新たな召喚と、お掃除と
オーク三匹を、ぷるるんが押し潰して呑み込む。
スピアは素早く通路を塞いでいた。
静かになった大部屋を眺めて、眉を顰めながら息を吐いた。
全裸の女性が大勢倒れている。散々に陵辱を受けていたので、酷い有り様だった。たとえスピアが子供じゃなくても刺激が強すぎる。
「この介抱はもう、わたし一人じゃ無理だね」
ぴしゃりと頬を叩いて気を入れなおす。
坑道を塞いだ壁に魔力を流して、新しい罠を設置する。炎を吐いて油を流し続けるものだ。もう他の人間がいないのも、オークが逃げ出す道が無いのも把握してある。残ったオークはまとめて燻して駆除できるだろう。
駆除を待つ間に、助けを呼ぶことにする。
「まずは、街へ連絡しよう」
軽く目を伏せて、スピアは召喚魔法を起動した。
床に青白く輝く魔法陣が浮かび上がる。複雑な紋様が絡み合っていく。
この召喚魔法だが、相手を呼び出すだけでなく、新たに創造することもできる。すでに登録されている魔物などに、細かな修正を加えることも可能だ。それによって必要な魔力量も増減する。
いまのスピアは、オークの群れを斃してかなりの魔力を蓄えている。その気になれば、最強種の一角であるドラゴンだって召喚可能だ。
けれどいま必要なのは速度だ。
「ん、これでいいかな。名前は……よし、出でよトマホーク!」
ちなみに掛け声は必要ない。
気分が沈んでいたので、盛り上げるために叫んでみただけ。
魔法陣から現れたのは、一体の大きな鷹だ。
スピアが乗れるほどではないが、足に掴まったらそのまま飛べそうではある。猛禽類らしい精悍な顔立ちをしていて、額には三叉槍みたいな白い模様がある。
鷹は伸びをするみたいに両翼を広げると、きょろきょろと左右に首を回した。軽く羽ばたいてから、ぺこりとスピアへ向けて頭を下げる。
「うん、よろしく。まずはお使いを頼みたいけど、ちょっと待ってね」
スピアは手元に影を浮かべると、紙とペンを取り出した。
手早く文章を綴っていく。エキュリアに事情を伝えて、事後処理をするための人手を出してもらうつもりだった。
そうして手紙を折り畳んで、トマホークの足に結びつける。
「東に飛ぶと、大きな街が見えてくるはずだから、まずはそこまで行って。そこからは視覚を借りて、わたしが指示するから」
トマホークは翼を広げると、頷くように甲高い声で鳴いた。
「あ、人間を襲っちゃダメだからね」
注意事項も伝えると、スピアは外へと繋がる通路を指差した。
すぐにトマホークは飛び立って、あっという間に見えなくなる。飛行能力は充分に高く設定してあるので、昼の内に街まで辿り着けるだろう。
とはいえ、スピアは助けが来るまで漫然と待っているつもりはない。
また召喚陣を起動させた。まだまだ魔力は有り余っているので、今度は治療に長けた者を創造するべく思考を巡らせる。
僧侶、というよりも治療魔法が必要かな。
マリューエルさんか侍女長さんがいたら頼りになりそう。
どっちにしろ人型で、そうなると……ホムンクルス?
