エキュリア様が何かされたんだろ」
「んなっ……冗談じゃねえぞ! 神の力を消すなんて有り得ねえ!」
「だから俺は知らねえよ。とにかく静かにしてろ」
小窓が閉じて、薄暗い牢には静寂だけが残される。
ジュタールは愕然として言葉を失っていた。
神の加護が消えた。使徒ではなくなった。
それは単純な力以上に、もっと大きな何かを失ったように感じられた。
何故だ? どうしてだ? こんなことは嘘だ―――。
思考を占めるのは疑問と否定。
現実は受け入れ難く、胸にぽっかりと穴が空いたみたいだった。
「あ……?」
冷たい床に座り込んだまま、ジュタールは虚空を見つめていた。
けれど仄かな光が差す。『聖痕』が消え去ったはずの胸元から。
温かな光は徐々に広がって、同時に、頭に直接響いてくる声もあった。
牢の外から、なにやらカチャカチャとした音が流れてきたけれど、ジュタールには気に留めている余裕はない。
そうしている内に扉が開かれる。
入ってきたのは、メィアとお付きの騎士たちだ。
「あれ? 静かにしてるじゃない」
牢に歩み寄りつつ、メィアは小首を傾げる。
ジュタールは項垂れたままで、胸元からの光はすでに治まっていた。
「……アンタは?」
「あ、そうか。名乗りは大切だよね」
コホン、と咳払いをひとつして、メィアは真面目な顔をする。
「私はメィアメーア・レティ・カーディナル。エキュリア様の弟子で、信頼もされてて、いずれ『大陸最強』の名を継ぐ騎士だよ」
「……なんだそりゃ? 頭、おかしいのか?」
「し、失礼ね! そりゃあちょっと大袈裟かも知れないけど、“いずれ”って付けたんだから嘘じゃないんだから!」
メィアは唇を尖らせる。
詰め寄ろうと鉄格子を掴みかけたけれど、ふと思い留まった。
何故か、背筋に悪寒を覚えたから。
「まあいいぜ……なかなかに偉そうってのは分かったからな」
ゆらり、とジュタールが立ち上がる。
「それに女ってのも、人質にするのは好都合だ」
低く濁った声に、破壊音が重なる。
ジュタールの手枷が砕かれ、鉄格子が乱暴に弾き飛ばされた。
捕虜は、脱走するもの。もう一悶着ありそうです。