でも重労働になるから非生物の方が―――、
そんな風に考えながら、あれこれと設定をしていく。
「魔力は残りの八割くらいは使っちゃって……基本スペックも重要だけど、賢さと伸び代を重視で、あとはオプションを……ランダムで……よし、これでバッチリ!」
再び、召喚陣が強く輝きだす。
そこに現れたのはメイド服を着た年若い女性だ。
肌は陶器のように白く、黒髪は肩口で丁寧に切り揃えられている。身体付きは細いが、女性らしい柔らかな膨らみもある。真っ直ぐに立っているだけなのに、冷ややかな空気を漂わせていた。
まるきり人間に見えるけれど、種族としては奉仕人形となる。
疲れを知らず、感情も持たないので、女性への介助も適切に行えるだろう。
「はじめまして、ご主人様。これより奉仕任務に就かせていただきます」
「うん。よろしく。貴方は……シロガネって呼ばせてもらうね」
黄金色の仲間だから銀。
思いつきで名前を付けられたシロガネだが、恭しく一礼した。
「治療魔法は使えるよね? 彼女たちの手当てをしてもらえるかな。外にも十人くらいいるから、そっちも」
部屋の奥へと振り返って、ほとんど動こうともしない女性たちを示す。
その有り様を見ただけでも、スピアは自然と顔を歪めてしまう。
けれどシロガネは眉ひとつ揺らさない。銀色の瞳で、冷ややかに状況を観察していく。
「命令を受諾。承知致しました。その上で質問をさせていただきます。彼女たちは捕虜という認識でよろしいのでしょうか?」
「え? 捕虜?」
「手当てと仰られましたが、生かしておくだけでしたら現状でも充分かと」
「違うよ! って、ダンジョンマスターって本来はそういうものだっけ!?」
声を荒げて、スピアは頭を抱える。
まずは事情説明から始めないといけないようだった。
血に濡れた広場に瓦礫が山となって積み上がっている。
鉱山街の家屋だったものをはじめ、スピアが作り出した囲いの壁と鉄球も、崩れて石や鉄の破片となっていた。
巨大な鉄球を作り出すのは、さすがに大量の魔力が必要だった。
恒常的に形を留める物質構造とするには、さらに必要な魔力量は跳ね上がる。だから一時的に強化術式を施して節約を図っていた。
魔力供給を止めれば、組成の荒い鉄となって崩れ落ちる。
それでも、そこそこ純度は高いので、再利用はできるかも知れない。
「まあ、細かいことは伯爵様とかに任せよう」
唯一残った建物の隣で、スピアはテントを広げていた。旅に備えて買い込み、『倉庫』に仕舞っておいたものだ。
質の良いものを選んでくれたエキュリアに感謝しつつ、建物の方を覗う。
囚われていた女性は全員、ぷるるんも手伝って移動が終わっていた。いまはシロガネが治療術を施し、看護を続けている。服や薬なども、スピアが可能な限り召喚しておいた。
果たして、彼女たちはどこまで回復できるのか?
心の傷は癒せるのか? 生きていて幸せになれるのか―――、
そんな陰惨な疑問が、スピアの頭を掠めていった。
息を落とし、顔を曇らせながらも、別のところへ意識を向ける。
鉱山の入り口を塞いでいた鉄球も崩れて、内部への道が開いていた。
坑道内に残っていたオークの焙り駆除も終わっている。少なくとも、スピアの認識内では生体反応は消えていた。ぷるるんが中を回っているので、ほどなくして安全が確認されるだろう。
「あとは……ご飯の用意もしておこうかな」
まだ食事には早いけれど、数十人分を用意するには時間が掛かる。きっとまともな食事などなかっただろうから、胃に優しいものを用意してあげたい。
お粥が定番だけど、残念ながらお米がない。
うどんでも作ろうか、とスピアはひとまず大鍋を召喚しようとした。
「ん……? 空から、なんだろう?」
近づいてくる気配を感じ取って、スピアは顔を上げた。
建物からシロガネも静かに、でも素早く歩み出てくる。
「ご主人様、未確認の生体反応を捕捉いたしました。恐らくは魔族ですが、如何いたしましょう?」
「魔族? へぇ、本当にいたんだ」
呑気に述べたスピアだが、シロガネには建物の方を守るように指示する。
空に人型の影が浮かんでいた。
黒甲冑を着た背の高い男だ。
やや細身に見えるのは、全身の肌も黒いからだろうか。兜は被っておらず、鋭い眼差しがスピアを見下ろしていた。
顔立ちは若いが、魔族は長寿なので年齢とは一致しないだろう。
男はしばらく辺りを見回していたが、やがてスピアの前に降り立った。
「小娘、ここにいたオークどもはどうした?」
全滅させた、と素直に答えるスピアではない。
いや、友好的に話し掛けられたなら、なにも考えずに答えていたかも知れない。けれど男は威圧的だったし、小娘と呼ばれたのもスピアの癇に触れた。
だから口元を捻じ曲げて、スピアは逆に訊ねてみる。
「貴方が、黒幕ですか?」
「ほう……俺が何をしたと言うのだ?」
「エキュリアさんも言ってました。オークが増えるのが早すぎるって。それに、このタイミングで現れるのは、だいたい悪役だと決まってます」
ビシリ、と指を突き出して、男を睨みつける。
ほとんど言い掛かりに近かった。
けれど男は不快を表すどころか、くっ、と口元を吊り上げてみせた。
「面白いな。人間など愚か者ばかりと思っていたが、我らの企てに気づく程度の知恵はあったか」
その言葉は、自白も同様だった。
小娘に聞かれたところでどうにもならない、と考えているのだろう。
しかし過信とも言い切れない。
彼ら暗黒魔族は、極めて高い能力を持った種族だ。成人した魔族はオークロード以上の身体能力を持ち、高度な魔法も使いこなす。人間の魔術師では百人掛かりでようやく互角、と言われるほどだ。
たとえオークどもを殲滅できる相手だろうとも自分の敵ではない―――、
そんな自信を示すように、男は薄い笑みを浮かべる。
「貴様の聡明さを認めて、教えてやろう。我が名はボルドザーグ。六魔将が一人であらせられる、グルディンバーグ様に仕えているのだ」
「はぁ。六魔将ですかー……」
スピアは気の抜けた返答をする。
四天王とか十二神将とか、そういうのを格好良いと思う感覚は分からない。
目の前で堂々と言われると、自分まで恥ずかしくなってくるから困る。
「なんで五魔将や七魔将じゃないんでしょう?」
「……なにを言っている? 魔将は六名と決まっているのだ。どれだけ愚かな人間とて、六魔将の恐ろしさは知っているだろう?」
「いえ。まったく」
ボルドザーグが硬直する。
可哀相なくらいに顔を歪めていたが、スピアは気に留めなかった。
もうちょっと話を聞き出してもよいかとも思えた。
だけど、最も重要なことは判明している。
「あなたは、敵ですね」
「……随分と図に乗った言葉だな」
ボルドザーグが不機嫌そうに述べて威圧を強める。
けれどスピアの方が、内心では不機嫌を通り越して怒りに煮えたぎっていた。
「深く反省して謝るなら、捕まえるだけで許してあげますよ」
それは最後通牒だ。
もはや目の前の男を放っておけないのは確定している。
何したのか、詳しいことは分からない。でも元凶であるのは間違いない。
エキュリアを悲しませた。街の人を、子供たちを、大勢を苦しめた。
だから、いますぐにでも―――八つ裂きにしてやりたい!
「いいか小娘、貴様の役割は、グルディンバーグ様が関わっていることを人間に伝え、恐怖を広げることだ。だからいまは生かしておいてやる。どういう訳かオークどもは全滅したようだが、貴様如きが―――!?」
ボルドザーグには、スピアが瞬間移動したように見えただろう。
瞬きする間に、目の前まで迫られていたのだ。
地面ごと滑走する。単純な罠の応用だが、対峙する相手にとっては大きな脅威になる。普通に地面を駆けるのとは違って、体が揺れない。たったそれだけの違いなのだが、慣れない光景に視覚情報は混乱させられ、致命的な隙を生んでしまう。
それでもボルドザーグは、咄嗟に腰を落として身を強張らせた。
スピアが繰り出した一撃は、膝を狙ったものだ。
膝関節への正面からの打撃は、人体の弱点を突いているように見える。けれど相手が身構え、膝を曲げて固めていれば、逆に硬い部分で迎撃されることになってしまう。
ボルドザーグは身体を緊張させただけ。
魔族の強靭な肉体は、それだけで一撃を防げるはずだった。
「がぁ、っ……!?」
ボルドザーグが大きく体勢を崩す。
スピアの手刀が、ボルドザーグの膝を横薙ぎに打ち据えていた。両膝を揃えるように、くの字に叩き折る。まるで達磨落としみたいに体勢を崩した。
常人ならば膝関節を砕かれていたかも知れない。
魔族の体は頑丈で隙を作った程度だが、それでも充分だった。
「な、あ……ぶッ!!」
巨大な刃が、ボルドザーグを縦に両断した。
鮫の背ビレを想わせる鋭利な刃だ。スピアが身を捻った途端、その背後からボルドザーグに襲い掛かった。地面から沸き上がった刃は、半円を描きながら愕然とする顔ごと真っ二つにした。
ボルドザーグも咄嗟に身を守ろうとはした。魔法による障壁も張っていた。
けれど障壁ごと叩き斬られて、大量の鮮血を撒き散らして倒れ伏した。
「達磨落としシャークブレードです」
冷ややかに告げて、残心。スピアは拳を構えなおす。
血の匂いに辟易しながら、自分を宥めるように呼吸を繰り返した。
ボルドザーグは激しく困惑していた。
真っ二つにされた自身の半分を見つめながら思う。
(いったい何が起こった? まさか、あの小娘にやられたというのか?)
今回、ボルドザーグに与えられた任務は偵察だった。
主であるグルディンバーグが特別に力を与え、実験体としたオーク。その動向を見守り、どれだけ人間に被害を与えられるのか、報告するよう命じられていた。
直接の手出しは禁じられていたが、手駒が有能であるに越したことはない。オークどもが群れを拡大させていくのを、ボルドザーグも喜んで見守っていた。
上手くすれば、人間国家のひとつくらいは潰せる。
主にも良い報告ができる。
さすがはグルディンバーグ様、『進化』の力は凄まじい―――、
そう期待していた矢先に、オークどもの反応がまとめて消えた。
どうなっているのかと直接に訪れてみれば、そこにいたのは貧弱そうな小娘だった。
オークの一匹すら倒せそうにない小娘だ。側にいたメイドも、ボルドザーグの目には小枝のように脆い人間にしか見えなかった。
試しに接触してみたが、満足な話は聞けなかった。
もはや話すだけ時間の無駄だと思った矢先、奇襲を受け、真っ二つにされていた。
(くそっ、落ち着け! こんな小娘など、どうとでもなる。いまのも不意を突かれただけだ。微かに魔力の流れも感じたが、それも微弱なものでしかなかった)
地面に倒れ伏したボルドザーグは、困惑しながらも危機感は覚えていなかった。
そう、真っ二つにされても生命に支障は無い。
体を両断されたくらいでは、いくらでも回復できるのだ。主から授かった力によって、ボルドザーグは不死にも近い存在となっていた。
(オークどもを倒したのも、この小娘ではあるまい。しかし人間にも稀に強力な個体も現れると聞く。そういえば、エキュリアとか、小娘が口にしていたな。女の名のようだが、さてはそいつが……?)
思案を巡らせながら、ボルドザーグは辺りの様子を窺った。
「お見事です、ご主人様」
「ううん。この人?、隙だらけだったから」
両断された体の側には、まだスピアとシロガネがいた。
微笑む幼い顔は、やはり愚かな小娘としかボルドザーグの目には映らない。
(……ふん。俺を倒したと思って油断しているようだな)
自身から零れ落ちる血に沈んだまま、ボルドザーグはほくそ笑む。
(この状況ならば、俺は瞬時に回復できる。見逃してやろうと思ったがやめだ。今度は俺が不意を突いて殺してやろう。いや、手足をもいで苦しませてやるか)
小娘め。貴様が安心して背を向けた時が最期―――、
そうボルドザーグは心の内で嘲笑う。
「あ、やっぱりまだ生きてるみたい」
言うが早いか、スピアはボルドザーグの半身を蹴り飛ばした。
意識が無い方の半身は抵抗もできず、そのまま地面を転がる。その先には、鉱山から出てきた黄金色の塊がいた。
「ぷるるん、食べていいよ。しっかり消化してね」
「なっ……!?」
これにはボルドザーグも驚愕して、思わず声を漏らしてしまう。
突然に現れたキングプルンに驚いた、というだけではない。
不死に近いボルドザーグだが、さすがに体の半分も失えば回復には時間が掛かる。計画では、残った体をくっつけて瞬時に回復、そしてスピアを襲うつもりだった。
しかしスピアには見抜かれていた。
まるで平然とした様子で、スピアはボルドザーグを見下ろして小首を傾げる。
「真っ二つにされて生きてるって、どっちが本物か考えると怖くなるね」
「この場合は、どちらも……いえ、どれも本体と捉えるべきでしょうか。優先順位はあるようですが、ひとつでも核が残っていれば復活できるのでしょう」
「スライムのベトン種みたいだね」
シロガネが言った通り、ボルドザーグの体内には複数の核がある。そこに意識が保存されていて、最低限の魔力さえあれば復活できるはずだった。
しかし核ごと破壊されてはどうにもならない。消化されても同じだ。
「くっ、侮るなよ。この体でも貴様ら如き―――にぶぁっ!?」
ボルドザーグは半身のまま起き上がろうとした。
けれど瞬時に、その体が縫いつけられる。地面から生えた鉄槍によって。
十数本も生えた鉄槍はボルドザーグを貫くと、さらに穂先から雷撃を放った。
青白い光が半分の体を駆け巡り、激痛を与えるだけでなく、魔法の発動も遮る。
「うん。第三段階の、複雑な魔法を使った罠もちゃんと使えるね」
濁った悲鳴を聞き流して、スピアは淡々と述べる。
「核を全部壊せばいいんだよね。シロガネ、お願いできる?」
「お任せください。塵の一粒さえ残しません」
まるで自室の掃除を頼むみたいに、スピアは軽い口調で言う。
シロガネは正しくメイドのように恭しく一礼した。
「ま、待て! 俺は、偉大なる六魔将の配下だぞ、こんな、ぁ……小娘に……」
ボルドザーグの訴えは虚しく響く。
きっちりと”お掃除”されて、完全に消滅した。